「……どうしても、退いて頂けませんか?」 「はい、退けません……、 ボクは、ボクが信じる正義を貫きます」  それが――  テルトとマイナの出会いだった。 ――――――――――――――  テルトーズ結成SS  第2話 『決意』 ―――――――――――――― 「……テルトちゃん、どう?」 「は、はい、大丈夫そうです」  カーテン越しに、ジェシカに問われ、 鎧の装着を終えたテルトは、おずおずと試着室から出た。  ここは、街の武具屋――  先日、めでたく(?)パーティーを結成した二人は、 剣士であるテルトの鎧を購入する為、街で一番品揃えの豊富な店に来ていた。 「ふ〜ん……ま、少しは剣士っぽく見えるようになったわね」 「そ、そうですか……?」  まるで、値踏みするかのように、 ジロジロとジェシカに見られ、テルトは、思わず頬を赤らめる。 「動き難かったりは? 重さはどう?」 「は、はい……」  そんなテルトに構わず、ジェシカは、 彼の周囲を回って、新品の鎧の具合を確かめる。 「ちょっと……止め具が、ちゃんと嵌まってないじゃない!」 「――えっ?」  ジェシカに指摘され、 テルトは、自分の体を覆う鎧を見下ろす。  確かに、彼女の言う通り、鎧の胸部位と背部位を繋ぐ止め具が外れていた。  恐らく、装着した時に、止め具の嵌め方が甘かったのだろう。  テルトは、慌てて、止め具を嵌め直そうとするが、なかなか上手くいかない。   それを見ていたジェシカは、 イライラした様子で舌打ちすると……、 「――はい、バンザイ!」 「……っ!!」  すっかり上下関係が確立したのか……、  それとも、たった一晩で、しっかりと調教が成されたのか……、  ジェシカの言葉に、テルトは即座に反応し、両腕を上げる。 「ったく、しっかりしなさいよね! 戦闘中に鎧が脱げて殺られました、なんて、笑い話にもならないわよ?」  と、文句を言いつつ……、  テルトに代わって、ジェシカが止め具を嵌めた。 「はい、これで良し! キツかったりしない?」  鎧の着付けが終わり、再度、テルトに確認する。  しかし、テルトからの返事は無い。  見れば、彼は、何やら、戸惑った表情で、周囲を気にしている。 「……?」  テルトの様子に、ジェシカは首を傾げ―― 「うあ……っ!」  ――すぐに理解した。  周囲から、クスクスと、笑い声が聞こえてくる。  それどころか、妙に生温かい視線まで感じる。  そんな居心地の悪い空気の中で、 ジェシカは、先程までの自分の行為を振り返り、言葉を失った。  なんてこと……、  あれじゃ、ジャレ合ってるようにしか見えないじゃない!  己の痴態に、頬が熱くなるのを感じる。 「――ああ、もうっ!!」  まったく、この子に会ってから、調子が狂いっぱなしだ。  今回の依頼を片付けたら、絶対に、縁を切ってやる。  と、心の中で決意しつつ、 羞恥と怒りを紛らわそうと、テルトの背中を思い切り叩いた。  ……痛かった。  非力なテルトでも装備できる鎧とはいえ、 それでも、鎧の強度は、素手が相手なら充分だったようだ。 「――ふんっ!」 「あいたっ!?」」  余計にムカついたので、今度は、ちゃんと頭を杖で殴った。 「ジェシカさ〜ん……?」(泣) 「鎧は、それで問題無さそうね。 じゃあ、サッサと、それを買って、出発するわよ」  殴られた理由が分からず、さすがのテルトも、涙目で不満を訴える。  尤も、そんな真似をしても、 小動物のようにしか見えないのだが……、  ちなみに、それで、ジェシカの嗜虐心が、ちょっぴり満たされたのは内緒である。  とにかく、一秒でも早く、店から立ち去る為、 ジェシカは、テルトの抗議を無視して、会計に向かう。 「でも……お金が……」  テルトの言葉に、ジェシカは、無言で、彼の財布を奪い取る。  そして、中身を確認すると、足りない分を、自分の財布から出した。 「あと、盾も買っておくわよ」 「ジェシカさん!? ダメですよ!」 「前衛の防御力を優先するのは、当然でしょ? 剣士のあんたが、鎧を着てないと、安心して呪文も唱えられないの」  ジェシカの正論に、テルトは何も言い返せなくなる。  彼女の言う通り、前衛の防御力……、  即ち、テルトの鎧は、パーティーにとって、とても重要である。  前衛が、戦線を維持する事で、 後衛である魔術師は、呪文詠唱に集中出来るからだ。  ……だが、金属製の鎧は、とにかく高い。  革鎧のような安い物もあるが、金属製との防御力の差は段違いだ。  勿論、動き易さ、と言う面では、革鎧に分はある。  金属鎧は、その重さから、 俊敏な動きを阻害し、重量は、頑丈さと比例するからだ。  しかし、金属鎧には、それを補って余りある防御力がある。  そして、今、テルトが着ている鎧は、 非力なテルトでも装備できるような、可能な限りの軽量化を施した珍しい物だ。  幾つかの武具屋を巡り、ようやく見つけた軽鎧である。  これを購入しない手は無い。  ――盾も、また然り。  鎧も、盾も、テルトを守り……、  同時に、後ろのジェシカを護る為のモノ……、  故に、テルトの装備の充実は、ジェシカにとって、当然の投資なのだ。 「……守ってくれるんでしょ?」 「…………」 「それに、これは貸すだけ。 特別に、利子は付けないでおいてあげる」  会計を済ませつつ、テルトの顔も見ずに、ジェシカが呟く。 「その代わり、後ろの私に、 カスリ傷の1つでも負わせたら、タダじゃおかないから……」 「……はい! 勿論です!」  ぶっきらぼうなジェシカの言葉に、少年は、力強く頷いた。 「……やられたかもしれないわね」 「はい……?」  タイプムーンの北東――  森の近隣にある『コレコの村』――  依頼書にあった村へとやって来たテルト達は、 村唯一の宿屋の食堂で、少し遅めの夕食を摂っていた。 「やられた、って……何がです?」  パスタを食べる手を止め、テルトは、ジェシカの言葉に首を傾げる。 「依頼の内容のことよ」 「……?」  皿の上のプチトマトを、フォークで弄びつつ……、  ジェシカは、テルトの疑問に、 簡単に答えるが、彼は、それだけでは理解できないようだ。 「依頼の内容は、覚えてる?」 「『村の作物を荒らす獣の調査と可能であれば獣の討伐』。 報酬は、前金100Gで、一人200Gずつ。必要経費は応相談です」  コップの水を一口啜り、 喉を潤してから、テルトは、その質問に淀みなく答える。 「よしよし、ちゃんと覚えてたわね。偉い偉い」    ジェシカは、優秀な生徒の頭を撫でようとしたが、テーブル越しな為、手が届かない。  それを誤魔化す為、出し掛けた手で、 自分の髪を弄りながら、さらに、テルトに質問を振った。 「じゃあ、次に、村の連中の証言を思い出してみなさい」  先程から、ジェシカは、テルトに対して、 まるで、導師のように振舞っているが、実は、これには理由がある。  保護者のように、姉貴分のように……、  意識的に、そう振舞う事で、自分のペースを維持しているのだ。  テルトと出会ってから、ずっと調子が狂わされっぱなしのジェシカ……、  これは、そんな彼女が、テルトという、 天然バカに対抗する為の手段として、考えた末に導き出した結果である。 「え、え〜っと……」  ジェシカの狙い通り、まるで、先生に出題された問題を解く生徒のように……、  テルトは、フォークにパスタを巻き付けながら、 記憶を手繰り、頭の中で、今日の出来事を簡潔に纏め上げていく。  村に到着し、村長に挨拶した後、テルト達が、まず最初に行ったのは、情報収集だ。    勿論、村長から詳しい話は聞けたが、 さらに詳細な情報を得る為、村中の人の証言を集めて回ったのだ。  その為、こうして、夕食を摂るのが、随分と遅くなってしまったが……、  ……ジェシカ的には、それだけの価値はあったようだ。 「まず、荒らされた作物の被害は、 幸いにも、致命的なモノじゃなかったんですよね?」  まるで、我が事のように……、  テルトは、被害が少なかった事を喜んでいる。  農家の子である彼には、作物への被害が、 如何に、農民の生活に大きな打撃を与えるか、よく分かるのだ。 「……不自然なくらいに、ね」  テルトの言葉を、ジェシカが補足する。  確かに、彼女の言う通り、損害の規模は、 獣の仕業にしては、不自然なくらいに小さなモノだった。  しかも、狙われたのは、 特定の畑ではなく、村中の全ての畑……、  その程度の不審点なら、ジェシカも見過ごしていただろう。  ……だが、気付いてしまった。  全ての畑の被害が……、  ほぼ同じ程の規模、ということに……、   致命的には至らない被害――  獣に荒らされたのは、全ての畑――  それらの被害は、ほぼ同じ――  どれも、これも、小さな不審点だが、 それが3つ集まれば、さすがに、偶然だけでは片付けられない。  ……ただの杞憂なら、それで良い。  だが、その杞憂を……、  確信に変えてしまう情報もあったのだ。 「あと、村の皆さんが、口々に、 『森の中の古小屋に住む、グリフォンを飼う女の子』の話をしてくれました」 「そこよ、問題なのは……、 獣の調査? ちょっと話が違うんじゃない?」 「言われてみれば、確かに……、 ハッキリとは言ってなかったけど、あれじゃ、まるで――」 「――村人達がミスリードしようとしている、と仰りたいのですかな?」  唐突に、横槍が入れられ、テルト達は会話を中断する。  そして、話に割り込んできた、 第三の声がした方を見ると、そこには、3人の神官の姿があった。 「……誰? 私達に、何か用かしら?」  ずっと、プチトマトを弄っていたフォークを置き……、  ジェシカは、神官達……、  先程の声の主である、40歳程の小太りの男に向き直った。 「挨拶が後になり、大変失礼しました。 私は、聖堂教会のピサロ=ダラディスといいます」 「そっちの2人は……?」  口調こそ丁寧だが、隠し切れない高圧的な響きを感じる。  そんなピサロ態度に、顔を顰めつつ、ジェシカは、彼の後ろの2人を見る。 「彼女達は、私の部下の――」  挨拶しなさい、と促され、 ピサロの後ろにいた2人の女神官が、前に進み出る。 「ミシェル=カードディスよ」 「マイナ=グランシェ、です」  長身のミシェルは、栗色の髪を掻き上げながら、 芯のある大きな瞳をジェシカに向け、堂々とした態度で……、  小柄なマイナは、黒髪を揺らし、 タレ気味な瞳を潤ませながら、おずおずと名乗った。  身長も、髪も、眼差しも……とても対照的な2人だ。  だが、それ以上に……、  彼女達には、印象的な特徴の差があった。  ――胸が大きい方がミシェルで、小さい方がマイナね。 「私はジェシカ……、 こっちは、仲間のテルトちゃんよ」 「テルト=ウィンチェスタです」  心の中で、割と酷い区別の付け方をしつつ、ジェシカが名乗る。  それに続き、テルトも、ペコリと頭を下げた。 「で、もう一度訊くけど……何か用?」  簡単に挨拶を済ませ、ジェシカは話を切り出す。  どうやら、神官達と長々と話をするつもりは無いようだ。  それは、相手も同じ考えだったらしく、ピサロは、すぐに本題に入った。 「――我々に協力して頂けませんか?」 「……と、言うと?」 「我々が、ここに来た理由は、あなた方と同じです。 この村の近くに、邪悪なグリフォンを従えた魔女がいる、という噂を聞き付けましてね」 「随分と飛躍した噂話ね?」 「間違いでは無いでしょう? グリフォンは危険な魔物です。 村の平穏の為にも、早々に排除しなければいけません」  それが当然、とで言うように、ピサロは言う。  確かに、グリフォンは魔物であり、危険な存在だ。  そんなモノが、村の近くにいるとなれば、村人も不安で仕方ないだろう。  ピサロの言葉は正しいし、 常識的に考えて、その判断は理解できる。  だが、何だろう……?  妙に胸がモヤモヤする……、  どうも納得がいかない、この感覚は……? 「…………」  テルトも、ジェシカと同じ想いを抱いたようだ。  彼にしては珍しく、ピサロを、胡散臭げな目で見ている。 「とはいえ、見ての通り、我々は神官……、 邪悪なグリフォンを相手にするには、不安があります」 「つまり、私達も、あなた達と一緒に闘え、ってわけ?」 「剣士と魔術師、それに、神官が3人もいれば、 例え、相手が、邪悪なグリフォンでも、戦力としては充分です」 「まあ、そうよね……」 「目的が同じなら、手を取り合った方が効率的では? 勿論、我々は、報酬はいりません。 寧ろ、協力を仰ぐわけですから、こちらからも報酬を出すべき、と考えています」  やたらと『邪悪な』を強調しながら、 ピサロは、自分の主張を通そうと、一気に捲し立てる。  そんな態度が、余計に、ジェシカの不信感を煽った。   「……考えておくわ」  適当に返事をし、話は終わりだ、とばかりに、ジェシカは席を立つ。  テルトも、彼女に続こうと、 慌てて、残りのパスタを平らげ始めた。 「それ……食べないんですか?」 「――は?」  今まで、ずっと黙っていた、 マイナに指摘され、ジェシカは、自分の皿に視線を落とす。  そこには、プチトマトが1つ残っていた。 「食べ物を残すのは、良くないです」 「…………」  マイナの言葉に、ジェシカは、 椅子に座り直すと、面倒臭そうに、プチトマトにフォークを突き刺す。  そして、パスタを食べ終えようとしているテルトに……、 「――はむ」  無言で差し出された、それを、 テルトは反射的に咥え、口の中のパスタと一緒に飲み込む。 「ほら、行くわよ、テルトちゃん」 「はい……失礼します」  ジェシカは、テーブルに料金を置くと、サッサと、二階にある部屋へと戻る。  テルトも、ピサロ達に、 軽く頭を下げ、ジェシカの後を追う。 「…………」  ふと、階段を上る途中、振り返り……、  ピサロが、こちらに向ける鋭い視線が、妙に気になった。 「さっきの話の続きだけど……」 「……例の女の子の事ですね」  ――テルトとジェシカは同室である。  別に、部屋が無かったわけじゃない。  二人分の部屋を取るには、少々、懐に余裕が無かったのだ。  ……抵抗は無かった、と言えば嘘になる。  しかし、冒険者を続けていく以上、 こういうケースには、なるべく、早めに慣れた方が良い。  ジェシカは、そう判断し、思い切って、相部屋にしたのだ。  ちなみに、テルトの意見は無視した。  そのくらいしないと、彼は、野宿すら辞さなかっただろう。  確かに、いくらパーティーとはいえ、 若い男女が、同じ部屋で寝る、というのは問題だ。  ……しかし、確信があったのだ。  間違いなど、万が一にも起こらない、と……、  こういう事に関しては、テルトは無害だ、と……、 「で……あなたは、どう思うの?」  テルトに、食堂での話の続きを促しつつ、ジェシカは、ベッドにゴロンと寝転がる。  その時、寝転がった勢いで、スカートの裾が、 かなり際どい位置まで捲れ上がったが、ジェシカは、それを隠そうともしない。  そんな彼女から、慌てて、 視線を逸らし、テルトは、椅子に腰掛けると……、 「村人達は、その子を犯人だと決めつけているように思えます」 「ふむふむ……で?」  テルトの答えに、ジェシカは相槌を打ち、さらに先を促す。  ちなみに、捲れたスカートは、さりげなく直した。  テルトを試す為、敢えて、わざと見せたが、いつまでも、サービスしてやるつもりは無い。 「もし、そうなら、酷い話ですよね……、 ロクに証拠も無いのに、犯人扱いだなんて……」  あのピサロって神官も、と、テルトは続ける。 