Heart to Heart

     第173話 「しゃぶしゃぶ」







「まこりん、今夜はご馳走だよ〜♪」

「――ほう」





 ある日の夕方――

 俺と母さんは、いつもの商店街へとやって来ていた。

 目的は、夕飯の買出し。
 俺の役目は、例によって、荷物持ちである。

「まこりん、今日の晩御飯は何が良い?」

「う〜ん……母さんに任せるよ」

「りょ〜か〜い♪」

 途中で出会った犬の背に乗った母さんと、そんな他愛の無い話をしながら、
俺達は、商店街の中にある、小さなスーパーへと向かう。

「ふしぎな、ふしぎな、こと〜ば〜♪ テテテテテテテテ、テレパシ〜♪
うちゅうのことばは、テレパシ〜♪ テテテテテテテテ、テレパシ〜♪」


「……頼むから、買い物くらい静かにしてくれよ」(汗)

 なんとも懐かしい歌を、恥ずかしげもなく大声で唄う母さん。
 そんな母さんにゲンナリしつつも、俺達はスーパーへと到着した。

「じゃあ、わんちゃんは、ちょっとここで待っててね」

「――わんっ!」

 店内にまで連れて行くわけにもいかず……、
 母さんは、犬の背から降りると、そう言って、犬の頭を軽く撫でる。

 母さんに頭を撫でられ、それはもう、嬉しそうにパタパタと尻尾を振る犬。

 そして、母さんの言葉に、ひと吼えして返事をすると、
その犬は、忠犬ハチ公よろしく、その場でお座りの姿勢をとった。

「さあ、行こっか、まこりん」

「あ、ああ……」

 母さんの見事な使役っぷりに感心しつつ、俺は店内へと入る。

「みーちゃんは、このへんにいるから、
まこりんは、わんちゃんに何か買って上げておいてね〜」

「はいはい……」

 早速、生鮮物の品定めをしている母さんに言われ、俺はペットフードのコーナーに向かう。

 そのコーナーで、適当な缶詰を手に取り、
レジで会計を済ませると、外で大人しく待っている犬のところへと戻った。

「ほら、今日はサンキューな」

「――わん♪」

 缶詰のフタを開け、目の前に中身を出してやると、
犬は嬉しそうに舌を出し、ガツガツと勢い良く食べ始める。

「それ食ったら、もう行っていいからな、ご苦労さん」

 瞬く間に、ドッグフードを平らげてしまった犬の頭を撫でつつ、礼を言う俺。

 だが、犬は全く動く気配を見せず、
相変わらず尻尾を振りながら、お座りの姿勢を維持する。

 どうやら……、
 母さんが出てくるまで待っているつもりのようだな。

「まあ、好きにさせておくか……」

 その視線が、スーパーの出入口から離れていない事に気付き、
犬の意思を何となく理解した俺は、それを尊重して、何も言わずに店内へと戻ることにした。

 その途中、チラリッと犬の方を振り返ったが……、

「…………」(汗)

 やっぱり、微動だにしていない犬の姿に、俺は感心を通り越して呆れ果てる。

 やれやれ……、
 母さんにかかったら、世界中の犬が忠犬化するんだな。

 しかも、犬の方から自主的に……、

 もしかして……、
 俺も将来、母さんみたいになるのだろうか?

 人狼でさえ手懐ける母さんの血を受け継いでいるわけだし……、

「……でも、虎とかライオンに懐かれるのは、ちょっと勘弁だよな〜」

 などと、馬鹿げた事をブツブツと呟きながら、店内に戻った俺は、
入り口付近に積み上げられた買い物カゴを持ち、母さんがいる生鮮食売り場へと向かう。

 だが……、
 そこには、既に母さんの姿は無く……、

「――あれ? 何処いったんだ?」

 俺は、空の買い物カゴを片手に、一人で母さんを探す羽目になってしまった。

「ったく、勝手に動き回るなよな〜」

 姿を消してしまった母さんに毒付きながら、俺は周囲を見回す。
 そして、近くには居ない事を確認すると、真っ先にお菓子売り場へと足を向けた。

 どうせ、また、オマケ付きのお菓子の物色でもしているに違いない。

 母さんは人妻のクセに、そういうの好きだし……、
 職場でも、三時のおやつは欠かさないくらいだからな。

 そういえば、以前、母さんにお菓子をねだられて、仕方なく買ってあげた事もあったっけ?

