「テルトさん! 温泉ですよ、温泉!」 「マ、マイナさん……、 なんか、テンション高いですね?」 「私、温泉って、初めてなんですよ♪」 「盛り上がってるところ悪いけど、 誰も、寄っていく、なんて言ってないわよ?」 「そんなっ! ガイドブックまで買ったんですよ?!」 「――買うなっ! だいたい、路銀に余裕は無いの!」 「ジェシカさん……温泉と聞いて、 心躍らないのは、女の子として、どうかと思います!」 「……おばさんクサ」(ぼそ) 「ひ、酷いですっ! 折角、美味しい、 ケーキバイキングのお店も、チェックしたのに――」 「――さあ、タカヤマへ行くわよ♪」 「ジェシカさんって……、 本当に、甘い物が好きですよね」 「……うるさい」 ――――――――――――――  テルトーズ結成SS  第3話 『刻印』 ――――――――――――――  『猪ノ坊旅館』――  テルト達は、数ある温泉宿の中でも、 最上位にあたる老舗旅館に、泊まる事になった。  温泉宿の激戦区であるタカヤマ……、  この街で、老舗とくれば、当然、料金も半端じゃない。  そんな敷居の高い旅館に、 何故、テルト達のような駆け出し冒険者が泊まれるのか、と言うと……、  道中に寄ったコミパで、 偶然、この旅館の跡取り娘と知り合い……、  彼女からの依頼を受けた時に、宿泊券を貰っていたのだ。 「わぁ〜、素敵な露天風呂ですね♪」  荷物を部屋に置き、マイナとラフィは、早速、温泉に繰り出した。  湯浴み着を纏い、浴場に出たマイナは、 その風情ある光景に、思わず、感嘆の声を上げる。  岩風呂から立ち昇る湯気――  庭園を思わせる緑は美しく――  月夜の空を望めば、満天の星――  目を閉じれば、虫や鳥の声、風の音――  体だけでなく、五感すらも癒してくれそうな――  自然に囲まれた――  落ち着いた解放感―― 「何だか、ここが、街の中って事を忘れてしまいそうです」 「……そうですね」  と、うっとりした表情で、マイナは、桶で湯をすくい、体に掛ける。  初めての温泉が、余程、嬉しいのか、 タカヤマに来てからというもの、彼女のテンションは、かなり高い。  それとは逆に、ラフィの表情は、やや固い。  マイナに習い、ラフィも、桶を使って、 掛け湯をしているが、どうやら、周囲の目が気になるようだ。  と言っても、今、露天風呂にいる客は、マイナとラフィだけなのだが……、 「ジェシカさんも、一緒に来れば良かったのに……」  温泉に夢中なマイナは、 そんなラフィの様子には気付かず……、  湯に浸かる前に、体を洗おうと、 石鹸を泡立ちながら、部屋での、ジェシカとのやり取りを思い出す。 「アンタ達だけとならともかく、 赤の他人と一緒に風呂に入るなんて、真っ平御免よ」 「じゃあ、温泉には入らないんですか?」 「誰もいそうにない、夜中にでも行くわ」 「夜は、冷え込みますよ? 湯冷めしますよ?」 「いいから、アンタ達だけで行きなさい。 それに……本当に、一緒に入っちゃっても良いの?」 「はい……?」 「差を見せつける事になると思うんだけど?」 「……私達だけで、行ってきます!」    ・    ・    ・ 「む〜……」  大きく胸を張り、勝者の笑みを浮かべる、 ジェシカの姿を思い出し、石鹸を握るマイナの手が、わなわなと震える。  確かに、ジェシカと一緒に、風呂に入ったら、 間違い無く“それ”の差を思い知る事になっただろう。  とはいえ、何も、あそこまで――  腕で胸を持ち上げて、それを強調しなくても――  ミシェルを相手に、多少は、慣れたとはいえ、 知り合って間も無いジェシカに言われると、流石に腹が立つ。  怒りのあまり、手に力が入り過ぎ、ポ〜ンと、石鹸が滑り抜けた。  マイナは気付いていないが、 ジェシカは、別に、彼女に喧嘩を売ったわけではない。  ジェシカには、他人に、体を見られたくない理由があり……、  それを悟られないよう、わざと、 マイナを挑発し、怒らせて、先に温泉に行かせたのだ。  ちなみに、テルトも、まだ、温泉には来ていない。  テルトは、旅館の庭園で、 軽く剣の鍛錬をしてから、入浴するつもりのようだ。  尤も、彼が入るのは男湯なので、一緒に入る事など出来ないのだが……、 「……っ!」  テルトと一緒に、お風呂……、  つい、その光景を想像して、マイナの顔が紅潮する。 「マイナさん……どうしたんですか?」  落ちた石鹸を拾ったラフィが、 百面相をしているマイナに、首を傾げつつ、歩み寄って来た。 「い、いえ、何でもありません」  石鹸を受け取りながら、 マイナは、さり気無く、ラフィの胸を観察し……、 「……よしっ」 「何です?」 「な、何でもありませんよ〜」  不穏な視線を感じ取り、ラフィは、ジト目でマイナを睨む。  胸のサイズを比べていた、と言えるわけも無く、 マイナは、それを誤魔化そうと、慌てて、視線を逸らす。  そして、石鹸とタオルを構えると……、 「お背中、流しましょうか?」  ごく普通に、親切心から、 隣に座るように、ラフィを手招きした。  だが、その誘いに、再び、ラフィの表情が固くなる。 「い、いえ……それは自分で……」 「まあまあ、そう言わずに……♪」  やはり、温泉のせいで、テンションがおかしいようだ。  マイナは、ラフィの腕を掴むと、やや強引に、隣に座らせた。  そして、彼女の背中を洗おうと、軽く湯浴み着をはだけ―― 「――あら?」 「…………」  ――“それ”を見つけた。  最初は、ただの痣かと思ったが……、  明らかに“それ”は、何かの形を形成していた。  まるで、竜……、  もしくは、蛇のような……、  強いて言うなら――  ――刻印。 「え、えっと、その……」 「……それ、生まれつきのモノなんです」  それを見て、どう反応して良いか分からず、 狼狽えるマイナに、ラフィは、ちょっと困ったように微笑んで見せる。 「変ですよね……本当に、魔女みたいで……」 「……すみません」  マイナは、自分の軽率な行動を悔いる。  彼女は、ずっと、魔女と呼ばれ、忌み嫌われてきた。  その主な原因は、彼女が連れている、 グリフォンの子供なのだが、背中の刻印も、また、その一つだったのだろう。  先程から、ラフィが、周囲の目を気にしているのも、これで頷ける。  恐れているのだ……、  この刻印を、誰かに見られるのを……、 「でも、コレのおかげで、良い事もあったんですよ?」  押し黙ってしまったマイナを気遣ってか……、  そう言って、ラフィは、夜空に浮かぶ月を見上げる。  想うのは、一番の友達――  今は、街の外で、ヒッポグリフと共にいる“あの子”―― 「コレのおかげで、ぐーたんと友達になれた、って思ってるんです」  『ぐーたん』とは、グリフォンの子供の名前だ。  ちなみに、ヒッポグリフは『ぽーちゃん』と名付けた。 