「もっと酷いのは、その子を、村から追い出す汚れ役を、 私達にやらせようとしている、ってことね。 まったく、胸糞悪い……」  と、吐き捨てるように言うジェシカに、テルトは苦笑する。 「そのへんは、ボク的には、別に、どうでも良いんですけどね……、 冤罪なら、皆の誤解を、ちゃんと解いてあげたいです」 「お人好しね……馬鹿なくらいに……」 「よく言われます」  ジェシカの嫌味に、テルトは、肩を竦める。  そんなテルトに、やれやれと、 溜息を吐きつつ、ジェシカは、天井を見上げながら……、 「ホントに……胸糞悪い話だわ」  彼に聞こえないように、忌々しげに呟いた。  実は、ジェシカの推理は、もう一歩、深く踏み込んでいる。  村人達は、グリフォンを飼う少女を、 先入観や誤解から、犯人扱いしているのではなく……、  ……犯人に『仕立て上げようとしている』のではないか?  もし、そうなら、作物の被害すら、村人達による自作自演なのでは?  この仮説が正しいなら、全ての辻褄が会うのだ。  さらに、憶測を言うなら、 あの神官達も、この件に、一枚噛んでいるのかもしれない。  死徒絡みならまだしも、 こんな事件に、聖堂教会が首を突っ込んでくるなんて……、 「まさか、ねぇ……」  ――そう。  聖堂教会と言えば、死徒なのだ。  もし、万が一、今回の件に、死徒が関わっているようなら……、 「……どうしたんです?」 「ん、別に〜……」  急に黙ってしまったジェシカに、テルトが、小首を傾げる。  私だけなら、逃げるのは楽だけど、 このバカを、引っ張っていくのは、骨が折れそうねぇ。  と、内心で呟きつつ、ジェシカは、 寝返りを打つと、頬杖をついて、テルトに問い掛ける。 「……で、明日は、どうするの?」 「どうしま――ぶっ!?」  訊ね返そうとしたテルトの顔面に、ジェシカが投げた枕が直撃した。 「少しは、自分で考えなさい! 最初に言ったわよね? 一緒に行ってあげる、って……」 「……はい」 「なら、何をするのか……、 どの道を選び、進むのかは、アンタが決めなさい」 「ボクが……?」 「そうよ、テルトちゃん……、 このパーティーのリーダーは、アンタなんだから」  ジェシカの言葉に、枕を抱えるテルトの手に力が込もる。 「……で、明日は、どうするの?」  先程と、全く同じ質問……、  だが、その重みは、先程のモノとは、まるで違う。  リーダーとして……、  パーティーを束ねる者として……、  テルトは、責任ある答えを迫られているのだ。 「…………」  ――目を閉じて、考える。  村人達の話には、不審な点が多い。  あの神官の言葉は、あまりにも独善的すぎる。  とはいえ、両者の話は、一応、筋は通っていた。  だが、どうしても、それに納得できていない自分がいる、  ならば、自分は、どうしたい?  ならば、自分は、どうするべきだ? 「……その子に、会いに行きましょう」  テルトは、考え抜いた末、実にシンプルな答えを出した。  自分がしたいこと、するべきこと……、  それを決めるには、まだ、パズルのピースが足りない。  だから、自分で確かめようと思った。  誰かの言葉に頼るのではなく、 自分の目で見て、自分の耳で聞いて、道を決めよう、と……、  それは、とても簡単で……、  でも、とても難しいことであった。 「OK、それでいきましょう」  テトルの言葉に頷き、ジェシカは、ランプの光を弱める。 「そうと決まれば、サッサと寝るわよ」  薄明かりの向こうで、ジェシカが布団の中に潜り込む。  テルトは、枕を返そうとしたが、 ジェシカに断られ、結局、自分で使う事にした。  荷物から、毛布を取り出し、それに包まって、床に横になる。 「おやすみなさい、ジェシカさん」 「……おやすみ」  瞳を閉じながら、ジェシカは思う。  そういえば“おやすみ”なんて、 こうして、誰かに言うのも、言われるのも初めてだ。  ……悪い気はしなかった。  翌朝――  まだ、陽も昇らぬ内に、テルトは目を覚ました。  眠っているジェシカを起こさぬよう、 静かに起き上がると、軽く身支度を整え、剣を手に取る。  ――毎朝の素振りは、彼の日課であった。  冒険者になろう……、  そう決めた時から、剣の鍛錬は欠かした事は無い。  農家の育ち故、寝起きは良く、早起きも苦ではない。  単に、振るう得物が、クワから剣に変わっただけである。 「……いってきま〜す」  こっそりと部屋を出て、宿の外で、軽く体を伸ばす。  そして、朝の澄んだ空気を、 胸一杯に吸い込むと、ゆっくりと剣を抜いた。 「アロンダイト……今日も、よろしく」  まるで、テルトの呼び掛けに応えたかのように……、  昇り始めた朝日の光を反射し、 湖畔の水のように澄んだ美しい刀身が煌めく。  アロンダイト――  円卓の騎士『ランスロット』の宝具――  かつての英雄が持っていた剣と、 同じ銘を持つ、このミスリル製の剣は、ウィンチェスタ家の家宝である。  冒険者になる為、家出同然で出て来たテルトが、持ち出して来たのだ。  いや、本当は、持ち出すつものりなど無かった。    ただ、夜中に、彼が家を出ようとしたら、 大切に仕舞ってある筈の剣が、何故か、玄関に置いてあったのだ。  ――それって、餞別じゃないの?  ――家出じゃなくて、思い切り見送られてるじゃない。  と、話を聞いたジェシカには、 心底呆れられたが、まさしく、その通りなのだろう。 「1っ、2っ、3っ――」  ――テルトは、剣を振るう。  その一振り一振りに、 この剣を託してくれた家族への感謝を込めて……、  より強く、より早く、より正確に……、  今までは、冒険への憧れだけだった。  無論、今でも、それは変わらないが、もう、それだけではなくなった。  ――守りたいものがある。   だから、少しでも強くなる為に、懸命に剣を振るう。  剣の才能なんて無い。  この宝具の担い手にもなれない。  凡人でしかない自分では、 どんなに鍛錬しても、無駄な努力かもしれない。  それでも、諦めずに続けていれば……、  少しずつで良い……、  一歩一歩、進んで行けば、きっと……、 「87っ、88っ、89っ――」  ――素振りを続けながら、テルトは思う。  これは、作物を育てる地道な作業に似ている、と……、  どんなに質の悪い土地でも、 諦めなければ、いつか、必ず芽は出るものである。  土を耕して、種を蒔いて……、  不作に終わっても、枯れた作物を、そのまま肥料として……、  そうやって、長い年月を掛けて、 不毛の土地を、肥えた土地へと変えていくのだ。  無駄な努力の積み重ね――  でも、いつか必ず――  それが活きてくると信じて――  ――テルトは、剣を振り続ける。  朝日に照らされた、 その少年の姿は、見惚れる程に眩しかった。 「…………」  ――そう。  そんな真っ直ぐな少年の姿に、 思わず見惚れてしまった者が、ここにいた。  神官見習いのマイナ=グランシェである。  朝早くに目覚めた彼女は、朝のお祈りをしようと、 寝呆け眼を擦りながら、外に出たところ、鍛錬をするテルトを見つけたのだ。 「…………」  真剣な眼差しで、剣を振る少年の姿に……、  一瞬で、眠気は吹き飛び……、  マイナは、挨拶するのも忘れて、その場に立ち尽くす。  踏み込みは甘いし……、  体の軸は安定していないし……、  力が剣に伝わり切っていないし……、  素人目にも、テルトの剣技は、まだまだ未熟だと分かるのに……、  どうして、こんになにも、 眩しく、美しく見えてしまうのか―― 「――おはようございます」 「……っ!」  ――テルトの声に、マイナは我に返った。  気付けば、素振りを終えたテルトが、 タオルで汗を吹きながら、軽く頭を下げている。 「お、おはようございます!」(ペコリ)  マイナも挨拶するが、慌てるあまり、少し声が大きくなってしまった。  早朝の澄んだ空気に、大きな声は良く響く。  恥ずかしくなって、マイナは、俯き、黙ってしまう。 「朝のお祈りですか?」 「は、はい……」  テルトに訊ねられ、反射的に頷く。  間違ってはいないのだが、それだけでは、会話が続かない。 「それじゃあ、ボクは戻りますね」  邪魔しては悪い、と思ったのだろう。  テルトは、剣を鞘に納めると、部屋に戻ろうと、マイナに背を向ける。 「綺麗な……剣ですね」  ――別に、用があったわけじゃない。  だが、何故か、名残惜しくなり、 マイナは、つい、彼を呼び止めてしまった。 「はい……ボクには分不相応な剣です」 「そ、そんなことは――」  ――ない、と言おうとして、マイナは、口を噤んだ。  それは、見えすいたお世辞でしかない。  彼の未熟さは、彼自身が、一番良く分かっているのだ。  剣に手を添え、困ったように 苦笑する彼の表情が、全てを物語っている。 「……頑張ってくださいね」  何を言って良いのか分からず、 結局、そんな当たり障りの無い言葉しか出て来なかった。  でも、テルトには、それで充分だったようだ。 「ありがとうございます、マイナさん」  マイナの言葉を素直に受け止め、 テルトは、柔らかな微笑みを残して、宿へと戻っていく。  そんな少年の後姿を見送り、 マイナは、生れたての朝日に向き直ると―― 「彼の進む道に、女神様のご加護がありますように……」  いつもより、少し長く……、  世界を見守る二柱の女神に、祈りを捧げだ。 「あそこ……ですよね?」 「……多分ね」  宿で朝食を摂ったテルト達は、 グリフォンを飼う少女が住むという、森の中の古小屋へと向かった。  場所は、村人から聞いていたので、簡単に見つける事ができた。  ……と言うか、それなりに、人の行き来があるらしい。  古小屋と村との間には、 人の足によって踏み固められた道が出来ていた。  その道のおかげで、迷わずに済んだのだが……、 「ますます、胡散臭くなってきたわね……」 「はい……」  ――邪悪な魔女、なのよね?  ――なのに、どうして、交流があるんでしょう?  念の為、茂みの影に身を潜め、古小屋の様子を観察しつつ、二人は、目で会話する。  良い意味でも、悪い意味でも、色々と想像は出来るが、 その全てに共通するのは“村人から得た情報は当てにならない”という事だ。 「……行きますか?」 「そうね……」  結局、自分達の目で、直接、確かめるしかない。  意を決したテルト達は、一応、警戒はしつつ、茂みの中から出る。 「…………」  ――ふと、テルトが足を止めた。  そして、どういうつもりなのか……、  腰の剣を鞘ごと抜くと、それをジェシカに渡す。 「……何?」  テルトの行動の意味を図りかね、ジェシカは眉を顰める。 「違う……って、思ったんです」  と、言いながら、今度は、鎧も脱ぎ始め……、  ジェシカが止める間も無く、テルトは武装を解いてしまった。 「武器なんて持ってたら、 もう、その時点で、相手を疑ってるのと同じです」  脱いだ鎧を荷袋にしまい、テルトは完全に無防備な状態となった。  武装を解き、自然体のテルトは、 何処から見ても、普通の村人にしか見えない。  ……当然である。  彼は、元々は、普通の村人で、冒険者になって間も無いのだ。  寧ろ、武装をしている方が、違和感が強いくらいである。 「……馬鹿ね」 「良く言われます」  確かに、これなら、相手も、少しは警戒を解くだろう。  だが、それと同時に、テルトは、自身を危険に晒す事になる。  真っ直ぐなのは、良い事なのかもしれないが……、  あまりにも、危なっかしい……、 「ま、好きにすれば? リーダーは、アンタなんだし?」  不器用なテルトに呆れつつ、 ジェシカは、諦めたように溜息を吐く。  と、その拍子に、自然と足元に視線がいき……、  ――足跡?  偶然にも、古小屋の周囲に、 幾つもの、小さな足跡がある事に気が付いた。  余程、注意していなければ気付けない、微かな足跡だ。  まるで、体重の軽い……、  小動物が残したような……、  しかも、不思議な事に、 前足と後足の、足跡の形が、明らかに違う。  え〜っと……、  確か、グリフォンって……?  と、ジェシカは、時計塔に、 在籍していた頃に読んだ書物の内容を思い出そうと、記憶を手繰る。  そんなジェシカを他所に、テルトは、古小屋に近付き、ドアをノックした。 「ごめんくださ〜い」  あまりにも自然に……、  まるで、近所の家を訪ねるかのように、気楽に呼び掛ける。 「――は〜い」  それが功を奏したのか、 これまた無警戒に、ドアが開けられた。  小屋から出て来たのは、ごく普通の村娘だった。  年齢は、テルトと同じくらいだろうか……、  赤茶色の長い髪を、三つ編みで纏め、 頬に僅かに残ったソバカスが可愛らしい素朴な少女だ。  ただ、その服装は、素朴と言うには、あまりに酷かった。  あちこちに継ぎ接ぎがあり、 年頃の娘が着るには、ボロボロ過ぎる。 「あ……」  姿を見せた少女の頬が羞恥に染まる。  同年代の少年を前にして、自分の恰好のみすぼらしさを恥じたのだ。  だが、テルトは、気にした様子も無く、柔らかく微笑むと……、 「おはようございます。 ボクは、冒険者のテルト=ウィンチェスタです」 「は、はあ……?」  こういうのも、毒気を抜かれる、と言うのだろうか……、  裏表の無いテルトの態度に、 呆気にとられ、少女は、目をパチパチ瞬かせる。  だが、相手が冒険者だと知り、ある程度の状況は察したようだ。  少女は、すぐに表情を固め、 テルト達を、家の中へと招き入れる。 「どうぞ……お話は、中で伺います」 「……お邪魔します」  少女に促され、テルトとジェシカは、家に入る。  その一瞬、少女が見せた、寂しげな……、  何かを諦めたような表情が、テルトの胸の奥に強く残った。 「……どうぞ」 「あ、いただきます」  ――少女の家は、緑で溢れていた。  小屋がボロ過ぎて、 雑草が生い茂っているわけではない。  家中に備え付けられた棚に、ビッシリと、鉢植えが並べられていたのだ。  思い返せば、小屋の脇にも、 小さな畑があり、何種類かの薬草が栽培されていた。  つまり、これらは、全て、彼女が育てた、という事だ。 「……あら、美味しい」  イスに座り、テルトとジェシカは、少女に振舞われた茶を啜る。  落ち着いた味わいに、 珍しく、ジェシカの口から、素直な感想がこぼれた。 「カミモール茶、ですよね?」 「あ、わかります? ウチでは、いつも、コレなんですよ」  お口に合って良かった、と、テルトの言葉に少女は微笑む。 「テルトちゃん、お茶の違いなんて分かるのね?」 「姉さんが好きなんです。 それに付き合ってたら、覚えちゃいました」  意外そうに言うジェシカに、 苦笑しつつ、テルトは、もう一口、お茶を啜る。  ――カモミール。  ――花言葉は『苦難に耐える』。  いつも、コレを飲んでる、か……、  と、何やら複雑な心境で、 お茶を飲み干し、テルトはカップを置く。  ちなみに、花言葉の知識も、故郷にいる姉の影響である。 「薬師……なのね?」  周囲に並ぶ鉢植えを眺め、ジェシカが訊ねる。  すると、少女は、佇まいを直し、ペコリと頭を下げた。 「はい、ご挨拶が遅れてすみません。 薬師のラフレンツェ=サラバント、といいます」 「ラフレンツェ……?」 「あ、長い名前ですから、ラフィで構いませんよ」 「じゃあ、そうさせて貰うわ……、 私はジェシカ……一応、テルトちゃんの仲間よ」  簡潔に名乗り、ジェシカは、お茶をグイッと飲み干す。  