Heart to Heart

      第133話 「夫婦漫才」







「そういや、今日って『アレ』がやる日だっな」

 晩メシを食べ、風呂に入った俺は、
濡れた頭をバスタオルでわしわしと拭きつつ、時計を見た。

 時計は、すでに8時を少し回っている。

「おっと、ヤバイヤバイ」

 俺はテレビのリモコン片手に、
新聞でチャンネルを確認すると、スチッチを入れた。

 テレビ画面に、目的の番組が映し出される。

 別に何かの特番とか、そういうのじゃない。
 ただの歌番組だ。

 実は、先日、この歌番組に由綺姉が出演するという情報をさくらから聞いて、
一応、チェックを入れておいたのだ。

「よしよし……まだ始まったばかりだな」

 俺は満足気に頷き、ソファーに腰を下ろす。
 そして、リモコンを操り、少しだけテレビのボリュームを上げた。





『さあっ! 今夜も生放送でお送り致しております『ミュージックランド』っ!
早速、最初のゲストに登場して頂きましょうっ!』






 テレビ画面の中で、マイクを持った司会者が、声高々にそう言うと同時に、
派手なスモークが立ち昇り、その中から歌手が現れる。

「なんだ……まだ由綺姉の番じゃねーのか?」

 俺は由綺姉に関すること以外は、芸能界に全く興味は無い。

 司会者の紹介で出てきた歌手が、由綺姉じゃなく、
全然知らない歌手だったので、俺はテレビ画面から目を離した。

 どうやら、この番組はゲストを順番に入れ替えて進行していくようだ。
 だったら、由綺姉が出てくるまで、知りもしない歌手のトークや歌なんか聴く必要は無い。

「……さて、どうするかな?」

 と、見知らぬ歌手と番組司会者の面白くも無いトークを聞き流しながら、
俺はソファーから立ち上がった。

 そして、自分の部屋へと行き、愛用のノートパソコンを持ってリビングに戻る。

 由綺姉が出てくるまでは、別にテレビを見る必要もないからな。

 別にボーッと見てても良いけど、
興味の無い歌手なんか見てても面白くないし、時間も勿体無い。

 というわけで、どうせだから『電子の妖精』さんに頼まれていた、
プログラミングの続きでもやって、由綺姉の登場を待つことにしよう。

「〜♪ 〜♪」

 鼻歌を唄いながら、俺はパソコンの電源を入れ、
例のプログラムのファイルを開く。

 そして、テレビから聞こえてくる歌をBGMにしつつ、俺はキーボードを操り始めた。








 『イメージフィードバックシステム』――
 略して『
IFS』――

 それが、電子の妖精さんに頼まれているプログラムだ。

 いや……正確には、頼まれているのは、そのシステムのごく一部だ。
 なにせ、共同製作ってことになってるからな。

 なんでも、電子の妖精さんが所持している人格付与型
AI『オモイカネ』とのやり取りを、
より円滑にするシステムらしい。

 もし、このシステムを実現させる事ができたなら、
世界のコンピューター事情は、ちょっとシャレにならないことになるぞ。

 今はまだ、ユーザーの音声認識によるものでしかないけど、このシステムを発展させれば、
ユーザーの思考をコンピューターにダイレクトに伝える事も可能になるかもしれない。

