――ある日の午後。

 わたし、『神岸 ひかり』は夕飯の買い出しの為に、商店街へとやって来た。

 と、言っても、いつも利用している近く商店街じゃなくて、少し離れた場所にある商店街よ。

 まあ、いつものところでも良いんだけど、
たまには違うところに行くのも新鮮だし、気分転換にもなるでしょ?

 というわけで、今日は久し振りにこの商店街に来たわけなんだけど、
ここって、何故か妙な噂が堪えないのよねぇ。

 例えば……、

 とある骨董品屋の中から稲妻が飛んできた、とか……、
 出刃包丁を片手に持った女性が堂々と道の真ん中を走ってた、とか……、
 何とかっていう喫茶店の店員に抱きしめられて、女の子が窒息しかけた、とか……、

 とにかく、やたらと物騒な噂ばっかりなのよ。

 あ、そういえば、もう一つ変わった噂があったわねぇ。

 あれは確か……、





 ――特定の少年を追い駆け回してキスを迫る二人の主婦がいる、だったかしら?








『Hiroの部屋』30万HIT突破記念SS

『人妻大暴走!』

<<『Heart to Heart』&『藤田家のたさいシリーズ』>>






「ひええぇぇぇーーーっ!!」


 あらかた買い物を終え、そろそろ帰ろうかと思いつつ商店街を歩いていた時、
遥か後ろの方からその悲鳴は消えてきた。

「な、何……?」

 わたしは何事かと思い、後ろを振り返る。
 すると……、


「勘弁してくれぇぇーーっ!!」


 と、必死の形相で走って来る一人の少年の姿が見えた。

「あれって……誠君じゃない」

 そう……間違いなく、あれは誠君ね。
 こっちに向かって真っ直ぐに走って来る。

 何だか、随分と切羽詰まったか顔してるけど、何かあったのかしら?

「誠君、どうした……」


 
ぴゅぅぅぅーーーーんっ!!


「……の?」

 わたしが話し掛けるよりも早く、
誠君はわたしの横を凄いスピードで通り過ぎて行く。

「ちょっ、ちょっと待ってよ! 誠君!」

 後になって考えてみれば、この時、わたしが誠君を追う必要は無かったんだけど、
とにかく、わたしは走り去る誠君を追い駆けた。

 しかし、さすがは男の子。
 足の速さが全然違う。

 しかも、わたしが何度も呼び掛けてるのに、誠君はそれに気付く様子は無く、
徐々に、徐々に、わたしと誠君との差は開いていく。

「待ちなさいって……」

 いい加減、痺れを切らしたわたしは、
買い物カゴの中から、さっき八百屋で買ったばかりのリンゴを一つ掴む。

 そして……、

「言ってるでしょうがっ!!」

 それをエイヤッとばかりに、誠君に向かって投げつけた。

 でも、ちょっと力を入れすぎちゃったみたい。
 リンゴは、勢い余って誠君の頭上を飛び越えていく。

 だが……、





 
ひょいぱくっ!


 
シャリシャリシャリシャリ……





 頭上を越えようとしていたリンゴを、誠君はジャンプ一番、見事に口でキャッチし、
その場に立ち止まって美味しそうに食べ始めた。

「…………」

 誠君の……その、まあ、何て言うか、
噂通りの食欲魔人ぶりに、呆れ果てるわたし。

 わたし、誠君の後頭部にぶつけて立ち止まらせるつもりだったんだけど……、
 ま、いいか。結果的には同じなんだし。

 わたしは一心不乱にリンゴを食べる誠君に歩み寄る。

「……誠君」
「はい?」

 今、初めてわたしの存在に気がついた、という表情で、
こちらに顔を向ける誠君。
 ちなみに、もうリンゴは食べ終わり、余った芯の部分は、
側にあったゴミ箱に投げ入れられている。

「何ですか? ひかりさん」
「何ですかって……はあ〜」

 誠君の言葉に、わたしは大きくタメ息をつく。

 やれやれ……どうやら、本当にわたしに気付いてなかったみたいねぇ。

「あなたねぇ……目上の人が声掛けてるのに、それを無視して行くなんて感心しないわよ」
「そ、そうだったんですか? す、すみません……急いでたもんですから」
「何をそんなに急いでるの?」
「……追われてるんです」