「色々とつらい事もあったけど……、 そのおかげで、その……テルトさんにも会えました」 「……ラフィさん?」  何やら意味深な発言に、マイナは、ラフィの背中を流しながら、小首を傾げる。  それを誤魔化すように、ラフィは、 マイナから、石鹸とタオルを、やんわりと奪い取ると……、 「さ、さあ、次はマイナさんの番ですよ」 「え……はい」  彼女の言葉に従い、背中を任せながら、マイナは思う。  もしかして――  ラフィさんは、テルトさんの事を――?  まさか、と思いつつも、その考えを否定できない。  ……それも、無理はないのかもしれない。  今まで、ラフィは、ずっと一人だった。  そんな彼女と、テルトが出会い、 過ごした時間は、まだ、ほんの数日でしかない。  だが、ラフィの、テルトへの信頼は絶大だ。  全てを敵に回してでも、 テルトは、ラフィを信じることを選んだ。  そんな彼の気持ちに、少しでも酬いたい。  身も心も、己の全てを懸けて、彼に尽くしたい。  ……と、想うのは、当然であろう。  何故なら……、  それは、マイナも同じだから……、  “恋”とは違うかもしれない。  でも、それに負けないくらい、強い想いだ。   “愛”とは違うかもしれない。  でも、それに発展してもおかしくない、熱い想いだ。  気持ちは分かる……、  気持ちは、とても分かるが……、  ――ダメです! そんなのダメです!  ――ラフィさんと、テルトさんは、もうすぐ、兄妹になるんですからっ! 「あ、あう〜……」 「……?」  兄と妹――  禁断の関係――  そんな妄想が、頭から離れず、 ラフィに背中を現れながら、マイナは、身悶えするのであった。 「……暇ね」  畳の上に寝転がり、ジェシカは、欠伸混じりに呟く。  テルトは、中庭で、剣の鍛錬に……、  マイナとラフィは、一緒に、温泉に行っている。  一人、客間に残ったジェシカは、 何もする事が無く、暇を持て余しまくっていた。  夕飯までは、まだ、時間があるし――  客室に添え付けられた、お菓子は、全部、食べちゃったし――  アレ、結構、美味しかったわね?  帰る時に、売店で買って行こうかしら?  テルトちゃんの実家に行くんだから、手土産くらいは―― 「――馬鹿馬鹿しい」  と、そこまで考えたところで、ジェシカは、思考を遮断した。  そんな気遣いをする必要が、何処にある?  ラフィやマイナなら、ともかく、 少なくとも、私に、そんな真似をする義理は無いのに……、 「相当、頭が緩んでるわね……」  今まで、ジェシカは、何をするにも一人だった。  故に、全てを、自分で考え、決めなければいけなかった。  だが、今、ジェシカは一人ではない。  故に、全てを、自分で考え、決める必要が無くなった。  無論、だからと言って、 思考の放棄はしないし、するつもりも無い。  しかし、日常の些細な事は、 テルトに任せてしまえる為、余裕が生まれ……、  ……ようするに『楽』になってしまったのだ。  おかげで、暇を持て余し、 無駄な事を考えてしまう自分が出来上がってしまった。  尤も、それと引き換えに、 『人付き合い』という面倒なモノも得てしまったのだが……、  先程の、マイナとのやり取りなど、まさに『それ』である。 「こういうのも、堕落って言うのかしらね?」  ぼんやりと、天井を見つめ、ジェシカは自嘲的な笑みを浮かべる。  気楽な一人は、嫌いじゃない。  でも、誰かと一緒なのも、悪くは無い。  やれやれ――  いつから、こんなに弱くなったのやら―― 「間違い無く、あの馬鹿に会ってからね」  体を起こしつつ、あの“馬鹿”の馬鹿顔を思い浮かべる。  テルトと初めて出会い……、  パーティーを組んで欲しいと誘われた時の、彼の顔を……、 「……全く、どうかしてるわ」  それは、彼に対して言ったことか……、  それとも、自分に対して言ったことか……、  ……両方だろう。  例え、テルトが原因でも、 自分が変わってしまった責任は、自分自身にあるのだから……、 「何だか……自分で自分の首を絞めているような気がする」  サッサと、野垂れ死ぬ事も出来たのに……、  あんなのが傍にいたら、やり難くなるに決まっている。  ふと、ジェシカは、自分の荷物を引き寄せ、 ナイフを取り出すと、それを自分の左胸に当てがう。 「ほら……ね」  ……思わず、苦笑する。  それを押し込むのに、 “あの”感触が無くても、少し躊躇してしまう。  やるのなら、あの馬鹿とは関係のない場所で……、  そんな事を思ってしまうあたり、 自分も、すっかり甘ちゃんが染ってしまったようだ。 「……呪いよりも厄介よね、これ」  と、毒吐きつつ、ジェシカは、 軽く襟元を開いて“それ”に視線を落とす。  左胸――  そこには――  ――蛇のような刻印があった。  もし、それを、ラフィかマイナが見れば気付いただろう。  ジェシカの“それ”が……、  ラフィの“それ”と酷似している事に……、 「――『死を望むな』か」  刻印を見つめながら……、  ジェシカは、これを施した張本人である“父”の言葉を思い出す。  ――そう。  ジェシカは、呪われていた。  この呪詛を施されてから、もう数年……、  自殺願望者でありながら、 この呪詛の力によって、ジェシカは『生かされている』。  『死を望むな』――  この忌々しい呪いは、 ジェシカに、自殺すらも許してくれないのだ。  無論、時計塔にいる間、解呪の方法を探した。  だが、答えは……、  結局、一つしか無かった。  たった一つの、シンプルな答え……、  呪詛を解くには、鍵となる行動や、 特定の魔道具が必要となるのが一般的である。  ジェシカに施された呪詛も、その御多分に洩れず、鍵となる行動が設定されており……、  それは、ご丁寧にも、ジェシカが、 時計塔に入る際に使ったの紹介状に貼付されていた。  生きる事を望め――  生命に希望を持て――  世界は――  お前が思っているよりも――  綺麗なモノだから――    ・    ・    ・ 「――無理だっての」  荷物の奥底に押し込まれた、一枚のメモ……、  それに書かれた文章を読み、 ジェシカは、思わず噴き出しそうになるのを堪えた。  ――いつ見ても、笑える。  ――これは、一体、何のジョークなのか?  それが出来るような人間なら『自殺できない呪い』など、何の意味も無い。  何より、何故、人間失格の見本みたいな、 あの“父”に、こんなことを説かれねばならないのでろう?  “父”は……私に、そうなる事を望んでいるのか?  ありえない話ではない。  希望の後に絶望を叩きつける、なんて、あの“父”の好きそうな筋書きだ。 「あ、でも……テルトちゃんなら……」  ふと、変な事を考えつき、もう一度、メモを読み上げる。  ――うん。  テルトちゃんなら、イメージに合う。  じゃあ、何……?  