Heart to Heart
第182話 「もう一人のお兄ちゃん」
『くっ、くそう……なんて手強い敵なんだっ!』
『私の強大なパワーが恐ろしいか、アリよ!』
『モゲーッ!!』
その日の夜――
さすがに、晩メシまで自炊するわけにもいかず……、
俺は、二人を連れて、毎度、お馴染みの天河食堂へ行くことにした。
そこで、偶然にも耕一さんに出会い、危うく誤解されそうになったりもしたが……、
まあ、それ以外は、特に問題も無く、
三人でテンカワラーメンを食べて無事に帰宅する。
で、帰り道の途中で、レンタルしてきた、
アニメビデオを見ながら、鹿島夫婦の帰りを待っていたのだが……、
『だが、しかし! こんな私も、家庭に戻れば、尻に敷かれたカカァ天下さ!』
『なんて大人気の無い攻撃なんだ! 家庭のストレスをぶつけてくるなんてっ!』
よりによって……、
何で、こんなキテレツな内容のアニメを……、(汗)
と、借りて来たアニメの、あまりの内容に、
頭痛を覚えつつ、俺は、チラリと壁に掛かった時計に目を向けた。
――8時32分。
旦那さんが、どんな仕事をしているのかは知らないが……、
どんな仕事であれ、父親の帰りが遅いっていうのは、
そんなに珍しい事じゃないから、それについては、別に良いとして……、
……問題は、二人の母親である鹿島さんの方だ。
いくら、デパートの改装準備に、
時間が掛かるとはいえ、いくらなんでも帰りが遅すぎる。
考えたくは無いが……、
まさか、事故にでも遭ったんじゃないだろうな?
と、俺がそんな事を考えていると……、
「お母さん達……遅いね」
「んに〜、お外、もう真っ暗だよ」
双子も不安に思ったのだろう……、
俺の服の袖をギュッと掴み、少し泣きそうな顔で、俺を見上げる。
そんな二人の顔を見て、俺は慌てて、不吉な考えを振り払った。
いかん、いかん……、
何をやってるんだ、俺はっ!
今、俺は、何の為に、ここに居るんだ?
この子達に、寂しい思いをさせない為に、ここに居るんだろう?
その俺が、二人を不安にさせるような事を考えてどうするって言うんだっ!
「ははは、大丈夫だって。ちょっと仕事が手間取ってるだけだよ」
俺は、二人の頭を撫でながら……、
努めて軽い口調で、話題を変える事にする。
「それより、もうすぐ寝る時間だそ? ビデオを見終わったなら、お風呂に入っておいで」
「――は〜い」
「……うん」
話の逸らし方が、少し露骨だったかもしれないが……、
俺の言葉に、なるみちゃんとくるみちゃんは、素直に頷くと、スクッと立ち上がる。
だが――
「…………」(じ〜)
「…………」(ジ〜)
何故か、二人は、そこから動こうとせず……、
それどころか、俺の服を掴んだまま、
何やら、期待に満ちた眼差しを、こちらに向けてきた。
なんか……、
凄く、イヤな予感がする。
二人の視線を前に、俺の第六感が危機感を訴える。
そして……、
当然と言うか、お約束と言うか……、
そういう悪い予感ほど、やたらと大当たりするわけで……、
「お兄ちゃん……」
「一緒に入ろうね〜♪」
「やっぱり、こういう展開になるのね……」(泣)
二人に手を引かれ……、
まるで、処刑場に向かう囚人の如く……、
……俺は、風呂場に向かうのだった。
「あ、あはははははははは……」(壊)
精も魂も尽き果てて……、
俺は、ヨロヨロとベッドに歩み寄ると……、
糸の切れた操り人形のように、バタリッと倒れ伏した。
そして、ゴロリと転がって、仰向けになると、片手で顔を覆い、壊れたように笑い出す。
ヤバかった……、
いやもう、本気でヤバかった。
いくら、相手は六歳とはいえ……、
いや、だからこそ、女の子と一緒にお風呂に入るなんて、精神的にキツ過ぎる。
くるみちゃんは、全く隠そうとしないし……、
なるみちゃんは、中途半端に隠すから、余計に意識しちゃうし……、
――えっ?
