「――ねえ、訊いても良い?」 「何……?」 「はい、何でしょう?」 「ジェシカ姐も、マイナんも……、 どうして、あの時、あたしを信じてくれたの?」 「あ〜、それは――」 「それは、もちろん――」 「テルトちゃんが、アンタを信じたからよ」 「テルトさんが、貴女を信じたからです」 ――――――――――――――  テルトーズ結成SS  第10話 『結成』 ―――――――――――――― 「まいったなぁ……」  『亜麻色の髪の乙女亭』――  キアーラが拠点としている酒場は、 大抵の店と同様に、二階が宿屋として利用されている。  彼女が住まう部屋は、ベッドと、小さな机の他は何もない、簡素な安部屋だ。  その部屋にあるベッドに寝転がり、 キアーラは、ボンヤリと天井を眺めていた。 「……はあ〜」  深々と溜息を吐き、枕元に置かれた財布を手に取ると、その中身を確認する。 「足りない……」  何度、確認しても、お金が増えるわけもなく、 キアーラは、呆けたまま、力無く、財布を放り投げる。  ――そう。  全然、足りないのだ。  借金の元金で1万G――  積もり積もった利息で1万G――  そして、遺跡の鍵のレンタル代で5千G――  完済の為に必要な金額は、総額2万5千Gである。  だが、今、キアーラの手元には、1万5千G弱しか無い。  遺跡で得た宝飾品の数々を売り払い、 テルト達と山分けした結果、彼女の取り分は、約1万Gあったのだが……、  元々、キアーラが所持していた、 全財産を含めても、借金の総額には届かなかったのだ。 「あんなに苦労した、ってのに〜……」  遺跡での数々の苦難を思い出し、 キアーラは、悔しさのあまり、頭をクシャクシャと掻き毟る。  実力的にも、金銭的にも、かなりのリスクを背負っての遺跡探索であった。  だが、期待していた程の収穫は無く、 結局、割に合わない仕事でしかなかったのだ。 「このまま、トンズラしちゃおうかなぁ」  寝返りを打ち、ベッド脇にある、 机に置かれた『それ』を見て、キアーラは、ボソッと呟く。  マナブレード――  ベディヴィエールの鍵――  遺跡での闘いで失われた筈の『それ』が、そこにはあった。  ――いや、違う。  これは、また別の『鍵』であった。  確かに、騎士像との闘いの後、 最初から持っていた『ベディヴィエール鍵』は失われた。  この『鍵』は、遺跡の最奥で……、  騎士像がいた部屋の、さらに奥の部屋で発見したのだ。  新たな遺跡の扉を開ける鍵――  おそらくは、これが……、  真の『ベディヴィエール鍵』なのだろう。  『鍵』を使って、宝箱を開けたら、 また『鍵』が出てきた、というは、少々、微妙ではあるが……、  素晴らしい発見ではある。  普通なら、小躍りする程の宝物ではある。   だが、今、キアーラが欲しいのは、 こんな大それたモノではなく、もっと、即物的なモノなのだ。  しかし、手に入ったのは、半端な金と、この『新たな鍵』のみである。  ――元金だけで勘弁して貰えないかなぁ?  ――利息に関しては、あたしに落ち度は無いんだし?  割と本気で、逃亡する事も考えるが、 そんな事が出来るわけが無いし、そんな理屈が通るわけも無い。 「うわ、ダメだ……こりゃ……」  借金を踏み倒し、夜逃げする、 自分の惨めな姿を想像し、胃がムカムカしてきた。  そして、自分自身の変化に、キアーラは、戸惑う。  つい先日までの自分なら……多分、そうした。  多少、躊躇はしただろうが……、  それこそ、今みたいな論理武装をして、サッサと逃げていただろう。  ……でも、今は、それが出来なくなっている? 「彼の所為、かな……?」  どうしても、あの少年の顔を思い浮かべてしまうのだ。  何処までも純粋で――  何処までも真っ直ぐな――  『テルト=ウィンチェスタ』という少年を――  あの時、彼は、自分を信じてくれた。   自分を信じて、全てを託してくれた。  彼が信じてくれた“自分”――  それは、とても誇らしく思える。  それは、とても尊いモノに思える。  絶対に、手放したくはない……、  あの遺跡で手に入れた、一番の『宝物』だ。  