 そうなれば、特別な知識なんか無くても、誰にでもコンピューターを扱えるようになるし、
それを応用すれば、どんな乗り物だって、訓練無しで自在に操れるようになる。

 もっとも、その為には、各コンピューターに『オモイカネ』級の
AIが必要になってくるから、
コスト面の事を考えると、まず実現は不可能だろうけど……、

 だいたい、オモイカネ自体、とんでもないシロモノだ。

 マルチ
に搭載されている超並列処理演算神経網コンピューターPNNC‐205J』には、
遠く及ばないものの、個人が所有する
AIにしては、あまりに高度過ぎる。

 それを世界中の全てのコンピューターに搭載するなど、夢のまた夢だ。

 まあ、人類の発展ってのは凄まじいものがあるから、
もしかしたら、遠い未来には現実になっているのかもしれないけど……、








『それでは、桜井 あさひさんに唄って頂きましょう。
曲は『恋わずらい』です』



「――ん?」

 聞き覚えのある名前を耳にして、俺は思考を中断させ、
作業する手も止めて、テレビに目を向けた。

 そこには、ちょうど歌を唄い始めた、一人の女性の姿が映っている。

 芸能界には興味の無い俺も、さすがにその女性の事は知っていた。
 『桜井 あさひ』といえば、今ではかなり有名なアイドル声優だからな。

 しかし、いくら有名とはいえ、所詮はマイナーな声優界だ。
 その声優が、こういう番組にも出てくるとは、世の中も変わったモンだよな。

 と、そんな事を考えつつ、俺は休憩がてら、桜井 あさひの歌に耳を傾ける。


『よ〜う〜せ〜い〜た〜ち〜も〜わ〜らう〜〜♪
よ〜の〜な〜か〜あ〜ま〜く〜は〜ない〜〜♪』



 そして、その歌が終わったところで、チラリと時計を見た。

 余程、プログラミングに集中していたのだろう。
 時計の針は8時40分を過ぎていた。

 番組内では、桜井 あさひが退場していく。
 多分、次が最後のゲストだろう。

 となれば……、


『今週最後のゲストっ! 森川 由綺さんに歌って頂きましょうっ!
曲はもちろん『WHITE ALBUM』ですっ!』



 司会者の紹介と同時に、お馴染みのイントロが流れ始め、
観客の拍手と歓声に導かれるように、由綺姉がステージに登場した。

 そして……、


『すれ〜ち〜がう〜、まい〜に〜ちに〜が〜、ふえてゆくけ〜れど〜♪
おた〜が〜いの〜、きもちはい〜つも〜、そば〜にい〜る〜よ〜♪』



 ……由綺姉の綺麗な歌声が、テレビのスピーカーを通じて、俺の耳へと届く。

 はあ〜……、
 やっぱり、由綺姉の歌はいいな〜……、

 と、俺は由綺姉の歌声に聞き惚れながら、ゆったりとソファーにもたれる。

 個人的な知り合いってことで贔屓目もあるかもしれないけど……、
 それを差し引いたとしても、由綺姉の歌声は、本当に綺麗だ。

 まるで、手の平に舞い落ちた雪が溶けてゆくように、
心の中に、ゆっくりと染み込んでいく……、


『たとえはな〜れ〜ていても♪ そのことば〜が〜ある〜か〜ら〜♪
こころから〜し〜あわせと、いえる〜、ふし〜ぎ〜だね♪』



 それにしても……、
 この曲って、まるで由綺姉と冬弥兄さんの関係を唄っているみたいだよな。

 会いたくても会えなくて――
 すれ違うばかりで――

 そして、時には、その不安に負けそうになって――

 でも、お互いを信じているから……、
 離れていても、想いは通じ合っているから……、

 ……だから、笑っていられる。

 由綺姉は……、
 どんな気持ちで、この歌を唄っているんだろう?

 冬弥兄さんは……、
 どんな気持ちで、この歌を聴いているんだろう?

