月姫 & AS クロスオーバーSS

戦力二乗の法則

〜 第六幕 「トライアングル・サイド 前編」 〜








「んん〜〜っ」

 ――朝。

 小鳥のさえずりと、窓から差し込む朝日で、フィアは目を覚ました。

 例え、お客が少なくても、宿屋の朝は早い。
 軽く背伸びをすると、小さくポキポキと音がなった。

「えっと、酒樽の運搬に、掃除に……あれ?」

 指折り数えながら、彼女はベットから降りようとして、そこで強烈な違和感に襲われた。

 ベットから降ろした足は、どういう訳か床に届かなかった。

 それに加えて、動かしていた指は袖の中。
 余った袖は、ぺろ〜んと垂れ下がっている。

「――えっ? どうして……!?」

 動揺しながら呟くその声も、いつもの彼女より幼い響き。

 ――そう。
 フィアの体は小さくなっていた。

 ノールの村で、カウジーと出会った頃くらいに……、




[教えて! 紗巫衣先生〜!!]


「あ、やった! またまた、私達のコーナーだよっ♪」

「それはいいんですけど……サフィさんっ!
どうして、フィアさんが小さくなってるんですかっ?」

「あー……えーっとね〜……、
ほら、カウジーは私と同じ、200年前の人間だけど、
不老不死の身体だったから、今もピンピンしてるわよね?」

「はい、確かに……でも、今は普通の人と変わらないんですよね」

「うんうん。あのルーシアの一件で、カウジーはしっかり私のことを思い出して、
身体も元に戻ったんだけど……実はね、カウジー以外にもう一人、似たような人がいるんだよ」

「それが……フィアさんなんですか?」

「ん〜、カウジーは、少し気付いてたみたいだけどね。
確か「固定された症状」ってことで、ピンと来たのかな。
それで、そういう状態から抜けると、身体は元に戻るのよ。
だから、200+?歳のカウジーは、ちゃーんと若いまま元気ってことなの♪」

「……でも、フィアさんは小さい頃からちゃんと成長してるって、
カウジーさんが言ってましたけど」

「……あっ、そ、それは、その……今日はここまでっ!」

「ま、またですか!?」

「天使の奇跡は、企業秘密が多いのよっ!」





 カランコロン♪


「サーリアーっ! 琥珀さーんっ!」

 ドアが開かれるなり、フィアの元気な声が店内に響き渡った。
 ちなみに、まだまだ開店時間ではない。

 その辺りは……まあ、長い付き合いなのだ。
 遠慮はいらない仲なのだろう。

(…………?)

「あっ、レンっ! サーリアと琥珀さんは?」

 開店準備をしていたレンが、カウンターの影から顔を出した。
 それに気付いたフィアが、短くなった歩幅を補うように、とことこと駆け寄っていく。

(……??)

 だが、レンは首を傾げるばかり。

「ほ、ほらっ。あたし、フィアだよ?
何だか小さくなっちゃったけど……分かるよね、ね?」

 じ〜…っと、フィアの目を見つめるレン。


 むぎゅっ♪

 ……なでなで



「う、ぅぅ〜……」

 当然と言えば、当然の体格差。

 10歳のレンも、確かに小さいことは小さいのだが、今のフィアは更に小さい。
 だからこそ、このようなことが可能なのだ。

 もっとも、いつも撫でられてばかりの彼女にとっては、
数少ないチャンスなのかもしれないが。

 そして、そんな二人を奥の部屋から見つめる、妖しい影が。

「……あはっ♪」

「にゃ? 琥珀お姉さん、どうしたで……むぐっ」

 声をあげようとしたサーリアの口を、即座に琥珀の手が塞いだ。
 唇に人差し指を当てるジェスチャーで、『静かに]と合図する。

「し〜……ほら、レンちゃんが、年端もいかないいたいけな女の子を手玉に取って……」

「……違うと思うですよ?」

 サーリアの目には、仲良く戯れる姉妹のように映っている。
 もちろん、琥珀の視点が歪んでいる訳ではないのだが、解釈の仕方が酷く歪んでいた。

「まぁ、サーリアさん、レンちゃんのスゴさを知らないんですね。実はレンちゃんは……」

 含みのある口調で、琥珀がその先を続けようとした時……、

(…………)

 それを察知したかのように、くるりと振り向いて、厳しい視線が向けられる。
 その鋭敏な感覚は、さすが猫といった所だろうか。

「あ、あはははっ……レンちゃん、開店準備ありがとうね」

「な、何なんですか、琥珀お姉さん! 一体レンちゃんに何が……っ!?」

 見えない所で冷や汗を流しながら、適当に話を流す琥珀。

 突然、打ち切られた会話の向こう側に、
トンデモナイことを想像して、一気にレットゾーンまでゲージが上がるサーリア。

 そして、そんな二人の姿を見つけたフィアは、どうにかレンの腕の中から抜け出した。

「サーリア〜……琥珀さーん……どうにかして〜」

 その姿に対する二人の反応は、全くの正反対だった。

「はぁ……フィアさん? いくらカウジーさんが、
年下趣味だからといって、そこまでする必要はあるんですか?
まぁ、どうしても寝取りたいとおっしゃるのであれば、最大限協力しますけど」

「――え? フィアちゃんだったですか!?
ま、まさかレンちゃんに撫でられてるうちに、ちっちゃくなっちゃったですか?
だったらサーリアもちっちゃくなるですっ! フィアちゃんだけじゃ不公平ですぅ〜!」

