Heart to Heart

      第152話 「ツインズ」







「お兄ちゃん……」

「――ん?」








 それは、ある土曜日の放課後のこと――

 学校帰りに天河食堂で昼メシを食べた俺は、
珍しく一人で帰り道を歩いていた。

 で、本当は、そのまま真っ直ぐ帰るつもりだったのだが……、

「……昼寝でもしていくか」

 ……メシを食ったばかりで、気が緩んでいたのだろう。

 帰り道の途中、いつも昼寝に利用している公園の前を通り掛った瞬間に、
真っ直ぐ家に帰る気が失せてしまった。

 そろそろ、冬服が暑く感じられるようになってきた今日この頃――
 だが、春の陽気はまだまだ残るこの季節――

 そんな公園の暖かな雰囲気と眠気に誘われるように、
俺はフラフラと公園の中へと足を踏み入れる。

 そして、適当なベンチに腰を下ろし、ゆったりと背もたれに体を預けた。


 
にゃ〜……

 
にゃ〜……


 俺が昼寝をしようとしているのを察したのだろうか。
 例によって、何処からか野良猫達が現れ、俺の周りに集まり出す。

 その内の一匹が、俺の膝の上に乗って体を丸くするのを見て苦笑すると、
俺はその猫の頭を軽く撫でながら、ゆっくりと目を閉じた。

 夏間近の春のぬくもりと、猫達の体温を感じながら、徐々にまどろんでいく俺。

 と、そこへ……、
 俺の眠りを妨げるように……、

「お兄ちゃん……」

 ……クイクイッと、俺の服の袖が引っ張られた。








「……何だ?」

 ちょうど気持ち良く眠りに付こうとしていたところを起こされた為、
俺は、ついつい、不機嫌な口調になってしまう。

 それどころか、目付きもかなり悪くなってしまっていたようで、
その小さな犯人を、すっかり怖がらせてしまった。

「ご、ごめんなさい……」

 どうやら、目を覚ました俺に睨まれたから、怒られると思ったのだろう。
 彼女はその小さな体を震わせながらも、ペコリと頭を下げた。

 そして、眼鏡の奥の大きな瞳に、いっぱいに涙を溜めて、
不安げに俺をジッと俺を見つめてくる。

 そんな彼女の様子に、俺は慌てて笑顔を取り繕うと……、

「ゴメンゴメン……別に怒ってないから」

 ……と、謝りつつ、目の前にいる幼い少女の頭を撫でた。

 ――そう。
 幼い少女、である。

 俺の袖を引っ張って、昼寝の邪魔をしたのは、この子だったのだ。

 二つのおさげに纏めた薄い緑色の髪――
 眼鏡の奥にある、ちょっと気弱そうな大きな瞳――
 鼻のあたりのチャームポイントともいえるソバカス――

 歳は、だいたい六、七歳くらいだろうか?
 まるで、小動物のような雰囲気を持った子であった。

「ほれほれ……いい子、いい子」

「…………」

 取り敢えず、彼女の気持ちが落ち着くまで、俺は頭を撫でることにする。
 と、その時……、

「……あれ?」

 俺は、何やら既知感を覚えた。

 ――はて?
 以前にも、こうやって、この子の頭を撫でてあげた事があるような……、

 ってゆーか、何で、俺はこの子に見覚えがあるんだろう?

「あのさ……」

「――?」

 頭を撫でながら話し掛ける俺に、可愛らしく小首を傾げる少女。
 そんな彼女の顔を見詰め、記憶の糸を手繰りながら、俺は言葉を続ける。

「もしかして、何処かで会った事ないか?」

「……う〜」

 俺がそう訊ねると、彼女は軽く顔を顰めた。
 どうやら、ちょっと怒っているようだ。

 ってことは、だ……、

 俺と彼女は、一度、会った事があるわけだな。
 彼女の反応を見る限り、それは間違い無いようだ。

 でも、一体、何処で……、

「わたし……なるみ」

 いつまで経っても思い出さない俺に、痺れを切らしたのだろう。
 ぷうっと軽く頬を膨らませながら、彼女は自分の名を告げた。

 その名前を聞いた事をきっかけに、
俺の脳の片隅で眠っていた記憶が一気に甦る。

「なるみ? なるみ…………おおっ!」

 『なるみ』という名前を聞いて、全てを思い出し、ポンッと手を叩く俺。
 そして、即行で彼女に、なるみちゃんに頭を下げた。

「忘れちゃっててゴメンね……なるみちゃん」

 ――覚えているだろうか?

