Heart to Heart
第52話 「ありがとう」
結局、次に俺が目を覚ましたのは、
時計の針が3時を回った頃だった。
で、今、俺はあやめさんが作り直してくれたお粥を
食べているわけなのだが……、
「はい、あ〜ん♪」
湯気の立つあたたかそうなお粥を一口分レンゲですくい、
あやめさんはそれを俺に差し出す。
その表情は非常に楽しそうに見える。
「あ、あやめさん……あのですね……」
「ん? あ、ゴメンなさい。このままじゃ熱いわよね」
逡巡する俺の態度を別の意味に取ったあやめさんは、
レンゲにふーふーと息を吹きかけ、お粥を冷ます。
そして……、
「はい、あ〜ん♪」
と、再びレンゲを差し出してきた。
やっぱり、その表情は心底楽しそうだ。
……俺、自分で食べられるんだけどなぁ。
と、俺は内心呟く。
よく寝て、しっかりと休んだからだろう。
もうだいぶ体調は良くなった。
だから、わざわざ食べさせてもらう必要は無いんだけど……、
これを断るわけにはいかねぇよな。
「……あ〜ん」
俺は意を決して口を開ける。
――ぱくっ
「ふふふ♪ どう? おいしい?」
訊ねるあやめさんに、俺はもぐもぐと口を動かしながらコクコクと頷く。
確かに、うまい。
さくらとあかねも料理は上手いが、そのへんはさすがは主婦。
年期が違う分、味も全然違う。
「ふふふ♪ 誠君って食べっぷりが見てて気持ちいいから、
作る方も張り合いがあるのよね。はい、もう一口、あ〜ん♪」
「あ〜ん」
と、まあ、こんな感じで、あやめさんにお粥を食べさせて貰っているわけだ。
いや、それだけではない。
「誠さん、座っているのは大変でしょう? はるかにもたれて良いですよ」
と、ベッドで上体を起こしている俺の背後に、はるかさんが座る。
自分の体を背もたれにして楽にして良い、と言ってくれているのだ。
「え? いや、別にそこまで……」
「ほらほら、遠慮なさらずに♪」
はるかさんに肩を掴まれ、グイッと引き寄せられた。
そして、俺の体は、後ろに倒れないように支えられる。
「い、いいですよ。はるかさん、重いでしょう?」
「いいえ、重くなんか無いですよ」
俺の体を支えながら、はるかさんは微笑む。
「自分の息子を重いと感じる母親はいませんよ」
「……はるかさん」
はるかさんのその言葉に、俺は胸が詰まった。
思わず、泣きそうになってしまった。
……俺って、本当に愛されてるんだなぁ。
「誠君、どうしたの?」
急に黙り込んでしまった俺を不思議に思ったのだろう。
あやめさんが俺の顔を覗き込んでくる。
「い、いえ……何でもないです」
「そう? だったら……はい、あ〜ん♪」
「あやめさん、半分までいったら、はるかと代わってくださいね」
「わかってるわよ」
と、二人がそんな会話をしていると……、
バタンッ!!
一階から、正確には玄関からドアが開く音――
ドタドタドタドタッ!!
そして、騒がしく階段を駆け上ってくる音――
「早いわね〜。もう帰って来たわ」
「あらあら〜。残念です」
と、その騒音の主が誰なのかを察し、二人は苦笑する。
そして……、
「まーくん!! 大丈夫……って、あーーーーーーーーっ!!」
「お母さんっ! 何してるんですかーーーーーーっ!!」
部屋に駆け込んで来たさくらとあかねは、
俺達の状況を見て叫び声を上げる。
どうやら、はるかさんとあやめさんが、
俺にベッタリくっついているのが気に入らないようだ……って、当たり前だわな。
「お母さん! それはあたし達の役だよぉ!」
「そうですよ!」
頬を膨らませ、母親ズに詰め寄るさくらとあかね。
「いいじゃない。たまには私達にも誠君を貸してくれたって」
「そうですよ。いつもいつもさくらさん達で独占して。
たまには、はるか達にも誠さんのお世話させてください」
と、子供みたいに拗ねる母親ズ。
「それでもダメなのー!」
「お母さん達には、お父さん達がいるじゃないですか!