それを手にした“自分”が、 彼の想いを裏切るような真似をして良いのか?  借金を踏み倒す、とか……、  惨めに夜逃げする、とか……、  そんな真似をする者に、彼から信頼される資格はあるのか?  いや、そもそも――  そんなモノは、最初から―― 「――無い、よね」  体を起こし、マナブレードを手に取ると、キアーラは、自嘲的に苦笑する。  自分は、エージェントだ。  平たく言えば、盗賊だ。  しかも、悪い意味で、真っ当な部類の……、  人に胸を張って誇れるような生業とは言えない“盗賊”だ。  今まで、幾つもの汚い仕事をやってきた。  窃盗、スリ、詐欺……、  まるで、チンピラのような毎日だった。  最初は、生きる為に、仕方なく……、  だが、罪の意識は麻痺していき、 その行為は、いつしか、安易な欲望を満たす為のモノに……、  ……“あいつ”と出会ったのは、そんな堕落の中だった。  “恋”をしたわけじゃない。  言うまでも無いが“愛”があったわけでもない。  たまたま、近い“場所”にいて、なんとなく一緒にいただけだ。  1人よりも、2人の方が、色々と効率は良かったから……、  そして、“あいつ”は男で、キアーラは女である。  男と女が、それなりに長い時を過ごせば、自ずと“する”事は決まってくる。  ……誘われるまま“あいつ”と『寝た』。  興味本位だけの行為だった。  無論、相手に、何の感情も抱く事は無かったが、 あの、あまりにも容易く得られる快楽は抗い難いモノだった。  避妊だけには注意しつつも、互いの欲望をぶつけ合った。  いや、もしかしたら……、  寂しさを紛らわしていただけなのかもしれない。  抱かれる事で、人との繋がりを求め、孤独じゃないと思いたかっただけ……、  何故なら、心は繋がらなくとも……、  体は、あんなにも簡単に、深く繋がる事が出来たから……、 「……出ない、か」  キアーラは、マナブレードから魔力刃を出そうと、意思を込める。  だが、魔具は反応せず、 騎士像と闘った時のように、魔力刃は出現しない。  あれ以来、マナブレードは、一切、キアーラには反応しなくなった。  そもそも、別の物なのだから、仕様が違うのかもしれない。  だが、テルトだけには、問題無く使えた以上、発動条件は同じなのだろう。  では、何故、あの時、マナブレードは、キアーラに反応したのか?  それは、未だに分からないが……、  少なくとも“これ”が、今の現実であった。 「……これが、答えなのかな?」  反応しないマナプレード――  それが、自分と彼との間にある、 大きな隔たりを象徴しているように思えた。  ……多分、あれは、単なる偶然だったのだ。  テルトが進んでいく道と――  キアーラが進まざるを得ない道と――  ――偶々、2本の道は近付いた。   だが、2人の道は、決して、交わる事は無い。 「借金がある以上、無理な話か……」  マナブレードを、机の上に戻し、 再び、ベッドに寝転がると、キアーラは、乾いた笑みを漏らす。  前向きなのか、後向きなのか……、  借金が残っている事が、自分への言い訳に出来るのだ。  ――テルト達と、一緒に冒険がしたい。  ――テルト達と、同じ道を歩きたい。  その想いを、捻じ伏せる為には、 自分では、どうしようもない口実が必要なのだ。  そこまでしなければいけないくらい、この想いは強いから……、  でも、否定すればする程に、 裏返せば、想いもまた、より強く募っていく。 「重症だわ、こりゃ……」  どんなに振り払っても、夢想してしまう。  テルトと、ジェシカと、マイナと……、  そして、キアーラの4人で、冒険の旅を続ける姿を……、  新たな冒険を求め、進み続けるテルト――  そんな彼の後を、慌てて追い駆けるマイナ――  溜息を吐きつつも、歩みを止めないジェシカ――  ――キアーラも、その中で、楽しそうに笑っている。  そんな――  叶わぬ夢を――  コンコン―― 「……?」  いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。  唐突に、ドアをノックされ、 キアーラは、ハッと意識を取り戻す。  ――誰?  