私は、手に入れたのかもしれないの?  この呪いを解く鍵を……? 「ふふ……あはは……」  可笑しくなって……、  自然と、笑みが吹き出してきた。  ――下らない。  ――全く、下らない。  つまり、私は、呪われたお姫様で、テルトちゃんが王子様?  で、王子様のキスで、お姫様の呪いは解ける、ってわけ?  最高だ! 面白過ぎる!  そんな脚本、直球すぎて、逆に斬新だ!  その程度で、この呪いが解けるなら、 ファーストキスどころか、処女をくれてやっても良いくらいだ。 「これで、テルトちゃんが、 親父の回し者だったりしたら……どうしてくれようかしら?」  そんな酔狂じみた冗談を呟きつつ……、  ジェシカは、暇潰しに、 テルトへの『お仕置き』を、色々と想像してみる。 「あ、ヤバイ……」  ――ゾクゾクした。  ほんの数秒で、両手では、 数え切れない程のシチュエーションが思い浮かび……、  その光景が、身震いしてしまう程に、琴線に触れまくったのだ。  例えば、しっかりと掃除され、 完璧に整理整頓された部屋があるとする。  その部屋に入った時、人が抱く衝動は、二つしかない。  一つは、部屋を、綺麗なままで維持したい――  もう一つは、部屋を、徹底的に散らかしたい――  今のジェシカには、 その相反する、二つの衝動が渦巻いていた。  ――テルトには、ずっと、綺麗なままでいて欲しい。  自分の中に、そんな想いがあることは、自覚している。  だが、それとは真逆の感情も眠っているのだ。  冒険者を続けていく以上、 いつか、必ず、テルトは、この世の醜い部分を知る事になる。  どうせ、いつか穢れてしまうのなら……、  自分の手で――  メチャクチャに汚したい――  「あの子、危険だわ……いぢめ甲斐がありすぎる」  思考が危険域に達して来たので、ジェシカは、慌てて、我に返る。  そして、とにかく、落ち着こうと、 テーブルの上に用意された、お茶セットに手を伸ばし……、 「ただいま、です」 「ん、おかえり」  襖を開けて、テルトが戻って来た。  タオルで汗を拭きながら、 テルトは、ジェシカの正面に腰を下ろす。  そして、そうするのが当たり前のように、慣れた手つきで、お茶を淹れ始めた。 「――どうぞ」 「ん……」  自分で淹れるつもりだったのだが……、  ジェシカは、やり場の無くなった手で、差し出された湯呑みを受け取る。  ――甲斐甲斐しいわねぇ。  お茶を啜りつつ、自分のお茶を淹れるテルトの姿を眺める。  女の子のような幼い顔立ちで……、  お茶を淹れる姿が、似合い過ぎていて……、  ……その姿は、とても、剣士には見えない。 「良いお嫁さんになれそうね?」 「お嫁さん、って……ボク、男の子なんですけど?」 「そうね……男の娘よね」 「気のせいですか……? 何か、間違った響きに聞こえたんですけど?」 「気のせいよ」  と、ジェシカは、お茶を飲み干し、 空になった湯呑みを差し出し、おかわりを要求する。 「まだ、温泉には入ってないんですか?」 「勿論、後で入るわよ」  注ぎ足されたお茶を飲みながら、ジェシカは、面倒臭そうに言う。  そして、何を思い付いたのか……、  突然、ニンマリの意地の悪い笑みを浮かべると……、   「何なら、一緒に入る? アンタが男だ、って証拠も確認できるし?」 「うっ……ぐ……」  ジェシカの提案に、テルトは、 お茶を噴きそうになったが、ギリギリで堪えた。  ゴックンと飲み込み、ゆっくりと湯呑みを置き……、  軽く深呼吸して、落ち着きを取り戻してから、ジェシカに向き直る。 「で、話は変わりますけど……」 「おっ、上手くスルーしたわね?」 「不本意ながら……、 そういう冗談には、慣れてるんです」  ――慣れてて、その程度?  ――まあ、テルトちゃんにしては、上出来かしら?  ゲンナリとした様子で、溜息を吐きつつも、 意外なスルースキルを発揮したテルトに、ジェシカは感心する。  しかし、内心では、予想していた、 初々しい反応が無かった事に不満があったりして……、  つまらないわねぇ――  次は、もっと凄いネタを使おう――  ……と、固く心に決めていた。 「それで、話って……?」 「はい、ええっと、てすねー―」  どんな弄りネタを使おうか、と、 今から楽しみにしつつ、ジェシカは、テルトに話の続きを促す。  何処から話すべきか、と……、  少し考えた後、テルトは、話を再開するが……、 「……『ディアリースターズ』って知ってます?」 「はあ……?」  その馴染みの無い単語に……、  頬杖を付いたまま、ジェシカは、眉を顰めた。    ・    ・    ・  旅館の中庭――  広い庭園の奥にある滝の傍で、 テルトは、日課である剣の素振りをしていた。 「――73、――74、――75」  湯飛沫が舞う中……、  テルトは、無心に剣を振り続ける。  と、そんな彼の傍に、少女が一人、歩み寄って来た。  13歳くらいだろうか……、  茶色に近い赤髪の、活発そうな女の子だ。 「お〜……おお〜……」  どうやら、テルトの剣の鍛錬に興味を持ったらしい。  ジ〜ッと、好奇心に満ちた瞳で、素振りをするテルトを見つめている。 「あの……何か、ご用ですか?」  そんなに注目されると、 流石に、鍛錬に集中出来ず、テルトは、素振りを止める。  すると、その少女は、申し訳無さそうに……、 「す、すみません! 邪魔しちゃいましたか?」  食い入るように見ていた自分に気付いたようだ。  少女は、謝罪しつつ、慌てて、テルトから、少し距離を取る。 「あ、いえ、そんな事は……」  ――正直、邪魔であった。  とはいえ、テルトの性格では、 そんな事を、ハッキリと言えるわけも無く……、 「じゃあ、見てても良いですか!」 「は、はあ……」  結局、そのまま、見学する事を許してしまった。  押しに弱い自分の性質に、 やや辟易しつつ、テルトは、仕方なく、鍛錬を再開する。 「お〜……おお〜……」  気にしない、気にしない――  無心で、剣を振り、なるべく、 少女の視線を意識しないように心掛ける。  しかし、どうしても、気になってしまい……、 「冒険者さんなんですか?」 「え、ええ……まあ……」 「――カッコイイてすね! あたし、剣なんて触ったことも無いです!」 「普通は、そうですよ」  無視し続ける事も出来ず、 素振りをしながらも、ついつい、少女の相手をしてしまう。 「闘った事もあるんですよね? 怖い、って思った事は無いんですか?」 「いつだって、闘うのは怖いですよ。 でも、怖さと同じだけ、勇気も手に出来ると思います」 「怖さと勇気……?」  話していて気づいたが……、  少女は、小柄な割に、声が大きかった。  だが、彼女の元気の良さが感じられ、決して不快ではない。 「泣きそうになった事もあります。 でも、涙と同じだけ、笑顔も手に出来ると思います」 「頑張れば、誰かを助けられる、って事ですね!」 