そして、静かにカップを置き……、  ラフィの顔を、真っ直ぐに見つめると……、 「私達が、ここに来た理由は……分かってるようね?」 「……はい」  ジェシカの単刀直入な質問に、 ラフィは、俯きながらも、小さく頷いた。 「荷物を纏めたら、すぐに出ていきます。 だから“あの子”に、乱暴な真似はしないでください」  ラフィの懇願に、テルトとジェシカは、顔を見合わせる。  ――“あの子”って?  ――例のグリフォンのことでしょ? 「ここから出ていく、ってことは、 つまり、村の作物を荒らした犯人は、あなた“達”だ、と認めるわけね?」 「…………」  色々と訊きたい事はあったが……、  取り敢えず、それらは呑み込んで、最も重要な事だけを確認する。  だが、ジェシカの問いに、ラフィは黙して語らない。  肯定も否定も無し、か……、  これは、想像以上に厄介そうね……、 「まあ、そういう事なら、 私達としては、話が早くて助かるんだけど……」 「ジェシカさん――っ?」  冷たく言い放つジェシカに、 たまらず、テルトは割って入ろうとするが……、 「ただ、一つだけ言わせてもらうわ……」  そんな彼を手で制し、ジェシカは話を続ける。 「何か言いたい事があるのなら……、 ちゃんと言葉にしないと、誰にも分かって貰えないわよ?」  と、それたけを言い残し、ジェシカは席を立った。  テルトは、何か言いたそうにしていたが、それを無視して、外へ出るように促す。 「ご馳走様……お茶、美味しかったわ。 もう飲めないのは残念だけど、仕方ないわね」  あくまでも、淡々と……、  ジェシカは、別れの言葉を言い放つ。  そして、相手の返事すら待たず、小屋の外へと―― 「あ、あの……」  立ち去ろうとする2人を、ラフィは呼び止めた。  その声は、とても弱々しかったが……、  間違いなく、何かを伝えようとする意志があった。 「……何ですか、ラフィさん?」  テルトは、すぐに振り返り、ラフィに向き直る。  ラフィは、そのテルトの手に、無言で、一輪の花を握らせた。  ――小さな黄色い花。  ――クロッカス。 「これは……?」  意図が分からず、テルトは首を傾げる。  だが、ラフィは、何も答えぬまま、ペコリと頭を下げ、ドアを閉めてしまった。 「ラフィさん……」 「行くわよ、テルトちゃん」  後ろ髪が引かれる思いなのか……、  何度も、古小屋の方を、 振り返りながら、テルトは、ジェシカの後を追う。 「ジェシカさん、どうして、あんな……」 「今の彼女には、何を言っても無駄よ。 あの子、多分、誰も信じられなくなってるわ」  ――そこまで、酷くはないかもしれない。  ――でも、少なくとも、他人と大きく距離を取ってる。  と、ジェシカは、憤るテルトに、キッパリと言い放つ。 「誰も、って……どうして……」 「同じような目に、何度も遭ってきたんでしょ?」  信じていたモノに裏切られ――  区別され、迫害され、排斥され――  無実の罪を着せられた事も、今までに、何度もあったのだろう。  故に、心が折れてしまったのだ。  だから、抗う事を諦めた。  何もかも受け入れ、流されるうよになった。 「だから、私達の声は……届かないのよ」  ――これは、憶測でしかない。  しかし、ジェシカには、確信があった。  何故なら、彼女は……、  酷く、自分と同じだから……、  進んだ先は真逆だが、根元は同じ……、  ――裏切られたのだ。  ――だから、信じられなくなった。  もう、この世に、信じられるモノなんて―― 「…………」  ふと、立ち止まる。  隣を歩く馬鹿の顔を見る。  ……そして、想う。  どうして、今、私は、彼の隣にいるのだろう?  どうして、今、彼は、私の隣にいるのだろう?  信じられる?  ――うん、信じられる。  信じてくれる?  ――うん、信じてくれる。  だって、コイツは……馬鹿だから。 「……どうしました?」  凝視されているのに気付いたテルトが、不思議そうに小首を傾げる。  その間抜け顔を見て……、  ジェシカは、何となく理解した。  ああ、そうか……  世の中には……、  こーゆー馬鹿が必要なのだ。  心の辞書から『裏切る』という言葉が、 綺麗サッパリと抜け落ちているような大馬鹿が……、 「テルトちゃん……霊薬草(セイロガン)って知ってる?」 「え、ええ、知ってますよ。 確か、霊薬の原料で、リーフ島でしか採れない高価な薬草ですよね?」  何の脈絡も無く、唐突に話題を振られ、 テルトは、やや戸惑いながらも、知り得る情報を記憶から捻り出す。 「正確には、リーフ島の環境が、最も生育に適しているだけ。 大陸でも、栽培は出来ないわけじゃないわ」 「……それが、どうしたんです?」 「ラフィの家の棚に、幾つかあったのよ」   と、言いつつ、ジェシカは、ラフィの家の中の様子を思い出す。  確かに、霊薬草はあった。  多くの植物が並ぶ、小屋の棚の一角で育てられていた。  彼女は、薬師なのだから、それは、別に不思議な事ではないのだが……、 「そんな高価な薬草があるのに、 何で、あんなポロッちい恰好をしてたのかしら?」 「ああ、それは、多分――」  ジェシカの疑問に、意外なところから答えが帰って来た。  その“理由”をテルトに説明され、 その情報力と説得力に、思わず目を見張ってしまう。 「そんなこと、良く知ってるわね?」 「たまたま、ですよ……、 以前、読んだ本に、そう書いてあったんです」 「ふ〜ん……」  パーティーを組んで、まだ間も無いが、 時々、テルトは、思わぬところで知識を披露する事がある。  馬鹿だけと、愚かじゃないし……、  読書好きだし、向学心もあるようだし……、  剣士よりも、魔術師か錬金術師の方が向いているんじゃない?  ……というのが、ジェシカの、テルトへの評価である。 「ふ〜む……ふむふむ……」  テルトから得た情報も踏まえ、 ジェシカは、頭の中で、今までの情報を吟味する。  コトリ、コトリと……、  『情報』という名の駒を動かし……、  ジェシカなりの『事実』という名のチェス盤の謎を解いていく。 「裏付けが欲しいところだけど――」  ――時間は、あまり無い。  “彼ら”は、近いうちに行動を起こすだろう。  どんな手段を使ってくるのであれ、 こちらも、早めに手を打たなければいけない。  ……その為の“決定的な一手”はある。  重要なのは――  その一手を打つタイミング――  それを握っているのは―― 「――思い出したっ!」 「……何を?」  ジェシカが考えを巡らせている間、 テルトも、また、何事かを考えていたようだ。  ラフィから受け取った花を握り、突然、テルトが声を上げる。 「思い出しました! クロッカスの花言葉!」 「ちょっ……!?」  よほど興奮しているのか……、  テルトは、両手でジェシカの肩を抱く。  いきなりの急接近に、ジェシカは、思わず狼狽えてしまった。 「は、花言葉? どんな意味なのよ?」  あまりの不意打ちっぷりに、頬が熱くなる。  それを悟られまいと、ジェシカは、平静を保ちつつ、テルトに話の先を促す。 「クロッカスの花言葉は――」  ――その言葉に、一気に熱が引いた。  酔いが醒めた、と言うべきか……、  即座に、頭が切り替わり、普段の調子を取り戻す。 「……で、どうするの?」  テルトの視線を、真正面から受け止め、 まさに、彼を試すように、自分達がするべき事を訊ねる。  その問いに――  少年は、迷う事無く―― 「――信じます」 「OK、付き合いましょ。 となると、やっぱり、裏付けは欲しいわね」  テルトが、どう答えるのかは、最初から分かっていた。  ならば、ジェシカは、彼が進もうとする道を、踏み固める為の方法を考える。  ……正直、人助けなんて、性に合わない。  所詮は、他人の人生だ。  いちいち、それに介入するなんて、面倒臭い。  とはいえ“あいつら”に、 苦渋を呑ませるのは、なかなか面白そうだ。  そういう意味でなら、テルトに付き合うのも悪くは無い。 「街に戻る必要があるわ。 時間も無いし、馬を借りられると良いけど……」 「……ボクに出来る事はありますか?」  何故、街に戻るのか?  テルトは、それを訊ねなかった。  ジェシカが、そう言うのなら、それは必要なのだ、と……、  仲間を信じて……、  いや、信頼して、全てを任せる。 「テルトちゃんは、村に残って、時間を稼いでくれる? ある意味、こっちの方が難しいけど……」 「すみません……役に立てなくて……」 「別に良いわ、適材適所よ。 それが、パーティーってモノでしょ?」 「……はいっ!」  テルトとジェシカは頷き合い……、  今、各々が向かうべき場所へと走り出す。  ――うん。  ――やっぱり、悪くない。  誰かと一緒に、何かを成す……、  そんな当たり前の事が、ジェシカには、心地良かった。 「……あ〜、疲れた〜」 「そ、そうですねぇ……」  その日の夜――  丸一日、森の中を歩き回らされた、 マイナとミシェルは、村の宿の部屋に戻るなり、その場にヘタり込んだ。 「まったく、あのバカ上司……、 か弱い乙女を、散々、コキ使ってくれちゃって〜……」 「……ミシェルさん、はしたないですよ」  ミシェルは、ベッドの上で胡坐を掻き、 足の筋肉を揉み解しつつ、ピサロに対して、盛大に愚痴る。  スカートが捲れ、下着が露わになっているが、そんな事は、全く気にしていないようだ。  見ているのが、マイナだけなので、 別に問題は無いのだが、それでも、マイナは、一応、やんわりと忠告する。 「マイナは良いわよねぇ……、 今日一日、ず〜っと、あの子と一緒だったんでしょ?」 「テルトさん、ですか……?」 「マイナが羨ましいわ〜……、 私は、一日中、バカ上司の相手してたのに、 マイナは、あの子と、ヨロシクやってたんでしょ〜?」 「誤解を招く言い方は止めてください」  ミシェルは、意地悪い笑みを浮かべ、マイナを冷やかす。  だが、彼女の言動には、いい加減、慣れているようだ。  マイナは、ニッコリと笑って、ミシェルの言葉を軽く受け流す。 「……で、どうだったの?」 「な、何がですか?」 「テルト君は、どうだったのよ? 手を組む以上、相手の事は、ちゃんと知っておかないとね〜」  それでも、ミシェルの追及は止まらない。  興味深々と、目を輝かせ、 正論を振りかざして、マイナに詰め寄ってくる。 「え、え〜っと……」  そう言われてしまっては、話さない訳にもいかない。  マイナは、椅子に座り、 佇まいを直すと、今日一日の事を思い出した。  ――朝早くに出掛けたテルト達は、昼食前に戻って来た。  訊けば、例の魔女……、  ラフレンツェという少女と会って来た、という。  そして、テルトが言うには、彼女は“すぐに村を出ていく”とのこと。  しかし、グリフォンの存在は確認できず……、  もしかしたら、森の中に潜んでいる可能性があるらしい。  それらの情報を踏まえ、テルトは、マイナ達に言った。  ――邪悪な存在を倒す為に尽力する、と。  テルトを戦力に加えたマイナ達は、昼食を摂りながら、行動方針を話し合う。  その結果、まず、最大の障害である、 グリフォンの所在を掴む必要がある、という結論に達し……、  ピサロとミシェル――  マイナとテルト――  この2組に分かれて、 村の周囲の森の中を探索する事になった。 「テルトさんは……」  少年と過ごした一日を思い返し、マイナの頬が赤くなる。  同年代の男の子と、あんなにも長い時間を……、  しかも、二人きりで過ごしたのは、初めてだったのだ。  森の中を探索する間、 テルトは、常に、マイナの前を歩いてくれた。  邪魔な茂みがあれば、剣で薙ぎ払い、道を作ってくれた。  大きな水溜りがあれば、事前に声を掛けて、注意を促してくれた。  倒れた巨木を乗り越えなければならない時は、先に昇って、手を差し伸べてくれた。  ……手を握られた時は、思わず、胸が高鳴った。  少年の紳士的な態度に……、  マイナは、まるで、自分がお姫様にでもなった様な気分だった。  今日一日を振り返り、 マイナは、くすぐったい気持ちで一杯になる。  きっと、この経験は、自分にとって、宝物になるだろう。  だから、何だか……、  勿体無くて、詳しく話す気になれず……、 「……とても、誠実な人でしたよ」 「ふ〜ん……」  マイナの簡潔な説明に、、ミシェルの目が細くなる。  その短い言葉に込められた、様々な感情を読み取ったのだ。  少々、潔癖なところがあるマイナが、 初対面の相手……しかも、男に対して、随分な好評価じゃない? 「別に、あたしは、そ〜ゆ〜意味で訊いたわけじゃないんだけど?」  気になったので、もう少しカマをかけてみる。  微妙に機嫌が悪く、口調にも刺があるのは気のせいだろうか? 「手は握った? キスまでしちゃった? それも、最後まで――」 「そんなふしだらな事はしてません!! 沢山の男性を、取っ替え引っ替えしている、貴女じゃあるまいし!」 「失礼ね〜、確かに、付き合った男は多いけど、 身体には、指一本、触れさせてないわよ?」 「そういう問題ではありません! そもそも、テルトさんには、ジェシカさんがいるじゃないですか!」 「あ〜、あの魔術師の子? 確かに、人前で“はい、あ〜ん”なんてやってたもんねぇ。 あれは、見てるコッチが恥ずかしかったわ」  まぁ、あれは、恋人というよりは、 姉的というか、保護者的な雰囲気だったけど……、  ミシェルは、内心では、冷静に、そう分析しているが、口には出さない。  何故なら、マイナをからかうなら、そうした方が面白いからだ。 「そういえば、昼間は、そのジェシカって子の姿が無かったわね?」 「村長から馬を借りて、街に戻ったそうです。 時計塔で、グリフォンの弱点を調べてくる、と……」 「これはチャンスよ、マイナ! あの子が貧乳趣味なら勝ち目はあるわ!」 「――なっ!?」 「ってゆ〜か、むしろ、圧勝じゃない?」  と、言いつつ、ミシェルは、ワザとらしく、腕を組んで、その豊満な胸を誇示して見せる。  そんな彼女の態度に、流石にカチンと来たようだ。  マイナは、椅子を蹴るようにして立ち上がり、興奮気味に反論する。 「胸は大きさは関係ありません! ミシェルさんは、もっと神官として慎みを――」  コンコン――  突然、ドアがノックされた。  その音に、狼狽えたマイナは、 ミシェルに吐き出そうとしていた言葉を呑み込んでしまった。  隙を見せたマイナに、ミシェルは、さらなる追撃を仕掛ける。 「もしかして、テルト君だったりして? 夜のデートは無理っぽいから、食事のお誘いかしら〜?」 「え……ええっ!?」  ミシェルの言葉に、一気に興奮が冷め、マイナの頭から血の気が引いていく。  だが、すぐに、別の意味で、熱が急上昇した。  ……赤くなったり、青くなったりと、忙しい娘である。  コンコン―― 「は、はい! ど、どどど、どうぞ!」  再び、やや急かすように、ドアがノックされた。  マイナは、落ち着きを取り戻そうと、 上気した頬をペチペチと叩き、深呼吸をしてから、ドアの向こうに返事をする。  ドアが開けられ……、  そこに、立っていたのは……、 「夜分遅くに失礼するよ」 「……ピサロ神父でしたか」  上司の姿を見て、マイナの肩から力が抜けた。  テルトではなかった事に、少しガッカリしたのは内緒である。 「誰だと思ったのかね?」 「テルト君だと思ったんですよ。 