Heart to Heart

      第179話 「入浴タイム」







「あ〜……今日も一日、ご苦労さん、っと」





 ある日の夜――

 エリアが作った晩メシを美味しく食べた俺は、風呂に入っていた。

 やっぱり、一日の疲れを癒すには、
のんびりと風呂に入って、温まるのが一番だからな。

 ……まあ、これは、日本人特有の感覚なんだろうけどさ。

「ん〜、いい湯だ〜」

 熱過ぎず、ぬる過ぎず……、
 そんな適温のお湯の中で、俺は大きく伸びをする。

 と言っても、家庭用の狭いバスタブでは、それにも限界はあるのだが……、

「風呂は命の洗濯、ってか?」

 湯気で煙る天井を見上げつつ、
俺は、某特務機関の指令のようなセリフをと呟く。

 そして、乳白色のお湯の効能を堪能する為、ゆったりと肩までお湯に浸かった。

 ――そう。
 実は、今日の風呂の湯は乳白色だったりする。

 多分、新製品のキャンペーンか何かなのだろう。
 今日、エリアが薬局に行った時に、おまけで入浴剤を貰ってきたのだ。

 で、せっかくだからと、使ってみたのだが……、

「……たまには、こういうのを入れてみるのも良いモンだな」

 軽い温泉気分を味わいつつ、俺はタオルで顔を拭く。
 そして、充分に温まったところで、体を洗う為、バスタブから出ようと立ち上がった。

 と、その時――



「誠さん、お湯加減はどうですか?」

「――うおっ!?」



 突然、脱衣場の方から声を掛けられ、
俺は慌ててお湯の中に戻ると、タオルでヤバイところを隠す。

 見れば、ドアの曇りガラスの向こうに、エリアの姿が……、
 俺が、それを確認すると同時に、ガチャリと無遠慮にドアが開けられた。

「どうしました? 何か悲鳴が……」

「な、何でもない! 何でもない!」

 ヒョッコリと顔を覗かせたエリアに、俺は何度も首を振って答える。

 あ、危なかった……、
 もう少しで、思い切りムスコと御対面させてしまうところだったぞ。

 と、内心で胸を撫で下ろしつつ、俺はエリアに訊ねる。

「そ、それより、何か用か?」

「いえ、その……お背中でも流そうかと……」

「…………」

 やっぱり、な……、
 そんな事だろうと思ったよ。

 だいたい、予想通りの答えが返ってきて、俺は少しゲンナリしてしまった。

 このところ、俺が風呂に入る度に聞くセリフである。
 特に、フランが熱心で、家に泊まりに来ると、必ずと言ってくらいだ。

 ちなみに、これは、まだ大人しい方で……、
 あかねや母さんになると、一緒に入ろう、と言って、さらに過激になったりするのだが……、

 まあ、それはともかく……、

 どうして、そんなに俺の背中を流したがるんだろう?

 まあ、その気持ちは嬉しいんだけど……、
 俺の背中を流す、という事は、一緒に風呂に入るというわけで……、

 となれば、当然、服も……、


 ……。

 …………。

 ………………。


 ――い、いかんっ!!

 ダメだっ! 却下だっ!
 想像するなっ! カットカットカット!!