 呆れたように、ちょっとだけたしなめる琥珀。
 フィアだと気付き、ステキに勘違いして不思議なことを口走るサーリア。

 どっちもどっちだが……フィアが溜息をもらしたのは言うまでもない。








 それが、3日前の話――

 そして――



「あっ、サーリアさん、ちょっと宜しいですか?」

「……にゃ?」

 闇の日の昼下がり――

 解決方法を探して、魔法薬の辞典を漁っていたサーリアは、
琥珀の声に気付いて顔を上げた。

「……ふみゅぅ」

「サーリアさんっ! ほら、しっかりして下さいな」

 途端に、あまりの眠気でダウンしてしまったサーリアを、琥珀が起こそうとする。

 小さくなってしまったフィアから事情を話されて、
事態の解決を頼まれてからというもの、サーリアは終始こんな状況だった。

 薬草辞典を開いては、大きくなる効能を持つ薬草を探し――
 病気に関する書物を漁っては、小さくなってしまう症例を探し――

 そんなこんなで、睡眠不足に加え、眼精疲労まで起こす始末だった。

 そのため、彼女の傍らには琥珀お手製の眼鏡と目薬が。
 ウィネス魔法店にある設備で、眼鏡が作れるかどうかにはかなり疑問が残るが、それはそれ。

「サーリアは、まだまだ……、
本気になんてぇ〜なっちゃいないのれす〜……ふみゅぅ」

 琥珀が肩を抱いて体を起こしても、サーリアの表情はとても眠そうだ。
 眠いという意思が形になったと言っても過言ではないだろう。

 その言動も、呂律が回っていない。

 そしてまた、テーブルのうえに突っ伏して、再び船を漕ぎ出した。

 そんな彼女を見かねたのか、
琥珀は腰に手を当てて、溜め息をついた。

「仕方ありませんね、サーリアさんも……、
この蜂起少女のまじかるなフィンガーテクで、今すぐにお目覚めになって頂きましょうか♪」

 わきわきと指を動かしながら琥珀は笑い、
その細い指がサーリアの背後から首筋に近づく。


 がしっ

 むにゅむにゅ…



「ん〜………」

「あら? 意外と反応いいんですね〜♪ なら……これでいかがですか?」


 むぎゅっ☆


「ふみゃぁぁっ!?」


 素っ頓狂な声を上げ、跳び起きるサーリア。

 そのバネ仕掛けの人形のような、
彼女の突然の動作に、琥珀が対処出来る訳もなく……、


 ――ゴっっ!!


「あうっ!」

「みゃ、みゃぁぁ……痛いですぅ……」

 額をおさえて、床にうずくまる琥珀。
 サーリアに至っては、肩への指圧に加えて、後頭部を打ったのだ。

 涙目になりながら、ぺたりとテーブルに伏している。

「えぐえぐ……」

「サ、サーリアさん、…大丈夫ですか?」

 ふらつきながらも、テーブルの足につかまって琥珀は立ち上がる。
 赤くなったおでこをさすりながら。

「あはは……ちょっと、調子に乗り過ぎちゃいましたね。
サーリアさん、意外にいい反応してましたから……肩とか首筋とか、弱いんですか?」

「うぅ〜……そうじゃなくて、痛かったですよぉ……」

 どうやら、琥珀の指はおもいっきりツボを直撃してしまったようだ。
 肩や首筋は、ポイントを誤るとかなり痛い箇所があるのだ。


 なでなで……


「……コブにはなってないみたいですね」

「うぅ…目がちかちかするですよぉ〜」 (注)それは盲目の先輩です。

 と、サーリアは自分の目の前に、2つコップが置かれているのに気付いた。
 両方とも、オレンジ色の液体が入っている。

「琥珀お姉さん……これ、何ですかぁ?」

「これはですね、ちょっと試しに作ってみた、元気が出るジュースなんですよ♪
サーリアさん、頑張り屋ですからね〜……ささ、くいっと飲んじゃって下さいな☆」

「あっ、それじゃあ……頂きますです」

 琥珀に勧められるがままに、コップを手に取るサーリア。
 だが、その視線は、もう一方のコップに向かっていた。

「……琥珀お姉さんも一緒に飲むですよ」

「え……?」(汗)

 ぽつりと呟いたサーリアの言葉で、琥珀の笑顔が崩れる。
 必死に取り繕うとしているのは見て取れるが、その笑顔もどこかぎこちない。

「琥珀お姉さんだって、いっぱいいっぱい頑張ってるですよ。だから一緒に飲むですっ」

「は……はぁ」

 サーリアの理屈は確かに筋が通っていた。

 実質的な仕事量は、琥珀の方が赤い彗星ばりに多いのだ。
 言い換えれば、「琥珀の仕事が早過ぎる」といった所か。

 自らの思惑を見抜かれたのかと動揺した琥珀だったが、そうではないと知り胸をなでおろした。

 だが、彼女が自作のまじかるカクテル(仮)を、
飲まなくてはならない状況に変わりはなかった。

 潔く、もう片方のコップを手に取る。
 予備を用意しておくべきではなかったと後悔しながら。

「それでは……せーのっ」


 ぐびっ……


 両者の味覚を直撃し、津波の如き衝撃が口から脳に突き抜ける。

「にゃ……!?」

「あぅっ」

 起きたばかりで、またテーブルに伏すサーリア。
 くるくると目を回し、ぱたりと琥珀は床に倒れる。

 ……そして、ウィネス魔法店は静かになった。








 闇の日の昼下がり――

 公園では、大きな大きなゴムボールを持ったレンと、
構えを取ったフィアが向かい合っていた。

 その間、およそ10メートル……、

「いつでもいいよ……おいで!」

(……こくこく)

 フィアの合図にレンが頷き、
持っていたゴムボールを体全体を使って投げた。

 小くなったフィアの体くらいのボールが、放物線を描いて彼女に襲い掛かる!

「せ〜……のっ!」


 タンっ!


 地を蹴り、その体に似合わないくらいの跳躍で向かっていくフィア。

 ドムっ!ドムっ!

 跳び上がると同時に、
その勢いのまま、空中でボールに2連続の蹴りが入る。

「そいやっ!」


 ゲシっ! ビシっ! ビシっ! ビシっ!


 体を捻って、地面に向けて蹴りを一閃。

 そのボールが、地面に接するか否かという所で、
一足先に地面に着いていたフィアの、流れるような3連蹴りが決まる。

「こ〜こ〜で〜……」

 素早い踏み込みで、ボールとの距離を詰めるフィア。
 レンから見ると、その姿はすっぽりとボールに隠れてしまっている。

 そのままフィアは体当たりを決め……、

「…決めるっ!」


 シャキ〜〜ン♪


 ゲージ使用の必殺技のような閃光が、
頭上で両手を交差させたフィアの体から放たれる!