具体的に説明しろ、って?
まあ、何だ……、
風呂場での出来事を、一言で表すならば……、
――オサナイタテスジ?
「煩悩退散! 煩悩退散!」
ガンガンガンガンッ!!
俺は、咄嗟にマシンガンを取り出すと、
その銃身で、頭を何度も強打して、煩悩を消し去る。
「はあ、はあ、はあ……ふぅ〜」
あ、危なかった……、
もう少しで、親父の血が目覚めるところだったぞ。
何とか、理性を取り戻した俺は、マシンガンをしまいながら、安堵の溜息をつく。
ちょっと出血が酷くて、頭がクラクラするけど……、
まあ、この程度なら、いつもの事だし、すぐに回復するだろう。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
「んに〜、血が出てるよ〜」
いきなり、大声を上げて暴れ出した俺を心配したのか……、
お揃いの猫柄のパジャマを着た二人が、ベッドに上がって、俺の顔を覗き込む。
「あ、ああ……ちょっと長湯して逆上せただけだよ」
そんな二人に、少し苦しい言い訳をする俺。
まさか、風呂場で二人の裸を見て、
危うくアッチの世界に逝きそうになっていた、とは口が裂けても言えないし……、
「そういえば、ゆう兄も、一緒にお風呂に入った後は、いつも逆上せてたよね」
「……うん、そうだね」
どうやら、件の『ゆう兄』も、俺と同じ苦労を味わった事があるらしい。
やれやれ……、
その『ゆう兄』って奴も、大変だっただろうな〜。
と、まだ見ぬ『ゆう兄』とやらに、俺は思わず同情してしまう。
そんな俺に構わず――
「ゆう兄……今頃、どうしてるかな?」
「……そうだね」
今日、これで何度目だろうか……、
二人は『ゆう兄』との思い出話で盛り上がり始める。
そして、また――
今日、何度目かの疎外感――
「なあ、ちょっと訊いていいか……?」
自分は無関係だ、とは分かってはいたが……、
さすがに、こう何度も聞かされていると、
その『ゆう兄』って奴が、どんな奴なのか気になってくる。
だから、俺は……、
特に深く考えもせずに、二人に訊ねていた。
「……『ゆう兄』って、どんな奴なんだ?」
「…………」
「…………」
俺の言葉を聞いた途端、黙り込んでしまう二人。
その二人の反応を見て、俺は地雷を踏んでしまった事を理解した。
理由は分からないが……、
これは、彼女達に訊いてはいけない事だったのだ。
だが、今更、気付いたところで、もはや手遅れである。
「あ、あのさ、話したくないなら、別に……」
俯いたまま、二人は何も語ろうとしない。
そんな、今にも泣き出しそうな二人に、
何て声を掛けたら良いか分からず、俺は、ただ戸惑うだけ。
そして――
「まこ兄……」
「……本、読んで」
「――えっ?」
――絶対、泣かれる。
そう思って、覚悟を決めていたのだが……、
予想に反した展開に、俺は、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
「お兄ちゃん、ここ……」
「早く、早く〜」
ベッドに横になった二人は、
自分達の間に空いたスペースをポンポンと叩き、俺を促す。
どうやら、そこに横になって、本を読んで欲しいようだ。
「あ、ああ……」
正直、二人の様子に首を傾げたが……、
まあ、泣かれるよりはマシだろう、と、俺は部屋の電気を消す。
そして、二人の間に寝転がると……、
「それじゃあ、始めるぞ?」
「……うん」
電気スタンドを灯し……、
その淡い光の中で、本棚から適当に選んだ本を開いた。
「『恋は、いつだって唐突だ――』」
……。
…………。
………………。
「――んっ?」
まるで子守唄のように……、
淡々と、静かに、俺は本を読み進める。
と、その途中――
「すぅ〜、すぅ〜……」
