Heart to Heart

    第177話 「メイドさんの休日」







 突然ですが……、

 ルミラ様が、また、ワタシに休暇をくださいました。





「――で、またしても、俺の家に来たってわけか?」

 ワタシの話を聞き終えた誠様は、
朝食後のお茶を一口啜ると、そう言って、大きく溜息をつきました。

 そんな反応に、少し不安を覚えたワタシは、食器を洗う手を止めると、恐る恐る誠様に訊ねます。

「……ご迷惑でしたか?」

「いや、そんなことは無いけど……」

 訊ねるワタシの言葉を、誠様は慌てて否定します。
 そして、軽く目を閉じて、暫く思案した後、ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めました。

「だだ、ちょっとビックリしただけだよ。
朝、目を覚ましたら、いきなり、フランが起こしに来てるんだもんな」

「申し訳ありません……」

 誠様のご指摘に、ワタシは深々と頭を下げます。

 今にして思えば、誠様に断りも無く、家に上がり込むなど、非常識にも程がある行為でした。

 いくら、合鍵をお預かりしているとは言え、
ちゃんと事前に連絡をしてから、お邪魔するべきでした。

 それなのに……、

 ――誠様を起こして差し上げたい。
 ――誰よりも早く、おはようを言って差し上げたい。

 そんな願望を抱いてしまったばかりに、このような失態を……、

「こっちこそ、ゴメンな……、
せっかく来てくれたのに、今日は、すばるさんに頼み事されてて……」

「大丈夫です。しっかりと留守を預からせて頂きます」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけどな……」

 そこまで言って、誠様は言葉を中断します。
 そして、何やら諦めたように、再び溜息をつくと、残りのお茶を飲み干して、立ち上がりました。

「まあ、いいや……じゃあ、そろそろ出るよ」

「――はい」

 濡れた手をエプロンの裾で拭きつつ、
ワタシは、玄関へと向かう誠様の後を小走りで追います。

 理由は、もちろん、誠様をお見送りする為です。

「お帰りは、何時頃になられますか?」

「う〜ん、すばるさんの用事の内容次第だけど……、
でも、フランが晩メシ作ってくれるなら、それまでには意地でも帰るよ」

「わかりました。それでは、いってらっしゃいませ」

「ああ、いってきます」

 どうやら、約束の時間が迫っていたようです。
 見送るワタシに、誠様は軽く手を振って応えながら、小走りで駆けて行きます。

 ワタシは、深く頭を下げ、そんな誠様をお見送りします。

 そして、走る誠様の足音が、
聞こえなくなったところで、ゆっくりと頭を上げると……、

「さて、それでは、まず、洗い物を済ませてしまいましょう」

 ……と、軽く気を引き締めつつ、家の中へと戻りました。
















 
パンッ! パンッ! パンッ!

 
パンッ! パンッ! パンッ!


「ふう……こんなところですね」

 季節は、もう残暑であるにも関わらず……、
 まだまだ、暑く、強く、照りつける太陽の下……、

 布団叩きを片手に、二階のベランダに立ったワタシは、
誠様のお布団のホコリをハタき終えると、その手を休め、軽く息をつきました。

 もちろん、自動人形であるワタシに『疲れる』という事などありません。

 まあ、働きすぎて身体機能を酷使すれば、
当然、その分、負担も掛かりますから、適度の休憩は必要なのですが……、

 まあ、何と言いますか……、
 ようするに、気分の問題です。

 それに、誠様の為に働くことは、ワタシにとって、負担でも何でもありませんし……、

「良いお天気……お布団を干すには最高の日ですね」

 目を細め、眩しい日差しを見上げながら、ワタシは呟きます。

 ――もっと、柔らかくなってください。
 ――もっと、あたたかくなってください。

 そして……、

「どうか、誠様が、気持ち良くにお休みになって頂けますように……」

 太陽の光を一杯に浴びたお布団に、
そっと顔を寄せて、ワタシは、そんな願いを込めました。

 その願いに応えるかのように、お布団からは、お日様の匂い……、

 それに……、
 これは、誠様の……、

「あ……」(ポッ☆)