「はあぁぁっ!!」

 無敵時間に入ったフィアは、その場で一回転し……、
 間髪入れずに、獅子の咆哮を思わせる気弾を3連続で叩き込んだ!

 そのままボールは飛んでいき……、


 ぽふっ♪


(…………)


 レンの腕の中に、しっかりと収まった。
 大きくて軽い分、それほど早くはならないのだ。

「……ん〜、やっぱり筋力落ちてるなぁ〜」

 手首、足首をほぐしながら、フィアは誰にともなくつぶやく。

(…………?)

「あ、いいのよ。レンが悪い訳じゃないんだから。もう少し遊ぼうね」

 フィアにとっては、半ば訓練のようなものなのだが、レンにとっては変わったキャッチボールだ。

 レンの遠投で、ボールが飛んでくる。
 さっきよりも強く、若干早い。

「うわ、ちょっと高いって……」

 ボールはフィアの頭上を越えて、公園の外れの方へ。
 ホームラン性の当たりを追う外野手よろしく、フィアがそれを見上げながらバックする。


 コツッ…!


「……あっ」

 だが、整備されたグラウンドならともかく、
普通の公園には障害物が沢山ある。

 そのまま後ろに倒れ込み、派手に転ぶとフィアが覚悟した時……、


 ぱしっ!

 ぽむっ



 転びかけたフィアを支え、
飛んで来たボールを受け止めた人物がいた。

「気をつけてくださいね。元気なのはいいことですけれど……」

「あ、ありがとう……って、アルテさん!? 帰って来てたんだ!」

 穏やかな声は、慈悲に満ちた響き。
 緩やかなウェーブヘアは、時を重ねても変わらない空の色。

 彼女の名はアルテ=セーマ。
 フォンティーユの中でも知らない人はいない、盲目の踊り子である。

「あら? フィアさん……ですよね? 何だか小さいような気がするんですが…」

 見えないはずなのに、時折、見えているような、
驚異的な勘は、ニュー○イプと呼ばれてもおかしくない。

「あ〜……それはちょっと色々あって…今はこのくらいなの」

「まあ……ラスティちゃんより小さいんですね」

 ちょっと言葉をつまらせながら、フィアはアルテの腰をつつく。
 それが身長のことだと分かったのだろう。


 とてとてとて……


(…………?)

 突然、現れたアルテに首を傾げながら、レンが駆け寄って来た。
 それに気付いたフィアが、彼女を紹介する。

「あっ、アルテさん。こっちはレンだよ。
少し前からサーリアの所でお手伝いしてて……えっと、喋れないんだ」

「まあ、そうなんですか……レンちゃん、私はアルテ=セーマです。宜しくお願いしますね」

 ぺこりと頭を下げ、屈託なく笑うアルテ。
 それに合わせて、レンも一礼する。

 そんな彼女の場所が的確に分かっているのか、アルテがそっと手を伸ばす。

(…………?)

「すみませんけど、お顔を触らせて下さいね。
レンちゃんがどんな顔なのか知りたいですし……宜しいですか?」


 ……こくこく


「まぁ、ありがとうございます。それでは……♪」


 さわさわ……


 レンの了承を得て、アルテの手が動く。
 フィアには、彼女がとっても楽しそうに見えた。

 きっと、それは見間違いではないだろう。

 次の瞬間、フィアの目の前で、アルテはレンに抱き着いた。

「もう〜……レンちゃんったら、髪もさらさらで、肌もすべすべで……可愛いっ♪」


 むぎゅ〜〜☆


「あ、アルテさん……旅先で何かあったの?」

「いえいえ、そういう訳ではないですよ。
ただなんとなく、レンちゃんがラスティちゃんに似てるような感じがして……、
もう一人、妹ができたみたいで嬉しいんです」

 アルテは、ゆっくりとレンの髪を撫でていく。
 それは単に可愛がるだけではなく、優しさに満ちた仕草。

(…………♪)

「ふふっ。ありがとう、レンちゃん。
言葉にならなくても、伝わらない気持ちはないですからね」

 フィアは、これに似た光景を思い出していた。
 ラスティとアルテの会話(?)でも、二人はしっかりと、互いに意思疎通を行っていた。

 だが、ラスティが、ほんの少しだけ声を出せたのに比べ、レンは全く声が出せない。
 それでもアルテは、レンが伝えたい事を正確に感じていた。

 身振り手振りでもなく、筆談でもない。
 心の対話とも呼べるような、そんな二人。

 アルテは体を離すと、小さな二人の手を取った。

「まあ、積もる話もありますし、立ち話もなんですから、座ってお話しましょうか」


 ……こくこく


「そうね。アルテさんのお話も聞きたいし……」

 そうして、三人は公園のベンチへ――

 だが、いるはずの者がいないのに、
フィアが気付いたのは、それから十数分経ってからだった。








(……にゃにゃ?)