 以前、この公園で、母さんを交えて、
ママゴトをして遊んであげた双子の姉妹のことを……、

 彼女は、その時の双子の片方で、名前を
『鹿島 なるみ』という。

 あの時、ちゃんと名前を聞いていた筈なのだが……、

 彼女達をママゴトをしている姿を志保に目撃され、あいつが広めた噂の所為で、
あらぬ誤解を受けてしまい、その騒動のドサクサで、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 うむむむ……、
 これは、なるみちゃんには悪い事をしてしまったな。

 双子のもう一人の方よりも、俺に懐いてくれてたし……、

 まあ、とにもかくにも……、
 忘れてしまっていた以上、俺は、ひたすら謝るしかないわけで……、

「本当にゴメン! もう絶対に忘れたりしないから、勘弁して!」

 やや大袈裟かもしれないが、まるで拝み倒すように両手をパンッと合わせて、
俺は何度も何度も、なるみちゃんに頭を下げる。

 そんな俺の誠意が通じたのか……、
 なるみちゃんは、その小さな両手で俺の手をキュッと握ると、ふるふると首を横に振った。

「……許してくれる?」

「うん……」

 訊ねる俺に、なるみちゃんはコクリと頷く。
 その返事を聞いて、ホッと胸を撫で下ろす俺。

 いや〜、良かった良かった。
 誰かに嫌われたままなんて、まっぴらだからな。

 それに、歳が離れているとはいえ、せっかく友達になれたわけなんだし、
出来れば、これからも仲良くしていきたいもんな。

 まあ、またママゴトに付き合わされるのは、勘弁してもらいたいが……、

 と、それはともかく……、

 すっかり話題が逸れてしまっていたので……、
 ってゆーか、最初から全然進んでいなかったので、俺は話を元に戻すことにした。

「で、一体、どうしたんだ? 何か、俺に用事があったんじゃなかったっけ?」

 一連の事で、今まで忘れてしまっていたが、
昼寝している俺を起こしたのはなるみちゃんである。

 俺の記憶が確かなら、なるみちゃんは、
結構、気弱で、引っ込み思案な子だったはずだ。

 そのなるみちゃんが、わざわざそんな真似をした、という事は、
俺に何か用事があったに違いない。

 しかも、相当、切羽詰った内容である可能性が高い。
 だいたい、いつも一緒の双子のもう一人がいない、というのも、不安要素だ。

 そう思った俺は、ちょっと真剣な顔で、その事をなるみちゃんに訊ねたわけだ。

 すると、なるみちゃんは、ハッとした表情を浮かべると、
見る見るうちに、また瞳を涙で潤ませ始める。

 そして……、

「……お兄ちゃん、くるみを助けて」

 そう言って、握ったままだった俺の手を引っ張った。
 こんなに小さな体の何処にそんな力が、と、思えるくらいに力強く……、

「わかった……案内して」

