Heart to Heart

     
 第51話 「ぬくもり」







「う、うん……?」

 目を覚ますと、俺は自分の部屋のベッドで寝ていた。

 …………あれ?
 俺……確か、今朝、チャイムの音で目が覚めて、
多分、さくらとあかねが迎えに来たんだろうと思って玄関に……、

 ……おいおい。
 そこから先の記憶がねえぞ?

 俺は記憶の糸を辿りながら、妙に気だるい体を起こす。

 俺、何で部屋で寝てるんだ?
 それに、何か頭がガンガンするし……、

 もしかして、風邪でも引いたか?
 それなら、今のこの状態も納得できる。
 体も、かなり熱っぽいし……、

 と、俺はパジャマの袖で首筋の汗を拭う。

 げっ!! パジャマが寝汗でベトベトじゃねーか!

「……とりあえず、着替えねーと」

 俺はベッドから降りようと布団から出る。
 しかし……、


 
ふらっ……


「あらら……」

 体に力が入らず、俺は床に崩れ落ちてしまった。

 うーむ……ここまでヤバイ状態だったか。

 俺は床に両手をつき、体を起こそうとする。
 だが、まったく持ち上がらない。

 マズイ……動けん。
 このままでは、シャレにならんことになってしまう。

 と、妙に冷静に危機感を覚えていると……、


 
ガチャッ――


 部屋のドアが開いた。
 そして……、

「あらあらっ! まだ動いちゃダメよっ!」

 聞き覚えのある声がしたかと思うと、俺の体が抱き起こされた。
 そして、その声の主はを俺の顔を覗き込む。

「大丈夫? 誠君」

「……あやめさん?」

 声の主は、あかねの母親の『河合 あやめ』さんだった。
 心配そうな顔で俺を見ている。

「もう、寝てなきゃダメでしょ。熱があるんだから」

「は、はい……すみません」

 俺はあやめさんに支えられ、何とかベッドに横になる。

「誠君……どうして起きたりしたの?」

 洗面器で濡らしたタオルを絞りながら、あやめさんが俺に訊ねる。

「あの……服を着替えようと……」

 俺の言葉に、あやめさんは大きくタメ息をつく。

「はいはい。それなら、私がやってあげるから」

「えっ? ちょ、ちょっと……!」

 そう言うと、あやめさんは俺のパジャマを手早く剥ぎ取っていく。

「あ、あやめさん……それはマズイですって」

「何をテレてるのよ。大丈夫よ、下着は脱がしたりしないから」

「そういう問題じゃ……」

 俺は何とか抵抗を試みようとするが、
いかんせん弱った体じゃ、主婦の力には敵わない。

 あっと言う間に、俺はトランクス一枚という姿にされてしまった。

「は〜い♪ それじゃあ、ふきふきしましょうね〜♪」

 何やらとても楽しげに濡れタオルを構えるあやめさん。

 …………あやめさん、その表現はちょっちヤバイっすよ。








「そうですか。そんなことが……」

 さて、あやめさんに体中の汗をふきふきしてもらい、
新しいパジャマに着替えるのを手伝ってもらいながら、
俺は事の成り行きを訊ねた。

 俺が熱のせいで玄関先に倒れていたこと。
 それをさくらとあかねが発見したこと。
 倒れた俺を二人でベッドに運んだこと。
 そして、あやめさんに連絡を入れたこと。

 ……などなど。

「すみません、あやめさん……迷惑かけちゃって」

 それら全てを聞き、俺が最初にしたのは、謝罪することだった。

 自分の体調管理がなっていなかったせいで、さくらやあかねだけじゃなく、
あやめさんにまで迷惑をかけてしまったのだ。

 俺の胸は申し訳ない思いでいっぱいになる。
 でも、あやめさんはそんな俺に優しく微笑むと……、

「いいのよ。あなたは私の息子みたいなものなんだから」

 と、俺の頭を撫でてくれた。

「それに、誠君って、昔からあんまり手の掛からない子だったもの。
だから、こういう時くらい甘えていいのよ」

 そう言いつつ、細いリボンで一つに纏めた長い空色の髪の先を
クルクルと指に巻きつけていじる。
 照れ隠しする時の、あやめさんの癖だ。

「ところで、誠君、お腹空かない?」

 テレを誤魔化すかのように、唐突にあやめさんはそう言ってきた。

「え? はあ……まあ、少しは……」

 実際、少し小腹が空いていたので、俺は素直に頷く。

「さすがは誠君ね。こんな時でも食欲はあるんだから」

「……それ、誉めてるんですか?」

「もちろん♪ じゃあ、待ってて。お粥でも作ってあげるから。
あと、お薬も持ってくるわね」

 と、あやめさんは部屋の出口へと向かう。
 その時……、


「誠さんっ!!」


 
バタンッ!


 
がんっ!!


「へぶっ!」


 突然、外側からドアが勢い良く開けられ、
まるでお約束のようにあやめさんの顔面に激突する。


「っっっっーーーーー!!」


 
ゴロゴロゴロゴロッ!