 と、真剣な表情で言う誠君。

 は? 追われてる?
 この子、何をやらかしたのかしら?
 そんな、人様に迷惑をかけるような事をする子には絶対に見えないんだけど……、

 と、そう考えた時、わたしはある可能性に思い至る。

 ……うん。さっきの食べっぷりを見ても、その可能性は否定できないわね。

「もしかして、食い逃げでもしたの? ダメじゃでしょ、そんなコトしちゃ。
お腹が空いてるなら、言ってくれればご飯くらいご馳走するから……ね」
「うぐぅ、あとでちゃんと払うつもり……って、違うっ!
俺はそんな何処ぞのたい焼き娘じゃありませんっ!」

 たい焼き娘って……もしかして、秋子のところにいる『あの子』のことかしら?
 ってことは、誠君って、相沢家のこと知ってるの?

 まあ、誠君って意外と交友関係広そうだから、
相沢家の面々と知り合いだったとしても不思議じゃないけど。

 そういえば、秋子は元気にしてるかしら?
 お互い結婚してから、たまに手紙とかでやりとりするだけで、あまり会ってないのよねぇ。 

 う゛っ……何だか、秋子のこと考えたら、『色々と』思い出しちゃったわ。
 学生の頃の秋子とわたしって、『色々と』あったから……、

 例えば、夜、秋子の寝室で…………って、そんなことは今はどうでもいいっての。
 だいたい、人様に話せるようなことじゃないんだから……、

 危ない危ない……、
 もうちょっと、とんでもないことを暴露しちゃうところだったわ。


 閑話休題……、


「ほんと〜〜〜に食い逃げじゃないのね?」
「当たり前ですよっ!」
「じゃあ、一体、誰に追われてるって言うの?」
「そ、それは……」

 と、わたしは食い逃げ説をムキになって否定する誠君を問い詰める。
 そして、誠君は渋々といった感じで口を開いた。

 その時……、

「あらあらあら♪ こんなところにいましたよ♪」
「ま〜こ〜と〜く〜〜〜〜〜ん♪ 私達から逃げられると思ってるの〜♪」

 何処からともなく二人の女性が現れ、誠君の両腕をガッチリと抱え込んだ。

「うげっ! しまったっ! 見つかった〜〜〜〜〜っ!!」

 誠君は慌てて逃げようともがくが、
さすがに二人掛かりで全体重をかけられちゃ抵抗できないみたいね。

「うふふふふふ♪ 捕まえちゃいましたよぉ〜♪」
「私達から逃げようなんて十年早いのよ〜ん♪」
「あうあうあうあうあうあう……」

 二人の女性に迫られ、何も言えなくなってしまう誠君。
 その表情は、もう完全に諦めモードだ。

 ……この二人、一体誰なのかしら?
 どうやら、誠君の知り合いみたいだけど……、

 一人は、長い桃色の髪を三つ編みに纏めた、おっとりとした雰囲気を持つ女性。
 もう一人は、これまた長い空色の髪をリボンで結んだ、活発そうな女性。

 外見は二十代半ばくらいに見るけど、わたしには分かるわよ。
 この二人、間違いなくわたしと同じくらいの歳ね。

 まあ、それはともかく、誠君、どうしてこの二人に追われてたのかしら?

「うふふふふふ♪ まずは、はるかからですよ〜♪
あやめさん、しっかり押さえててくださいね〜♪」
「おっけー♪」

 自分を『はるか』と呼ぶ桃色の髪の女性の言葉に頷き、
『あやめ』という空色の髪の女性が、誠君を背後から羽交い締めにする。

「は、はるかさん! あやめさん! 勘弁してくださいっ!
せめて、せめてもう少し人目の無いところで……」

 激しく首を振って抵抗する誠君。
 しかし、二人はそんな誠君の訴えなど意に介さない。

「ダメです〜♪ はるかは、もう我慢できませ〜ん♪」

 そう言うと、はるかさんは両手を誠君の頬に添えて、動けないようにする。
 そして……、


 
んちゅ〜〜〜☆


「っ!?」

 その光景を見た瞬間、わたしはあまりの事に一歩後ずさった。

 キ、キスしてる……キスしてるわ。
 こんな、天下の往来で……、

「んっ……んっんっ……ぅふん♪」
「うぐっ……ぐ、ぐ……ぅく……」

 し、しかも……舌入れてる。
 舌絡めてる……行ったり来たりさせてる……くちゅくちゅ音鳴ってるぅぅぅぅ〜〜〜っ!!