 サーリアは、真っ暗な意識の中から、不意に目を覚ました。

 視界に入るのは、お店の床と壁。
 その視点から彼女は、自分が床に倒れているのだと悟った。

 周囲には誰もいない。

 普段なら、図書館から借りて来た薬品図鑑や魔術書を、
楽しみながら読んでいる琥珀の姿も、彼女は見つけることが出来なかった。

 加えて、店内は静まり返っている。
 間違いなく、サーリアを除けば無人状態だ。

「琥珀お姉さぁ〜ん、レンちゃぁ〜ん。いないんですかぁ〜?」

 彼女はそう叫んだつもりだった。
 だが周囲には、そのようには聞こえなかった。

 レンが外出しているのは知っていたはずだが、それはそれ。
 寝不足と琥珀の薬のせいで、色々と記憶が曖昧になっているのだろう。

 誰からも返事が帰ってこないのを知ったサーリアは、ゆっくりと体を起こそうとした。


 ――ちりん


「……にゃ?」

 鈴の音がした。とても近くで。


 ――ちりんちりん


「にゃにゃっ!?」

 その音に驚き、辺りを見渡すサーリア。


 ――ちりんちりんちりん


 その澄んだ鈴の音は、普通だったらとても綺麗に聞こえただろう。

 だが、目覚めたばかりで放り込まれた、この異質な状況下では、
思い込みの激しいサーリアには、死神の足音の様なものに聞こえた。

「ぎにゃぁぁぁぁーーっっ!!」

 スタンと跳び起き、彼女は周囲を見渡した。

「……にゃっ!?」

 無論、誰もいない。
 しかし、サーリアは、ある種の強烈な違和感に襲われた。

 ……それは、今朝のフィアと同じ。
 目に見える全ての物の、尺度が全く異なっていた。

「にゃ……にゃんですかぁぁっ!?」

 ちなみに、それだけではない。
 フィアと同じ症状かと思ったサーリアが、自分の手を見たが……、

 ……そこには、ぷにぷにとした肉球が。

 ――事態を要約しよう。
 確かに、ウィネス魔法店は現在無人である。

 ……店内にいるのは、小さな黒猫だけだった。








(ん〜……やっぱり、サーリアさんに、
お薬飲ませるのは、リスクが高かったですね。
それと気付かれずに飲ませるには、やはり私も飲まざるを得なかったですし……)

 意識を取り戻した琥珀は、歩きながら自分の読みの甘さに反省していた。

 やはり、あのジュースは薬だったらしい。
 彼女がこうやって実験をするのは、いつものことなのだが……それはさておき。

「ここは……どこなんでしょう?」

 彼女が目を覚ましたのは、豊かな森の中だった。

 辺りには、うっすらと霧が立ち込めていたが、不思議と嫌な感じはしない。
 むしろ、守られているような、安心感がある、そんな場所。

 そんな森の中を、彼女はしばらく歩いていた。

 何か使えそうな薬草はないかと、
木々の根元などを見ていたが、めぼしい物はなかった。

「フォンティーユの近くじゃないみたいですね〜。どうやら、植物の組成も違うようですし……」

 何度も材料採集に訪れたおかげで、街の周辺の地理は熟知している。
 だが彼女の知識の中には、この場所はなかった。

「――あら?」

 ひょいと木陰から顔を出すと、目の前が不意に開けた。
 若干広い場所らしいが、霧でよく見えない。

「あはっ♪ 抜けたみたいですね〜」

 彼女が楽しそうに歩き出すと、次第に景色が見えてくる。

 森に囲まれた中に、小さな湖があった。
 長過ぎない程度に伸びた芝が、若々しい色を帯びて周囲にしげっている。

 そして、その湖のほとりに寝転んで、水面を見つめる少女がいた。

「あっ……」

 赤い髪と瞳が揺れ、
彼女は裾をぽんぽんと払って立ち上がる。

 そして、つかつかと琥珀に歩み寄ると、その顔をじーっと覗き込んだ。

「……やっぱりっ! 最近フォンティーユに来た面白い人だっ!」

「その声は……フォンティーユの亡霊さんですねっ♪」


 ピシッ……!


 二人の間で、何かが割れた。
 いや……訂正しよう。

 何かが割れたのは、赤い髪の少女の方だ。

「だ〜れ〜が亡霊よっ! 天罰ハリセン!!」


 ブンっっ!!


 彼女がどこからかハリセンを取り出し、おもいっきり振り上げる!


 ピタっ…!


 だが、しかし、そのハリセンは、
振り下ろされる直前で止められていた。

「わ……」

「いけませんねぇ……こんな至近距離で、上段からハリセンなんて」


 にやそ――


 そんな擬音語がしっくりくるような、そんな笑みを琥珀は浮かべた。

 彼女が手にするホウキは、少女の手にぴったりと当てられていた。
 いや、それはホウキの柄から抜かれた白刃……と言うか、何故か逆刄刀。

 その動作は、まさに居合抜き。

「まあまあ、確かに上からのハリセンは、ツッコミの基本ですから。
それに、足もちゃんとありますし……残念ですねぇ。亡霊さんじゃなかったみたいです」

 琥珀は楽しそうに笑うと、ゆっくりと刀を納めた。

「でも、某○葉堂の激甘ワッフルより甘いですよ。

 ツッコミは、タイミングと勇気ですっ☆」

「えっ……? もしかして、お笑い関係の人だったの!?」

 ハリセンをしまった少女は、目を輝かせて琥珀の手を握り締める。
 その食いつきの良さに、琥珀は少しばかり驚いた。

「あら……お笑い、好きなんですか?」

「うんっ! ダジャレが好きなんだけどね〜……私が何か言うと、みーんな目をそむけちゃうんだ。
そのクレープ、私にちょっとくれ〜ぷ…とかね」


 ひゅううぅぅ……


 焼きたてのクレープも、
アイス仕様になってしまうような、そんなギャグが吹き抜ける。

 後日の琥珀の話によると――
 「コロニーやア○シズを落とさなくても、地球寒冷化作戦を遂行できる程の威力」だったらしい。

 呆れ返った琥珀は、小さく溜息をついた。

「はぁ……私の部屋に拉致……じゃなくてお連れして、FGから全部見せて、ネタ仕込んであげたいですね。
赤は通常の三倍とか、角は指揮官専用とか……お偉い方には、それが分かっちゃおらんのです〜」