残念でした〜、マ・イ・ナ・ちゃん♪」 「〜〜〜〜っ」  内緒にはさせて貰えなかった。  ミシェルに暴露され、恥ずかしさに、マイナは耳まで赤くなる。 「……で、どんなご用件ですか? 夜に女の部屋を訊ねるなんて、マナーが悪いですよ?」 「あ、ああ……そのテルト君の事なんだが……」  夜の訪問を非難され、やや居心地が悪そうに、 咳払いをすると、ピサロは、すぐに本題を切り出した。 「マイナ……彼は、どうだったかね?」 「ピサロ神父まで、そーゆー事を言うんですかっ!?」  ――マイナが、ついに激昂した。  普段の大人しいマイナの姿からは、 到底、想像できない迫力に、ピサロは、思わず後ずさる。 「ど、どーゆー事なのかは知らんが……、 私は、彼の、剣士としての実力を訊いているんだがね?」 「あ……」  ピサロに言われ、マイナは我に返った。  どうやら、まだ、先程までの、 ミシェルとの猥談モードが、頭に残っていたらしい。  マイナは、再び、深呼吸をして、頭を切り替える。 「テルトさんの実力、ですか……」  目を閉じて、今朝の、鍛錬するテルトの姿を思い出す。  テルトの剣の扱いは、正直、酷いモノだった。  36回中(ちゃんと数えた)の素振りの1回くらいは、 素晴らしい一振りも見られたが、そんなものは所詮は偶然である。  人として、男性としてなら、テルトの評価は高い。  だが、個人的な感情は捨て、あくまでも、 冒険者として、剣士として、彼を評価しなければいけない。  ――ごめんなさい、テルトさん。  心の中で謝罪してから、マイナは、 テルトの実力に、正確な評価を下し、ピサロに伝える。 「戦力としては、あまり期待は出来ないかと……、 冒険者にも、まだ、なったばかりのようですし……」  それでも、表現は控えめに……、  ついつい、フォローまで入れてしまった。  マイナは、自分の意志の弱さに辟易してしまう。 「まあ、盾の代わりにはなる、か……、 では、マイナは、戦闘になったら、彼の治癒に専念するように」 「……はい」  ピサロの指示に頷きつつ、マイナは、やや気落ちする。  テルトを悪く言ってしまった事もあるが……、  自分も、また、彼と同様に、あまり役には立たないからだ。  神官としての経験が浅く、 マイナには、治癒の技しか使えない。  ミシェルのように、護りの技が使えれば、もっと『彼』を護る事が出来るのだが……、  ――聖歌なら得意なんだけどな。  と、力不足を嘆いても仕方ない。  今、出来る事を、精一杯、頑張るだけだ。 「明日の朝、魔女の討伐に向かいます。 二人とも、明日に備えて、しっかりと体を休めておくように」 「ですが、グリフォンの所在が、まだ――」 「それなら、見つけたわよ」 「――ええっ?」  ミシェルにアッサリと言われ、 それ理解するのに、数秒ほど掛かってしまった。  マイナは、そんな話は聞いてない、という顔で、ミシェルをょ見る。 「あれ? 言ってなかったっけ?」 「全く聞いていませんっ! そういう重要な事は、もっと早く教えてください!」 「ゴメンゴメン、次から気を付けるわ」  お気楽なミシェルの態度に、 流石に、マイナは、憤りを感じてしまう。  最悪、グリフォンと闘わなければならない事を、ちゃんと分かっているのだろうか?  もちろん、彼女の実力の高さは、良く知っている。  上司であるピサロについても、同様だ。  とはいえ、油断は禁物なのでは?  もう少し、緊張感を持つべきでは? 「…………」  色々と言いたい事はあったが、 上司の手前、マイナは、それらを呑み込んだ。  ――ふと、ジェシカの事を思い出す。  彼女くらい、物怖じする事無く、思った事を、 ズバッと言えるようになれば、少しは、自分に自信が持てるようになるのだろうか?  いや、それは逆だろう。  自分に自信が無いから、何も言えないのだ。 「それでは、ごきげんよう」  用件を伝え、ピサロは自室へと戻る。  それを見送り、マイナとミシェルも、自分のベットに横になった。 「…………」  月明かりに照らされ、薄暗い部屋の中……、  マイナは、瞳を閉じるが、 緊張の為か、なかなか寝付けず、何度も寝返りを打つ。 「寝付けないなら、添い寝してあげましょうか?」 「結構です」  布団を捲り、おいでおいでと手招きする、 ミシェルの提案を一蹴し、マイナは、布団を頭まで被る。  ――こういう時は、羊の数でも数えましょうか?  どうしても寝付けず……、  そんな苦肉の策を考えていると……、 「――、――、――」  窓の外から……、  何かを数える声と……、  風を切る小さな音が聞こえて来た。  ――テルトさん?  その声と音の主に気付き、マイナは、つい、耳を澄ましてしまう。  ……これは、剣を振る音だ。  どうやら、テルトは、朝だけでなく、 夜、寝る前にも、軽く鍛錬をしているらしい。  テルトさんらしいですね――  でも、あまり無理をし過ぎなければ良いんですけど――  マイナは、一心に、剣を振るうテルトの姿を想像し、クスッと微笑む。  月夜の下で、剣閃の音が続く……、  その音を聞いていると、不思議と、心が落ち着いた。  テルトと一緒に、剣閃の数を、 かぞえながら、マイナは、ゆっくりと眠りに落ちていく。  ――おやすみなさい、テルトさん。  100を数える頃には……、  マイナは、安らかな寝息を立てていた。  翌朝――  テルト達は、ラフィの小屋へと向かっていた。  ピサロが先頭に立ち、 テルトとマイナを引き連れ、森の中を進んで行く。  ……いや、テルトとマイナだけではない。  なんと、ピサロの後ろには……、  村長を初め、手に手にクワや鎌を持った村の大人達の姿もあった。  何故、わざわざ、村人を、危険に晒すような真似をするのか?  当然、テルトとマイナは、 村人を同行させようとするピサロに抗議した。  しかし、ピサロは、それを聞き入れなかった。  彼曰く、村の脅威には、あくまでも、村の者達の手で立ち向かうべき、であり……、  自分達の役目は、それが、安全かつ、 確実に成し遂げられるように手助けするだけ、とのこと。  確かに、村の今後の事を考えれば、ピサロの言い分にも一理あるが、 素人を無用な危険に晒すのは如何なものか……、  と、テルトとマイナは、難色を示したが……、  一体、どんな説法をしたのか、 村人の達の士気は高く、結局、同行を許す羽目になってしまった。  その代わり、と言うわけではないが、村にはミシェルが残った。  村の男達が、ほぼ全員、こちらに来ている為、村には、女や子供しか残っていない。  ミシェルを村に残したのは、 万が一、そこを奇襲された時の為の保険である。  ――この自信は何処から?  判断と行動に迷いが無い……、  いや、あまりに無さ過ぎるピサロに、テルトは、疑念を抱く。  テルトにしては、本当に珍しい事だが……、  初めて会った時から、テルトは、 ピサロに対して、少なからず嫌悪感を抱いていた。  そして、彼の言動を見る度に、それは、ますます大きくなっていく。 「テルト君……緊張しているのかね?」 「い、いえ、そんな事は……」  テルトの表情が硬くなっているのに気付いたようだ。  緊張を解すつもりか、ピサロは、自信に満ちた笑みを浮かべて見せる。 「恐れる事は、何もありません。正義は我らにあります。 貴方は、ただ、持てる力を尽くして、成すべき事を成せば良いのです」 「……そうですね」 「期待していますよ……、 さあ、魔女の住処が見えてきました」  ピサロが、ラフィの小屋の前で立ち止まる。  大きな荷物を抱えたラフィが、 ちょうど、小屋の中から出て来るところだった。  「……テルト……さん」  神官と、その後ろに控える、 大勢の村人達を見ても、ラフィは、特に驚きはしなかった。  だが、その中に、テルトの姿を発見し、少女の表情が曇る。  ――ここが、テルトの限界だった。 「テルトさん……?」 「ま、待ちなさい! 何処に行くつもりかね!?」  すみません、ジェシカさん――  これ以上は、無理そうです――  心の中でジェシカに詫びつつ、 テルトは、マイナとピサロの制止も聞かず、ラフィに歩み寄る。 「……?」  何もかも諦め、絶望し……、  光を唸った虚ろな瞳で、ラフィは、テルトを見上げる。  そんな彼女に、テルトは、優しく微笑み……、  懐から、あの花を……、  ラフィから受け取った、クロッカスを取り出すと……、 「――『私を信じて』です」  テルトの言葉に、ラフィの瞳に光が戻った。 「黄色いクロッカスの花言葉……、 それも、とても切実な想いが込められています」  ドサリッと、ラフィの手から荷物が落ちる。  それは、文字通り……、  少女が背負っていた『運命』と言う名の重荷だ。  『運命』から解き放たれ、自由になった両手で顔を覆う。  その両手が受け止めるのは……、  少女の瞳から、絶望を洗い流した涙……、 「あ……あぁ……」  歓喜の雫をこぼしながら、 ラフィは、縋るように、テルトに手を伸ばす。  ……だが、ここに来て、尚、少女は躊躇った。  幾度となく、裏切られてきたが故に……、  最後の一歩を踏み出す勇気が出せず、伸ばし掛けた手を引いてしまう。  ――本当に、伝わったの?  ――本当に、信じて良いの? 「大丈夫よ、ラフレンツェ=サラバント」  ……凛とした声が響き渡った。  その声が聞こえたのは、 ラフィと対峙する、村人達の、さらに後ろから……、  全員が振り向くと、そこには―― 「おかえりなさい、ジェシカさん」 「ただいま、テルトちゃん。 ギリギリセーフ、ってとこかしら?」  状況が掴めないまま、 さらに、ジェシカまで現れて、村人達に動揺が奔る。  そんな彼らに、ジェシカが“どけ”とばかりに杖を振ると、人の垣根が左右に割れた。 「まったく、慣れない事はするモンじゃないわね。 馬を使ったとはいえ、村と街を往復するのは、流石に疲れたわ」  彼女の言う通り、かなり疲労しているようだ。  ジェシカは、肩で息をしつつ、それでも、 しっかりとした足取りで、ゆっくりと、村人達の間を進む。  最後に、不敵な笑みを浮かべ―― 「……失礼」  ピサロを一瞥してから、その横を通り過ぎた。 「時間稼ぎ、ご苦労様……、 あと、頼まれた物も、ちゃんと買って来て上げたわよ」  と、テルトと合流したジェシカは、 ぽんぽんと、彼の頭を撫でた後、ラフィに向き直る。 「安心しなさい、ラフィ……この子は、絶対に、あなたを裏切らない」 「ジェシカさん……」 「この子はね、そーゆー大馬鹿なのよ。 現に、ほら……あなたの為に、こんな物まで用意したのよ?」  ――まったく、私をパシリにするなんて、何様のつもり?  と、軽く睨みつつ、ジェシカは、 テルトに、持っていた小さな花束を渡した。  花束を受け取ったテルトは、それを、ラフィに差し出す。  まるで、救いを求め……、  立ち上がる事すら出来ない者に、手を差し伸べるように……、 「――ハイビスカス?」  それは、鮮やかな赤い花――  心を闇に包まれた少女を照らす、太陽のような赤い花――  花言葉は――  ――『あなたを信じます』。 「あ……あ……」  張り詰めていた『何か』が切れたのか……、  花を受け取ったラフィは、膝を付き、泣き崩れる。 「あなたが、この村を出るなら、止めはしない。 でも、本当に、このままで良いの? 受け入れられるの? 納得できるの?」  ジェシカは、ラフィに決意する事を促す。  運命に流されるのではなく……、  運命に抗い、立ち向かう為の……、  『勇気』と言う名の決意を……、 「――昨日、言ったわよね?」  何か言いたい事があるのなら……、  ちゃんと言葉にしないと、誰にも分かって貰えない。  ――その為の道は用意した。 「誰かに信じて貰いたいのなら、まず、誰かを信じなさい」  だから、お願い……、  一歩で良いから、歩いて見せて……、 「どうしたいの? どうして欲しいの?」  ――ちゃんと、言葉にして伝えなさい。  大丈夫……、  必ず、応えてくれるから……、  だから……彼を信じて。 「テルト……さん……」  ……少女は、少年を見上げる。  少年は、何も語らず……、  ただ、優しく、少女を見つめていた。  澄んだ湖畔のような綺麗な眼差しで――  少女は、瞳に涙を一杯に溜め……、  まるで、祈りを捧げるように両手を組み……、  絞り出すような、小さな声で……、 「……助けて」 「…………」  テルトは、剣の柄を握ると、ゆっくりと、剣を抜いた。  偶然か、必然か――  それとも、女神の祝福か――  朝の澄んだ木漏れ日が、 美しい剣を抜いた少年の姿を照らし出す。  『静寂なる湖の煌めき』――  その名が示す通り、まさに、湖のように、 朝日を反射し、美しく煌めく刀身は、その場にいる全ての者を魅了した。  ――いや、違う。  皆が見惚れたのは、剣ではなく……、  その剣を持ち、朝日の中に立つ少年の姿……、 「ボクは……ラフィさんを信じます」  テルトが、剣をピサロに……、  少女を傷付けた、全ての者達に向ける。  ――圧倒された。  まだ、子供と言っても良い――  少女のような顔立ちの少年剣士の気高さに――  その姿に、大人達は……思い出す。  まだ、自分達が、彼のように、 汚れ無き、真っ直ぐな眼差しを持っていた頃――  誰もが憧れた存在をを示す言葉を――  ――英雄。 「そんな……どうして……」  皆が、少年に見惚れる中……、  誰よりも早く、我に返った者がいた。  ……マイナである。  マイナは、今、自分が置かれている現状が信じられなかった。  何故、テルトが、自分達に……、  自分に、剣を向けているのか、分からなかった。  つい先程まで、彼は、私の隣にいたのに……、  どうして、今、彼は、あの人の隣に……、 「テルト君……私達を裏切るのですか?」  そんなマイナの気持ちを、 代弁するかのように、ピサロが、テルトに言い放つ。  誰も裏切らない、という、テルトの在り方を、即座に否定してきたのだ。  だが、そんなピサロの言葉を、 一歩前に進み出たジェシカが、軽く一蹴する。  まるで、汚れた言葉から、テルトを守るように……、 「止めてくれない、そういう言い方するの……、 最初から、アンタらと手を組んだ覚えは無いわ。 ウチのテルトちゃんには、そんな事は“言わせてない”」  ジェシカの指摘に、マイナは、 昨日、森から戻ったテルトが、自分達に言った言葉を思い出す。  邪悪な存在を倒す為に尽力する――  ――そう。  協力するとは言っていなかった。 「愚かな……教会こそが正義なのです。 その教会の使徒である、私達に逆らう、という事は、 世界を守護する二柱の女神に剣を向けるのと同じ事なのですよ?」 「それは、あなたの正義であって、 教会や、ましてや、女神の正義でも無い」  教会と女神の威を借り、 正義を語るピサロに、テルトが静かに言い放つ。  だが、テルトの反論にも、ピサロは臆する事無く……、 「確かに、今の発言は不遜でした。訂正しましょう。 だが、彼女が、邪悪な魔女である事に違いはありません」  正義を語る自分に寄っているのか……、  他者を見下すような、その尊大な目で、ラフィを睨みつけた。  その視線を遮るように、テルトが進み出る。  今や、少年の剣の先は、 唯一人、ピサロにのみ向けられていた。  ――この男だ。  神官としては、あるまじき、 この男の無慈悲な言葉が、少女の心を抉り、傷付ける。  少年の心が……怒りに、憎しみに、染まっていく。 