と、来訪者に訊ねるよりも早く、もう一度、ドアがノックされ……、 「……私よ」  ――ジェシカ姐?  ――どうして、ここが?  予想外の来客に、少し驚き……、  同時に、何故か安堵しつつ、キアーラは、ドアを開けた。 「何の用?」 「…………」  訊ねるキアーラに、ジェシカは、 軽く溜息を吐くと、無遠慮に部屋に入り、椅子に腰掛ける。 「相手を、よく確かめもせず、 部屋に入れるなんて、エージェントとしてどうなの?」 「うっ……」  呆れ口調で、ジェシカに指摘され、キアーラは言葉に詰まる。  確かに、彼女の言う通り、 キアーラの行動は、あまりに軽率かつ無警戒であった。  声を聞いただけで、相手を判断し、 易々と部屋に入れてしまうなど、エージェント失格である。 「あの子だったら、どうだったのかしらね?」  含みのある言い方をされ、少し腹が立った。  キアーラは、ベッドに座ると、ぶっきらぼうに言い返す。 「どうして、ここで、テルト君の名前が――」 「誰も“テルトちゃん”なんて、言ってないけど?」 「…………」  ――語るに落ちてしまった。  最初から、自分が、何を言うのか分かっていたかのように、 アッサリと、切り返され、再び、キアーラは、何も言えなくなってしまう。  意地の悪い笑みを浮かべるジェシカを見ていると、まるで、詰めチェスでもやっている気分になる。  勿論、追い詰めているのは、ジェシカの方で、 彼女は、いつでも、チェックメイトの一手を打てる位置にいるのだ。  どうやら、舌戦では、勝ち目はないらしい。  それを悟ったキアーラは、サッサと話を進めることにする。 「どうして、ここが分かったの?」 「あら、もうリザイン? どうやら、相当、参ってるみたいね?」 「……何の話?」 「借金、抱えてるのよね?」  呆気無く、核心を突かれ、 今度こそ、キアーラは、本当の意味で言葉を失った。  ――どうして、その事を?  と、問い詰めたいが、驚きのあまり、言葉が出ない。  そんなキアーラに、ジェシカは、淡々とした口調で、話を続ける。 「まず、最初の質問からいく? 単純な答えだから、勿体ぶるまでも無いんだけど」  ジェシカが杖の先で、窓の外を示す。  キアーラが、そちらに目を向けると、 窓の向こうに見える、向かいの家の屋根の上に、一羽のフクロウの姿があった。 「……使い魔?」  ――そう。  使い魔のサチだ。  どうやら、遺跡から街に戻り、 テルト達と別れてからも、ずっと、使い魔で監視されていたらしい。  ……なんて、無様。  そんな事にも気付かないなんて……、  ジェシカの言う通り、色んな意味で、参っているようだ。  普段なら、この程度の追跡と監視など、すぐに察知出来た筈である。  彼女に、使い魔がいる事は、 出会った時に、既に、分かっていたのだから……、 「どうして……?」  キアーラは、自分を監視した理由を訊ねる。  すると、ジェシカは、少し迷いを見せたが、やはり淡々と話し始めた。 「最初に、疑問を持ったのは、テルトちゃんよ」  『気高き白の天使亭』――  街に戻り、キアーラと別れたテルト達は、 宿の食堂で、久しぶりに、まともな食事を摂っていた。  そんな中、テルトが、不意に、言い出したのだ。  何故、キアーラは、遺跡に挑もうとしたのか?  何故、キアーラは、テルト達を誘ったのか?  最初、彼が、何を言っているのか、分からなかった。  だが、良く考えるてみると、 キアーラの行動には、不可解な点が多い事に気付いた。  当初から、キアーラは、 遺跡に挑むつもりだったようだが……、  ――初対面であるテルト達を誘った理由は?  これについては、容易に推理できる。  基本的に、彼女は単独行動であり、同行してくれる仲間がいなかったからだ。  もし、仲間がいるなら、テルト達を誘う必要はない。  遺跡探索では、仲間との連携や、 信頼関係が、特に重要になるのだから、尚更だ。  ――そこまでして、遺跡に挑もうとした理由は?  どんな冒険も、命あっての物種だ。  仲間がいないのなら、普通は、潔く諦める。  だが、キアーラは、初対面の者を勘定に入れてまで、遺跡に挑もうとしたのだ。  ――何故、彼女は、そこまでする?  ――もしかして、それ相応の事情があるのでは?  と、そういう結論に至り……、  あの、お人好しの大馬鹿が……、  それを、黙って見過ごすわけもなく……、      ・      ・      ・ 「――とまあ、そーゆーわけよ」 「なるほど、ねぇ……」  途中、かなり端折られたが……、  ジェシカの言いたい事は、だいたい理解できた。  おそらく、あの使い魔を使って、 自分の居場所を突き止め、借金取りの存在を知ったのだろう。  もしかしたら、既に、アイツらとも接触しているのかもしれない。 「それにしても、まさか、テルト君がねぇ……」  勝手に詮索された事に、腹も立ったが……、  それ以上に、お節介な少年の、意外な鋭さに、キアーラは驚きを隠せない。  そんな彼女に、ジェシカは、何故か、少し誇らしげに……、 「甘く見ない方が良いわよ? ウチのリーダー、妙なトコで敏いから」  ――無意識に、核心を突いてくるのよねぇ。  と、苦笑を浮かべ、肩を竦めて見せる。  お人好しで、お節介で……、  世間知らずで、大馬鹿で……、  ジェシカが、彼を語ろうとすると、 どうしても、そんな言葉を、幾つも並べる必要がある。  だが、必ず、最後に、付け加えずにはいられなくなるのだ。  ――決して愚かではない、と。  とはいえ、流石のジェシカも、 これには、お節介が過ぎるのでは、と思ったのだが……、 「で、その借金、こっちで払っておいたから」 「……はあ?」  案の定、キアーラは、ジェシカの言葉に眉を顰めた。  確かに、借金が無くなるのは嬉しい。  とはいえ、無関係の者に『施し』を受けて、手放しに喜べる程、堕ちた覚えもない。 「何よ、それ……?」  不愉快を隠そうともせず、キアーラは、ジェシカを……、  いや、彼女の“向こう”で、 むかつく程に、無邪気に笑っているテルトを睨みつける。 「あ〜、気持は分かるけど……」  ジェシカは、相手の意識を自分に向けようとするかのように……、  自分の“後ろ”にいる彼を守るように、キアーラの目の前で、杖を振って見せる。 「怒れば怒るほど、事情を知ると、人生が馬鹿馬鹿しくなるわよ?」 「……何で?」 「2万5千Gなんて大金を、 普通、そんなに簡単に用意できると思う?」 「そりゃ、まあ……」 「私達の有り金を叩けば充分だけど、そこまでする義理は無い」 「うん、それは同意」  ジェシカの、ぶっちゃけた言い分に、キアーラも頷く。  立場が逆なら、自分でも、そうするからだ。  尤も、テルトなら、それでもやりかねないが……、 「じゃあ、その大金は、一体、何処から出て来たのか?」 「そこが肝なわけね……、 勿体ぶらないで、サッサと教えてよ」  ここが、ジェシカにとって、一番面白いトコロなのだろう。  芝居掛った調子で語るジェシカに、 キアーラは、ややウンザリしつつ、話を急かす。 「――初対面の時のこと、まだ覚えてるわよね?」  と、前置いて、ジェシカは語り出す。  その内容は、あまりにも……、  どうしようもなく、馬鹿馬鹿しいモノだった。  『気高き白の天使亭』――  そこで、キアーラはテルト達と出会った。  あの時、テルトは、遅刻の罰として、 お子様ランチを食べさせられていたのだが……、  お子様ランチには、オマケの玩具が添えられており……、  そのオマケの玩具が――  王女陛下のフィギュアが付いたキーホルダーが――  ――なんと、3万Gで売れてしまったのだ。 「……マジ?」 「信じられないかもしれないけど、大マジよ。 かなりのレアモノで、好事家が相手なら、もっと高値が付くらしいわ」 「…………」(唖然)  何て言って良いのか分からず、キアーラは天を仰ぐ。  つまり、テルト達の資金稼ぎも、 キアーラの借金の問題も、あの時点で、ほぼ解決しており……、  ……遺跡探索は、全くの無駄でしかなかったのだ。  無論、これは、結果論でしかない。  だが、いくらなんでも、オチが、馬鹿馬鹿し過きだ。 「何よ、それ〜……」  バタリッとベッドに倒れ伏し、キアーラは、情けない悲鳴を上げる。 「そういうわけで、このお金は、 完全に、あぶく銭だから、変に気に病まなくて良いわ。 