 お布団に、微かに残った誠様の匂いに気付き、ワタシの全身から力が抜けていく。

 ああ、なんてことでしょう……、
 今、ワタシは誠様の匂いに包まれて……、


 
トゥルルルルルルル……

 
トゥルルルルルルル……


「――はうっ!?」

 お布団に残った誠様の匂いに、
すっかり浸っていたワタシは、突然、鳴り出した電話の音に、慌てて我に返りました。

 い、いけません……、

 デュラル家のメイドであるワタシが、
仕事中に物思いに耽ってしまう、などという失態を……、


 
トゥルルルルルルル……

 
トゥルルルルルルル……


「――って、早く電話に出なければいけませんね」

 取り敢えず、反省するのは後回しにして……、
 ワタシは、鳴り続ける電話に応対する為、急いで階段を降ります。

 そして、電話の前に立ち、一度、呼吸を整えてから、落ち着いて受話器を取りました。

「はい、藤井です。どちら様でしょうか?」

『あ、もしもし、相沢だけど……って、あんた、誰だ?』

「――は?」

 電話に出た途端、いきなり訊ねられ、ワタシは目を丸くする。

 そんなワタシに構わず、
電話の向こうの『相沢』という方は、話を続けます。

『みことさん、じゃないよな? 園村でも河合でもなさそうだし……』

「あ、ワタシは、メイドのフランソワーズと申します」

『――なっ!?』

 ワタシが簡単に自己紹介をすると、
相沢さんは、何を驚いたのか、突然、絶句してしまいました。

 ……何故でしょう?
 ワタシ、何かおかしな事を言ってしまったのでしようか?

『メイド……誠の家にメイド?』

 一体、何に驚いたのか……、
 相沢さんは、未だに放心状態から帰って来ない様子です。

「あの、誠様にご用事でしたら、ワタシが承っておきますが……」

『誠様っ!? 様ときたかっ!! なんて羨ましいっ!!』

「――は、はい?」

 このままでは、一向に話が進まないと考え、ワタシは話を切り出します。

 すると、先程までの放心状態から一転し……、
 いきなり、相沢さんは大声を上げ、今度はワタシが驚いてしまいました。

 そして……、
 そんなワタシを余所に……、





『くう〜っ! 羨ましいな〜! 俺もメイドさんに様付けで呼ばれてみたいぞ!』

『あははー、そういう事でしたら、佐祐理にお任せください〜♪』

『――えっ? さ、佐祐理さん?』

『それでは、早速、準備にかかりますね〜♪ 舞〜、行きますよ♪』

『……はちみつくまさん』

『お、おい、ちょっと……舞も佐祐理さんも、何処に行くんだ?!』

『あははー、祐一さん、楽しみにしていてくださいね〜♪』

『……頑張る』

『何を頑張ると言うんだ、お前らはぁぁぁーーーーっ!!』





 電話の向こうでは、何やら騒動が起こっているようです。

 相沢さんの他に、二人の女性の声が聞こえたような気がしましたが……、

 ちょっと、気になります……、
 一体、あちらで、何が起こっているのでしょう?

 と、そんな事を考え、首を傾げていると……、

『え〜っと……もしもし?』

「あ、はい……何でしょう?」

 相沢さんが、電話口に戻ってきました。

 何となく……、
 声に疲れが見えるのは気のせいでしょうか?

『ちょっと立て込んできたんで、用件は伝えられそうにない。
誠には、俺から連絡があったって事だけ、伝えておいてくれないかな?』

「かしこまりました。お名前は相沢様でよろしかったですか?」

『ああ、相沢 祐一だ……じゃあ、よろしく頼むよ』

「はい、それでは失礼します」


 
ガチャン……

 
ツー、ツー、ツー……


「…………」(汗)