「く〜……」
二人の微かな寝息を耳にした俺は、本を読むのを止めた。
見れば、二人とも、俺に身を寄せたまま、
まるで天使のような寝顔で、とても幸せそうに眠っている。
「……おやすみ」
二人を起こしてしまわないように、俺は小声で呟く。
そして、今まで読んでいた本を、
そっとベッドの脇に置くと、電気を消す為に、電気スタンドに手を伸ばした。
と、その時……、
「――これは?」
枕元の傍に置かれた『ある物』に気付き、俺は手を止める。
それは……、
伏せられた写真立てだった。
「もしかして……」
見てはいけないと思いつつ……、
どうしても、好奇心に逆らえなかった俺は、その写真立てを手に取る。
そして……、
「――っ!?」
それに飾られた写真を見て……、
その写真の中にいた、意外な人物の姿を見て、俺は目を見開いた。
なんと――
それに写っていたのは――
「なるほど……そういう事だったのか」
その写真を見て、俺は全てを理解した。
『ゆう兄』とは、一体、誰なのか――
何故、彼の事を訊ねた時、二人は、あんな反応をしたのか――
そして――
俺が、ここに居る本当の理由を――
次の日――
昨日と同じように……、
いや、昨日よりも目一杯、俺達は楽しく時を過ごした。
朝メシで、ホットケーキのリベンジを済ませ……、
昨日は、ずっと家の中だったので、今度は外に繰り出した。
かくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたり――
いつもの公園で、猫達と一緒に、昼寝をしたり――
おやつの時間には、ファミレスで、一緒にパフェを食べて――
――でも、楽しい時間は、すぐに過ぎるものである。
あっと言う間に……、
空は茜色に染まり始めて……、
……俺達は、鹿島家へと帰って来た。
「おかえりなさい……楽しかった?」
どうやら、今日は定時に帰って来る事が出来たようだ。
手を繋いで帰って来た俺達を、玄関先で、鹿島さんが出迎えてくれた。
「……んに〜」
「お兄ちゃん……」
訊ねる鹿島さんの言葉に、二人は泣きそうな顔で、俺にしがみつく。
いや……、
それどころか……、
「帰っちゃヤダよ〜っ!」
「……ダメ」
帰って欲しくない――
ずっと、ここにいて欲しい――
そんな願いを込めた眼差しを、俺に向けてくる。
「なるみちゃん、くるみちゃん……」
二人の気持ちが嬉しくて、俺は目頭が熱くなるのを感じた。
出来ることなら、この達の願いを受け入れて上げたい。
もちろん、そんな事は出来ないのだが……、
それか出来ないのなら、せめて、今まで通り、優しく接して上げたい。
……でも、それではダメなのだ。
もう、終わらせなければいけないのだ。
これ以上……、
二人の幼い心を傷付けない為にも……、
「気持ちは凄く嬉しいけど、それは出来ないよ」
「……どうして?」
俺の言葉に、反論する二人。
そんな二人と目線を合わせる為に、俺は、その場にしゃがむ。
そして、彼女達の頭の上に手を置くと……、
柔らかな髪を手で梳きながら、諭すように、優しく問い掛けた。
「じゃあ、俺は……いつまで、祐一さんの代わりをすれば良いんだ?」
「――っ!?」
「……っ!?」
まさか、俺が知っているとは思ってもいなかったのだろう。
俺の口から、その名前を聞き、
二人は、驚きのあまり、大きく目を見開いた。
――『相沢 祐一』。
偶然とは恐ろしい、と言うべきか……、
なんと、俺の親友であり先輩である彼こそが、
二人の部屋にあった、あの写真に写っていた人物であり……、
……双子姉妹の、もう一人のお兄ちゃんだったのだ。
祐一さんと双子が、どんな経緯で知り合ったのかは分からないが……、
きっと、二人は、祐一さんを、
本当の兄のように慕っていたのだろう。