「た、確かに熾天使って偉いけど……」

 言葉に詰まった相手を見て、琥珀は首を傾げた。

 それは、相手の反応にではなく、
思いがけず知っている単語が出て来たことに対してだった。

「熾天使って……確か、天使のトップですよね?」

彼女の怪談のネタが豊富なのは、
志貴も知っていることだが、このような知識も豊富だったようだ。

「あ、あはははは……」

「そう言えば、街の図書館で調べ物をしていた時も、何度となく天使のお話がありましたね〜」

 それは、天界を統べる天使の長と、
堕天使の軍勢を率いる堕天使の長の、とても長い決闘のお話。

 フォンティーユに語り継がれ、怪談にもなっているおとぎ話。

「ああ、すみません。失礼ですが、お名前は?」

 琥珀のその言葉は、
至極丁寧ではあったが、言葉がしっかりと力を持っていた。

 普通は、自分が名乗ってから相手に尋ねるものなのだが。

「私はサフィ……サフィ=スィーニーだよ。宜しくね」








「へぇ…アルテさん、随分遠くまで行ってきたんだね」

 公園のベンチでは、
アルテから話を聞いたフィアが、感嘆の声を上げていた。

「そうですよ……まあ、傷心旅行とも言うのかもしれませんね」

 それは、カウジーとラスティが式を挙げ、
新婚旅行に行ってから、約一週間後のことだった。

 街に滞在していた商隊の人達にくっついて、アルテが旅に出る。
 そんな話が、フィアの耳に飛び込んで来た。

 そして、フィアはアルテの家に行ってみた。

 家の物を整理し、荷造りをする様子は、
彼女に「もう二度とこの街に戻らないのではないか」という印象を与えた。

 だが、フィアがそれを尋ねてみると、アルテはこう言って笑ったのだ。

『いえいえ、ちゃんと戻って来ますよ。
そうですね……私の気が済んだら戻りますから、その時はまたお世話になりますね』

 そして、彼女はソフィルを伴って、フォンティーユから去って行った。

 そう言ってしまうと大袈裟かもしれないが、
街の人々にとっては、それだけ大きな出来事だったということだ。

 そんな彼女が、何の前触れもなく帰って来たのだ。
 だからきっと、今夜からアンクルノートは忙しくなるだろう。

(…………?)

 隣に座っていたレンが、首を傾げながらアルテを見上げる。
 彼女の言いたい事に気付いたのか、アルテは優しく微笑む。

「……大丈夫ですよ、レンちゃん。ありがとう」

「む、むぅ〜…仕方ないとは思うけど、私だけ置いてけぼり?」

 フィアが頬を膨らませて、小さく抗議する。
 その仕草も、今の彼女がすると何だか可愛らしい。

 とはいっても、仕方ないものは仕方ない。

 昔のラスティとアルテの対話もそうだが、
レンとアルテの対話も、他の人はあまり分からないのだ。

 誰もが読唇術を使える訳ではない。

「ふふっ、フィアさん。レンちゃんは、私を気遣って下さったんですよ」

「そうなの?」


 ……こくん


 恥ずかしがりながらも、レンは小さく頷いた。

「……あれ?」

 フィアは、あることに気付いた。
 ついさっきアルテが帰って来たのであれば、当然、一緒なはず……、

「フィアさん、どうかしましたか?」

「うん。アルテさん、ソフィルってどこにいるの?」

(………?)

 聞き慣れない名前に、レンが視線で問い掛ける。
 それに気付いたアルテが、首を傾げるレンに説明する。

「私の飼い猫ですよ。ふわふわで、真っ白で……雪みたいなんです♪」

 ちょっとだけ、嬉しそうに説明するアルテ。だが……、

(…………!?)

 レンの顔は、明らかに驚愕の色に染まっていた。
 それを見たフィアが、何かまずい話をしてしまったのではないかと、慌てて口を開く。

「レ、レン……ちょっと、どうしたのよ?」


 ふるふるふるっ!


 力いっぱい、レンは首を横に振る。
 それは、必死で何かを隠すよう。


 ……ぴとっ


(………♪)

「あらあら……甘えんぼうさんですね」

 ごまかすように、レンはアルテに抱き着いた。
 そんな小さな姿に、アルテは柔らかく微笑んだ。

 そして、噂をすればなんとやら。

「うにぃ〜」

「あら?」

「あ、ソフィルだっ!」

 公園の向こうから聞こえて来た声に、一同が反応する。

 真っ白で、つやつやした毛並みの中で、首輪代わりのリボンが目立つ、猫の姿。

 それは、時にアルテを導き、
ラスティとアルテを巡り会わせた張本人である猫、ソフィルノだった。

 短くなった手足をいっぱいに動かして、フィアは元気に駆け出してていく。

 ソフィルは、見慣れない人物に警戒していたが、
フィアだと分かったらしく、差し延べられた腕に飛び込んだ。

「えへへ、よかった♪ 小さくなっちゃっても、ちゃんとあたしだって分かるんだね」

「うにゃっ!」

 二人の声で、状況を察したのだろう。
 アルテが優しくレンに笑いかける。

「レンちゃん。もしかして、猫は苦手ですか?」


 ふるふるふるっ!


「そう……よかったわ。仲良くして下さいね?」

 そんな風に笑いかけられてしまうと、レンは何も言えなくなってしまう。

 彼女から見るとソフィルは、
お姉さん的なアルテを巡る、ライバルのような存在なのだ。

 もちろん、これは彼女の勝手な見解なので、他の二人はそれを知るよしもない。

 琥珀がここにいれば、彼女を少々たしなめて終わっただろうが、琥珀は店にいるはずだった。

 そして、顔を合わせる時が来た。
 フィアがソフィルを抱き上げて、ベンチまで戻って来る。

「レン、このコがソフィルだよ」

 小さな腕の中から顔を覗かせるソフィルに、レンは身を硬くした。

(…………)

(…………)

 両者の間で、視線が交錯する。
 レンのただならぬ気配を察したのか、ソフィルも警戒しだした。

 アルテの手前、威嚇の声こそ上げていないが、鋭い視線で黒い姿を射るソフィル。

 レンは痛みを知らないような、
いつもの無表情でそれを受けて立つ。

「レ、レン……?」

(…………)

(…………)

 パチパチと、両者の間で火花が散る。
 ソフィルから放たれる気迫は、カウジーから魚を奪う時とは別次元。

「まあ、よかったわ。レンちゃんもソフィルさんも、仲良くなってくれるんですね」

「あっ、アルテさ〜ん……それ、ちょっと違うんじゃないかな〜……」

 両者の雰囲気を読み違えたのか、
それとも本気でそう思っているのか、聖母のごとく微笑むアルテ。

 相手がサーリアではないので、フィアのツッコミもいつもより弱い。








 さて――
 公園で一触即発の雰囲気が漂っていたその頃――

 街の路地では――


 ひらひらひら……


「にゃにゃ〜……」

 小さな黒猫が、低く身構えて、
宙に舞う蝶の動きを目で追っている。

 その距離は、もどかしいながらもじりじり近づいて……、

「ふにゃっ!(そこですぅっ!)」


 はしっっ!