 この曲を聴くたびに、俺は、そんな事を考えてしまう。

 でも、すぐに、それが無粋な事だ、と思い直す。
 何故なら、そんな事は、唄っている由綺姉の姿を見れば分かるのだから……、


『しろいゆき〜が〜ま〜ちに〜♪ やさしくつ〜も〜るよ〜に〜♪
アルバムの〜く〜うはくを〜、ぜんぶ〜、うめ〜て〜しま〜お〜♪』



 と、俺がそんな事を考えている間に、唄い終えた由綺姉の元に司会者が現れる。

 そして、司会者の当たり障りの無い質問や、冗談混じりのトーク、
最後に、近々開かれる由綺姉のコンサートの宣伝が終わって……、

 ……番組は、何事も起こらぬまま、エンディングを迎える。

 しかし、この番組は生放送である。
 いつ、どんな事が起こるかは、誰にも予想は出来ない。








 だから、当然……、
 この俺も、これから起こるとんでもない珍事を、全く予測してなどいなかった。








『さて、そろそろお別れの時間になってきましたし、
最後の挨拶は由綺ちゃんにしてもらいましょう』


『えっ……?』


 司会者にそう振られて、由綺姉は少しうろたえた表情を見せる。
 どうやら、これは予定には無く、司会者のアドリブのようだ。

 由綺姉……相変わらず、そういう事は苦手みたいだな。
 基本的に引っ込み思案だからなぁ。

 芸能界では、そういうのはマイナスだと思うんだけど、
ファンからにしてみれば初々しくて良いらしい、って言うんだから、よく分からないよな。

 と、そんな慌てる由綺姉の姿を見て、俺は苦笑する。


『ほら……頼むよ、由綺ちゃん』

『は、はい……』


 突然の司会者の言葉に、慌てた様子を見せた由綺姉。
 でも、それも一瞬のこと、すぐに落ち着きを取り戻し、マイクを構えた。

 そして、由綺姉カメラに向かってニッコリと微笑み……、


『え〜っと……今週のミュージックランドも、そろそろお別れの時間になりました。
また、来週のこの時間にお会いしましょう』



 ……そう言いつつ、カメラに向かって可愛く手を振る。

 その由綺姉のお別れの挨拶と同時に、画面の下にスタッフロールが流れ始めた。

 …………おっ?
 今、ADの項目のところに、冬弥兄さんの名前があったぞ。

「なるほど……」

 冬弥兄さんの名前と、画面に映る由綺姉の笑顔を見て、俺は一人納得する。

 由綺姉の奴……、
 今回はやたらと落ち着いてるな、と思ったら、冬弥兄さんが一緒だったからか。

 と、そんな由綺姉を微笑ましく思いつつ、
俺は由綺姉を応援している冬弥兄さんの姿を想像してみる。

 きっと、ADらしくカメラの下に陣取って、スケッチブックとマジック片手に仕事しながら、
心の中で由綺姉を応援してるんだろうな。


『それでは、みなさん、今宵も良い夢を……』


 と、俺が冬弥兄さんの姿を想像している内に、由綺姉が最後の締めのセリフを言い終える。

 しかし、放送が終了する気配は無い。
 それどころか、まだスタッフロールは続いている。

 どうやら、放送時間終了と締めのセリフのタイミングを、
上手く合わせられなかったみたいだな。


『…………』

『…………』

『…………』


 テレビ画面の向こうで、何とも間の悪い沈黙が続く。
 生放送ではよくある事とはいえ、これはかなり大きなミスだ。

 さて、番組側はどう対処するかな?
 こういう時こそ、司会者の腕の見せ所ってところだが……、

 と、俺が画面に注目していると、由綺姉の表情に変化が見られた。
 とある一点を、キョトンとした顔で見つめている。

 そして、由綺姉は……、





『ねえ、冬弥君? “のばせ”ってどういうこと?』





 
……思い切り爆弾を投下した。(爆)


「をいをいをいをい……」

 由綺姉のあまりの天然っぷりに、俺はソファーからずり落ちてしまう。

 勘弁してくれよ……、
 由綺姉、生放送でその発言は、かなりヤバイぞ。

 と、内心でツッコミを入れつつ、俺はソファーから落ちた身体を元の位置に戻す。





 これは、俺の予想でしかないが……、

 多分、撮影現場の現状はこんな感じなのだろう。

 おそらく、由綺姉が見ているのは、
冬弥兄さんが持っている指示用のスケッチブックだ。

 で、それには、由綺姉に『間を保たせろ』っていう意味で、
『のばせ』と一言書いてあったに違いない。

 だが、その言葉を意味を理解出来なかった由綺姉は、
その指示を出した冬弥兄さんに、思わず声に出して訊ねてしまったわけだ。





「由綺姉……天然すぎるにも程があるぞ」

 いくら冬弥兄さんとの関係が公然の秘密だとはいえ、
番組の放送中に冬弥兄さんの名前を出すなんて……、

 と、俺は頭を抱えて天井を仰ぎ見る。


『えっ? 挨拶を引き伸ばせ? ああ、そういうことなんだ……』


 俺が頭痛に悩まされている中、また冬弥兄さんから指示が出されたのだろう。
 それを見た由綺姉は、今度は比較的小さな声で呟く。

 まあ、それでも、その声はしっかりとマイクに拾われているのだが……、

 とにかく、一応、冬弥兄さんの指示の意味を理解した由綺姉は、
再びカメラに向かって微笑むと……、





『そ〜れ〜で〜は〜み〜な〜さ〜ん〜
ま〜た〜ら〜い〜しゅ〜☆』



『そういう意味じゃないっ!!』


 
スカーンッ!!


『きゃうっ!!』






「…………」(汗)


 あまりの由綺姉のボケッぷりに、
さすがの冬弥兄さんも我慢しきれなかったのだろう。

 おそらく、冬弥兄さんが投げつけたであろうマジックが、
画面の外から飛び、見事に由綺姉の頭にヒットする。

 さらに……、





『あう〜……冬弥君が怒った〜』(泣)


『放送中に俺の名前を
呼ぶなぁぁぁぁーーーーっ!!』






「…………」(大汗)


 マジックが命中した額に手を当てて、瞳を潤ませる由綺姉――
 そんなぽけぽけな由綺姉に絶叫する冬弥兄さんの声――

 ――そして、それと同時にテレビ画面が暗転する。


 ……。

 …………。

 ………………。


 あまりに唐突に放送が終了し、CMが流れているテレビ画面……、
 それを呆然と眺めながら、俺は……、

「……あの大ボケカップルが」

 ……と、呟き、大きく溜息をついたのだった。
















 まあ、何というか……、

 まさか、生放送の番組の中で、
夫婦漫才を見せつけられるとは思わなかったな。

 ……なんか、二人の事を色々と心配していた自分が、馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 結局――

 何処で何やってようが、由綺姉の天然っぷりは相変わらずなわけで……、
 俺なんかが心配する必要は、全然無いわけで……、








 それはともかく……、
 あんな事があった以上、一介のADはタダじゃ済まないだろうな。

 由綺姉や英二さんが、多少はフォローするだろうけど……、








 ……冬弥兄さん、ご愁傷様。(合掌)








<おわり>
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