「だから、何故、魔女と決めつける。 グリフォンを連れているからか? それだけか?」  ――テルトちゃん?  少年の口調が変わった事に、ジェシカは気付いた。  日溜まりのような、穏やかな声――  心地よい風のような、丁寧な言葉――  誰と接している時でも、 少年は、その姿勢を崩したりはしなかった。  だが、今、そんな少年から……感情が消えつつある。  ――ヤバイわね。  ――この子、やっぱり、危なっかしいわ。  少年が宿す『得体の知れない危うさ』を、ジェシカは、肌で感じ取る。  そして、ジェシカ以上に、 ラフィは『それ』を強く感じ取っていた。  何故なら、自分も、同じ道を通って来たから……、  穢れの無い清らかな白が、 容易く黒く染まってしまうように……、  ……今、少年の心が、闇に蝕まれようとしている。  ジォシカが、テルトの肩に手を置いた。  ラフィが、テルトの手を握った。    ――自分は、どうなっても良い。  だから、お願い――  これ以上、彼の心を穢さないで―― 「魔物を使役する者は、魔女以外にありえません」  だが、二人の願いも虚しく……、  ピサロは、容赦無く、少年に穢れをぶつけた。 「彼女は、ただ、独り静かに……、 孤独に耐えながらも、懸命に生きて来ただけなのに……、 たったそれだけで、彼女を悪と決め付けるのか?」  慈悲の欠片など、全く無い、 あまりに狭量なピサロに、テルトの声が怒りに震える。  それでも、激昂しそうになる感情を、必死に押さえていたが……、 「――それだけ? 充分では?」  あくまで、ラフィは魔女だ、と、 断定するピサロに、テルトの我慢は限界を超えた。 「ぶざけるなぁぁぁぁっ!!」  ――咆える。  少年の声が、森中に響き渡り、木々を激しく揺らす。  森が、風が、大地が……、  ざわめき、吹き荒れ、躍動する。  それは、まるで……、  世界そのものが、怒り狂っているかのよう……、 「お前は、そうやって、何でも、自分だけで決めつけて、 自分が満足する為だけに、それを他人に押し付けているだけだっ! そんな独り善がりの正義……俺は認めないっ!!」  世界を振るわせるような、少年の怒気に圧倒され、ピサロは後ずさる。  それでも、自尊心を……、  いや、虚栄心を支えに、踏み止まると……、 「キミに認めてもらう必要など無い。 実際に、被害も出ています。マイナも見たでしょう?」 「は、はい……」  未だ、ショックから立ち直れないマイナは、 突然、ピサロに話を振られ、反射的に頷いてしまう。  とはいえ、彼の言う事に間違いは無い。  確かに、村中の作物に、被害は出ている。  小規模とはいえ、その範囲は、村の全ての畑に及んでいたのだ。  ……テルトの言い分も理解できる。  しかし、こうして実害が出ている以上、感情だけで判断は出来ない。  尤も、村人達まで駆り出し、 ここまで大袈裟な事にするのは、やり過ぎとは思うが……、  とにかく、ここは、テルト達の為にも、彼らに退いて貰うべきだ。  多勢に無勢の今の状況は、彼らにとっては危険すぎる。    この件は、もっと穏やかに……、  話し合いで、平和的に解決できる筈だ。  なのに、何故、こんな魔女狩りのような事に―― 「……どうしても、退いて頂けませんか?」 「はい、退けません……、 ボクは、ボクが信じる正義を貫きます」  何とか事態を収拾しようと、 マイナは懇願するが、テルトは、それを聞き入れない。  ――そうですよね。  ――貴方は、そう言いますよね。  予想通りの答えに、マイナは悲観する。  それと同時に、テルトを羨ましくも思った。  『自分が正しい』と、ハッキリと言える勇気がある事を……、  だからこそ、マイナも、信じてしまいそうになるのだ。   ――彼の言う事が正しいのでは?  ――ピサロ神官が間違っているのでは?  無論、それは気の迷いでしかないのだろうが……、 「自分の正義を貫く、ですか……、 聞こえは良いですが、その考え方は、あまりに危険では?」 「確かに、危なっかしいわよね」  自分の自尊心を維持する為、 またしても、ピサロは、テルトの在り方を否定しようとする。  ここで、とうとう、ジェシカが割って入った。  ――もう、ここが限界だ。  ――これ以上、ウチの馬鹿を汚されてたまるか。  と、そんな事を考えている自分に驚きつつ、 ジェシカは、敢えて、ピサロを挑発するように教養を見せつける。 「『白河の 清きに魚も 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき』――」  噛み砕いて訳すと……、  綺麗すぎる水の中では、魚は生きられない。  だから、少し汚れているくらいが丁度良い。  ……という意味である。 「確かに、テルトちゃんは、真面目すぎる。 独善的という意味では、アンタと良く似てるかもね」  あまりに不器用で、真っ直ぐ過ぎて……、  真っ直ぐにしか進めないが故に、 僅かに道がズレただけで、気付いたら、間違った方へと進みかねない。  ……そんな『危うさ』を、テルトは持っているのだ。 「でも、私みたいなのが傍にいれば、バランスは取れるんじゃない?」  少年が『白河』なら、私が『田沼』になろう。  少年が『綺麗すぎる』なら、私が『汚れ』になろう。  ガラにもなく、そんな決意を胸に、 ジェシカは、テルトの頭をペシペシと叩いて見せる。 「私と、彼が……同じだ、と?」 「ええ……でも、今回に限っては、善悪はハッキリてるわ」  そう言うと、ジェシカは、ピサロと、 彼の後ろにいる、状況について来れていない村人達に、杖を突き付け……、 「――汝らは邪悪なり、ってね」   ……その言葉を、ピサロに言い放った。  とある有名な英雄譚――  その物語の主人公の決め台詞―― 「ほ、ほう……私達が邪悪……?」  よりにもよって、ジェシカに、 邪悪指定され、ピサロの顔が引き攣り、村人達がざわめく。  それは、怒りの為か……?  それとも、動揺の為か……? 「ちゃ〜んと根拠ならあるわよ?」  ピサロ達の反応に満足しつつ、 必勝の手順で『情報』と言う名の、チェス盤の上の駒を動かしいく。  まずは“ポーン”――  発端の再検証―― 「グリフォンによる実害……、 即ち、作物への被害……これには、不審な点が多いわ」  不審な点は、全部で4つ――  被害が、村全体という広範囲に渡っていること。  各畑の被害が、不自然なくらいに同程度であること。  被害の規模の割には、目撃者が誰一人としていないこと。  被害が出ているにも関わらず、対応が一切されていないこと。 「1つ目から3つ目までは、偶然で片付けても良いわ。 でも、4つ目だけは、否定しきれない。 冒険者を雇う前に、少しでも被害を少なくする為に、何らかの対策は取る筈よ」 「はい、畑に網を張るなり、柵を立てるなり、いくらでも方法はあった筈です。 どうして、皆さんは、そうしなかったんですか? まるで、最初から、これ以上の被害は出ない、と分かっていたみたいです」  農家の出身である、テルトだからこそ、その指摘には、説得力があった。  テルトの言葉に、村人達は、何も言い返す事が出来ない。  次に“ナイト”――  仮説の提唱―― 「これらの点から、仮説が一つ出てくるわ」  作物への被害は狂言。  つまり、村ぐるみでの自作自演である。  この仮説なら、犯人を目撃できるわけがない。  そして、被害の拡大を防ぐ為の対応をする必要無い。  各畑の被害が少なく、同程度なのは、 狂言を成立させる為の被害を、各畑で分配し、損失を最小限にする為だ。 「彼らが、そんな真似をする必要が、何処にあるのです?」 「そうねぇ……霊薬草、なんてどう?」  ジェシカが、その名を出すと、 村人達の間で、目に見えて動揺がはしった。  そんな彼らに、ジェシカは、さらなる一手を繰り出す。  続いて“ビショップ”――  仮説を元に動機を推察―― 「ラフィの家には、霊薬草が栽培されていたわ。 つまり、彼女は、大陸での霊薬草の栽培を確立している」  霊薬草は、環境に酷くされ、 ほとんど、リーフ島でしか栽培できない、と云われている。  とはいえ、決して、大陸での栽培が、不可能というわけではなく……、  この森の環境が適していたのか……、  ラフィは、その霊薬草の栽培に成功したのだ。  となれば、彼女が有する技術や、 霊薬草を栽培できる土壌は、とても魅力的なモノであろう。 「霊薬草は、大変に高価な物です。 利益を独占するのは、良い事ではありませんね。 それが、村人達が、彼女を陥れようとした動機、という事ですか?」 「短絡的ではあるけど、そういう事ね」 「確かに、愚かな動機ではありますが……、 彼女は、利益を独占していたのですから、自業自得なのでは?」 「利益の独占、ねぇ……」  想定通りの返し手に、 ジェシカは、思わず笑ってしまいそうになる。  それを噛み殺しつつ、次の一手へ……、  ここで“ルーク”――  反論への対処―― 「確かに、霊薬草は高価な物よ……、 でも、決して、利を得られるような物ではないわ」 「霊薬糞を栽培すには、手間も、コストも掛かり過ぎるんです」 「ラフィ……悪いけど、説明してあげて」  ジェシカに促され、ラフィは、 おずおずと、霊薬草を栽培する手順を話し始めた。  少女の説明に、村人達は、食い入るように、耳を傾ける。  真剣な表情で、聞き入る村人達……、  だが、その表情が、どんどん青ざめていく。  「農家である皆さんなら、分かりますよね? 霊薬草の栽培が、どんなに大変なのか……、 普通に、地道に、作物を育てる方が、よほど割は良いんです」  テルトの言葉に、村人達は絶句する。  失意の為か、手に持っていた得物が、次々と地に落ちる。 「それでも、ラフィさんには、この薬草が必要だったんです。 何故なら、ラフィさんは……薬師ですから」 「この小屋と村との間には、人の行き来がある痕跡が残っていたわ。 アンタ達は、薬師であるラフィの恩恵を受けていたんじゃないの?」 「そのラフィさんを……あなた達は、陥れようとしたんですか?」  ジェシカからの嘲笑うかの様な侮蔑と、 テルトの静かな怒りを向けられ、村人達は、俯き、視線を逸らす。  無論、二人の言う事に、根拠はあっても、証拠は無い。  しかし、事実を言い当てられた、 村人達には、開き直って、反論するだけ度胸はなかった。  弱腰な村人達の反応を見て、ジェシカは確信する。  ――コイツらには、誰かを陥れるような器量は無い。  ――やはり、後押しをした黒幕がいる。  そして、その黒幕とは―― 「なるほど、それについては、後に、彼らを追及しましょう。 しかし、その少女が、グリフォンを使役する、邪悪な魔女である事に変わりはありません」  ――いけしゃあしゃあと、良く言ってくれるわね。  村人達の狂言については、 自分は無関係だ、と主張しつつ、ピサロは論点をすり替える。  巧みに話題をズラし、誤魔化し、自分に都合の良い方へと議論を展開――  なるほど、なるほど――  これが、この馬鹿神官が、そこそこの地位にいられる理由か――  ――ようするに、口が達者なだけの小物ね。  ここまでのやり取りで、ジェシカは、ピサロの本質を見抜いてしまった。  そんな事も知らず、ピサロは、 相変わらずの尊大さで、話を進めていく。 「さあ、いい加減、そこをどきなさい。 世界の人々の平穏の為にも、人を襲う魔物と、 それを使役する魔女を野放しには出来ないのです」 「……人を襲った? それは初耳なんだけど?」  未確認の情報を出され、ジェシカは、若干、戸惑う。  こういう舌戦において、唐突に、 知らない情報を出されると、そのまま、主導権を握られる事があるのだ。  ――ここで、焦るな。  ――ポーカーフェイスを保て。  と、冷静さを失わないジェシカとは裏腹に、 マイナは、ピサロの話を耳にし、驚きを隠せないでいた。  ……マイナは、そんな話は聞いていないのだ。  昨夜、グリフォンの所在は確認した、とは聞いたが、 人が襲われた、というのは、ジェシカと同様に、初耳である。  情報の重要性から、伝え忘れていた、とは考え難い。  それとも、マイナには言えない理由があったのだろうか?  戸惑うマイナを他所に、ジェシカとピサロの舌戦は続く。 「私達が受けた依頼の内容に、そんな話は無かったわよ?」 「それは、無理もありません。 襲われたのは、この私で、つい先日のことなのですから」  そう言いつつ、ピサロは、神官服の袖を捲って見せた。  彼の右腕には、やや大袈裟に、包帯が巻かれている。  ――あ、嘘ね。焦って損した。  ――てゆ〜か、この状況で、嘘の証言をする?    あまりの馬鹿さ加減に、ジェシカは、興が覚める思いだった。  ――予定が狂っちゃったわ。  ――もっと、じわじわと弄ってやるつもりだったのに。  ジェシカにとって、ピサロの一手は、 予想外と言えば、確かに、予想外のモノだった。  しかし、その一手は……、  最善手ではなく、むしろ最悪手……、   仕方なく、ジェシカは、 その苦し紛れの一手に対応する為、手順に修正を加える。  “クィーン”――  矛盾点の指摘―― 「……アンタ、本当にグリフォンに襲われたの?」  嘘には、必ず綻びが生じる。  その嘘が、咄嗟に吐いたモノなら、尚更だ。  いや、例え、時間を掛けて練り込まれた嘘でも、 それを吐き続けるには、次々と、新たな嘘で塗り固めなればならない。  その綻びを見つける為、ジェシカは、ビサロから、情報を引き出す。 「無論! こうして、未だ癒えぬ傷も残っています」 「致命傷ではなさそうだけど……、 よく、グリフォンから逃げ切れたわね?」 「それは……本当に幸運でした これぞ、まさに、二柱の女神様のご加護です。 今、思い返しても、恐ろしい……、 あのように巨大で凶暴なグリフォンは見た事がありません」 「――チェックメイト」 「なに……?」  意外と早く、綻びが姿を見せた。  というか、その発言によって、 ピサロは、自分から、デッドゾーンに飛び込んで来た。 「――復唱要求よ、ピサロ=ダラディス。 あなたを襲ったのは、本当に“巨大で凶暴なグリフォン”だった?」 「ま、間違いないとも!」 「ふ〜ん、そう……」  復唱要求の内容を肯定したピサロに、 ジェシカは、これ以上は無い、という程の満面の笑みを見せる。  次のトドメの一手を決めるのが……、  その後の、ピサロの反応を見るのが、楽しみて仕方がない、といった表情だ。  勝利の為の言質は得た。  あとは、最後の一手を打つのみ。  “キング”――  物的証拠の提示―― 「ラフィ、グリフォンを……、 あなたの“あの子”を、彼に見せてあげたら?」  ここに来て、ラフィも合点がいった様だ。  ジェシカの言葉に頷くと、ラフィは、軽く口笛を吹く。  すると、小屋の屋根の上から、小さな影が飛び出した。  小さな影は、音も無く、地面に着地すると、飼い主であるラフィの足にすり寄る。  少女は、その愛しい家族を……抱き上げた。 「こ……子供……?」  その姿を見たピサロは、 呻くような、それでいて間の抜けた声で呟く。  ――そう。  それは、子供であった。  グリフォンの子供……、  この小さな命が、とても人を襲えるとは思えない。 「この子が……“巨大”で“凶暴”なグリフォン”?」  勝ち誇った笑みを浮かべ、 ジェシカは、矛盾点を強調して、ピサロを問い詰める。 「そんな……そんな馬鹿な!? おいっ、あんなの……“私は聞いてないぞ”!!」  