「はい、その為にも――」  しかし、話しながらでは、 やはり、鍛錬に実が入らいなのも事実なわけで……、  ――仕方ない。  ――今夜は、早めに切り上げよう。  素振りのペースを、少し速めようと、腕に力を込める。  と、その時―― 「その為にも、もっと、強くなりたいって?」 「――えっ?」  唐突に、何者かに助言され、驚きのあまり、 テルトは、剣を振り上げた姿勢のまま、動きを止めてしまった。 「だったら、踏み込みの位置と歩幅……、 常に、同じになるようにした方が良いじゃない?」 「あ、貴女は……?」  見れば、いつの間にか、もう一人……、  少女の隣に、彼女に良く似た、大人の女性が立っていた。 「あっ、ママ!」 「全く、散歩に出たきり、 戻って来ないから、心配して来て見れば……」 「う〜……ごめんなさい」  ……どうやら、親子のようだ。  娘を探していた母親は、 ようやく見つけた娘を、軽く叱り付けた後、テルトに向き直る。 「ごめんなさいね……練習の邪魔しちゃって」 「い、いえ……それより……今の……」  先程の助言の意味が気になり、 テルトは、謝罪する母親に、思い切って訪ねてみた。  すると、母親は、チロッと舌先を出すと、ちょっと済まなさそうに……、 「ああ、あれ……? 素人が口を出すのも、どうかと思ったんだけど、 あんまり不恰好だったから、つい……ね」 「不恰好、ですか……」  ハッキリと言い切られ、テルトは、少なからずショックを受けた。  自分でも分かってはいたが……、  素人が見ても、明らかな程に、 自分の剣技は拙いのだ、と、思い知らされたのだ。  頑張っているつもりだけど……、  やっぱり、ボクには、才能は無いのかな? 「私は『日高 舞』――で、こっちは、私の娘の『愛』よ」 「……はい?」 「あなた……名前は?」  落ち込むテルトに、舞と名乗った女性は、優しく語り掛ける。  突然、名乗られ、また、名を訊ねられた事に、 少し戸惑いつつ、テルトは、素直に、その質問に応じた。 「テルト=ウィンチェスタです」  少年の素直な態度に、舞は、 満足げに頷くと、腰に手を当てて、話しを再開する。 「じゃあ、テルトちん……、 私は、剣については素人だけど、 ダンスには、それなりに自信があるの」 「ママは、元アイドルなんです!」 「は、はあ……」  突然、始まった自慢話に、 小首を傾げつつ、テルトは、舞の話に耳を傾ける。 「剣技もダンスも、運動である事に変わりは無いわ。 上手なダンスが、綺麗に見えるように、 上手な剣技も、やっぱり、綺麗に見えると思うのよ」  と、言いつつ、舞は、小岩の上に立つと、 軽くステップを踏み、ターンを決めて見せる。  不安定な足場でありながら、その姿勢には、全くブレが無い。  舞の長い髪が、美しい円を描き――  それに巻き込まれた、滝の飛沫が、キラキラと輝く――  月夜の下――  凛とした、その立ち姿は――  まるで、月の女神のよう―― 「……どうだった?」 「凄く……綺麗でした」  ほんの一瞬の、僅かな動き……、  それだけで、心奪われ、魅入ってしまった。  舞の姿に見惚れ、テルトは、呆然としたまま、素直な感想を述べる。  あまりに素朴で、飾り気の無い、 ありふれた感想だったが、心の底から出た、精一杯の言葉だった。 「まあ、当然よね♪」  百万の言葉にも勝る賛辞を得た、とばかりに、舞は微笑むと、岩から降りる。 「ダンスで重要なのは、リズム感と、足運びと、重心の維持よ。 剣技にも、同じ事が言えるんじゃない?」 「そうかも……しれません」  舞に指摘され、その説得力に、テルトは頷く。 「誰かに師事した経験は?」 「ほとんど、ありません……、 偶々、故郷で会った冒険者に、剣の握り方を教わった程度です」  訊ねられ、テルトは、その時の事を思い出す。  初めて会った冒険者――  魔力剣を持つ剛腕の剣士――  多くの冒険譚を読み、冒険に憧れていたテルトは、 彼が滞在していた、ほんの短い期間に、剣の扱い方を教わったのだ。  それ以来、ずっと、独学で、剣技を磨いてきた。  いや、磨いてきたつもりだったが……、  どうやら、ロクな手本も無しの、独学では、ここが限界のようだ。  舞の言葉から、それを理解し、テルトは、さらに落ち込む。 「まあまあ、そう気落ちしない。 変な癖がついて無い分、まだ、マシってもんよ」  そんなテルトを、元気付けるように、舞は、ポンポンと、少年の肩を叩く。 「もう一度、剣を振ってみなさい。 ただし、目を閉じて、力を抜いて、自分が一番楽な振り方でね」 「はい……」  言われるまま、テルトは、目を閉じる。  力を抜いて――  一番楽な振り方で――  舞の指示を、心の中で唱えながら……、  ふと、故郷の事を……、  故郷での、自分の仕事を思い出していた。  畑を耕す為、毎日、クワを振るった。  薪を割る為、毎日、斧を振るった。  そういえば、日々の仕事で、大きな疲労を感じた記憶は、あまり無い。  剣の鍛錬をした後は、 腕や足が筋肉痛になる事もあったのに……、  と、そんな事を考えつつ、テルトは、ゆっくりと、剣を振るう。 「そのまま続けて……」  舞に言われるまま、何度も、剣を振る。  何度も、何度も……、  続けるうちに、少しずつ、その剣筋は安定していき……、 「はい、ラスト!」 「――っ!!」  舞の声に押されるように、 テルトは、気迫を込めて、剣を振り下ろした。 「はい、お疲れ様」 「ど、どうも……」  舞は、テルトを労うが、彼自身は、それほど、疲労は感じていない。  いや、疲労はあるが……、  それは、今まで感じた事のない、心地良いモノで……、  ――かなりの回数を、こなした筈なのに? 「……どうだった?」  不思議な感覚に戸惑うテルトを他所に、 舞は、ずっと隣で見ていた愛に視線を向けると……、 「うん! 凄く綺麗だった!」 「あう……」(ポッ☆)  舞のダンスを見たテルトと、全く同じ……、  その素直で、直球な感想に、テルトは、頬を赤らめる。 「そうね……特に、最後のは良かったわ」  舞にまで褒められ、気恥ずかしくなった、 テルトは、それを誤魔化そうと、視線を、手元の剣に落とす。  確かに、彼女の言う通り……、  最後の一振りは、会心の一振りだった。  自分でも、それを感じ取れた程に……、  ――ああ、そうか。  ――ただ、振り回すだけじゃダメなんですね。  もっと、ちゃんと考えて――  自分に合った剣技を身に付けなければ―― 「ありがとうございます。 上手く言えませんけど、何か掴めた気がします」 「そう? なら、良かったわ」  晴々とした表情で、テルトは、舞に深く頭を下げる。  そんなテルトに、微笑み返しつつ……、  これも、娘を持つ母親の性か……、  舞は、こっそりと、品定めするように、テルトを凝視する。  ――この子は、年上の女には可愛がられるタイプね。  ――で、年下の女の子には、懐かれるタイプね。  ――同い年の女の子だと、ちょっと頼りないと思われるかしら?  素直だし、礼儀正しいし、可愛いし――  そして、何より……、  とても、いぢめ甲斐がありそうだ。  ――評価は『なかなか良し』。 「ねえ、テルトちん……? “ありがとう”ついでに、ちょっとお願いがあるんだけど――」  と、舞は、不敵な笑みを浮かべて見せる。  そんな彼女を前にして、 テルトは、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。    ・    ・    ・ 「――で、何を頼まれたの?」  煎餅を食べながら、ジェシカは、テルトの話に、耳を傾ける。  ちなみに、この煎餅は、テルトの話が、 長くなりそうだったので、売店で買って来たものだ。  無論、買いに走ったのは、テルトである。 「え〜っと、ですね……」  熱いお茶を淹れ直しつつ、 テルトは、タップリと数秒間、躊躇した後に……、 「代役を……頼まれました」 「……何の?」 「舞台の……アイドルの……です」  テルトは、呻くように、 搾り出すように、依頼内容を告げる。 「ゴメン……もう一回、言ってくれる?」  その、あまりに信じ難い内容に、 ジェシカは、思わず、聞き返してしまった。 「アイドルの代役として、舞台に立って欲しい、って……」  流石に、テルトも、現状が信じられないのだろう。  頭を抱えながら、ジェシカに、依頼内容の詳細を説明する。   明後日――  この温泉都市タカヤマで、 火と地の精霊王を奉る大きなイベントが催される。  そのメインステージに、アイドルユニットが出演するらしい。  ユニット名は『ディアリースターズ』――  舞の娘である『日高 愛』を含め……、  『水谷 絵理』と『秋月 涼』の三人で構成されたユニットだ。  そのメンバーの1人、絵理が、レッスンの最中に、 足を捻挫してしまい、舞台に立てなくなった、とのこと。  当初は、二人だけで舞台に立つ予定だったが……、  やはり、曲の振り付けの都合上、三人でなれば、見栄えが悪い。  そこで、絵理の代役を立てよう、という事になったのだ。 「な、なるほどね……、 それで、その依頼、請けちゃったわけ?」  詳しい話を聞き終え、ジェシカは、再び、煎餅を食べ始めた。  その他人事のような態度を、 不思議に思いつつも、テルトは首を横に振る。 「いえ、まだ、正式には……、 ちゃんと、仲間に相談してから、って……」 「そんな必要無いじゃない。 代役って、テルトちゃんがやるんでしょ?」 「……はい?」  ジェシカの言葉に、テルトは、一瞬、思考が停止した。  ――ボクが代役?  ――ボクがアイドル?  ここに至って、ようやく、テルトは、 ジェシカと自分の認識の違いに気が付いた。 「な、何を言ってるんですっ! こんな恰好、出来るわけないじゃないですか!」  と、テルトにしては珍しく、声を荒げ、 テーブルの上のにある、数枚の写真を、バンッと叩く。  その写真には、ステージに立つ、愛達3人の姿が写っていた。  参考の為、舞から貰ってきたのである。  写真の中のアイドル達は、 ピンクを基調とした、可愛らしいステージ衣装を着ている。  確かに、男が、この服を着るのは、かなり抵抗があるだろう。 「じゃあ、誰が代役をやるのよ?」 「もちろん、ジェシカさんとか――」 「うん、テルトちゃん、もう少し考えて喋ろうか? 更に考えて――そして、黙れ」  ジェシカは、とてもイイ笑顔で、テルトに言い放つ。  ――冗談じゃない。  ――そんな真似、死んでもするか。 「似合うと思うんですけど……」 「はっはっはっはっ……、 大丈夫、テルトちゃんなら、私より似合うわ」  ――うん、確実に。  と、心の中で、付け加えつつ、 ジェシカは、テルトの目前に、写真を突き付けた。 「う、うう〜……」  ジェシカに迫られ、テルトは涙目で呻く。  おそらく、今、彼の頭の中では、激しい葛藤が渦巻いているのだろう。  ……こんな恰好なんてしたくない。  ……でも、困っている人を見過ごすなんて出来ない。 「うううううう〜……」  羞恥心と正義感で、板挟みにされ、 テルトは、写真を凝視したまま、頭を抱えてしまう。  と、そこへ――  静かに、襖が開けられ―― 「ただいま戻りました〜」  心ゆくまで、温泉を堪能した、 浴衣姿のマイナとラフィが、部屋に戻って来た。  その瞬間、テルトとジェシカの視線が、同時に、マイナに集まる。 「マイナさん……」 「確か、歌が得意だったわよね?」  まさに、格好の生贄……、  利害が一致した二人は、即座に、それに食い付いた。 「……はい?」  二人の視線に晒され……、  温泉で上気したマイナの頬が、別の意味でも赤く染まる。  そんなマイナに、二人は、ニッコリと微笑み掛けると―― 「頑張ってね、マイナ。 皆が、あなたの歌声を待っているわ」 「マイナさん、これも人助けです」  二人の言葉に……、  マイナは、首を傾げる事しか出来なかった。 「流石に、この時間だと、誰もいないみたいですね」  深夜の露天風呂――  湯に浸かる前に、石鹸で体を洗い、 泡を流しながら、テルトは、のんびりと、浴場を見回した。  洗い場にも、岩風呂にも、彼以外の客の姿は無い。  すっかり夜も更け切り、 日付も変わっているのだから、当然である。  本当は、もっと早く入浴して、汗を流したったのだが……、  例の代役の件で、マイナを、 説得している内に、こんな時間になってしまったのだ。 「すみません、マイナさん……」  ――でも、引き受けて貰えて良かったです。  他に適任がいなかった、とはいえ……、  テルトは、代役を押し付けてしまった、マイナに心から詫びる。  代役とはいえ、舞台に立つ以上、アイドルは、とても目立つ。  故に、かなり難色を示したものの、 人助けならば、と、マイナは、承諾してくれたのだ。  ちなみに、その決断の決定打となったのは―― 「そ、そんな……アイドルなんて……」 「大丈夫、マイナなら似合うわ。 ほら、テルトちゃんも、そう思うでしょ?」 「はい、ボクも、そう思います」 「――やります」  と、意図など全く無い……、  あまりに無自覚なテルトの言葉だったりする。  尤も、ジェシカは、それを狙って、テルトに話を振ったのだろうが……、 「本来なら、ボクが代役になるべき、なんですよね……」  承諾してくれた、とは言え……、  半ば強引だった事に、気が咎めるのか、テルトの表情は重い。  依頼を持ってきたのは、テルトである。  その依頼主である、舞の世話になったのも、テルトである。  ならば、その依頼は、 テルトが責任を持って請けるべきだったのに……、  アイドルの代役名など、テルトには無理であり、 適任とは言え、それをマイナに押しつけてしまったのだ。 