そこ、どいてください!」
あかねは、あやめさんからお粥をひったくり、
さくらは、はるかさんをベッドから引き摺り下ろす。
「もう……ほんっっっっっとに、二人とも独占欲が強いんだから」
と、さくらとあかねに場所を奪われ、やれやれと呆れるあやめさん。
「あらあら〜。それでは、後はさくらさん達にお任せしましょう」
少し残念そうにしながらも、微笑み絶やさないはるかさん。
「そうねぇ。そろそろ帰って、ウチの亭主の面倒見る準備しとかないとね」
そして、二人はゆっくりと立ち上がると、
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、俺に顔を近付けてきて……、
「それじゃあ、誠君、お大事に♪」
――ちゅっ☆
「――っ!?」
「早く元気になってくださいね♪」
――ちゅっ☆
「――っっ!?」
不意打ち気味に、母親ズに唇を奪われ、俺は目を白黒させる。
「あーっ!! またーっ!!」
「お母さん! どうしてそうやっていつもいつもまーくんにキスするんですか!?」
母親ズの行為に憤慨するさくらとあかね。
……そうなのだ。
はるかさんもあやめさんも、昔から、やたらと俺にキスしてくるのだ。
どうやら、二人ともキス魔の傾向があるらしい。
しかも、タチが悪いことに、俺限定。
もちろん、そのキスには、母親の息子に対する愛情以上のものはない。
二人とも、旦那さんにこれでもかという程にらぶらぶだからな。
まあ、ようするに、このキスは、単なる軽い悪戯なのだ。
さくらもあかねも、そのことは充分に理解している。
でも、納得はできないのだろう。
「いいじゃない。このくらいの報酬貰ったって」
「そうですよ。二回くらい良いでしょう?」
「「二回っ?!」」
はるかさんの言葉に、鋭く反応するさくらとあかね。
「それって、二人合わせて二回ですか?」
「それとも、一人二回ずつ?」
さくらとあかねに訊ねられ……、
「そりゃ、もちろん……」
「一人二回ずつです♪」
と、母親ズはニンマリと微笑む。
「と、いうことは……今のは二回目?」
「一体、いつの間に……?」
「そんなの決まってるじゃない。誠君が寝ている隙に『ちゅっ☆』って♪」
「はい。それも、とっても濃厚なのを♪」
「ふっふっふ〜……舌、入れちゃった♪」
と、可愛くちろっと舌を出すはるかさんとあやめさん。
「おかあさんっ!!」
「もう! いい加減にしてくださいっ!!」
「おおこわ♪ それじゃ、後はよろしくね〜♪」
「それでは〜♪」
と、さくらとあかねの剣幕に、母親ズは部屋の外へと退散する。
そして、ヒョコッとドアの隙間から顔だけ覗かせると……、
「あ、そうそう。今夜は二人とも泊まっていって良いですからね」
「でも、誠君は病み上がりなんだから、今夜は誘惑しちゃダメよ」
「もうっ!!」
ばしっ!!
二人に向かって枕を投げつけるあかね。
しかし、あやめさんが素早くドアを閉めたので、それが命中することは……、
がつっ!!
「あやめさ〜ん……痛いですぅ〜」
「……まったく、相変わらずグズなんだから」
はるかさん……顔……ドアに挟んでるし。
「あ……お母さん」
立ち去ろうとする母親ズを、さくらが呼び止める。
「な〜に? さくらさん」
ドアに挟んだ顔を擦りつつ、はるかさんは振り返る。
「お母さん……今日は、ありがとうございました」
「それと、ゴメンナサイ……さっきは勝手なこと言っちゃって」
と、さくらとあかねが謝ると、
はるかさんとあやめさんは顔を見合わせて、微笑み合う。
「いいのよ。私もはるかも、結構楽しんでたんだから」
あやめさんの言葉に、はるかさんもコクコクと頷く。
「でも、次からはもっと落ち着いて対応してね。
こういう時は、女がしっかりしなきゃダメなんだから」
「男の方って、病気とかに関しては妙に無警戒ですからねぇ」
ベッドに横になる俺を見ながら、
はるかさんとあやめさんはしみじみと言う。
うう……反論できないのが悲しい。
「それじゃ、誠君、ちゃんと休まなきゃダメよ」
「さくらさん、あかねさん、誠さんをちゃんと見張っててくださいね」
そう言い残して、母親ズは自宅へと帰っていった。
そして――
はるかさんとあやめさんが帰ってから、
俺は二人にお粥を食べさせてもらい、薬を飲み、
念のため新しいパジャマに着替えてから、再びベッドに横になった。
そして、そのまま安静にしていると、
風呂に入ってパジャマに着替えたさくらとあかねが部屋に来て……、
「……一緒に寝てもいいですか?」
と、言ってきた。
風邪が移るぞ、と一応言ったのだが、二人は布団に潜り込んできて、
結局、一緒に寝ることになってしまった。
そして、今、二人は俺の胸に頬を寄せて、
安らかな寝息を立てている。
その寝顔は、とても幸せそうで……、
その寝顔は、とても安心しきっていて……、
「……心配かけちまったな」
俺は、二人を起こさないように小さく呟く。
きっと、今日一日、不安で不安でたまらなかったんだろうな。
寂しくて寂しくて、いてもたってもいられなかったんだろうな。
そして、ずっとずっと、俺のことを想ってくれてたんだろうな。
「……情けねぇ」
俺は自分自身を罵倒した。
いつも、二人に心配をかけないようにって、心掛けてるのに……、
いつも、二人に哀しい思いをさせないようにって、心掛けてるのに……、
……どうして、こうなっちまうんだろうな。
俺は二人の頭をそっと撫でる。
「さくら、あかね……ゴメ……」
ゴメンな……と言いかけて、俺は口を噤んだ。
……そうだった。
こういう時は、ゴメンじゃなくて……、
俺は、二人の頭を胸に抱き寄せる。
そして……、
感謝の気持ちを……、
素直な気持ちを……、
俺の心の全てを込めて……、
たった一言……、
この言葉を……、
「…………ありがとう、な」
<おわり>
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