 あれよあれよと言う間に、一方的に電話を切られてしまい、
ワタシは、受話器を持ったまま、呆然と、その場に立ち尽くしてしまいます。

 結局、何だったのでしょう?
 相変わらず、誠様のご友人には変わった人が多いようですね。

「まあ、悪い人では無さそうですが……」

 と、無理矢理、自分を納得させ、ワタシは受話器を置きます。

 そして、先程の電話の用件を忘れてしまわないように、
メモ帳に、相沢さんの名前を書き止めると、すぐに仕事を再開する事にしました。

 それでは、次は、お掃除をする事にしましょう。

 その後は、お夕飯の買出しです。

 誠様は、何が何でも、お夕飯までには帰ると仰っていましたから、
そのご期待に応える為にも、いつも以上に、腕に寄りを掛けなければいけません。

 ふふふふ……、
 楽しみにしていてくださいね、誠様♪
















 そして、夕方――


「そろそろ、誠様がお帰りになられる時間ですね」

 時計を見て、ちょうど良い頃合だと判断したワタシは、
お夕飯を作る手を止めると、誠様をお出迎えする為、玄関へと向かいました。

 ですが、途中で思い止まると、小走りで洗面所へと行き、鏡の前で軽く身なりを整えます。

 メイドたる者、人の前に立つ時は、常に清潔でなければいけませんからね。

 しかも、お相手が誠様となれば、尚更です。
 何があろうと、誠様に恥ずかしい姿を見せるわけにはいきません。

「――これで良いですね」

 ブラシで髪を整え、髪飾りの位置を直すと、もう一度、鏡の中の自分の姿を点検します。

 そして、何処もおかしな所は無いと確信すると、
今度こそ、誠様をお出迎えする為、玄関先へと向かいました。

「…………」

 スリッパから靴へと履き替え……、
 ワタシは、家の門の前で、誠様のお帰りを待ちます。

 その間は、一切、何もしません。

 ただ、ひたすらに……、
 ご主人様の、お帰りを待つのみです。

 普通なら、退屈で仕方の無い事なのでしようが、ワタシにとっては苦でも何でもありません。

 何故なら……、
 それは、ワタシがメイドだから……、

 お帰りになられた時は、誰よりも早く出迎え――
 誰よりも早く、おかえりなさいませ、と言って差し上げる――

 これが、ワタシのメイドの美学なのです。

 まあ、そうは言っても、
ワタシは誠様のメイドではないので、美学も何も関係無いのですが……、



「お〜いっ! フラ〜ン!!」



 と、そんな事を考えているうちに、誠様がお帰りになったようです。

 声がした方を向けば、誠様が、
大慌てで、こちらに走ってくるのが見えました。

「はあ……はあ……」

 余程、急いで帰って来られたのか……、
 帰宅した誠様は、膝に手を置いて、ハアハアと息をしています。

 そんな誠様の息が整うのを待ち、ワタシはペコリと頭を下げました。

「誠様、お帰りなさいませ」

「あ、ああ……ただいま……」

 出迎えたワタシに、誠様は優しい笑顔を向けてくださいます。
 ですが、その笑顔は、すぐに苦笑へと変わり……、

「別に、こんな所で待っていなくても良かったのに……」

 予想通り、ワタシがメイドとして振る舞う事を、
好ましく思っていない誠様は、ワタシの『メイドらしい行為』に、呆れている様子です。

 その気持ちは大変嬉しいのですが……、
 とは言っても、今更、それを改めるわけにもいきません。

 何故なら、メイドらしくある事が、ワタシの個性でもあるわけですから……、

 それが……、
 ワタシ『らしく』あることだと思いますから……、

 だから……、

「お気になさらないでください。
これは、ワタシが、お待ちしていたかっただけなのですから」

「まあ、そう言われちゃうと、何も言えないんだけどさ……」

 ワタシの言葉に、誠様は、諦めたように肩を竦めます。

 そして、おもむろに、ワタシの頭に、
そっと手を乗せると、いつものように頭を撫でてくださいました。


 
なでなで……


「ありがとうな、フラン」

「誠様、そんな勿体無い……」

「それと、今日はゴメンな……、
せっかくの休みだったのに、留守番なんかさせちまって……」

 誠様は、ワタシの頭を撫でながら、申し訳無さそうに顔を伏せます。

 どうやら、丸一日、ワタシを置いて、
家を留守にしてしまった事を気に病んでいる様子です。

 きっと、ワタシの休暇を無駄に過ごさせてしまった、と思っているのでしょう。

 でも……、



「誠様……そんなことはありませんよ」

「――えっ?」



 ――そう。
 決して、そんなことはありません。

 何故なら……、
 今日は、本当に、色々なことがあったから……、





 今日は、誠様を起こして差し上げる事が出来ました。

 今日は、誠様に、誰よりも早く『おはよう』を言う事が出来ました。

 今日は、誠様のお布団を、干す事が出来ました。

 今日は、誠様の為に、お食事を作る事が出来ました。

 今日は……、

 今日は……、

 今日は……、


     ・
     ・
     ・





 ほら、凄いです……、
 今日一日で、こんなにたくさんありました。

 素敵なことが――
 楽しいことが――

 ――こんなにも、たくさんありました。
















 だから……、

 だから、誠様……、
















「――今日は、とても有意義な一日でしたよ」








<おわり>
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