しかし、祐一さんは、去年の冬に、北国へと引っ越してしまった。
突然、ゆう兄が遠くへ行ってしまい……、
なるみちゃんとくるみちゃんは、寂しい日々を過ごす。
と、そこへ……、
この俺と出会ってしまったわけだ。
近所の公園で……、
いつも、ゆう兄と一緒に遊んでいた公園で……、
偶然、出会った年上の男の人――
もしかしたら、出会いが似ていたのかもしれない。
それとも、俺と祐一さんに、何処か共通したところを見つけたのかもしれない。
その理由は……、
当人達にしか分からないのだが……、
ただ、二人が、とても寂しい思いをしていた、という事だけは分かる。
そして……、
それ故に、二人は……、
俺のことを……、
「うっ、うっ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
大きな瞳に、涙を浮かべて、二人は俺に何度も謝る。
そんな彼女達の涙を、指で拭うと、
俺は、壊れ物を扱うかのように、二人を優しく抱きしめた。
そして……、
二人の耳元で、そっと囁く。
「大丈夫……俺は、怒ってないから」
――そう。
俺は、別に怒ってはいない。
むしろ、祐一さんの代わりにしてくれた事を、光栄にすら思っている。
何故なら、自分達の心の支えとして……、
そんな大役に、俺なんかを選んでくれたのだから……、
それに……、
この子達だって、つらかった筈なのだ。
誰かを、誰かの代わりにする事が、どれだけ相手を傷付けるか……、
心優しい二人は……、
その事で、ずっと、自分を責めていたのだから……、
でも……、
俺だって、一応、男である。
いつまでも、身代わりに甘んじているつもりはない。
祐一さんだろうが、浩之だろうが……、
いつかは、それ以上の男になりたいと思っているのだ。
だから――
「今は、まだ、祐一さんの代わりで構わない……」
俺は、二人から身を離すと、
未だ涙で濡れている瞳を、真っ直ぐに見つめる。
そして……、
「でも、いつかは……、
二人の一番になってみせるから、覚悟しとけよ」
まるで、宣言するかのように……、
いや、これは紛れもなく宣言だな。
『鹿島姉妹にとって一番のお兄ちゃんになってみせる』っていう宣言だ。
そう言って、俺は再び、二人の頭を撫でる。
すると……、
それが引き金となったのか……、
「うわぁぁぁぁぁーーーーーんっ!!」
「わぁぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ!!」
二人は、今度こそ、本格的に泣き始めた。
ギュッと俺にしがみつき……、
なるみちゃんとくるみちゃんは、大声で泣き続ける。
そんな二人が泣き止むまで――
泣き疲れて、眠ってしまうまで――
俺は、二人を抱きしめ、頭を優しく撫で続けた。
「「――大好き」」
俺の耳元で呟いた……、
彼女達の精一杯の気持ちに、胸を熱くしながら……、
……。
…………。
………………。
「んふふ〜♪ 修正、修正っと♪」
「…………」(汗)
ところで、鹿島さん……、
さっきから、どうも静かだと思ったら、
メモ帳なんか取り出して、一体、何を書き込んでるんです?
一応、言っておきますけど……、
俺が目指しているのは、
あくまでも、『二人のお兄ちゃん』であって……、
決して、『二人のお婿さん』じゃないんですけど――
「頑張ってね〜♪ もうすぐ、祐一君に勝てるわよ〜♪」
「…………」(大汗)
な〜んて言っても……、
どうせ、聞いちゃくれないんだろうけどさ。(涙)
これは……、
また、お仕置き決定だな……、
トホホホホホ……、(泣)
<おわり>
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