私としては、このお金で、装備を固めるべきだと思うんだけどね」 「うん、それも同意」  脱力したまま、また、キアーラは頷く。  やっぱり、立場が逆なら、自分でも、そうするからだ。  キアーラが、必要以上に気に病まぬよう、彼女なりの配慮なのかもしれないが……、  ……多分、それは無い。  何故なら、今、ジェシカは……、  それはもう、とてもイイ表情をしているから……、 「その反応を見れただけでも、 大金を出した甲斐があったってものよね♪」 「ジェシカ姐……性格悪いって云われるでしょ?」 「ええ、よく云われるわよ。 自覚してるし、直す気も無いし、寧ろ誇りに思ってるわ」  しれっと言い切られては、キアーラも黙るしかない。  そんなキアーラの様子を、満足げに眺めると、 ジェシカは、これで用事は済んだ、とばかりに立ち上がる。 「じゃあ、そろそろ行くわ」 「ジェシカ姐……?」  ――結局、何をしに来たの?  ――借金の肩代わりをした事を報告しに来ただけなの?  ――他には、何も無いの?  困惑、疑問、不安……、  そして、ほんの僅かな期待……、  それらが混ざり合った複雑な感情が、 邪魔をして、ジェシカを呼び止めるのを逡巡してしまう。 「ああ、そうそう……、 私達、明日の朝一番の船で、タカヤマに戻るから」  ふと、ジェシカが、ドアを開けたところで立ち止まり、まるで、独り言のように呟く。  そして、聞き返す間も無く、 突然の来訪者は、アッサリと立ち去ってしまった。 「……何なのよ、もう」  挙げ掛けた手のやり場を失い、キアーラは、わしゃわしゃと頭を掻く。  借金が無くなったのは嬉しいが……、  それ以上に、モヤモヤした感情が、胸の奥で蠢いている。  ――あたし、脅えてるの?  足が、手が、体が……、  心が脅えているのが分かった。  何故なら、自分への言い訳が無くなってしまったから……、  テルト達と、一緒に行きたい。  でも、借金があるから、一緒には行けない。  自分の想いを否定する口実が無くなり、もう、キアーラを縛るモノは無い。  キアーラは、自由になったのだ。  キアーラは、翼を手に入れたのだ。  だが、飛び立とうとしても、 足が竦んでしまい、その翼を羽ばたかせる事が出来ない。  それは、まだ、キアーラを縛るモノがあるからだ。  『借金』という判り易いモノの下に隠れた、 彼女の“過去”という名の鎖が、キアーラを縛りつけているのだ。  彼らと一緒にいれば、いずれ、バレる時が来る。  彼らと一緒にいたいなら、いずれ、話さなければならない時が来る。  もし、自分の過去を知ったら……、  彼らは、何て言うだろう?  彼らは、どんな反応をするだろう? “だから、何?”  ――ジェシカは、その一言で終わるだろう。  他人の過去に興味など示さず、 それ以上は、一切、耳を貸さないに違いない。 “反省してくださいっ!”  ――マイナは、きっと怒るだろう。  そして、散々、説教した後、 罪を償うよう、キアーラを諭すに違いない。    じゃあ、彼は……?  テルトは……? “       ”  ――想像が出来ない。  彼が、何を言うのか……、  彼が、どんな顔をするのか……、  彼が、どういう反応を示すのか……、  全然、分からない。  だから、どうしようもなく、怖い。  怒られるかもしれない――それなら、いい。  嫌われるかもしれない――それでも、いい。  でも、もし、拒絶されたら――  ――それが、怖い。  彼にすら、見放されてしまったら……、  もう、きっと……、  誰も、あたしのことを……、 「ああ、そうか――」  ――パタリと、ベッドに倒れる。 「あたしは――」  顔は腕で覆われ、表情は見えないが……、  その頬を、一筋の涙が……、  ――誰かに許して貰いたかったんだ。 「なんだかなぁ……」  心の奥底にあった想い――    その、あまりに子供っぽさに、 キアーラは、何だか、無性に可笑しくなった。  まさか、自分に、こんな『乙女』な部分があったなんて……、 「……?」  ゴシゴシと、服の袖で涙を拭い……、  気恥ずかしさを誤魔化そうと、身悶えるように、寝返りを打つ。  