 かなり強く打ったのだろう。
 あやめさんは両手で鼻を押さえて床をのたうち回る。

 そんなあやめさんを……、


 
ぶぎゅるっ!


「うぎゃっ!!」


 踏みつけて……、

「誠さんっ!! 大丈夫ですかっ!?
留守電に誠さんが倒れたって入っていたものですから、はるかもう心配で心配で!」

 その人は、桃色の長い三つ網みを振り乱しつつ、俺の部屋に入って来た。

 さくらの母親の『園村 はるか』さんである。

 はるかさんはベッド脇に膝を付くと、両手で俺の手をギュッと掴む。

「誠さん!! お熱はどうですか? 気分は悪くないですか?
頭は痛くないですか? 何かしてほしいことはありますか?」

 と、涙目で訊ねてくるはるかさんに、俺はやれやれと肩を竦めた。

 ……ったく、相変わらず、慌て者だなぁ。

「はるかさん、とりあえず、落ち着いて……はい、深呼吸深呼吸」

「は、はい……」

 俺に言われるまま、深呼吸を繰り返すはるかさん。
 慌て者だけど、それ以上に素直なところが、はるかさんの良いところだ。

「……落ち着きましたか?」

「はい……すみません。取り乱してしまって。
でも、さくらさんから誠さんが倒れたって聞いて……」

「大丈夫ですよ。心配いりません。
あやめさんのおかげでだいぶ楽になりましたから」

「え? あやめさん? 何処にいるんですか?」

「……はるかさんの後ろ」

「え?」

 と、俺に言われ、はるかさんは後ろを振り返った。
 それと同時に……、

「は〜〜る〜〜か〜〜〜(怒)」


 迫力のある低い声が、部屋に響き渡る。

 そこには、鼻にティッシュを詰めたあやめさんが立っていた。
 物凄い形相で、はるかさんを睨み付けている。

「あらあら〜、あやめさん、いたんですか?」

 と、怒るあやめさんをものともせず、
はるかさんはニッコリと邪気の全く無い微笑みを見せる。

 一応、言っておくが、はるかさんは決してわざとやっているのではない。
 こういう人なのだ……昔から。

 にっこにっこと笑みを絶やさないはるかさんに覇気を奪われたあやめさんは、
大きく大きくタメ息をつく。

「もういいわ……いつものことだし……」

「何のことです?」

「だから、もういいってば。私、誠君のお粥作ってくるから、
はるかは誠君のことお願いね」

「はい。おまかせください」

 はるかさんが微笑むのを確認し、あやめさんは部屋を出ていった。

「さて、それでは、誠さんはお粥が出来るまで横になっててくださいね」

 はるかさんは、上体を起こしていた俺の体をベッドに寝かせる。

「すみません。あやめさんばかりか、はるかさんにまで迷惑かけて……」

 とりあえず、俺はあやめさんの時と同じように、はるかさんにお礼を言う。

「いいんですよ。誠さんは、はるかの大事な大事な息子同然なんですから」

 はるかさんは、そんな俺にあやめさんと同じ答えを言ってくれた。



 そう……昔からそうだった。

 俺の両親は、親父の仕事の都合で、ほとんど家に帰って来ることがない。
 そんな独り暮し状態は、俺がガキの頃からずっと変わっていない。
 だから、今はともかく、昔は本当に大変だった。
 小さな子供に、生活能力なんかあるわけないのだから。

 そんな俺を、我が子の様に面倒を見てくれたのが、はるかさんとあやめさんだった。
 まあ、俺の両親から頼まれていたんだろうけど。

 でも、俺は確信している。
 はるかさんもあやめさんも、俺を自分の息子同然に愛してくれていることを。
 俺のことを、心から大切に想っていてくれることを。

 だから、二人は、俺にとっては母さんみたいなものだった。



「はるかさん……ありがとうございます」

 はるかさんの気持ちに、俺は心から感謝を述べる。

「誠さん……」


 
ぽんぽん……


 
ぽんぽん……


 はるかさんが、布団の上から、俺の胸をポンポンと叩く。

 何だか……気持ちいいな。

「……眠くなってきた」

 あまりの心地良さに、俺は目蓋が重くなっていくのを感じた。

「じゃあ、少し寝た方が良いですよ。
はるかが側にいてあげますから、安心して眠ってください」

「でも……お粥……」

 ……そうだ。
 今、あやめさんが、わざわざお粥を作ってくれている。
 それを無駄にするわけには……、

「そんなの、また作ればいいんです。
病人なんですから、眠い時は無理せずちゃんと寝てください」

 と、はるかさんは布団を掛け直し、またポンポンと叩く。


 
ぽんぽん……


 
ぽんぽん……


「じゃあ、そうします。あやめさんには……」

「はい。はるかが謝っておいてあげます」

「済みません。それじゃあ……」

「はい。おやすみなさい……誠さん」








 そして、はるかさんの深い深い愛情を感じながら、
俺は眠りに落ちていったのだった。








<続く>
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