 黒い姿が跳ぶ。
 だが、蝶はひらりとその身を翻し、ふわりと空へ。

「ぎにゃぁぁぁっ!?」


 ドガシャァァン!!


 そして、黒猫は勢い余って、
近くに積んであったガラクタの山へ一直線。

 そのドジっぷりは、猫になっても健在。
 いや、むしろパワーアップしたのかもしれない。

 子猫になったサーリアは、レン達を探し回っていた。

 もちろん、猫になっているので、彼女達が気付くかどうかには疑問がある。
 だが、今のサーリアには些細なことだった。

 誰かに会えば、きっと分かってくれる。
 助けてくれる。

 ……そう信じていた。

「にゃっ♪にゃにゃ〜(あ〜♪ 楽しいです〜)」

 ガラクタの山の中から抜け出たサーリアは、
今度は風になびく草に目をつけたらしい。

 前足でちょいちょいと、楽しそうに揺らしている。
 どうやら彼女の信念は、猫としての本能と比べれば風前の灯だったらしい。

「ふにゃにゃにゃにゃにゃぁ〜っ!」

 だいぶハマってしまったのだろう。
 だから彼女は、猫特有の感覚を持ちながらも、その近くにいる人物に気付かなかった。


 ころころころ……こつん


「にゃっ?」

 サーリアは、転がって来た何かに気付いて、草を揺らすのを止めた。
 首を傾げて足元を見ると……そこには、おはじきが。

「ふにゃ……にゃ?(おはじき……ですかぁ?)」

 そして、見上げれば、ぱたぱたと近づいてくる人影が。

「あ……猫さん……」

「にゃにゃっ!(クララちゃんっ!)」

 それは、フォンティーユの住人の一人、クララだった。
 店にも何度か来ているので、サーリアとも面識はある。

「にゃにゃにゃっ、ふにゃ?(サーリアですよ、分かるですか?)」

 足元にすり寄り、必死で話し掛けるサーリア。
 本人は至って真面目なのだが、やはり猫語では通じない。

「え……っと」

「にゃ? ふにゃにゃっ!?(にゃ? 分かってくれたですかっ!?)」

 おろおろと、辺りを見回すクララ。
 猫が苦手という訳ではないのだが、あまり懐かれたこともないのだ。

 どうしていいか分からず、助け舟を出してくれる人を探すも、人気のない路地には誰もいない。

(ど……どうしよう……)

「ふにゃにゃ?(どうかしたですか?)」

 その落ち着きのない様子に気付いたのか、
サーリアが首を傾げて問い掛ける。

(…………)

 クララはしばらく無言だったが、
やがてしゃがみ込んで、慎重に手を伸ばした。


 ふわっ

 なでなでなで……



「に、にぃ〜……(あ、気持ちいいですぅ……)」

「……あったかい」

 耳の後ろや、喉の辺りを撫でられて、サーリアはまた猫の本能に身を任せた。

 ちなみに、クララが、何故、このようなことを
知っていたかと言えば、全ては琥珀の入れ知恵である。

 人気者の琥珀なら、街の人のほとんどと交流があってもおかしくない。

「おいで……」

「うにゃっ!(モチロンですっ!)」

 そっと両手を差し出され、サーリアはそこに飛び込んだ。
 クララはしっかりと抱き留めると、自分が落としたおはじきを拾い、立ち上がった。


 ちりん……


「あ……飼い猫さん?」

「にゃ……うにゃ〜(違うです……サーリアですよぉ〜)」

 サーリアの首についている鈴に気付いたのか、クララは飼い猫だと思ったらしい。
 そして、彼女は決意した。

(飼い主さん……見つけてあげる)

 サーリアを抱いたまま、クララは路地を後にする。
 それは昔、ソフィルの飼い主を探そうとした、ラスティの姿に似ていた。

「にゃっ♪ ふにゃにゃにゃ〜(やったです♪ レンちゃん達の所に連れてってくれるんですね〜)」

 その意図を勘違いしているのか、
サーリアは彼女の決意などいざ知らず、暖かな腕の中でうとうととまどろんでいた。








 さて――

 見知らぬ場所に飛ばされてしまった琥珀は、
そこで出会った赤い髪の少女・サフィに事情を話していた。

 まず、自分はこの世界の住人ではないこと。
 サーリアの召喚魔法で、別な世界から呼ばれて来たこと。
 そして、今は、気付いたらこの場所にいたこと。

 などなど……、

 だが、サフィは、ほとんどの話に驚かなかった。

 彼女が唯一驚いたのは、
琥珀が何らかの事故でこちらに来たことに対してだった。

「う〜ん、どうしてかな? 事故で、ここに来ちゃうなんて……ねえ、どんな事故だったの?」

「あ、あはは……それが、私にもよく分からないんですよ〜」(汗)