 す、凄いわ……白昼堂々と、こんなにも濃厚なキスをするなんて……、


 
――ちゅぽっ☆


 誠君とはるかさんの唇が、湿った音を立てて離れる。

「はふう〜☆」

 ちょっと上気した頬に手を当てて、満足気け微笑むはるかさん。

「…………」

 それとは対照的に、あまりに濃厚なキスだった為、誠君は上の空になってしまっている。
 そこへすかさず……、

「次は私ね♪」


 
んちゅ〜〜〜☆


 今度はあやめさんが誠君の唇を奪った。

「うっ、うふん……はぅ……ううん……♪」
「うっ、くふ……はぁ……うくく……」

 そして、当然の如くディープキス。

 やっぱり、それは激しくて、濃密で……、
 でも、何故か、あんまりいやらしさを感じないのが不思議だわ。
 どちらかというと、微笑ましいって感じね。

 まあ、それでも、とてもじゃないけど、
恥ずかしくて見ちゃいられないのは確かなんだけど……、


 
――ちゅぽっ☆


 はるかさんの時と同様の音を立てて、二人の唇が離れる。

「んふふふふふ♪」

 ニンマリと微笑んで、舌なめずりをするあやめさん。

「あう〜〜〜〜〜〜……」

 そして、立て続けに唇を奪われ、へなへなと膝をついてうな垂れる誠君。
 その力無い姿は、まるで生気でも抜かれちゃったみたいだわ。

「あらあら〜? 誠さん、大丈夫ですか?」
「ちょ〜っと熱っぽくやりすぎたかしら?」

 逆に二人の表情は、とっても生き生きとしている。
 何だか、こころなしか、お肌も艶々になってるような気がするし……、

 もしかして、本当に生気吸い取ってたりして……、
 これこそが、この二人の若さを保つ秘訣だったりして……、

 ……あはは……まさか、ねぇ。

「それでは誠さん、ご馳走様でした〜♪」
「またよろしくね〜♪」

 そして、誠君を襲った二人は、にこやかに手を持って去っていく。
 それを、ただただ呆然と見送るわたし。

 そういえば、あの二人、最後までわたしの存在に気付かなかったわね。
 結局のところ、何者だったのかしら?

 と、首を傾げつつ、わたしはへたり込んだ誠君の顔を覗きこむ。

「誠君、大丈夫?」
「……人妻……怖ひ……」

 ……あ、警戒されてる。
 まあ、あんなことされた後じゃ、仕方ないわよね。

「ねえ、誠君……さっきの二人、一体何者なの? まあ、なんとなく予想はつくけど」
「……その予想通りの人ですよ」
「あ、やっぱり?」

 ということは、あの二人、さくらちゃんとあかねちゃんの母親なのね。
 まあ、何て言うか……凄い母親よね。

「いつも、あんな調子なの?」
「……はい」
「じゃあ、会うたびに、キスを迫られてるんだ?」
「……はい。本人達はスキンシップのつもりらしいですけど」

 わたしの質問に、言葉少なげに答える誠君。
 そして、力無くゆらりと立ち上がると……、

「俺、帰ります」

 と、タメ息混じりにそう言うと、とぼとぼと元気無く歩いていく。

「え、ええ……気をつけてね」

 哀愁漂う誠君の背中を、わたしは軽く手を振りながら見送る。

 やれやれ……あの子も苦労してるみたいね。
 まあ、それだけ誠君が愛されているって事なんでしょうけど……、

 それにしても、ホントに凄いわよねぇ。
 いくら自分の娘の未来の旦那だからって、スキンシップでキスするなんて……、

 となると……わたしの場合、相手はやっぱり浩之ちゃんになるのかしら?

 いやいや、それはさすがにマズイわよねぇ。
 あかり達にバレちゃったら、タダじゃ済まないもの。





 でも……、
 わたしとぉ〜……浩之ちゃんがぁ〜……、





 ……。


 …………。


 ………………。


 ………………………………いいかも♪





「……うん♪ バレなきゃいいのよね♪
それに、あくまでもスキンシップなわけだし♪」

 と、自分を納得させ、わたしはクルリと踵を返した。


 
る〜んたった、るんたった♪
 
る〜んたった、るんたった♪


 そして、スキップを踏みつつ、商店街を後にする。

 その足が向かう先は、自分の家である神岸宅ではなくて……、





 うふ、うふふ、うふふふふふふふ……♪





 
待っててねぇ♪
 
ひっろゆっきちゃ〜〜〜ん♪








<つづく>