と、その時、床に何かが落ちている事に気が付いた。 「……トランプ?」  拾い上げると、それは、1枚のトランプのカードだった。  ただのカードではない。  これは、キアーラのカードだ。  あの夜、ジェシカが燃やしたはずのカードであった。 「どうして、これが……?」  戸惑いながら、キアーラは、 ほとんど無意識で、カードの表を確認する。  そして、次の瞬間……、 「――っ!!」  キアーラは、窓際へと走っていた。  ほんの数歩の距離なのに……、  それでも、息を荒げて、窓の外を見下ろす。  ――そこには、彼らがいた。  窓から顔を覗かせたキアーラと、それを見上げる少年の目が合う。  少年は、何も言うことなく、 軽く手を振ると、クルリッと踵を返し、歩き出す。  2人の少女もまた、黙ったまま、少年の後に続く。 「…………」  呼び止めようと思ったが、声が出ない。  窓を開けようと思ったが、手が動かない。  大きな声を出せば、充分に届くだろう。  軽く叩けば、簡単に割れてしまうだろう。  ……そんな、安物の窓ガラスだ。  だが、キアーラには、それが、あまりにも厚く、頑丈に思えた。  薄っぺらで、粗悪な隔たりでしかないのに……、  そんなモノですら、自分は、越える事が出来ないのだ。 「なによ……意気地無し……」  求めるモノが離れていく。  でも、それを見送る事しかできない。  そんな自分を罵倒する。  まるで、叱咤するように……、  少しでも、心が奮い立ってくれるように……、 「……?」    そんな彼女の背中を押すように……、  いや、手を差し伸べるように……、  少年達は、キアーラに背を向けたまま、片手を挙げる。  目を凝らすと、その手には、カードが1枚ずつ握られていた。 「あ……あぁ……」  カードは裏向きなので、何のカードなのかは見えないが……、  それでも、あれは、自分のカードだ。  ここからでも、何のカードなのかは、すぐに判る。  神官であるマイナは、ハートのA――  魔術師であるジェシカは、クラブのA――  剣士であるテルトは、スペードのA―― 「…………」  キアーラは、もう一度、自分の手にあるカードを見た。  ダイヤのA――  盗賊を示すカード―― 「まいったなぁ……、 随分と、期待されちゃってるじゃない?」  彼らの想いを知り、嬉しくて、涙が溢れそうになる。  それを堪え、誤魔化すように、 軽口を叩くと、先程、机の上に置いたマナブレードを握る。 「……よし」  ――マナブレードを構えた。  ――目を閉じた。  ――そして、念じた。  ――ダメだったら、諦める。  でも――  もしも―― 「…………」  ゆっくりと、目を開ける。  彼女の手には――  淡く輝く魔力刃が――  「テルト君……やっぱ、凄いのかも」  発動したマナブレードを眺めながら、キアーラは、ポツリと呟く。  なんとなく、だが……、  ようやく、彼女は、これの発動条件が分かったのだ。  そして、脳裏に浮かぶのは、円卓の遺跡でのテルトの姿……、  彼は、マナブレードを、アッサリと……、  むしろ、ぞんざいと言っても良いくらいに、マナブレードを発動させてみせた。  あの少年は、当たり前のように持っているのだ。  誰にでもあるが――  でも、とても特別な想い――  『ベディヴィエールの鍵』を発動させるモノ――  何が起こるか分からない。  どんな結果を迎えるのかも分からない。  それでも、恐れることなく――  新たな一歩を踏み出す力――  ――人、それを『勇気』と云う。 「すいませ〜ん! 焼き鳥、3本頂けますか〜?」 「へい、らっしゃいっ!! タレにするかい? 塩にするかい?」 「3本とも、塩でお願いします」 「毎度あり〜」  港街パッヘル――  港には、タカヤマへと向かう連絡船が停泊し、 乗船する客と、次々と運び込まれる積荷が行き交っている。  王都でのイベントが終わり、帰省する者が大勢いるのだろう。  乗船券売り場には、冒険者だけではなく、 商人や家族連れなどの一般人が、長蛇の列を作っていた。  その行列に並び、ようやく、船のチケットを手に入れたテルト達は、船着き場へと向かう。  