「今度、ちゃんと、お礼をしないと……」  ゆっくりと、岩風呂に、 足を沈めながら、テルトは深く溜息を吐く。  と、そこへ―― 「……お、お邪魔しま〜す」  脱衣所の扉が開き……、  妙に、コソコソとした態度で、誰かが入って来た。  ――他のお客さんかな?  湯気で良く見えないが……、  人影は1つだけで、続いて、入ってくる様子は無い。 「流石に、この時間なら、誰もいないよね?」  その客は、テルトという、 先客がいる事に気付いていないようだ。  誰かさんと、同じような言葉を呟きつつ、少し急いだ様子で、体を洗い始める。 「…………」  ――挨拶するべきだろうか?  と、一瞬、迷ったが……、  結局、声を掛ける事無く、テルトは、肩まで湯に浸かる。 「なるべく、早く出ないと……、 折角の温泉なんだし、ホントは、 もっと、ゆっくり入りたいんだけどなぁ」  その客は、独り言を続けながら、岩風呂に入って来た。   やはり、湯気の所為で、 テルトの存在に気付いていないらしい。 「……ふぅ」  割と、テルトの近くに座り、 湯に浸かると、男とは思えない程、色っぽい吐息を漏らす。  と、その時――  軽く風が吹き抜け―― 「「……あ」」  その風によって、お互いの、 視界を遮っていた、湯気が吹き払われた。  正面から、二人の視線が、バッチリと重なる。  穏やかで優しそうな瞳――  茶色のショートエアリーボブ――  スレンダーなスタイルだが――  間違い無く――  今、目の前にいるのは――   ――女の子? 「「す、すみません! 間違えましたっ!!」」  状況を理解したテルトは、慌てて、相手に背を向けた。  そして、相手もまた、 同じタイミングで、テルトに背を向ける。 「「こ、ここ、女湯だったんですね! ボ、ボボボ、ボク、男湯だと勘違いして――」」  これまた、同時に……、  二人は、全く同じ弁解を始める。 「「……?」」  故に、すぐに、状況がおかしい事に気付き、落ち着きを取り戻す事が出来た。  冷静に、記憶を手繰り……、  ここは、間違い無く、男湯であり……、  自分には、一切、非が無い事を自覚する。 「「……ここ、男湯ですよ?」」  相手に背を向けたまま……、  またしても、同じタイミングで……、  自分は、このまま、背を向けているから、 他に誰か来てしまう前に、急いで出て行くよう、相手に促す。  ああ、またか――  いい加減に聞き飽きた、 相手の言葉に、ウンザリした様子で、溜息を吐く。  女顔で、華奢な身体……、  それ故に、今回のように、 女性と間違われた経験が、何度もあるのだ。  嫌すぎる思い出だが、男から告白された事だってある。  妹になってくれ、と言われた事もある。  寧ろ、男だから良い、と言われた事もある。  今までは、そういう輩からは、即座に逃げ、 しつこいようなら、容赦無く、右ストレートを叩き込んできたが……、  取り敢えず、今回は、ただの誤解のようだ。  仕方なく、これまた、 飽きる程に繰り返して来た台詞を言う事にする。 「「ボク、一応、男なんですけど……」」  ――あれ?  ――何か、おかしい?  ここに至って、二人は、ようやく、 お互いが、全く同じ言動をとっている事に気が付いた。 「「…………」」  恐る恐る、振り返り……、  失礼とは思いつつ、相手をマジマジと見る。  ……しばらく、無言で、見詰め合う。  そして……、  全てを理解した瞬間……、 「ぎゃおおおぉぉぉんっ!?」 「えええぇぇぇぇぇぇっ!?」  それは、悲鳴にも似た……、  驚愕した二人の叫び声が、 深夜の露天風呂中に、高々と響き渡った。    ・    ・    ・ 「だ、代役のマイナです。よろしくお願いします」 「はい、よろしくお願いします」  翌日――  テルト達は、眼鏡を掛けた女性の案内で、 街の一角にある、小さなイベントホールに向かっていた。  彼女の名は『岡本 まなみ』――  愛、涼、絵理の三人のアイドル……、  ディアリースターズのマネージャーである。   彼女が言うには、アイドル達は、 明日の本番に備え、ホールの一室を貸し切り、練習をしているらしい。 「ごめんなさいね……、 無茶なお願いをしちゃって……」 「い、いえ、これも人助けですから……」  アイドルの代役、などという、 無茶振りをした責任を感じているのだろう。  まなみは、心底、申し訳なさそうに、マイナに頭を下げる。 「まったく、舞さんったら……、 こういう大事な話は、まず、私に相談して欲しいです」  と、愚痴を溢すまなみに、マイナは、妙な親近感を覚えた。  真面目であるが故に、苦労性でもあるのだろう。  きっと、今日まで、何度も、舞の突飛な行動に、振り回されて来たに違いない。  正直、今回の件では、色々と言いたい事はあったが……、  今までの、まなみの苦労を思うと、 マイナとしては、彼女を責める気にはなれなかった。  そもそも、まなみには、何の責任も無いわけだし……、  誰が悪いのか、と言うなら……、  それは、間違いなく……、  今、この場で、一番、恐縮している……、 「すみません……全部、ボクの責任です」 「まー、良い勉強になったでしょ? 次からは、自分じゃ無理な話を、安請け合いするんじゃないわよ?」 「……はい」  肩を落とすテルトの頭を、ジェシカが、杖でポコポコと叩く。  無論、面白そうだから、という理由で、 マイナに強要した、ジェシカも同罪なのだが、そこは棚上げである。  と、そんな話をしていると―― 「――あ、まなみさん?」  目的地である、イベントホールの玄関前で、 茶色のブレザー姿の少女に、バッタリと出くわした。  少女は、まなみの姿を見ると、 ヒョコヒョコと、片足を引き摺るように歩み寄ってくる。  見れば、彼女の右足首には、包帯が巻かれており……、 「え、絵理ちゃん!? 怪我してるのに、歩き回っちゃダメじゃない!」  まなみが、慌てて、少女に駆け寄る。  どうやら、彼女こそが、 ディアリースダーズの一人である『水谷 絵理』らしい。 「飲み物を買いに行ってた? 今の私には、こんな事しか出来ないし?」  と、まなみの剣幕に押されつつも、 絵理は、手に持つビニール袋を持ち上げて見せた。  その袋の中には、彼女の言う通り、数本のドリンクが入っている。  おそらく、本番を前に、怪我をしてしまった事に責任を感じ、 自分から、雑用を買って出たのだろう。 「気持ちは分かるけど……、 それでも、怪我人が無理しちゃダメよ」 「はい、明日の本番が終わるまでは、そういう雑用は、ボクに任せてください」  テルトが、当たり前のように、 その袋を、絵理の手から取り上げ、ホールに入っていく。  その、あまりの自然な甲斐甲斐しさと、 さり気無さに、絵理とまなみは、一瞬、呆然としてしまうが……、 「ま、待って! 