 思わず想像してしまった内容を、俺は某ワラキアの夜チックに振り払う。

 やっぱり、無理だ。
 俺は、自分の理性が信用できない。

 そんな事されたら、俺は確実にケモノになってしまう。

 まあ、エリア達の普段の行動から考えると、喜んで襲われてくれるかもしれんが……、

 でも、大切なことだし……、
 勢い任せっていうのは、ちょっと、な……、

 だから、俺は……、

 自分の理性を総動員し――
 可能な限り冷静を保ちながら――

 ――もう、決まり文句になりつつある言葉を返す。



「いや、自分で洗うからいいよ」



 今までは、こう言えば、
彼女達は大人しく引き下がってくれた。

 だが、今日のエリアは、いつもと一味違っていた。

 なんと、俺が、その決り文句を、
言い終えるよりも早く、思わぬ先手を打ってきたのだ。

「裸で入ったりしませんから、安心してください。
だいたい、私、もう先に、お風呂には入っちゃいましたし……」

「そ、そういえば、そうだったな……」

 あっけらかんと言うエリアに、俺は思わず納得する。

 確かに、エリアは、俺よりも先に風呂に入っている。
 っていうか、風呂に入る順番は、いつも俺が一番最後なのだ。

 現に、エリアはパジャマを着てるし……、

 それなら……、
 ちょっとくらい、お願いしても良いかな?

 なんて、俺の気持ちが揺らぎ始めたのを見計らったかのように……、

 エリアは、赤く染まった頬に、
そっと手を当てると、少し恥ずかしそうに、言葉を続ける。

「あの、誠さんが、どうしてもと言うなら、服を――」

「いや、脱がなく良い! 服を着たままで良いからっ!」

「分かりました♪ じゃあ、ちょっと待っててくださいね♪」

「――へっ?」

 俺の言葉を聞き、嬉しそうに微笑むと、エリアはドアを閉めた。

 そして、事の展開に付いて行けず、訳か分からぬまま、
呆然とする俺に構わず、ドアの向こうで、何やらゴソゴソとやり始める。

 ――あれ?
 今、何がどうなってるんだ?

 どうして、エリアは……、


 ……。

 …………。

 ………………。


 ――ジーザスッ!!

 なんてこったいっ!
 まんまと、エリアの誘導に乗せられてしまったっ!

 あの会話の流れじゃ、背中を流すのを了承した事になるじゃないかっ!!

 ぬぅ〜、エリアの奴……、
 いつの間に、あんな巧みな話術を……、

 いや、違うな……、
 こんなのは、エリアのキャラじゃない。

 これは、絶対に誰かの入れ知恵だ。

 となると……、
 一体、誰が、エリアにこんな事を……、

「……あいつか」

 何となく、エリアの背後に、勝ち誇った笑みを浮かべる、
幼児体型人妻の気配を感じつつ、俺は自分の失態を悔やみ、天を仰ぐ。

 だが、いつまでも悔やんでいても仕方が無い。
 ここは、素早く気持ちを切り替え、冷静に対処するようにしなければ……、

 どうせ、気持ちも揺らいでいたんだし……、

「――よしっ」

 俺は、お湯で顔を洗って、気持ちを落ち着け、覚悟を決める。

 さらに、興奮して、すっかり元気になっている、
悪いムスコを隠す為、しっかりと腰にタオルを巻き、バスタブから出た。

 ――さあ、来いっ!
 何があろうと、俺は理性を保ってみせるぜっ!

 まさに、気合充分っ!
 俺は風呂場の出入り口に背を向け、椅子に座る。

 そして、エリアが入って来るのを、今か今かと待ち構えた。

 だが、しかし……、
 そんな俺の覚悟は、脆くも崩れ去る。

 何故なら――



「……誠さん、失礼しますね」

「ああ、頼む……のわぁぁぁぁーーーーっ!!」



 ……裸ではないから大丈夫。

 そう思って、完全に油断していた。
 油断し過ぎて、思わず、風呂場に入ってきたエリアに振り向いてしまった。

 そして……、
 その姿を見た瞬間……、

 意表を突かれた俺は、思い切り狼狽えてしまった。

「な、何で……水着なんだよっ!?」

「何故って、パジャマのままでは、濡れてしまうじゃないですか」

「そ、それはそうだが……」

 よく考えてみれば、別に意識する必要など無いのだが……、

 あまりに予想外の事態に、
気が動転してしまった俺は、目のやり場に困り、視線を泳がせる。

 ――そう。
 なんと、エリアは水着姿で入ってきたのだ。

 しかも、以前、プールに行った時に着ていたビキニである。

 こ、これは、まずいっ!!
 裸よりはマシだが、これはこれで破壊力が……っ!!