しかし、出航までは、まだ、時間があり、 達ち並ぶ店を覗いて、時間を潰していたのだが……、 「1本、も〜らい♪」  焼き鳥を買ったテルトが、店から出て来た。  その直後、横から、にゅっと手が伸び、焼き鳥の串を1本奪われてしまう。  ――犯人は、キアーラだ。 「ん〜、熱々で美味し〜♪ でも、あたしは、タレの方が好きかな〜」  キアーラは、奪い取った焼き鳥を、 あっという間に平らげると、残った串を、手近なゴミ箱に放り込む。  そして、指に付いた塩と油を舐めながら……、 「ごちそうさま、テルト君♪」 「……どうせなら、一緒に食べますか?」  ここまで、悪びれも無く言われてしまうと、もう、苦笑するしかない。  テルトは、焼き鳥を、買い足すと、 キアーラを伴って、ジェシカ達が待つ合流場所に戻った。 「やっほ〜♪ またナンパされちゃった〜♪」 「はいはい」 「じゃあ、キアーラさんの分の飲み物も買ってきますね」  テルトと一緒に現れたキアーラを見ても、 ジェシカとマイナは、特に驚いたりはしなかった。  ジェシカは、彼女の冗談を軽くあしらい、マイナは、飲み物を買い足しに向かう。 「タカヤマに戻った後は、どうするんです?」 「う〜ん、そうですね……、 今度は、北に行ってみましょうか?」 「北って言うと……ナカザキ?」 「あの街は、色々とヤバくない? なにせ、無法都市なんて呼ばれてるくらいだし?」  そして、当たり前のように、 4人で、食事をしつつ、雑談を交わし……、  食事も終え、出航時間が迫ってきたところで……、 「……で、どうするの?」  と、食べ終えた焼き鳥の串を、キアーラに突き付けた。  ジェシカの問いに、キアーラは、 無言で、“自分の”船のチケットを振って見せる。 「あら、偶然ね〜、同じ船に乗るの?」 「ジェシカ姐……性格悪いって云われるでしょ?」 「ええ、よく云われるわよ。 自覚してるし、直す気も無いし、寧ろ誇りに思ってるわ」  とぼけるジェシカに、キアーラは、そっほを向き、拗ねたように唇を尖らせる。  僅かに頬が赤く染まっており、 素直に言うのが気恥ずかしいようだ。  そんなキアーラに、テルトが助け舟を出す。 「大事なことだから、ちゃんと言って欲しいです」 「あ〜、うん……」  テルトの言葉に、キアーラは、ポリポリと頭を掻く。  意を決したのか……、  コホンッと、大きく咳払いすると……、 「あたしを、仲間に入れてくれる?」 「はい、よろしくお願いします!」  キアーラは、テルトに右手を差し出した。  そして、少年は、彼女の手を、 しっかりと握り、新たな仲間として受け入れる。 「……♪」 「えっ……?」  この時、キアーラに、ちょっとだけ悪戯心が芽生えた。  握ったテルトの手を、グイッと引き寄せる。  突然のことに、テルトは、バランスを崩し、前のめりになる。  そして、少女は――  目前に迫った少年の唇に――  ――や〜めた。  左手に隠し持っていた紙包みを、お互いの間に割り込ませる。 「わぷ……っ」  結果、テルトの顔面に、 紙包みが押し付けられる恰好になった。 「それ、あげる」 「……はい?」  紙包みを受け取ったテルトが、 中身を確認すると、真新しいグローブが出てきた。  遺跡で失ったモノと、同じグローブだ。  どうやら、キアーラは、それを探して、買って来たらしい。 「素手のままじゃ、困るっしょ?」 「そ、それは、まあ……」  キアーラに急かされるまま、テルトは、グローブを着けた。 「サイズは、どう?」 「ピッタリです、ありがとうございます」  テルトは、感触を確かめるように、 何度か、拳を強く握り、グローブを手に馴染ませる。  そして、ふと、何かを思い出したかのように、小さく笑みを浮かべ……、 「そういえば、今、ボクが、 身に付けているモノって、全部、貰ったものばかりです」  鎧も、盾も、マントも……、  剣ですら、家族から贈られたモノと言える。  そして、今度は、グローブまでも……、  如何に、自分が、仲間達に……、  多くの人に支えられているのかを実感する。 「それだけ、キミに期待してる、ってこと♪」  と、キアーラが、テルトの背中をパンッと叩く。  