部屋は、こっちですよ」  すぐに我に返ると、テルトの後を追い、早足で、ホールの奥へと姿を消した。 「……流石は、テルトさんですね」 「あれで、下心が無いのが、 凄いと言うか、余計に性質が悪いと言うか……」  テルトの天然紳士っぷりに、ジェシカ達は感心し、それ以上に、呆れ果てる。  ――女性には優しくしなければいけない。  訊けば、姉の教えの賜物らしいが……、  それが原因で、行く先々で、女難に遭遇しているのだ。  いい加減、その辺を学習して貰いたいものである。  尤も、在り方を変えた、テルトの姿なんて、 想像が出来ないし、見たくも無いのも事実なのだが……、  複雑な心境で、溜息を吐きつつ、 ジェシカ達も、テルト達の後を追い、ホールの中へと進む。 「――おっ、来たわね」 「おはようございます、テルトさんっ!」  アイドル達が待つ部屋に入ると、 日高親子が、レッスンを中断し、テルト達を出迎えてくれた。 「涼さん〜! テルトさんが来てくれましたよ!」  愛に呼ばれ、同じく、レッスンをしていた、 三人目のアイドル『秋月 涼』も、テルト達の前にやって来て―― 「「……あ」」」  ――互いの目が合った。  こうして、彼と顔を合わせるのは、二度目である。  最初の出会いは――  昨夜の、露天風呂の男湯―― 「「…………」」  全てを理解したテルトは、言葉を失う。  全てを理解された涼は、乾いた笑みを浮かべる。  ゆっくりと……、  本当に、ゆっくりと……、  様々な想いを込めて、テルトは、涼に、深々と、頭を下げる。 「……お疲れ様です」 「あ、あははははははは……」  突然、壊れたように笑い出した涼に、 何事かと、その場にいた、全員の視線が『彼』に集まった。 「涼さんとテルトさん、お知り合いなんですか?」 「えっ……うん、ちょっとね……」 「ま、まあ……はい」  愛に訊ねられ、我に返った涼は、 曖昧な返事でお茶を濁し、テルトもまた、露骨に視線を逸らす。 「……テルトちゃん?」  そんな二人の態度に疑問を抱き、 ジェシカ達は、テルトを追及しようとしたが……、 「知り合いなら、話は早いわね。 軽く自己紹介したら、すぐにレッスンを再開するわよ」 「そうですね。時間も少ないですし」  と、舞とまなみに、強引に話を進められ、その機を逃してしまった。  ――後で、キッチリと吐かせる。  ――そうですね。  ――はい、ちゃんと説明して貰いましょう。  尤も、テルトにとっては、 単に、問題が先送りになっただけなのだが……、  女性陣が目で会話し、テルトの包囲網を構築する中、 全員の自己紹介が、簡単に行われ、アイドル達のレッスンが再開される。 「さあ、テルトちんは、こっち♪」 「あ、はい……って、はい?」  舞に手を引かれ、テルトは、思わず、後に続きそうになる。  だが、すぐに違和感に気付き、 テルトは、慌てて、その場に踏み止まった。 「舞さん……その手に持ってる服は何ですか?」 「ステージ衣装よ♪」  テルトに指摘され、舞は『それ』をヒラヒラと振って、少年に見せつける。  確かに、彼女の言う通り、 『それ』は、アイドルのステージ衣装であった。  しかも、レースが飾られた……、  写真で見たモノよりも、2割増しくらい可愛らしい衣装だ。 「それを……どうするんです?」  嫌な予感を覚えつつ、 テルトは、『それ』がある意味を訊ねる。  すると、舞は、何を今更、とでも言うかのように……、 「テルトちんが着るに決まってるじゃない」 「――何で、ボクがっ!? 言いましたよね? 代役は、マイナさんですよ!」  テルトは、必死に、マイナの存在をアピールする。 「やだ! つまんない!」  しかし、舞は、少年の主張など、 全く意に介する事無く、バッサリと切り捨てた。  さらに、あろうことか―― 「いたいけな少年が、無理矢理に、 女装させられて、羞恥に染まる、その表情がイイんじゃない」 「最悪だ、この人ぉぉぉぉっ!!」  元アイドルとは思えない発言に、テルトは、頭を抱える。  だが、ここで屈するわけにはいかない。  屈すれば、男としての尊厳を全否定されてしまう。  萎えそうになる膝に力を入れ、テルトは、尚も食い下がるが……、 「でも、常識的に考えて下さいよ。 代役とはいえ、男が、女装して、アイドルになるなんて――」  ――そんな馬鹿げた事が通用するわけ無い。  と、続けようとして、テルトは言葉に詰まった。 「…………」  ――ゆっくりと、後ろを振り返る。  そこには、虚ろな瞳で――  諦め切った笑みを浮かべる涼の姿が――  ――ああ、そうだった。  そういえば――  もう、前例があったんだっけ―― 「は、ははは……」  抗えない、と悟ったテルトは、乾いた笑い声と共に、力無く膝を付く。  どうやら、彼は、どう足掻いても、 年上の女性に虐げられる運命からは逃れられないらしい。 「あ、あの……やっぱり、私が……」  流石に、見兼ねたマイナが、前に進み出る。  そもそも、代役は、マイナだったわけだし……、  不本意ながらも、引き受けた以上、それなりに、やる気はあった。  それなのに“つまんない”の一言で、 御役御免にされてしまっては、肩透かしも良いところである。 「んっふっふっふっ……」  だが、舞は、そんなマイナを……、  いや、マイナだけでなく、ジェシカやラフィも手招きすると……、 「全員、まずは、この衣装を目に焼き付けなさい」 「何で、そんな事を……?」 「サッサとやる。時間は3秒」  得体の知れない迫力に押され、 ジェシカ達は、舞が持つステージ衣装を凝視する。 「次に、目を閉じて、想像しなさい。 テルトちんが、この衣装を着て、輝く舞台に立つ姿を!」 「「「…………」」」  舞に、言われるまま、想像力をフル稼働させてみる。  ――テルちゃんが?  ――可愛らしい衣装を着て?  ――アイドルとして舞台に立つ?  ……。  …………。  ………………。 「――ありね!」 「あり、ですね!」 「ありです!」  ――三人の答えが一致した。  理解を得られ、舞は、満足げに頷くと、 改めて、テルトに向き直り、ステージ衣装を突き付ける。 「さあ♪ 観念してみよ〜か♪」 「あははははは……」  先程の涼と同じように、 壊れた笑みを浮かべながら、テルトは、ステージ衣装を受け取る。  そして、改めて、衣装を見て……、 「あの……これ、どうやって着るんです? 流石に、こんな派手な衣装は着た事が無いんですけど?」 「――ちょっと待った」  彼の不用意な発言を、ジェシカは聞き逃さなかった。  テルトの肩に手を置き、 とても楽しそうに、先の発言の問題性を指摘する。  その笑みは、先日、ピサロを論破した時のモノと同じだ。 「ねえ、テルトちゃん……、 その言い方だと、女装の経験はあるように聞こえるんだけど?」 