夢――
夢を見ている――
夢の中で、俺は、一匹の猫だった。
淡い赤毛の猫になって、
住み慣れた街を、のんびりと散歩していた。
と、その途中――
俺は、見覚えのある少年の姿を見つける。
何故か、少年の顔は、
靄が掛かったように、ハッキリと見えない。
その少年が、こちらに向かって、ニッコリと微笑んだ。
少年の笑顔に惹かれるように……、
猫になった俺は、彼に向かって、楽しげに駆け出す。
そして――
――気が付くと、俺は、少年の腕の中にいた。
全身を染める赤――
それは、自身の毛の色か――
それとも、それ以外の、別の何かなのか――
――そんな俺を抱いて、少年が泣いている。
ポタリ、ポタリと……、
少年の流す涙が、俺を濡らす。
その涙の熱さに、俺の胸もまた、熱くなるのを感じた。
その瞬間……、
とても強い想いが……、
胸の内から、湧き上がってくる。
泣かないで――
悲しまないで――
――それ以上は、貴方の心が壊れてしまう。
声にならない声で……、
俺は、その想いを、少年に伝えようと足掻く。
だが、その想いは届かず……、
少年の悲しみは……、
どこまでも、深まっていくばかり……、
いけない――
このままでは、いけない――
伝えなければ……、
眠ってしまう前に……、
この少年に、想いを伝えなければ……、
俺は、小さな体に残された、
精一杯の力を振り絞り、少年へと手を伸ばす。
そして、少年の涙が、その手に落ち……、
その瞬間――
ぼやけていた少年の顔が、ハッキリと――
そこにいたのは――
紛れもなく――
幼い頃の、俺自身であった――
第208話 「彼岸花の夢」
――目を覚ました。
ゆっくりと体を起こし、
俺は、何気なく、自分の体に視線を落とす。
「……戻ってる?」
両手を何度も握り、その感覚を確かめ……、
俺は、自分の体が、
元通りに戻っている事を実感した。
一応、頭の上にも、手を置いて見る。
そこには、例のフサフサとした感触は無く……、
ついでに言うと、腰のあたりにあった違和感も、すっかり消えていた。
……どうやら、幼児化と猫化の両方が、同時に直ったらしい。
もしかしたら、二つの現象は、
ちょうど良い具合に、リンクしていたのかもしれない。
となると、スフィーさんり魔法の効果が切れたのが先なのか……、
それとも……、
猫の霊が、満足したのが先なのか……、
まあ、そんなのは、どちらでも良い事だ。
――そう。
俺の事なんて、どうでも良い。
それよりも――
今、夢で見た内容の方が――
「間違い無い……あれは、あの時の……」
ポツリと呟き、俺は、
首元に着けていた鈴飾りを取る。
そして、掌の上で転がる鈴飾りを、ジッと見つめ……、
「……そういう、ことかよ」
全てを理解した俺は……、
手早く着替えると……、
急いで、『あの場所』へと向かった。
我が家の庭――
その片隅に、小さな墓がある。
墓前にやって来た俺は、
そこで片膝を付き、両手を合わせた。
そして、墓の中で眠る『彼女』の冥福を祈り――
「気付かなくて、ゴメン……、
ずっと、俺の傍にいてくれてたんだな」
――語り掛ける。
俺が、幼かった頃から……、
『あの頃』から……、
ずっと、俺の傍にいて……、
俺の心を癒してくれていた、小さな命に……、
「偶然か、運命か……、
とにかく、この鈴飾りには、感謝しないとな……」
そう呟き、俺は、もう一度、手の中の、例の鈴飾りに視線を落とす。
猫憑きの鈴飾り――
それは、俺を猫化させた元凶――
スフィーさん達の話では、
無念の内に、死んでしまった猫の霊が憑依していており……、
……その霊が、装着者を猫化させている、とのこと。
そして、その無念を晴らしてあげれば、猫化の呪いは解ける、とも言っていた。
以前、リアンさんが猫化した時は、
とにかく、猫の霊を可愛がってあげたら、元に戻ったそうな。
だから、俺のもまた、
その例に則り、憑いた猫本能のままに、日々を過ごしていたのだが……、