 それだけで、事の重大さを察した俺は、すぐさま立ち上がり、
なるみちゃんに案内を促した。

「うん……こっち」

 俺の言葉に頷くと、なるみちゃんは片手でゴシゴシと涙を拭い、
公園の奥の方を指差しながら、先立って走り出す。

 そのなるみちゃんの後姿を、俺は急いで追い駆けた。
















 で、現場に到着したわけだが――


「なるほど……こういうことか」

 その現場の状況を見て、瞬時に全てを理解した俺は、
一気に肩から力が抜けていくのを感じた。

 こういう言い方をすると不謹慎だが、ハッキリ言って拍子抜けである。

 なるみちゃんの様子からして、彼女の双子の妹のくるみちゃんが、
怪我でもしたのかと思ったのだが……、

 まあ、取り敢えず、状況の説明をすると、だ……、

 今、俺の目の前には、大きな木が一本生えている。

 そして、その木の枝の先に、ボールが引っ掛かっており……、
 さらに、同じ木の枝の付け根の部分に、少女が一人、しがみついて……、

 ちなみに、必死に枝にしがみついているのが、
なるみちゃんの双子の妹である
『鹿島 くるみ』ちゃんだったりする。

 ――さて、もう、お分かりだろう。

 ようするに、だ……、
 この双子は、ここでボール遊びをしていたのだろう。

 で、その途中、ボールが枝に引っ掛かってしまい、くるみちゃんが、それを取ろうと木に登った。
 だが、登ったのは良いものの、怖くて降りられなくなって……、

 ……とまあ、こういう経緯で、現状に至るわけだ。

「やれやれ……」

 木にしがみついているくるみちゃんを見上げつつ、
俺はあまりにもベタな展開に、軽く肩を竦める。

 だが、例えベタな展開でも、彼女達にとっては、重大なわけで……、

「お兄ちゃん、お願い……」

 俺の服の袖をチョイチョイと引っ張り、
潤んだ瞳で俺を見上げ、助けを求めるなるみちゃん。

 その眼差しは、木にしがみついている妹と同様に、必死そのものだ。

 ……さすがは双子だ。
 そんな表情まで、そっくりだな。

 まあ、くるみちゃんは眼鏡を掛けていないし、髪も短いし、
それに何より、とても活発な子だから、雰囲気は全然違うのだが……、

 なんか、芹香さんと綾香さんを連想させるな。
 あの姉妹も、外見はそっくりだけど、性格は正反対だし……、

 なんて事を考えつつ、俺は、なるみちゃんを安心させるように頭をポンポンッと叩くと、
今にも泣きそうな顔で、木にしがみついているくるみちゃんの真下に移動した。

 そして、もう一度、くるみちゃんを見上げ、その高さを確認する。

「そんな、大した高さじゃないだろうに……」

 俺が背伸びをして手を伸ばせば、ギリギリ指先が触れるくらいの高さだ。
 ハッキリ言って、どうってことない高さである。

 ……この程度の高さが、何でそんなに怖いんだろう?