 サフィの質問に、見えない所で、
冷や汗をかきながら、琥珀は真相を伏せて答える。

 まかり間違っても、「サーリアさんで人体実験を……」などと答える訳にはいかないからだ。

「そっか……まあ、きっと、あの子の魔力が暴走して、
あなたの属性と変な反応を起こしちゃったんだね」

 琥珀の答えを疑うことなく、サフィは結論を出す。
 ちなみに琥珀は、サーリアが魔力を暴走させたのを見たことがない。

 だが、それより彼女が疑問に感じたのは、
サフィがサーリアをよく知っているような口ぶりだということだった。

 琥珀もレンも、ウィネス魔法店の住人として、不自然ではないくらい溶け込んでいる。

 そうなれば、身近な人物が、
どのような人間関係を築いているのかは、調べるまでもなく分かってしまう。

 だが、サフィという名前は、サーリアの口から聞いた覚えもないし、フィア達からも聞いてはいない。

「あの、サフィさん……サーリアさんとお知り合いなんですか?」

「ん〜、何て言うか……昔、ちょっとね。
あの子はもう私を覚えてないかもしれないけど、私はちゃんと覚えてるよ」

 サフィは、ちょっと考えてから、言葉を選んで答えた。
 確かに嘘ではないのだが、琥珀は敢えて別な解釈をした。

「つまり……例えるなれば、小さい頃に結婚の約束までしたのに、いざ再会してみたら、
甘い思い出も何もかもキレイさっぱり忘れられてたフィアさんみたいな感じですか?」

 琥珀は冗談めかしてそう言ったものの、
実際の二人の関係は、そういった類のものではない。

 サーリアは願い、サフィはその願いを聞き届け、そして叶えた。
 ただ、それだけなのだ。

 だが、人のために尽くす彼女を、サフィはちゃんと見守っていた。
 他のフォンティーユの人々と同じように、この夢の回廊で。

「あはは……それはちょっと違うかな。私もうまく説明できないけどね」

「……ちぇ、百合の香りとか、そんな関係じゃなかったんですね」

「ち・が・う・わ・よっ!!」


 ぶんっ!!


 どこからともなく現れた天罰ハリセンが、またもや琥珀を狙う!

「ひゃんっ……と、残念でした♪」

 バックステップで琥珀は避けたものの、
それでもハリセンは、彼女の眼前すれすれを通過する。

「ぶ〜〜…私はそんなんじゃないもんっ! 昔は、カウジーと……」

 勢いで言ってしまってから、サフィはあっと気付いた。
 それを琥珀が見逃す訳はない。

「あはっ♪ そういうことでしたか。フィアさんやサーリアさんと同様に、
サフィさんもカウジーさんって方に、泣かされたクチなんですね〜」

「ちっ、違うもん違うもん〜!
私は……私だけはラブラブだったのに〜……えーん! ルーシアのバカ〜っ!」

 一度からかわれると、誰であろうと琥珀の魔手からは逃れられない。
 それは、天使様でも同じこと。

「なるほどなるほど……ザクとは違うのだよ、ザクとは! って感じですか?」

「うぅ……よく分かんないけど、ザクとは違うのだよザクとは〜っ!
どれもこれも、全部ルーシアのせいだ〜! うぅっ〜……」

 サーリアのように、慌てて赤面するくらいならまだよかったが、
 涙目になってしまったのを見て、琥珀は引き際を悟った。

 これ以上は、本当に泣かせかねない。

「……宜しければ、話して頂けませんか?
ルーシアさんという方についても知りたいですし」

「うっく……そうだね……じゃあ、何から話そっか……」

 そして、彼女は語り出す。

 自らが、まだ人として過ごしていた頃の、200年も前の思い出を。
 フォンティーユに伝えられる、天使と堕天使の闘いの話を。
 5年前と半年前に、フォンティーユを襲った疫病と、その真相を。