……どうやら、それは間違っていたらしい。
俺に憑いた猫の無念……、
『彼女』が抱いていた願いは、たった一つ……、
それは……、
死に逝く自分を看取った人間――
心を壊してまで――
自分の為に、泣いてくれた少年――
――そんな彼に、伝えたかった想いがあった。
『――ありがとう』
たった、一言――
それだけを伝えたくて――
――『彼女』は、ずっと、この世に留まってくれていたのだ。
「俺も、ありがとうな……」
墓前に猫缶を置き……、
安らかに眠る『彼女』に、感謝の言葉を……、
――ちゃんと伝わったよ。
キミの気持ち……、
キミの想いは、ちゃんと届いたよ。
俺は、もう大丈夫だから……、
まだ、もう少し……、
時間が掛かるかもしれないけど……、
ちゃんと、自分を、許せるようになったら……、
忘れたりはしない……、
でも、悲しみを、受け止められるようにはなったから……、
だから……、
「……安心して、おやすみ」
もう一度だけ、手を合わせ……、
俺は、小さな墓に向かって、
吹っ切るように微笑むと、ゆっくりと立ち上がる。
そして、夏休み最後の日の朝の空を見上げると、大きく体を伸ばした。
「にゃ〜……」
と、そこへ……、
最早、耳慣れた猫の鳴き声……、
見れば、いつの間に現れたのか……、
ミストラルが、塀の上から、ジッと、俺を見つめている。
「おはよう、ミストラル……、
見ての通り、やっと元に戻れたよ」
軽く手を上げて、俺は、挨拶をする。
しかし、ミストラルは、
それには答えず、ただ、俺を見つめるだけ……、
猫化も解けたので、今の俺には、彼女の言葉は分からない。
でも、何となく……、
ミストラルの言いたい事が、理解出来たような気がした。
――それで、これからどうするの?
「そうだな……、
取り敢えず、鈴飾りを、リアンさんに返して……」
彼女の質問に、俺は、
顎に手を当てて、少し考えてみせる。
そして、ある事を思い付き、俺は苦笑を浮かべると――
「……猫でも、飼おうかな?」
俺が、そう言った瞬間――
我が家の周囲の、
至る所から、次々と現れる小さな影――
・
・
・
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
にゃ〜にゃ〜にゃ〜にゃ〜♪
そ、そういえば……、
俺って、猫達の間では、
理想の飼い主ナンバー1なんて云われてたっけ……、(大汗)
「は、はははは……、
コイツら、もしかして、ずっと狙ってやがったのか?」
カイト達を初め……、
見覚えの有る猫の姿も、チラホラと……、
待ってました、とばかりに、
俺に群がってきた、大勢の猫達は、自己主張を始める。
そんな彼らに、揉みくちゃにされながら……、
俺は、ふと……、
『彼女』の名前を思い出す。
葉みず花みず秋の野に――
ポツンと咲いた曼珠沙華――
韓紅に燃えながら――
葉のなかりこそ寂しけれ――
遠い昔の思い出に出会ったような――
懐かしい気持ちにさせられる、神秘的な花の名前――
『悲しき思い出』――
そんな意味を持つ花の名前――
・
・
・
「あ〜っ、もう、分かったよ!
お前達の中から選ぶから、そんなに群がるな〜っ!」
『にゃ〜ん♪』
今まで、ありがとう……、
俺の傍にいて……、
ずっと、見守ってくれて、ありがとう……、
俺は、忘れない……、
キミのことも、今年の夏の出来事のことも……、
そして……、
『あの日』のことも……、
・
・
・
「前もって言っておくが……、
我が家で飼えるのは一匹だけだからな」
『にゃ〜……』
「――文句言わないっ!
こっちにだって、色々と都合があるんだ!」
それは、とても悲しい思い出だけど……、
いつか、きっと……、
キミの名と同じ花ような……、
美しい想い出になると思うから……、
・
・
・
だから……、
ゆっくりと、おやすみ……、
<おわり>
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