 でもまあ、このくらいの女の子にとって、
自分の背丈の倍以上の高さってのは、案外、脅威なのかもな。

 これが男の子だったら、よっぽど怖がりじゃない限りは、平気で飛び降りるんだろうけど……、

 まあ、それはともかく……、

 いつまでも、怖い思いをさせるわけにもいかないし、
サッサと助けてやらないとな……、

「ほら……」

「――?」

 くるみちゃんに向かって、俺は両手を広げる。
 それがどういう意味なのか分からなかったのか、くるみちゃんは小首を傾げた。

「そこから飛び降りるんだよ。
大丈夫、ちゃんと受け止めてあげるから」

「……う〜」

 俺の言葉を聞き、くるみちゃんは不安げに俺を見下ろす。
 さすがに、飛び降りる、という行為は、くるみちゃんには無理なのかもしれない。

 ……だが、無理な相談なのは、百も承知だ。

 本当なら、俺が木に登って迎えに行ってあげたいところだが、
生憎、俺は女の子一人を抱えて木登りが出来る程、力持ちじゃない。

 浩之や耕一さんなら、そのくらいわけないのだろうが……、
 まったく、情けない話しである。

 とにかく、そういうわけなので、ここは、くるみちゃんに、
自力で何とかしてもらうしかないのだ。

「ダメだよぉ……やっぱり、怖いよぉ〜」

「くるみちゃん……俺を信じろ」

 どうしても、勇気が出せないのか、ふるふると首を横に振るくるみちゃん。
 そんなくるみちゃんを勇気付けるように、俺は優しく呼び掛ける。

「……頑張って、くるみ」

「なるみぃ〜……」

 自分の姉に心配をかけたくない、と思ったのか……、
 それとも、やはり双子なだけあって、姉の言葉が彼女に力を与えたのか……、

 なるみちゃんの励ましで、ようやく、くるみちゃんは涙を拭い、コクリと頷く。

 どうやら、覚悟を決めたようだ。
 くるみちゃんは、狙いを定めるように、俺を見つめる。

「ちゃんと受け止めてよ、まこ兄」

「おう、ちゃんと抱き止めてやるから、安心しろ」

 いつでも良いぞ、とばかりに、俺は両手を大きく広げた。
 緊張の為か、くるみちゃんの喉がゴクリと鳴る。

 そして……、

「――えいっ!」

 意を決したくるみちゃんは、
勇気を振り絞り、俺に向かって飛び降りて……、
















 
ごき゜ょっ!!


「――お゛うっ!」
















 ……膝が入った。

 しかも、顔面にクリーンヒット……、
















「うわぁぁぁんっ! ゴメンなさ〜い!」(泣)

「ごめんなさい……くすんくすん」(泣)

「いや、別に怒ってないから……」(汗)

 不可抗力とはいえ、俺に垂直落下式のニードロップをかましてしまった事を、
わんわんと泣きながら謝るくるみちゃん。

 妹がした事に責任を感じたのか、妹につられるように、泣いて謝るなるみちゃん。

 まさに、双子の姉妹による絶妙なユニゾンだ。

 そんな二人を前に、俺は、なるみちゃんから貰ったティッシュで鼻血を拭きながら、
どうやって宥めたものか、と頭を悩ませる。

 う〜む……、
 これじゃあ、まるで、俺がこの子達を泣かしてるみたいじゃないか。

 まあ、くるみちゃんに怪我は無かったから良いものの、
考え方によっては、余計にタチの悪い状況になってしまった。

 こんなところを、志保あたりにでも目撃されたら、
また妙な誤解をされて、とんでもない噂を広められてしまう。

 それだは、何としてでも避けなければ……、
 噂だけならともかく、さくら達のお仕置きも怖いしな……、

 とにかく、誰かに見られる前に、二人を泣き止ませないと……、

「頼むから、いい加減に泣き止んでくれよ。
俺は、全然、まったく、これっぽっちも怒ってないからさ」

「……本当?」

 勤めて優しく声を掛けると、二人は上目遣いに俺を見上げてきた。

 よしっ! 取り敢えずは、泣き止んだぞっ!
 あとは、このまま……、

 二人の涙が止まった事に安堵しつつ、俺はさらに、畳み掛けるように言葉を続ける。

「ああ、本当だ。だから、もう泣くのはおしまい。
泣かせちゃったお詫びに、今日は一日、一緒に遊んであげるから」

「……ボク達と遊んでくれるの?」

「うんうん……さあ、何をして遊ぼうか?」

「鬼ごっこっ!」

「……おままごと」

「はいはい。鬼ごっこでも、ママゴトでも、かくれんぼでも、
何にでも、お付き合いいたしましょう」

「「わーい♪」」

「あ、あはははは…………はあ〜……」(泣)
















 とまあ、そういうわけで……、

 強引に話題を変えることで、
双子姉妹を泣き止ませるのには成功したわけだが……、

 結局、その代償として、俺は、その日は一日中、
二人の遊びに付き合う派目になってしまったのであった。

 まあ、母さん曰く、たまには童心に返るのも悪くない、とも言うから、
別に良いんだけどさ……、
















 でも……、

 あの時、ちゃんとくるみちゃんを受け止めていれば、
こんな事にはならなかっただろうに……、

 どうして、こう、俺の意志とは関係なく、
やる事なす事が『お笑い』の方向に進んじまうんだろうな?

 ……もしかして、これがギャグキャラの運命ってやつか?

 そんなの、勘弁してくれよ……、








 トホホホホホ……、(嘆)








<おわり>
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