「じゃあ、サフィさん。あなたは……」

「そう……私、天使なんだよ。ほら、こうやって、ずーっとカウジーを見守ってたんだ」

 彼女はごろんと寝転がると、湖の水面に触れた。
 彼女の指を中心にして、いくつもの波紋が広がっていく。

 それが収まると、水面にはフォンティーユの景色が映し出された。

「あっ、凄いですねー。これも魔法なんですか?」

「うーんと……ちょっと違うかな。
魔法とは違う……天使の奇跡の一端だよ」

 琥珀も一緒に横になって、静かにフォンティーユの町並みを眺める。

 そこに映るのは、他愛もない日常。
 繰り返される日々の情景。

 人々の営み……、

「サフィさん、淋しく……ないですか?」

 静寂を破ったのは琥珀だった。
「…………」

 サフィは、顔を伏せたまま答えない。
 きっと、言葉にならないのだろう。

 同じ時間、同じ場所の、同じ出来事を目にしてはいても、
一方は当事者で、もう一方は遥か上天の傍観者。

 何らかの気持ちを抱いても、それを分かち合うことはできない。

 お互いに言葉を交わせないから、
相手には自分の気持ちを伝えられないから、どんなに強い想いも伝えられない。

 相手が苦しんでいる時に、
手を差し出すことも、優しい言葉をかけることもできない。

 それが大好きな相手なら……、
 それはきっと、辛いとか、悲しいとか、淋しいのを全部ひっくるめて……、

 ……苦しいのではないだろうか。

 200年もの、その長い間の苦しさを推し量ることは、琥珀にはできない。

 だが、それでも……、
 好きな人に気付いてもらえないという点では、彼女も共感できる。

「前は……ね。今は、たまにカウジーとラスティが遊びに来てくれるから、ここも賑やかになったよ」

 サフィは水鏡から顔を上げ、辺りを見渡した。
 この場所は、200年もの長い時を重ねても変わらず静かで、そして穏やかだった。

 いや……そもそも、彼女が生まれる前からも、この場所は変わらなかったのかもしれない。

 カウジーやアルテと同じように、ある意味では彼女も永遠を生きてきたのだ。

「じゃあ……私も、こちらに遊びに来ても宜しいですか?」

「えっ……?」

「フォンティーユの街と行き来さえできるなら、機会を見つけて遊びに来ますよ♪」

「うっ、うん!いつでも大歓迎だよっ!」

 もちろん、彼女には、
琥珀の申し出を断る理由はなかった。

「まあ、行き来する方法はなくもないんだけど……」

「あ、サフィさん。ちょっと待って下さい」

 サフィが体を起こそうとすると、琥珀がそれを止めた。

「どうかしたの?」

「あの……サーリアさんの様子を見たいんです。
今日は、お休みなんですけど、私がいないから心配していないかな〜、と……」

「ちょっと待っててね、じゃあ家、の方から……」

 彼女は笑顔でそれに答えると、
手慣れた手つきでいくつもの波紋を起こす。

 水鏡に映し出される光景が何度か切り替わると、ウィネス魔法店内部の映像が現れた。

「ん〜……誰もいないみたいだよ? それにしても、随分散らかってるね」

「サーリアさん……片付けてないんですね。あの時のままですし……」

 テーブルの上には、いくつもの辞典や資料が散乱し、
その側には中身が残ったコップが。

 床にも同じようなコップが残っていたが、こちらは中身が零れている。

「サフィさん。私、ここで事故にあっちゃって、こっちに来たんですよ」

 琥珀が丁寧に説明する。
 だが、サフィの表情は驚きの色に染まっていた。

「ね、ねえ……体は?」

「はい? もう、サフィさんっ、おかしなこと聞かないで下さいよー。
私はちゃーんとここにいるじゃないですか☆」

 すれ違う二人の会話。

 だが、サフィには理解できた。
 琥珀が気付いていないだけなのだ。

「ま……まさか、肉体ごとこっちに来れたのっ!?」

「そういうことに……なるんですか?」

「だ、だって……そうじゃなきゃ、私と同じなんだよ?」

 彼女は、天使の力を開放した代償として、肉体を失った。
 カウジーとラスティはこちらに来れるのだが、あくまでもそれは意識だけ。

「あの……それだと、何か問題があるんですか?」

 彼女のあまりの動揺っぷりに、
何か悪い予感がしたのか、琥珀は恐る恐る尋ねる。

 サフィの表情は深刻だった。

「うん……意識だけなら、私が送ってあげられるし、逆に呼ぶこともできるんだけど……、
体を一緒にはしたことないから、もしかすると……」

「もしかすると?」

「体だけはこっちで眠ってて、意識だけが向こう側にいることになっちゃうから……、
幽霊みたいになっちゃうかもしれないよ?」

 琥珀自身、その手の話は好きなのだが、自分がそうなるのは御免だった。

 むしろ、彼女が幽霊になったのを想像してみればいい。
 イタズラしまくって、トンデモナイことになるのは火を見るより明らかだ。

 だが、そんな空気を吹き飛ばすかのように、ぽひゅん☆と彼女は変身した。

「ダメですっ! 諦めたら何事もそこで終わりです! ゲームオーバーです! 試合終了です!
生きてこそ掴める栄光だって、そんなことでは掴めないのです!」

「う、うんっっ! そうよね、諦めちゃダメだもんね!」

「ええそうです! そして、栄光も、幸せも、夢も……手を伸ばさなければ届かないんです!」

 一方は、かつて世界一の歌姫になるという夢を目指した者。

 もう一方は、自らの幸せを勝ち取るために、
実力では到底叶わない者を相手に、反旗を翻して戦いを挑む者。

 だから、アンバーのその言葉には重みがあったし、サフィもそれをとても感じていた。

「じゃあ……まずは、向こう側に行ける方法を考えよっか」

「はいっ! この蜂起少女まじかるアンバーの辞書は、
不可能の文字を墨塗りして検閲削除しちゃってますから、きっと手はありますよっ♪」

 晴れやかに、二人は笑いあう。

 暗かった空気は、もうその場にはなくなっていた。

 そして、それを吹き飛ばしたアンバーの機転は、
それ自体が、魔法と呼べるものだったのかもしれない。








<つづく>


あとがき

 今回は、前後編に分けての投稿になってます。

 というのも…欲を出しすぎて出しすぎて、過去の没ネタ等を復活させて詰め込んで、
「容量は通常の3倍っ♪我は赤い彗星なり〜〜!!」とか暴走してたせいです。

 もしも暴走しっぱなしだったら、年内に残りを仕上げていたかもしれませんが……、
 レポートのおかげで、丁度よくブレーキがかかりました。

 ……意外な所に、心のブレーキは潜んでいるものです。

 さておき、今回はいつもよりキャラが多いです。

 特に、ちっちゃいフィアとクララが、意外と動かしやすかったです。
 その分、もしかしたら思わぬところでチョンボがあったかもしれませんが……。

 ――あっ、サーリアが三毛猫じゃなくて黒猫なのは仕様です。

 それでは、今回はこの辺りで。
 続きは、来年までお待ち下さいな。


<コメント>

志貴 「さて、ビデオを見ていて、すっかり話が脱線してしまったが……、
    そろそろ、レン達を連れ戻す方法を考えないと……」(−−)
誠 「『琥珀さん達』じゃなくて、『レン達』って言ってるところに、
   志貴さんの素直な心情が表れてるな」(¬¬)
志貴 「やかましい……それで、何か方法は――って、うおっ!?
     お前、何で、いきなり小さくなってるっ!? しかも、猫耳猫尻尾っ!?」Σ(@□@)
誠 「いやまあ、色々と事情があって……」(;_;ゞ
シオン 「それはともかく……琥珀達を連れ戻す件ですが……、
      先程も言いました通り、今の状況では、完全に手詰まりです。
      せめて、琥珀の方から、こちらに対して、何らかの干渉があれば良いのですが……」(−o−)
秋葉 「いくらなんでも、そんな事……、
     あれでも、一応、琥珀は、普通の人間なのよ?」(−−ゞ
翡翠 「姉さんの、人並み外れた行動力に、期待する他、ありませんね。
     ところで、藤井様……一つ、お訊ねしてもよろしいですか?」(−−?
誠 「――えっ? なに、翡翠さん?」(・_・?
翡翠 「……どのような方法で、幼くなられたのですか?」(*−−*)
秋葉 「ああ、ここに琥珀がいれば、嬉々として調べてくれたのにっ!
     そして、その方法で、兄さんを幼くして……♪」(*^¬^*)
シオン 「そ、それは……大変、興味深いですね」( ̄¬ ̄)
誠 「うわっ! なんか、目的変わってるぅぅぅぅーーーーっ!!」Σ( ̄□ ̄)

 一方、その頃――

クララ 「そういえば、猫さん……お名前、なんてゆ〜の?」(・_・?
サーリア 「にゃにゃ〜(サリーアは、サーリアですぅ)」(T_T)
クララ 「ふ〜ん……サンデッカーっていうんだ〜」(^○^)
サーリア 「ふぎゃぎゃ〜!(サンデッカーじゃないですぅ〜っ!!)」(T△T)

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