先程も述べたが、舌戦では、 相手が知らない情報を出す事で、主導権を握る事が出来る。  同じ状況において、冷静を保ったジェシカに対し、ビサロは、あまりにお粗末であった。  致命的な失言と共に、グリフォンの子供を指差し、村人達に向き直る。  そのミスを、ジェシカが見逃すわけがなかった。 「――“聞いてない”? それって、アンタ達がグルってこと良いのかしら?」 「ぐっ……いや……」  ジェシカの追い打ちに、ピサロは、言葉を詰まらせる。  苦し紛れに、反論を試みるものの、 それは、傷口を、さらに悪化させるモノにしかならない。 「私を襲ったのは、そのグリフォンではない! もっと大きな……おそらく、その子供の親に違いないっ!」  子供がいれば、当然、親もいる。  その意見は正しいが、それ故に、予想はし易い。  ジェシカは、間を置かず、アッサリと切り返して見せる。 「こっちの質問の答えになってないんだけど……まあ、良いわ。 アンタを襲ったのが、この子の親っていうのは無いわね」 「そ、それは、どういう事かね……?」 「……ねえ、アンタを襲ったグリフォンって、どんな姿をしてたの?」  唐突な質問に、ピサロは、 その意図を考えもせず、反射的に答えてしまう。 「そんな事も知らないのかね? グリフォンと言えば、上半身が鷲で、下半身が馬――」 「それはね……ヒッポグリフって言うのよ」  ピサロの言葉を遮り、ジェシカは、小馬鹿にしたように言う。  グリフォンは、上半身が鷲で、下半身が獅子。  ヒッポグリフは、上半身が鷲で、下半身が馬。  この2種の魔物は、良く似ており、ピサロは、それを間違えていた。  いや、それとも、単に、知らなかったのかもしれない。 「生物的には、グリフォンが大元で、 ヒッポグリフは、グリフォンと馬のハーフよ。 つまり、ヒッポグリフは、グリフォンの親にはなれない」  改めて、ラフィが抱くグリフォンの子供を見る。  ――下半身は獅子だ。  間違いなく、この子は、グリフォンである。 「ラフィと、このグリフォンの子供は無関係よ。 アンタを襲ったのは、ヒッポグリフであって、グリフォンじゃない」  相手の嘘の証言すらも、 敢えて肯定し、それすらも利用してみせる。  ――断定する。  ――追い詰める。  ――反論させない。 「いや……“襲った”というのは間違いね。 正確には“襲わせた”もしくは“用意した”と言うべきかしら?」  ここで、ジェシカは、最後の……、  本当に最後の、決め手となる一手を打った。  懐から、一枚の書類を取り出し、それを広げて突き付ける。 「数日前、時計塔で、グリフォンと、ピッポグリフを、 間違えて買っていった、馬鹿な神官がいたみたい。 これが、その証明書で、アンタの名前が、しっかりと書かれてるわ」 「な……っ!?」  ――何故、それを知っている?!  ――どうして、それが、ここにある?!  ある筈の無い物を見せられ、驚愕のあまり、ピサロは言葉を失う。 「口止め料は払った筈、って顔してるわね? 確かに、グリフォンを買った神官については、時計塔は、何も答えなかったわ。 でも、ヒッポグリフを買った馬鹿神官について訊いたら、 それはそれは楽しそうに、わざわざ、帳簿まで見せてくれたわよ?」 「……あ……ぐっ……!」 「融通の利かない奴らだ、って顔してるわね? 時計塔には、聖堂教会に、そこまでする義理は無い」  一手、一手、また一手、と……、  ジェシカは、畳み掛けるように駒を動かす。  ジワジワと、嬲り殺すように、相手を追い詰めていく。 「この件は、聖堂教会には報告済み。 近々、アンタの為に、査問会を開いてくれるそうよ」 「ひっ……」  査問会と聞き、恐怖のあまり、ピサロの足が振るえる。  時計塔との裏取引――  村人達の狂言を先導――  罪も無き少女の尊厳の冒涜――  これらの罪状は、全て、明確な証拠の無い、状況証拠による推察でしかない。  しかし、教会にとっては、それだけで、充分に、糾弾の理由となる。  ――疑わしきは罰せよ。  それが、聖堂教会という場所なのだ。 「あと、これはシスター・カレンからの伝言よ。 “長い間、本当に御苦労様でした。あとは、私にお任せ下さい”って……」 「あ、あの売女め……」 「聖職者が、そんな口汚い台詞を吐いて良いの? それとも、実は、そっちが、アンタの素だったりして?」  あのカレンってシスターも、大概だったけど――  聖職者のクセに、目一杯、皮肉を込めて、色々と話してくれたし――  ――まあ、性格の悪さなら、私も、負けるつもりは無いけどね。  ピサロを挑発しつつ、ジェシカは、 魔術都市の教会で対応に出た、銀髪のシスターの話を思い出す。  ピサロ=ダラディス――  聖堂教会に属するようになり、 かれこれ、二十年程になる古株の神官である。  特に秀でた能力は無いが……、  長年、務めているだけあり、教会内でも、そこそこの地位には立っていた。  ……だが、逆を言えば、その程度の男でしかなかった。  同期の者や、後輩が、次々と出世していく中……、  神官として、ロクに結果も出せず、 今の地位の椅子に、必死にしがみ付いているだけの男……、  それが、教会内での、彼への暗黙の認識であった。 「焦っていたのでしょう……愚かな事です」  ジェシカの話を聞き、カレンは、 侮蔑と、皮肉を込めて、ピサロを哀れんだ。  教会内の自分の立場に、ピサロは気付いていたようだ。  ――何か成果を出さなければいけない。  やっかみ者というレッテルを、 払拭しようと、そんな想いが、彼を支配した。  それ故に、彼は焦り……、  今回の、愚かな所業へと至ったのだろう。 「尤も、そのおかげで、私が、空いた椅子に座る事が出来たんですけどね」  と、ほくそ笑むカレンを見て、ジェシカは思った。  もしかしたら、教会は、ピサロの行動を、最初から把握していたのかもしれない。  その上で、敢えて、ピサロを放置し、 失墜させる口実が出来るのを待っていたのではないか、と―― 「策士……って程、賢くはないけど、策に溺れたわね」  証拠書類をしまい、ジェシカは、ピサロの現状を哀れに思う。  でも、同情はしない。  半端に賢い者は、馬鹿にも劣る。 「知識不足に、リサーチ不足よ。 他人を陥れるなら、もっと狡猾にならないと……、 私なら、もっと上手くやるわ」  ――実際には、そこまで、狡猾になる必要など無い。  ピサロの最大のミスは、 功を焦るあまり、件を派手に演出し過ぎた事だ。  適当な成果を上げるだけなら、ここまで話を大きくする必要は無かった。  自身の能力を自覚し、身の丈に合った、 陰謀で留めておけば、こんな事にはならなかったのだ。  まさしく、半端に賢かったが故の、馬鹿な結果である。 「さあ、アンタの負けよ! リザインしなさい、ピサロ=ダラディス!!」  完膚なきまでに叩きのめされ、ついに、ピサロは敗北を認めた。  もうすぐ、この村に、教会の視察団が来る。  彼らに連行され、査問会にて、ピサロは、吊るし上げられるだろう。  ……そこで、彼は、全てを失うのだ。  地位も、名誉も、財産も……、  必死にしがみ付いて来た、今までの生活を……、    醜い自己顕示欲に捕らわれ、 己を見失った、愚かで、矮小な男の末路であった。 「し、神官様……私達は、どうすれば……?」  そんな男に、村人達は、尚、縋り付こうとする。  無理もない……、  村人達は、ピサロの指示に従ってきただけなのだ。  しかし、結託した時点で、村人達も、ピサロと同罪である。  視察団が来た後に、それ相応の報いを受けるだろう。  そして、罪深き者達の中には……、  ピサロと同行していた、神官見習いのマイナも含まれていた。 「私は……私は……」  膝を屈したピサロの姿を見て、マイナも、また、崩れるように、地に膝を付く。  そして、今の自分に……絶望する。  何故、自分は、ここにいるのか?  何故、自分は、“彼”の隣に立っていないのか?  どうして、こんな事になってしまっているのか――  ――昔から、正義漢は強い方だった。  その為、あまり融通が利かず……、  周囲からは“頭が固い”と、よく言われた。  それについては、自覚はあったが、別に直すつもりは無かった。  真面目に、正しく生きる事に、間違いなんてない。  そう胸を張って言える事が、自分の誇りであった。   ……だから、教会に属し、神官になる道を選んだ。  立派な神官となり……、  いつか出会う『勇者様』に仕え……、  女神様が愛する世界の為、 真っ直ぐに、正義を成していくのだ、と信じていた。  ――なのに、今、自分は、何処にいる?  ピサロは、悪事を働いていた。  それを糾弾され、ついに、膝を屈した。  “正義”は、テルト達に在り、ピサロこそが“悪”であった。  マイナは、その“悪”の側に立ち……、  今、テルトに“正義”という名の剣を向けられている。  知らなかった、などという言い訳は通用しない。  正義と教会を同義とし、その意味を考えず、 ただ、それに従うだけだったマイナにも、責任はあるのだ。  寧ろ、ピサロの行為に気付き、 止める事が出来る立場にあった分、マイナの罪は重い。  正しく在りたかった――  だから、今まで、正しく在り続けようと努力して来た――  今まで、自分が積み重ねて来たモノと、 自分の中の大切なモノが、ガラガラと音を立てて崩れていく。  それは、まさに、マイナの心……、  しかし、今のマイナには、 その崩れた心の欠片を拾い集める資格は無かった。 「――で、アンタが用意したヒッポグリフは?」  心に深い傷を負ったマイナを他所に、 ジェシカによる、ピサロへの追及は続いていた。  ピサロの処分は、教会に任せれば良い。  大義名分を失った、この男には、もう、抵抗する度量は無いだろう。  となれば、残る禍根は、 ピサロが、時計塔で手に入れたヒッポグリフだ。  このヒッポグリフの姿を、テルト達は、まだ確認していない。  だが、時計塔で入手した書類がある以上、その存在すらも、ピサロの狂言とは考え難い。 「ア、アレなら……森の奥に――」 「――静かに」  ジェシカに問われ、ピサロは、 弱々しい口調で、ヒッポグリフの所在を話し始める。  ……だが、それを、唐突に、テルトが遮った。 「何か……聞こえませんか?」  テルトに言われ、ジェシカは耳を澄ませる。  そのジェシカよりも早く、ラフィが、テルトの言葉に反応した。 「村の方から……悲鳴……?」 「それと、甲高い奇声が聞こえます」  二人の言葉を聞き、ジェシカは、ピサロの胸倉を掴み上げた。 「ヒッポグリフの声よ! アンタ、まさか――」  ――村を襲わせたの!?  怒気を含んだ声で、ピサロを問い責める。 「そ、そんな事はしていない! アレなら、ちゃんと、森の奥に縄で繋いで――」  最後まで言わせず、ジェシカは、ピサロを殴り倒した。 「この大馬鹿っ! 物を知らないにも程があるわ! ヒッポグリフに、そんな真似したら、怒り狂うに決まってるじゃない!」  あまりのピサロの愚かさに、 ジェシカは、呆れを通り越し、怒りすら覚えた。  ――本当に、半端に賢い奴は、馬鹿にも劣る。  ヒッポグリフは、魔物に分類されるが、 その気性は大人しく、乗騎にする為に、調教される事もある。  尤も、それは、未だに成功した例は無い。  何故なら、ヒッポグリフは、とても誇り高い生き物なのだ。  礼を尽くす者には、礼を以て返し、 気紛れで、その背に乗せて、空を駆ける事もある。  だが、礼を欠いた相手には、容赦無く、その鋭い爪を振るうのだ。  そんなヒッポグリフを、縄で繋き、 放置するなど、彼の魔物の、誇りと尊厳を無視した愚かな行為である。  怒り狂って、村を襲っても無理はない。  むしろ、今まで、我慢出来ていたのが、不思議なくらいだ。 「――戻りましょうっ!!」  誰よりも早く、テルトが動いた。  瞬時に、状況を理解し、 反射的に、今、何をすべきかを判断する。  しかし、村人達は、状況の急変に対応できず、オロオロと狼狽えるばかり……、 「何を、ボサッとしてるのっ! 村には、女子供が残ってるのよっ! 自分の家族くらい、自分で守りなさいっ!」  ジェシカの一喝で、村人達は我に返った。  落とした得物を拾い、次々と、家族が待つ村へと駆け出していく。 「ほら、アンタも来なさいっ! ドサクサに紛れて、逃げようなんて考えるんじゃないわよ!」  ジェシカに蹴られ、ピサロはノロノロと立ち上がる。  言われなくとも、ここまで来て、逃げるつもりなどは無い。  時計塔を相手にして、教会の顔に泥を塗った罪は重い。  例え、ここで逃げたとしても、 地の果てまでも追われ、粛清されるのだから……、  村人達が、ラフィが……、  ピサロまでもが、村へと走っていく。  だが、一人だけ、その場に残り、呆然と立ち尽くす者がいた。 「…………」  ――マイナである。  村の騒動の音も、ジェシカの声も、 心が壊れた少女の耳には届いていなかった。  そんな少女の目の前に、少年の手が差し出される。 「……?」  その手には、微かに……、  本当に僅かに、花の香りが残っていた。  確か、この花の名は……、  そして、その花に込められた意味は……、  ――信じてくれるんですか? 「テルト……さん……?」  見上げる少女に、少年は微笑む。  それは、幻だろうか……、  マイナは、その少年の掌に、小さな光の欠片を見た気がした。  心の欠片の輝き――  壊れた欠片は、もう戻らない。  でも、それは、少女の為の、新たな欠片だった。  まだ、ほんの小さい――  けれど、暖かくて、力強い――  ――大切に育てなければいけない心の光だ。 「行きましょう、マイナさん! あなたの力が必要なんです!」  差し伸べられた手を、少女は握る。  少年から、大切な心の欠片を受け取る。  心が、意志が……、  立ち上がる力が、少女に戻った。 「さあ、急ぎましょう!」  剣を鞘に納め、テルトが走り出す。  マイナは、その言葉に、力強く頷くと、テルトの後を追う。  そして、心の中で、決意を込めて呟く。  ――はい。  ――何処までも、お供します。  私の――『勇者様』。 「こ、これは……酷い」 「でも、最悪の事態にはなっていないようね」  ――村は、酷い有様になっていた。  幾つもの畑は、蹄によって荒らされ――  収穫したばかりの作物は、食い散らかされ――  貴重な農具は、鉤爪に寄って、破壊し尽くされ――  農家出身のテルトにとっては、 まさに、目を覆わんばかりの惨状であった。  だが、村に残っていたミシェルの対応が早かったのだろう。  女や子供達は、既に、家の中に、 避難しており、まだ、死傷者は出ていないようだ。 「……よく分かりますね?」 「血の臭いがしないもの……、 と言っても、それも、時間の問題よ」  感心するテルトにも警戒を促し……、  ジェシカも、また、周囲を見回して、 この惨状の原因である、ヒッポグリフの姿を探す。 「あちらから、ミシェルさんの声がします!」  確かに、マイナが示す先から、戦闘の気配を感じる。  周囲の被害の度合いと軌跡から視て、 ミシェルが、ヒッポグリフを、少しずつ、村の外へと誘導しているようだ。  テルト達は、無言で頷き合うと、戦場へと駆け出す。  村人達も、家族の無事を、 確かめる為、各々の家へと向かった。 「――ミシェルさん!!」  親友の姿を見つけ、マイナが叫ぶ。  ミシェルは、戦棍を片手に、 空いた手で障壁を展開し、鷲馬の攻撃を受け止めていた。  