まるで、それを合図とするかのように、 カーンカーンッと、甲高い鐘の音が、港に響き渡った。  タカヤマ行きの連絡船の出航時間が迫っているのだ。 「――さあ、行こっか?」  軽快なステップを踏みつつ、 キアーラは、クルッと踵を返して、仲間達に向き直る。  苦笑を浮かべ、肩を竦める魔術師がいた。  拳をギュッと握って、意気込みを見せる神官がいた。  そして、もう、次の冒険に心を躍らせているのだろう。  真っ直ぐに海の向こうを見つめ……、  その純粋な瞳を、キラキラと輝かせる剣士がいた。  ――あの騎士は言っていた。  少年のことを、翼を持つ者と……、  少女達のことを、翼を支える者と……、  ――そう。  まさしく、少年は鳥だ。  冒険という名の『空』を……、  自由という名の『翼』で駆け巡る鳥だ。  翼だけでは、空を飛ぶことはできないけれど……、  でも、少年には『目』がある。  進むべき先を、しっかりと見据える『目』がある。  でも、少年には『足』がある。  翼を休める時、大地を踏みしめる『足』がある。  ……だから、あたしは『風』になろう。  翼を、空の彼方へと……、  何処までも運んでいく『風』になろう。 「ほらほら、テルト君っ!! ボ〜ッとしてると、置いてっちゃうよ〜?」 「ま、待ってください、キアーラさん!」 「そんなに急がなくても……、 出航までには、まだ、充分、余裕はありますよ?」 「やれやれ……騒がしくなりそうねぇ」  ――そして、彼らは旅立つ。  新たな仲間を加え――  次なる冒険の舞台へと――  ―― エピローグ ――  その後――  大陸東部に戻ったテルト達は、 小さいながらも、幾つもの冒険を重ねた。  そんな中で、多くの出会いもあった。  縦笛を吹く恋多き怪力ドワーフ娘――  物欲と俗世に塗れた守銭奴の女エルフ――  テルトの剣の師匠でもある流離の魔剣使い――  特徴的なリュックを背負った兎耳のウタワレ人――  特に印象的だったのは……、  旅の途中で立ち寄った村で、 とある隊商の護衛の仕事を請けた時に出会った面々だ。  彼らも、冒険者なのだろうが……、  色んな意味で、目立つパーティーであった。 「全ては〜、分厚いマッスル〜♪ お前の、体の〜、その奥〜♪」  まず、最初に目に付いたのは、 荷馬車に腰掛け、ギターを掻き鳴らす剣士だ。 「こういうのを“音程が来い”っていうのかねぇ……」  その演奏は、あまり巧いとは言えず……、  剣士の仲間らしき、煙草を加えたスーツ姿の男が、顔を顰めている。 「写真には、そ〜ゆ〜のは写らないから、無問題です。 あっ、耳栓、まだ余ってますけど、使います?」  スーツ男の隣には、カメラを構える少女がいた。  ギターを弾く剣士を被写体とし、 パシャパシャとカメラのシャッターを切っている。 『あ〜い、きゃん、ふら〜〜〜〜い……』  突然、そんな彼らの近くを飛んでいた鷹が、ボトッと地面に落ちた。  どうやら、カメラのフラッシュが、 目を直撃し、空中でバランスを崩してしまったらしい。  いや、それとも、音波兵器に殺られたのか……、 「ナーフ!? しっかりして、ナーフゥゥゥ?!」  ピクピクと痙攣している鷹に、 飼い主らしき斧を背負った少年(?)が駆け寄る。  少年(?)の胸に抱かれ、意識を失う鷹は、何処か満足そうで……、  まあ、とにかく――  本当に、あらゆる意味で――  ――印象に残るパーティーであった。  彼らも、また、テルト達と同じ依頼を請けたのだろう。  つまり、今回の護衛の仕事は、 彼らと協力して行わなければならない、という事だ。  ならば、挨拶しておかなければ……、  と、パーティーのリーダーとして、 テルトは、同業者達に歩み寄り、手を差し出す。 「おはようございます。 ボクは、冒険者のテルトといいます。 今回は、一緒に頑張りましょう」 「私は、マイナと言います。よろしくお願いしますね」 「あたしは、キアーラ、よろしくね」 「……ジェシカよ。 まあ、短い付き合いになるけど、よろしく」    ――彼らは、まだ知らない。  この奇妙な出会いが……、  過酷な運命の始まりとなることを……、 <おわり>