「ま、まさか、そんな事があるわけ――」  その反応が、真実を物語っている事にも気付かず……、  ジェシカに追及され、テルトは、顔を引き攣らせながらも、それを否定する。 「嘘はいけねぇな、いけねぇよ」  と、そこへ、舞が、割って入り、 意地悪い笑みを浮かべつつ、何処からか、一冊の本を取り出した。  その本の題名は――  『美少年大全 ミナモト出版』―― 「これね、コミパで手に入れた本なんだけど……」  『美少年大全』をパラパラとめくり、 とあるページを開くと、それを一同に見せる。 「流石は小鳥……良い仕事をしてるわ」  そのページには、酒場で働く、ウェイトレスの写真が載せられており……、  写真の下には……、  被写体の名前が、ハッキリと……、  ――【テルト=ウィンチェスタ】(投稿者K・O) 「ぎゃおおおおおおおんっ!?」 「あ、涼さんのが感染った?」  忘れたい過去を穿り出され、 ついに、テルトの精神が極限に達したようだ。  頭を抱え、奇声を上げながら、身を捩り始める。 「違うんですぅぅぅぅっ! あれは、罰ゲームなんですぅぅぅぅっ! そんな趣味があるわけじゃないんですぅぅぅっ!! だって、姉さんが……姉さんがぁぁぁぁぁっ!!」 「…………」  ――あ、やり過ぎた?  どうやら、トラウマに触れてしまったらしい。  悶え苦しむテルトを前に、その場にいた、全員の顔が引き攣る。  いや、ただ一人だけ……、  涼だけが、苦悶するテルトに歩み寄ると……、 「大丈夫、キミだけじゃないよ」  優しく、少年の手を取り……、  彼にしか聞こえないように、語り掛けた。  その言葉に、正気を取り戻したテルトは、 まるで、藁に縋るかのように、涼と、ガッシリと手を握り合う。 「そ、そうですよね……、 世の中には、ボクみたいな人が、まだいるんですよねっ!」 「そう、キミは一人なんかじゃない! 大事なのは、自分が男だ、という事を忘れないこと! あくまても、自分は男だ、と主張し続けること! そして、決して、姉の横暴に屈しないこと!」 「わかりました、涼さん! この程度で、挫けてちゃダメですよねっ!」  手を取り合ったまま、テルトと涼は、お互いを理解し合う。  所詮は、ただの傷の舐め合いでしかなく……、  見つめ合う、二人の瞳が、虚ろだったりするのが気になるが……、 「さあ、立って、テルト君! レッスンを始めるよ!」 「――はいっ、涼さんっ!」  今、ここに――  何人も立ち入る事の出来ない――  ――微妙に後ろ向きな友情が生れたのであった。 「じゃあ、テルトちんも、 やる気を出してくれたみたいだし、始めよっか」  妙な方向性ではあるが……、  一応、士気が上がった事に満足し、舞は、アイドル達の前に立つ。 「悪いけど、愛と涼ちんは、自己レッスンね。 絵理ちゃんは、2人のダンスを見てあげて」  3人のアイドル達に、簡単な指示をした後、 舞は、テルトを、彼女達から、少し離れた場所まで連れて行く。  そして、着替えを終えたテルトに向き直ると……、 「テルトちんは、私が、直々に教えて上げるわ。 あまり時間が無いから、厳しくいくわよ、覚悟しなさい」 「はい、よろしくお願いします!」 「きらめく舞台に立ちたいかぁ〜っ!」 「お〜っ!!」 「罰ゲーム(熱湯風呂)は怖くないかぁ〜っ!」 「お〜っ!!」  こうして――  あの『日高 舞による――  テルトの、アイドルとしての猛特訓が始まった。 「煽った私達が言うのもアレですが……」 「あのまま、テルトさんを、 放っておいても良いのでしょうか?」 「まあ、良いんじゃない? 本人も、やる気になってるみたいだし? 「やる気、と言いますか……、 全力で現実逃避しているようにも見えます」 「……じゃあ、止める? 今度こそ、こっちに御鉢が回ってくるわよ?」 「テルトさんには、頑張って頂きましょう」    ・    ・    ・  翌日――  精霊祭のメインステージで、 謎の新人アイドルが、華々しいデビューを果した。  その名は――  『トルテ=ウィンチェスタ』という―― 「不思議な子、だったわね」 「……テルトさんのこと?」  連絡船の甲板――  所属する事務所がある、 フォルラータへ向かう船の上で、舞は、ポツリと呟いた。  その視線の先には、出港したばかりの、タカヤマの港がある。  船縁にもたれ、タカヤマを見つめる、 母の言葉に、隣にいた愛が小首を傾げながら訊ね返す。 「不思議と云うよりは……普通の子?」 「もちろん、良い意味で、です」  傍にいた涼と絵理も、話に加わって来た。  その二人の意見に、愛も、コクコクと頷いて同意する。 「ただの普通な子に、この私が、ダンスを仕込むと思う?」 「そ、それは……」  テルトを“普通”と称した愛達は、舞に指摘されて、口籠る。 「……人としての魅力、って言うのかしらね? あの子には、全力で、何か助けになりたいと思わせるモノがあるのよ」 「人としての魅力……?」  舞の言葉に、愛達は、改めて、テルトと過ごした数日間を思い出す。  素人の言葉にすら、耳を傾け、懸命に剣を振るっていた。  アイドルの代役という無茶な頼みにも、真面目に取り組んでいた。  当たり前のように怪我人を気遣い、優しく接してくれた。  確かに、舞の言う通り、 テルトは、とても好感の持てる人物であった。  きっと、誰もが、彼に心を許し、心を開き、安心し、安らかな気持ちになれるだろう。  そんな彼が、冒険者という危険な道を歩んでいるのだ。  どんな些細な事でも良い。  彼が、その道を歩んでいく為の力になりたい。  ――そう思わせる“何か”が、彼にはあった。 「歌姫としての魅力……、 それを持つ者を、人々は『アイドル』と呼ぶわ」 「アイドル……あたし達のだよね?」 「まだまだ、ヒヨッ子だけどね」  愛の頭をペシペシと叩きつつ、 舞は、もう一度、海の向こうに見えるタカヤマに……、  まだ、あの街にいるであろう、少年と、その仲間達に想いを向ける。 「じゃあ、剣士として……、 冒険者としての魅力を持つ者は、何て云うのか、知ってる?」  彼らの行く道には、幾つもの試練が待ち構えているだろう。  きっと、挫けそうになる事があるだろう。  でも、その度に、誰かが力を貸してくれるだろう。  怖さと同じだけ、勇気を手に出来るように……、  きっと、諦めてしまいそうになる事もあるだろう。  でも、その度に、それまで得て来たモノが力になるだろう。  涙と同じだけ、笑顔を手に出来るように……、  今回、舞が、テルトに与えたモノは、いずれ、彼の力になるのだろうか?  それを活かすも殺すも、彼次第なのだが……、  もし、少しでも、彼の力になれたのなら、嬉しく思う。  何故なら――  いずれ、あの少年は――  人々から、こう呼ばれるようになるのだから―― 「――英雄、って云うのよ」 <つづく>