マイナの声を耳にすると同時に、ミシェルは、戦棍を横薙ぎに振るう。    鷲馬が、後ろに跳んだ為、その攻撃は、 回避されてしまったが、その分、両者の間に距離が出来た。  テルト達は、その隙間に入り込み、鷲馬と対峙する。 「すいません、遅くなりましたっ!」 「ったく、ギリギリよ……もう、魔力が……限界……」  何とか、戦棍は構えているものの、 ミシェルは、肩で息をしており、疲労の為か、顔色も悪い。  今まで、独りで持ち堪えて来た為に、大量の魔力を消費し、激しく衰弱しているのだ。 「あとは、私達に任せ――って、テルトちゃん?」  前足であるも鉤爪を振り上げ、 翼も大きく広げて、鷲馬は、こちらを威嚇してくる。  そんな相手に、負けじと睨み返しつつ、ジェシカは、呪文を詠唱する。  だが、剣を抜こうとしない、 テルトに驚き、思わず、それを中断してしまった。 「アンタ、何やってるの?!」 「で、でも、この子は……何も悪くないのに……」  ――そう。  この鷲馬に、罪は無い。  今、こうして、猛り狂っているのは、 全て、人間の都合に巻き込まれた結果なのだ。 「この状況で、何を言ってんの! 殺らなきゃ、こっちが――ほら、来たっ!!」  鋭い鉤爪を光らせ、鷲馬が飛び掛かって来た。  ジェシカの叫び声に、テルトは、 咄嗟に盾を構え、それを何とか受け止める。 「そのまま、押さえてなさい!」  ――テルトちゃんが殺らないなら、私が殺れば良い。  即座に判断し、ジェシカは、 一歩後ろに下がると、再度、呪文を詠唱する。 「『記述』する(デスクリプション)――」  詠唱と言っても、それは、 魔術回路を起動させるトリガーに過ぎない。  起動さえすれば、あとは、 散々、叩きこんできた『術』が、反射的に展開される。  魔術回路と言う疑似神経の構築――  回路の起動と術式の直結――  魔術について、時計塔で教われる事は、せいぜい、この程度である。  あとは、自身で術式を構成し、 それを回路に練り込み、ひたすら錬度を上げていくのだ。  ――『術』とはつまり『技術』であり『方法(すべ)』である。  ――出来て当然の事象のことを言う。  『魔』とは、所詮、目に視えぬ曖昧な存在でしかない。  それを、認識するのは、自身の魔術回路……、  いや、理屈として理解する以上、自身の脳と言っても過言ではない。  故に『魔』の存在を知り、 干渉するには、自分なりの解釈を以ってするに、他ならない。  ――『魔』と言う視えるモノにしか視えないモノ。  ――それにより“我々”は、その『術』を扱うに過ぎない。  必要なのは『魔』への独自の見解――  そして、吐き気のする身勝手な持論――  魔術回路に仕込まれた、 見解と持論が、呪文というトリガーによって展開する。  だが、故に“我々”は――  そして、展開された術式が……、  全過程を無視して……、  結果のみを、ここに導き出す。  万物の内包する『原素』を以って――               ――世界を巡る『法則』に干渉も可能。 「――ここに、結論を述べる! 故に、我が『構築』するは――形無き『熱量』ッ!」    ジェシカの杖から、高熱の火球が放たれた。  炎は、鷲馬の左翼に直撃したが、致命傷には至らない。  しかし、飛行能力を、初手で奪う事が出来ただけでも、充分な成果だ。  苦痛による悲鳴と、羽の焼け焦げる匂いを残し、鷲馬が飛び退く。 「――今よ、テルトちゃん!」  ジェシカは、隙を見せた鷲馬への追撃を指示するが、 やはり、テルトは剣を抜く事が出来ずにいる。 「役立たずっ! 腰抜けっ! この件が済んだら、アンタとは手を切らせて貰うわ!」  闘おうとしないテルトを罵倒しつつ、ジェシカは、三度、呪文詠唱に入る。  しかし、鷲馬は、そんな余裕を与えてくれなかった。  目晦ましのつもりか、残った片翼を激しく羽ばたかせ、土煙を巻き起こす。 「くっ……意外と知恵の回る……」 「でも、この程度なら……」  土煙によって、視界を塞がれ、ジェシカ達は顔を顰める。  だが、それも一瞬の事でしかなかった。  片翼だけだった為に、思った程、煙は立たなかったのだ。 「こんな真似をしたって……?」  すぐに土煙は晴れ、テルト達は、鷲馬を探す。  しかし、つい先程まで、鷲馬がいた場所に、その巨体の姿は無い。 「何処に――っ!?」  ――すぐに気付いた。  鷲馬は、テルト達の隊列の真横に移動していた。  土煙によって、視界が遮られた、あの一瞬で、そこまで移動していたのだ。  ――しまった!?  ――これが、狙いだったっ!?  あの位置からでは、装甲の薄い後衛に……、  ジェシカを含め、衰弱しているミシェルにも、攻撃が届いてしまう。  ミシェルも、それを察したのだろう。  全力で障壁を張る為、戦棍を捨て、両手で印を組む。 「……来るっ!」  鷲馬が、後足の筋力を活かして、 まるで、弾丸のように、猛スピードで突進してきた。  それを迎え撃つ為、ジェシカとミシェルが身構える。  だが、鷲馬の狙いは、その二人ではなく……、 「――あぎゃっ!?」  二人の、さらに後ろで、 体を小さくして脅えていたピサロだった。  巨体に弾き飛ばされ、ピサロは、地面を転がる。  ――どうして、そんな奴から狙う?  ――何の脅威にもならないのに?  と、鷲馬の行動を、一瞬、疑問に思うが、すぐに納得出来た。  鷹鷲の誇りに泥を塗ったのは、他でもない、ピサロなのだ。  怒りで興奮し、狂っているとはいえ、 その対象がいれば、真っ先に狙われるのは、当然である。  ――まあ、自業自得よね。  ――奴がアレに構ってる間に、体勢を立て直す。 「ひっ……あ……」  倒れたピサロに、鷲馬が、トドメを刺そうと高く跳び上がった。  痛みの為に動けないピサロの命を狩り取ろうと、二つの鉤爪が迫る。  だが、両者の間に、割って入る者がいた。 「――んなっ!?」  その姿を見て、ジェシカは、自分の目を疑った。  放っておけば良いのに……、  テルトは、ピサロを守る為に、鷲馬の前に立ち塞がったのだ。  盾を投げ付け、鷲馬の注意を自分に向ける。  そして、剣を――抜いた。 「――うあぁぁぁぁっ!!」  咆える――構わず、剣を振り上げる。  鷲馬が迫る――恐れず、さらに踏み込む。    剣が――爪が――振り下ろされる。  ――血飛沫が舞った。 「キィエェェェェェッ!!」  悲鳴を上げたのは……鷲馬だ。  鷲馬の爪は、テルトの顔面ギリギリを掠め……、  テルトの剣は、鷲馬の右翼を、深く切り裂いていた。  まるで、クワを振り下ろすような、 剣先が地面に突き刺さる程の、体重の乗った全力の一撃……、  ……テルトが、極稀に見せる、最高の一閃であった。  これぞ、まさしく――  会心の一撃(クリティカルヒット)―― 「す、凄い……」 「ったく、やれば出来るじゃないの」  テルトの渾身の一撃を見て、ジェシカとマイナは目を見張る。  いや、おそらく、その一撃を放った、テルト自身が、一番、驚いていた。  ――故に、一瞬、油断が生じた。 「ぐっ……あ!?」  斬られた翼の激痛にも怯むこと無く、 着地した鷲馬が、その後ろ足で、テルトの背を蹴り上げた。  鎧の上からとはいえ、馬の脚力は、人間にとっては脅威だ。  その蹴りの衝撃は凄まじく、 テルトの体は、まるでボールの様に弾き飛ばされる。 「――テルトちゃん!?」  小柄な少年の体が、宙を舞い、固い地面に、頭から叩き付けられる。   それでも、蹴りの勢いは消えず……、  一度、跳ねた後、地を転がり……、  ……それで、ようやく、テルトの体は止まった。 「あ――」  倒れたテルトは、ピクリとも動かない。  すぐさま、鷲馬は、左の鉤爪で、 テルトの胸を抑え付け、その巨体の重量で動きを封じる。 「ひ、ひぃっ!? た、助け――」  遠くで、恐怖に我を忘れたピサロが、森の奥へと逃げて行く声が聞こえた。  しかし、そんな事は、どうでも良い。  今は、一瞬でも早く――  彼を窮地から救い出さなければ―― 「あ、あ――」  鷲馬の左の鉤爪が、振り上げられる。  そして、無慈悲に、無造作に――  鋭い爪は、鎧に覆われていない、少年の腹に――  ――突き立てられた。 「ああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」  少年を中心に、血の池が広がり、地面を赤く染めていく。  ゆっくりと、でも、確実に……、  大地が、少年の命を、吸い取っていく。  その光景を目にした瞬間、ジェシカの中の『何か』がキレた。  発動も、理論も、構成も――  何もかもをスッ飛ばして、 ただ、全力で、ありったけの魔力を、杖の先に集中する。  そして、文字通り、最大熱量の火球を、鷲馬に放とうと―― 「――っ!?」  ゆっくりと、テルトの手が動いた。  剣を持たぬ少年の手が、 間近に迫った、猛り狂う鷲馬の頬を、そっと撫でる。  ……微かに、少年の唇が動いた。  声にはならなかったが……、  確かに、少年は、そう言っていた。  ――ゴメンね。  ――キミは、何も悪くない。 「…………」  もしかしたら、気のせいだったのかもしれない。  少年の言葉に……、  鷲馬の瞳に、理性の光が……、  それに気付いたジェシカは、 一瞬の逡巡の後、即座に、魔術の構成を変える。 「我が『構築』するは――安らかな『眠り』――」  解き放ったのは、眠りの魔術――  深い眠りに落ちた鷲馬は、 そのまま横に倒れ、静かに寝息を立て始める。 「……これで良いんでしょ? この頑固者」  大量に魔力を消費し、青ざめた顔で、ジェシカはテルトを見下ろす。  ……だが、返事は無い。  安らかな表情で……、  少年の腕は、力無く垂れ……、  鷲馬の爪が抜けた為、 それで塞がっていた腹の傷から、さらなる出血が……、 「ちょっ――!?」  ジェシカは、少年の傍らに跪き、慌てて、治癒魔術を詠唱する。  しかし、先の眠りの魔術で、 全ての魔力を使ってしまった為、治癒魔術が発動しない。 「ふ、ふざけんじゃないわよっ! パーティーを組んで、最初の仕事で、リーダーが死亡?! そんな、縁起でもないオチ、認めないわっ!」 「ジェシカさん……」   ……良く分からないが、無性に腹が立った。  マイナの呼び掛けにも気付かず、 その怒りに任せ、喚き散らしながらも、何度も治癒魔術を唱える。 「アンタ、私を守るって言ったじゃない! その私じゃなく、あんな役立たずを守って、そのザマは何よ? 笑わせんじゃないわよ! この馬鹿っ! 大馬鹿っ!」 「ジェシカさん……!」  何度も、何度も、何度も……、  理性では、無駄だと知りつつ……、  それでも、詠唱を止める事が出来ない。 「サッサと起きないと、アンタとは縁を切るわよ!? アンタみたいな馬鹿と組むの、私くらいしかいないわよ!? 私みたいな女と組むの、アンタくらいしかいないのよ!! だから、だから……早く……っ!」  ――目を覚ましてよ!  アンタがいなくなったら……、  私、また、独りになっちゃうでしょっ! 「落ち着いて下さい、ジェシカさん!!」 「うるさいっ! 黙れっ!! このままじゃ、テルトちゃんが――」   「テルトさんなら大丈夫です! 出血は酷いけど、今は、眠っているだけです!」 「…………は?」  ――ジェシカは、我に返った。  マイナの言葉を聞き、興奮のあまり、 取り乱していたジェシカの頭が、急速に冷めていく。  ――寝てるだけ?  ――大丈夫なの? 「でも、頭を……あんなに……」 「あれは、防御の障壁で防ぎました。 実質、受けたダメージは、お腹の傷だけです」  それも、今、私が治癒しています、と、マイナは続ける。  落ち着いているように見えるが、 説明をするマイナ自身も、内心では、かなり興奮していた。  今まで、一度も、成功しなかった防御の障壁――  テルトが、頭から地面に落下する直前……、  無我夢中で放った障壁が、見事に発動したのだ。  ――テルトさんを守りたい。  その強い想いが、障壁の発動を成功へと導いたのである。  とはいえ、テルトの腹の傷は深刻だ。  すぐに、魔術で応急処置をして、ちゃんと治療しなければいけない。  正直、マイナも、焦っていたが、 ジェシカが、それ以上に取り乱していた為、逆に冷静になれた。  おかけで、テルトに、適切な処置を施す事が出来たのだ。 「じゃあ、何で、目を覚まさないのよ?」  テルトが無事と知るや否や……、  ジェシカは、いつもの仏頂面を取り戻し、 腹立ち紛れに、ペシペシと、テルトの頭を叩いて見せる。 「それは、多分、ジェシカさんの魔術が原因か、と……」 「あ〜……」  納得がいき、ジェシカは天を仰ぐ。  眠りの魔術に、魔力を込め過ぎた為に、 その余波が、鷲馬の間近にいた、テルトにも効果を及ぼしてしまったのだ。  現に、言われてみれば、テルトの傷は塞がり、出血は止まっている。 「う……くっ……」  自分の迂闊さに、頭がクラクラした。  なんて、不覚――  勘違いして、取り乱すとは――  錯乱している間に、自分が、 何をしていたのか、イマイチ、記憶に無い。  ――私、変な事を口走ったりして無いわよね? 「う、あ……」  それを想像するだけで、死にたくなってくる。  自殺願望があるとはいえ、ここまで、 切実に、死を望んだ事は、これが初めてかもしれない。 「この……」  少年の寝顔を見ていると、 再び、怒りが、沸々と湧き上がってくる。  腹立ち紛れに、殴り起こしてやろうか、と思ったが……止めた。  こんな満足そうな顔で、 スヤスヤと寝られたら、毒気も抜かれるっての――  振り上げた拳を解くと、その手を、 テルトの頭に置き、グシャグシャと髪を撫でる。  少年の髪は、太陽の匂いがして、少し気持ちが落ち着いた。 「……どうぞ」 「何……?」  冷静さを取り戻したジェシカに、マイナが、ハンカチを差し出す。  その意味が分からず、ジェシカは、 首を傾げるが、マイナに指摘されて、ようやく気付いた。  ハンカチは受け取らず、自分の服の袖で、頬を拭い……、 「テルトさんには、内緒にしておきますね」 「……それはどうも」  拙いところを見られた、と、 ジェシカは、憮然とした表情で、そっぽを向く。    サッサと話題を変えようと、未だ、眠っている鷲馬に目を向けた。  そこには、薬草を使って、 鷲馬の、両翼の傷を手当てするラフィの姿が……、 「……で、どうするの?」  その言葉は、ラフィだけではなく、この場にいる、全ての者に向けられていた。  ヒッポグリフの処遇――  逃げ出したピサロへの対応――  鷲馬によって荒らされた村への配慮――  そして、ラフィの、今後の身の振り方――    これから、何を、どうするのか……、  考えなければならない事は、山積みである。 「何で、手当なんかしてるの? 目覚めたら、また、暴れ出すかもしれないのに……」  ミシェルが、鷲馬を手当するラフィに、難色を示す。  だが、ラフィは、彼女にしては、 とても珍しく、確信の込もった強い口調で……、 「テルトさんの望みですから……、 それに、もう、この子は、暴れたりはしませんよ」 「……どうして?」 「この子が、ヒッポグリフだからです」  手当てを終え、ラフィは、  ヒッポグリフは、誇り高い生き物である。  礼を尽くす者には、礼を以て返す生き物である。  その鷲馬に、テルトは、礼を尽くし……謝罪した。  文字通り、命を掛けて……、  そんな少年の気持ちに、 誇り高き、礼を重んじる鷲馬が応えぬ訳が無い。 