 息子にお菓子をねだる母親……、
 逆だろう、普通……、

 と、そんな事を考えつつ、俺はお菓子売り場へと到着する。

 しかし、俺の予想に反して……、

「ここにも居ないし……」

 そこにも、母さんの姿は無く……、
 結局、俺は、充ても無く、店内を歩き回る事になった。

 主婦の領域であるスーパーの店内――
 そんな中、買い物カゴを片手に歩く高校生――

 ハッキリ言って、思い切り浮いている。
 気のせいかもしれないが、周囲の視線が妙に気になる。

 うううう……、
 やっぱり、こういう場所は居心地が悪いぞ。

 雰囲気に堪えかね、自然と、俺の歩調は早くなっていく。

 大声で呼べば、すぐに見つかるのだろうが、
そんな目立つ真似が出来るわけも無く、俺は無言のまま、狭い店内を歩き回る。

 そして……、

「――見つけたっ!」

 肉が陳列されているコーナーで、
母さんの姿を見つけた俺は、そこに小走りで近付くと……、

「おいおい、勝手に動き回るなよ」

「――ほえ?」

 ……何事も無かったかのように、母さんに声を掛けた。

 俺の声に、後ろを振り向く母さん。
 そして、俺の顔を見上げるなり、何を思ったのか、ニンマリと微笑むと……、

「まこりん、今夜はご馳走だよ〜♪」

「――ほう」

 なんとなく、母さんの笑顔に危険な匂いを感じたが……、

 母さんが、俺が持つ買い物カゴの中に、
次々と、しゃぶしゃぶ肉を放り込んでいくのを見て、その警戒心はアッサリと霧散していく。

「今夜は『しゃぶしゃぶ』か?」

「そうだよ〜♪ さくらっち達も呼んで、みんなでしゃぶしゃぶパーティーだよ〜♪」

「おっしゃあっ!!」

 母さんの言葉に、思わずガッツポーズを取る俺。

 いきなり大声を上げたせいで、周囲の主婦達の注目を集めてしまっているが、
すっかり有頂天になった今の俺には、そんなものなど気にはならない。

 そうか〜♪
 今夜はしゃぶしゃぶか〜♪

「ふっふっふっふっ……
じゅる

「もう、まこりんったら……♪」

 今夜の晩メシに想いを馳せ、俺は思わずヨダレを拭う。

 そんな俺の様子を見て、
母さんもまた、それはもう楽しそうに、ニコニコと微笑む。

 その母さんの笑顔を見た瞬間……、

「――?」

 不意に、さきほど感じた危機感が、俺の脳裏に蘇った。

 今夜はしゃぶしゃぶ――
 さくらやあかね達と一緒――

 そして……、



「んっふっふっふっふっ……るんらら〜♪」

「…………」(汗)



 何やら妖しげな母さんの微笑み――

 それらの情報が、『しゃぶしゃぶ』という単語によって消え掛かっていた、
俺の警戒心を呼び覚ましていく。

 妖しい……、
 ハッキリ言って、かなり妖しい。

 特に、あのひよりんチックな笑い方が、妖しさに拍車を掛けてるし……、

 このバカ母……、
 今度は、一体、何を企んで……、


 ……。

 …………。

 ………………。








「まさか、さくら達の下着を脱がせて『ノー○ンしゃぶしゃぶ』とか……、
あまつさえ、自分もそれに参加しようだなんて、
馬鹿なこと考えてるんじゃないだろうな?」









 何となく……、
 あくまでも何となく……、

 ふと、思い付いた事を、俺はポツリと呟く。

 その瞬間――


 
――ピタッ!


 ――母さんの手の動きが止まった。

 そして……、
 数秒、間を置くと……、

「う〜……まこりんのイケズ〜」

 それはもう、残念そうに……、
 買い物カゴに入れた大量の肉を、元の場所に戻して行く。

「……図星かよ」(大汗)

 あまりにも分かり易い反応に、俺は眉間に寄ったシワを指で揉み解す。

 やっぱり……、
 そういう、ロクでもない事を考えていやがったか。

 やれやれ、早くに気が付いて助かったぜ。
 もし、気付かずに、計画を実行されていたら、どうなっていたことか……、

 でも……、
 これで、今夜のしゃぶしゃぶは中止か……、

 ホッとしたような――
 それでいて、ちょっと残念なような――

「……なんとも、複雑な心境だな〜」

 と、そんな事を考え、安堵と後悔の溜息をつきながら、
俺は母さんを手伝って、買い物カゴの中の肉を、元の陳列場所に戻していく。

 だが、しかし……、

 一度は決まったご馳走を……、
 この俺が、そう易々と諦められるわけも無く……、








「ちなみに、一応、訊いておくが……、
『ノーパ○』は抜きで『しゃぶしゃぶ』だけを楽しむ、って選択肢は無いのか?」

「――無いよ」(キッパリ)

「しくしくしくしく……」(泣)








 というわけで……、

 その日の晩メシは、豚肉の生姜焼きに決まりましたとさ。
















 はあ〜……、
 食べたかったな〜、しゃぶしゃぶ……、(泣)








<おわり>
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