 と、動揺しまくる俺に構わず、エリアは俺に歩み寄り、床に膝をついた。

「さあ、誠さん……背中を流しますから、前を向いてください」

「うっ、わ……」

 狙っているのか、いないのか……、
 軽く前屈み、という、微妙に挑発的な姿勢で、エリアが迫ってくる。

 慎ましいながらも……、
 しっかりと自己主張する二つの膨らみ……、

 その誘惑に圧倒され、俺は思わず後ずさる。

 ……と、それがいけなかった。

「――っ!?」

 無理な体勢で、そんな真似をしたものだから、バランスを崩してしのまったのだ。

 とにかく、俺はバランスを保とうと、床に手をつく。

 だが、不幸というのは重なるものなのか……、
 それとも、お笑いとお約束の神様が微笑んだのか……、

 俺が手をついた場所には、ちょうど石鹸が――

「――おわっ!?」

「きゃあっ! 誠さんっ!?」

 石鹸で手を滑らせ、余計に勢い良く、俺は後ろに倒れ込む。

 そして……、
 後頭部に鈍い痛みが走り……、



「誠さんっ! 誠さんっ! しっかり――」



 朦朧とする意識の中……、
 切羽詰ったエリアの声を聞きながら……、








 ……俺の視界は、暗転していった。
















「うっ……うう……」

「あっ、誠さん! 気が付きましたか?」

 そよそよと……、
 優しい風を感じて、俺はゆっくりと目を覚ました。

 目を開けると、心配そうな顔で、エリアが俺を見下ろしている。

 どうやら、風呂場で強く頭を打ち、
気を失った俺を、エリアがリビングまで運んでくれたようだ。

 そして……、

 コブが出来た俺の頭を膝に乗せて……、
 倒れた俺が目を覚ますまで、ずっと団扇であおいで……、

 やれやれ……、
 また、色々と面倒を掛けちまったみたいだな。

「ごめんな……」

「いいんですよ。私も、ちょっと調子に乗り過ぎちゃいましたし……」

 目を伏せて、謝罪する俺に、
エリアは頬を赤らめながら、そう言うと、小さく舌を出して肩を竦める。

 その仕草が、何だか可笑しくて、俺は苦笑を漏らしてしまった。

「ところで、いつまでこうしていましょうか?」

 そんな俺に、似たような笑みを返しつつ、エリアが訊ねる。

「ずっと、って言いたいところだけど……喉が乾いてしょうがないよ」

「じゃあ、麦茶を持ってきますね」

 俺の言葉に、エリアは心良く頷くと、
俺の頭を、自分の膝からクッションへと移し、立ち上がる。

 そして、いそいそと、キッチンへと走って行った。

「うっ、痛ぅ〜……」

 そのエリアの後姿を見送ると、
未だ、ズキズキと痛む後頭部を摩りつつ、俺は体を起こす。

 その時になって、俺は、自分がパジャマを着ている事に、ようやく気が付いた。

「そうか、エリアが着せて――」

 自分の姿を見下ろし、
エリアの心遣いに、俺は再び感謝する。

 だが、次の瞬間……、



「――って、ちょっと待てっ!?」



 ある可能性に……、

 いや……、
 その事実に思い至り……、

 ……俺は、力尽きた様に、バタリッとソファーに倒れた。
















 ――見られた。

 ――思いっ切り見られた。
















 しかも……、
 あの時、俺のアレは臨戦態勢だったはず……、

 それを……、
















 ノーカット……、

 無修正で……、
















 ……なんてことだ。

 俺は、エリアの裸を見てしまわないように……、
 なけなしの理性を総動員して、あんなにも努力していたのに……、



 俺は――
 何も見ていないのに――



 それなのに……、
 ああ、それなのに……、

 エリアには、こうもアッサリと……、
















 ううう……、

 なんか、不公平だぞ……、








<おわり>
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