「気持ちは分かるけど、いくらなんでも――」  ――安全と言い切る根拠としては薄い。  と、ミシェルは、反論しようとして、すぐに口を噤んだ。  ラフィも、ジェシカも……、  マイナまでもが、信じているのだ。  鷲馬の誇りを――  いや、テルトの想いが生む力を―― 「それより……あの大馬鹿は、どうするの?」  なんとなく、寝ているテルトを膝枕しつつ、 ジェシカが、ピサロが逃げて行った森のの方角を顎で示す。 「あのバカ上司に関しては……教会に任せてくれる?」 「ま、それが妥当よね」  色々と言いたい事はあるが……、  教会と、積極的に関わるのは、あまり宜しく無い。  事の発端が、教会側の不祥事なら、尚更である。 「教会としては、村への補償はあるのかしら?」  ――まあ、私的には、どうでも良い事だけどね。  と、ジェシカが周囲を見れば、 戦闘の終わりの気配を察知したのか、村人達が、遠巻きに集まってきていた。  皆、改めて、村の被害状況を見て、青ざめた顔をしている。  村の将来が、苦難に満ちたモノになるのは、明白だ。  本当に、死傷者が出なかった事だけが、唯一の救いであった。  とはいえ、ジェシカは、同情する気は皆無だ。  ピサロに先導されたのもあるとはいえ、全て、彼らの自業自得である。  そこは、ミシェルも、ジェシカと同じ考えのようだ。  村への援助に対して、 言葉を濁した反応しか出来ない。 「正直、難しいと思うけど……出来る限り、上と交渉してみるわ」 「頼りないわねぇ……、 女神様は、子供には慈悲深いんでしょ?」 「……ま、その辺が、交渉の武器かしらね?」  大人の罪に、子供が巻き添えになる事は無い――  ジェシカの、遠回しの助言に、 ミシェルは、苦笑しつつ肩を竦めて見せる。  そんな二人のやり取りに、 マイナは眉を顰めるが、何も言わず、テルトの治療を続けた。 「となると、残る問題は……」  全員の視線が、ラフィに集まった。  今回の件で、一番の被害者は、 間違い無く、ピサロの陰謀に利用されたラフィである。  彼女は、またしても、居場所を失ってしまったのだ。  無論、この村に残る事は出来るだろう。  村人達も反省し、彼女を排斥するような真似はすまい。  ……とはいえ、居辛くなったのも事実である。 「教会で、引き取る……のは、無理よねぇ」  自分の提案を、ミシェルは、自ら取り下げる。  ラフィが居場所を失った原因は、教会に所属していたピサロにあったのだ。  そんな教会を彼女が信用するわけがない。 「いっそ、カノン王国にでも行ってみる? エアー騎士団なら、グリフォンを連れてても問題無いし、 薬師なら、衛生兵として歓迎されるわよ?」 「エアー騎士団は、精鋭中の精鋭の集まりよ? コネも無しに、どうやって……?」 「ラフィさんを、軍属にするつもりですか?」  ジェシカとマイナに反対され、新たな案も却下となった。  他にも、色々と案は出るが、 どうしても、グリフォンの子供の存在がネックとなってしまう。  ラフィの身の振り方を考え、三人は腕を組み、 頭を捻るが、どんなに考えても、妙案は浮んでこない。  と、そこへ―― 「……ラフィさん」 「テルトちゃん……目が覚めたの?」  目覚めたテルトが、ゆっくりと体を起こす。  出血の為、やや顔色が悪いが、動けない事も無いようだ。 「行く所が……無いんですよね?」 「聞こえてたの?」 「はい、ボンヤリとですけど……、 ジェシカさん達の話は、聞こえてました」  血が足りない所為だろう……、  テルトは、意識をハッキリさせようと、まだ、クラクラする頭を軽く振る。  そして、ラフィに……、  弱々しくも、懸命に微笑んで見せると……、 「ラフィさん……ボクの家に来ませんか?」  翌朝――  テルト達は、早々に、村を出る事にした。  目的地は、テルトの故郷である小さな農村……、  彼の実家で、ラフィとグリフォンの面倒を見て貰おう、と言うのだ。 「……本当に、大丈夫なの?」  昨日から、もう何度目だろうか……、  ジェシカは、念を押すように、テルトに、同じ質問をする。  それに対して、テルトも、また、同じ答えを返す。 「はい、大丈夫です。 姉さんなら、絶対に、聞き入れてくれます」 「でも、ラフィやグリフォンの子供だけじゃないのよ?」  と、ジェシカは、テルトの後ろにいる巨体に目を向ける。  そこには、あのヒッポグリフの姿があった。  傷を負った翼には包帯が巻かれ、当分、飛ぶ事は出来ないが、 ラフィの診立てでは、時間を掛けて治療すれば、また、飛べるようになるそうだ。  ――そう。  鷲馬も、同行するのだ。  どういう訳か、すっかり、テルトとラフィに、懐いてしまったらしい。  その証拠に、ヒッポグリフの背には、 ラフィの大荷物が載せられ、また、頭には、グリフォンの子供が乗っている。 「それでも、大丈夫だと思います」 「どんだけ豪胆なのよ」  自信満々で言い切るテルトに、ジェシカは呆れ顔だ。  鷲馬と鷲獅子を受け入れるなんて……、  そんな家族がいるなんて、とても信じられない。  ――でも、この馬鹿の姉なら、有り得るかも?  と、強引に自分を納得させ、 ジェシカは、今度は、マイナに向き直る。 「相方は、もう出発したの?」 「はい、視察団が来る前に、 一足先に、ピサロ神父を探しに行きました」 「あなたは、一緒じゃなくて良いの?」 「昨日も言いましたけど……、 私は、今回の件の顛末を、最後まで見届ける為、同行させて頂きます」 「ふ〜ん……」  マイナの言葉に、適当に相槌を打ち、 ジェシカは、最後に、荒れ果てた村を振り返った。  見送りは、村長、唯一人……、  その表情は、村の将来を考え、あまりに暗い。 「あの人達、これから大変ですよね……」 「自業自得よ……私達が、気にする事じゃないわ」  冷たく言い放つジェシカに、テルトは、無言で頷く。  だが、その眼差しは、村長から……、  いや、村中の惨状から、離れる事は無く……、 「……ラフィさん」  その視線を離さず、テルトは、ラフィを呼び止めた。 「霊薬草を、全部、ボクに譲って貰えませんか?」  テルトの思わぬ要求に、ラフィは、 一瞬、驚くが、すぐに、テルトの意図を察したようだ。  鷲馬が背負う荷物を漁り、両手で抱える程もある、霊薬草の束を取り出した。 「一緒に行きますか?」 「――はい」  テルトの言葉に頷き、 霊薬草を抱えたまま、村へと戻っていく。  そして、二人は、大量の霊薬草を、惜しげも無く、村長に差し出した。  霊薬草を受け取り……、  二人の言葉に、村長は、膝を付き、号泣する。  距離がある為、ジェシカとマイナには、 テルト達の会話は聞こえないが、その内容は容易に想像が出来た。  二人は、村の復興の為に、霊薬草を提供したのだ。 「……あれだけでも、一財産よね?」 「そうですね……、 数年は、生活に困らないか、と……」 「馬鹿よね……放っておけば良いのに……」  自分を騙そうとした者達――  自分を陥れようとした者達――  そんな相手にさえ、 あの二人は、救いの手を差し伸べている。  ジェシカには、それが理解出来なかった。 「聞いたことがあります」  ――唐突に、マイナが語り始める。  それは、リーフ島の――  ハート・トゥ・ハート城の王妃の話――  リーフ島は、唯一、霊薬草の栽培が可能な環境にある。  当然、リーフ島では、 霊薬草を栽培し、大陸に輸出しているのだが……、  HtHの王妃は、霊薬草で、利益を出そうとせず、 ほぼ原価に近い価格で、大陸の各都市に、それを提供しているらしい。  無論、それでは、霊薬草を栽培する、 農家の生活が成り立たない為、国から補償金を出している。  ――何故、そんな事をするのか?  ――高値で売れば、もっと国は潤うのに?  とある商人が、その理由を訊ねると、王妃は、当たり前のように答えた。 「お値段が安ければ、それだけ、 たくさんの人が、霊薬草を使う事が出来るじゃないですか」  王妃の答えを聞き、その商人は、感動すると同時に、 欲に塗れていた、今までの自分に涙し、一生、王妃に仕える事を誓ったそうな。  世界には、霊薬草を必要としている人が、たくさんいる。  世界には、霊薬草によって、救える命が、たくさんある。  霊薬草は、そんな人達の為の物であり、決して、金儲けの為の道具ではない。  そう――  霊薬草とは――  ――世界を愛する女神からの贈り物なのだ。 「霊薬草が育つのに重要なのは、 土地や気候の環境ではないのかもしれません」  本当に重要なのは――  霊薬草を育てようとする人の想い――  HtH城の王妃や、ラフィのような……、  無償の優しさを持つ者の元にのみ、 霊薬草は、その命を芽吹かせるのではないだろうか? 「随分と、ロマンチックな仮説ねぇ?」  マイナの話を聞き、ジェシカは、呆れ顔だ。  しかし、決して、馬鹿にしている様子は無い。  寧ろ、霊薬草の生態への、意外な考察に感心したくらいだ。  尤も、ジェシカ的には、やはり、理解出来ない考え方だが……、 「はい、そうですね……、 でも、テルトさん達を見ていると、そう思えてきます」 「世の中、テルトちゃんみたいな馬鹿ばかりなら、 退屈なくらい平和になりそうね」 「ふふっ、だったら素敵ですよね」 「すいません、お待たせしました」  テルトとラフィが、こちらに戻って来た。  その姿を、眩しそうに見つめながら、マイナは微笑む。 「馬鹿ね……二人とも」 「「良く言われます」」  心底、呆れた顔のジェシカに、 テルトとラフィは、全く同時に、同じ答えを返す。  二人は、顔を見合わせ、クスッと微笑むと、旅の『仲間達』に向き直る。 「さあ、行きましょうか。 まず、目指すは、知識都市コミパです」 「テルトさんの故郷は、タカヤマの近くなんですよね? そっちに行くのは初めてなので、楽しみです」  楽しげに話をしながら、テルト達は歩き出す。 「でもね――」  そんな彼らの後に続きながら……、  ジェシカは、誰にも聞こえないように、小さく呟く。  この世界は――  そんなに優しくないし――  綺麗なモノばかりじゃないのよ――  ――この日より、村は生まれ変わる。  村人達は、作物を育てる傍ら、霊薬草を栽培するようになった。  しかも、充分に環境が適さない、 土地でありながら、ほぼ原価に近い値で、人々に提供したのだ。  後に、この献身的な姿勢が評価され、 大陸中の各都市から、援助金が出されるようになり……、  より豊かになった村は……、  いつまでも、優しく、平穏であったそうな。  また、それを機に、村は、 彼の少女が捨てた名を譲り受け、その名を変えた。  優しき緑の村――  『サラバント』と――  夜闇に包まれた森の奥――  薄い月明かりの中、深い森の中を、 小太りの男が、必死の形相で走り続けていた。  ――ピサロである。  息は絶え絶え、足はフラつき……、  その表情は、汗と涙と鼻水と涎で、見るに堪えない有様だ。  それでも、ピサロは、走るのを止めない。  ……いや、止める事が出来ない。  足を止めたが最後……、  死よりも恐ろしい目に遭う事になる。  そのカタチの無い恐怖から逃れる為に、彼に出来る事と言えば……、  ただ、走り続ける……、  それだけしか無かったのだ。  ――そう。  ピサロは、逃げた。  ……逃げてしまった。  そんなつもりは、一切、無かったのに、 迫り来る鷲馬を前に、衝動的に、その場から走り出してしまった。  決して、教会から逃げたわけではない。  だが、そんな言い訳は、教会には通用しないだろう。  『逃亡した』という結果がある以上、もう、後戻りは出来ない。  こうなったら、何としてでも、 教会の手が届かぬ場所まで、逃げ切るしか―― 「――うわっ!?」  突然、足元に“何か”が突き刺さった。  驚いたピサロは、その場で尻もちをついてしまう。 「な、何が……ヒィッ!?」  ピサロの行く手を阻んだモノ――  それは、見慣れぬモノだが……、  同時に、良く知っているモノでもあった。 「こ、こここ……黒鍵……っ!?」  教会用投擲剣――  異端を狩る為の武器―― 「ひっ……ひ、あ……」  それが、ここにある意味に気付き、 ピサロは、すぐに逃げ出そうと、足に力を込める。  だが、今まで、走り続け……、  急に止まった事で、それまでの疲労が、一気に下半身を襲った。  足が動いてくれない。  立ち上がる事が出来ない。  ――逃げられない。 「だ、だだ……誰か、助け……」  見苦しいまでに、地面の上をもがく。  少しでも、その場から離れようと、這いずる。 「――み〜つけた♪」  その場違いな程に明るい声に、ピサロの全身が硬直した。  恐る恐る振り返ると……、  そこには、黒鍵を片手に持つ女神官が……、 「やってくれたわよねぇ……色々と……」  黒鍵の切っ先で、わざと、地面を削りつつ……、  女神官――ミシェルは、ゆっくりと、ピサロに歩み寄る。  後ずさるピサロの胸を踏み付け、 逃げられないようにし、その喉元にに黒鍵を突き付ける。 「キッチリ、責任は取って貰わないとね……ピサロ神父♪」 「せ、責任も何も……私は、お前の指示通り――」 「――うるさい」  無造作に、黒鍵を横に振るった。  ピサロの喉が切り裂かれ、風漏れの音を鳴らす。  酸素を求め、ピサロの口が、パクパクと、必死に動く。  その姿を、侮蔑を込めた目で、 見下ろしながら、ミシェルは、吐き捨てるように愚痴り始める。 「指示通り? 笑わせないでよ、この役立たず。 あんた、何一つとして、指示通りになんて出来てないじゃない。 グリフォンとヒッポグリフを間違えるし……、 唯一の取り柄の、口八丁手八丁で負けそうになったら、予定してない事まで喋り出すし……、 おかげで、こっちの計画が水の泡――あら?」  ふと、ミシェルは、捲し立てるのを止めた。  見れば、すでに、ピサロは息絶え、ピクリとも動かない。 「――もう死んだの? 愚痴くらい、最後まで聞いていきなさいよ。 ホント、最後まで役に立たなかったわね」  火葬式典――  死体の胸に、黒鍵を突き刺すと、 瞬時にして、激しく燃え上がり、灰と化す。  そして、刃を一振りし、付着した血と灰を払うと……、 「……で、何の用? あたしを笑いに来た?」  誰もいない筈の闇の向こうに、ミシェルが声を掛ける。  すると、その闇の中から、大剣を肩に担いだ大柄の男が現れた。  「別に、そういうわけじゃないが……、 その様子だと『アナ』の確保には失敗したようだな?」 「策を弄し過ぎたわ……、 バカ上司を利用して『彼女』を確保するつもりだったのに……」  ――あまりに馬鹿すぎて、そうもいかなくなった。  と、ミシェルは、すでに、 死体すら残っていないピサロに悪態を吐く。 「そっちの首尾はどうなの、リーガル?」 「『ヘレン』のことか……? 詳しい話は、ジーニアスのところに戻ってからだ」 「ふ〜ん……じゃあ、一旦、戻ろっか」  リーガルと呼ばれた男は、 ミシェルの問いに、言葉少なに答え、クルリと踵を返した。  彼女も、黒鍵を仕舞い込み、リーガルの後に続く。 「しかし、失敗したとなると……、 また『アナ』の所在を、突き止めなければな……」 「あー、それについては、大丈夫よ」  ウンザリした様子で呟くリーガルに、 ミシェルが、心配無用と、悪戯っぽく笑ってみせる。  その微笑みは――  まさしく、魔女の如く―― 「――あたしの『親友』が一緒だから♪」 <つづく>