Heart to Heart

   
  第125話 「究極の選択」







 
――カラン


「……げっ!?」








 そこは、何人たりとも邪魔する事は許されない場所――
 そこは、生理的欲求を満たす為のプライベートな空間――

 そこは、そんな不可侵の領域――

 ……それが、今、俺がいる場所だ。

 まあ、ようするにトイレなのだが……、
 今、俺は、そのトイレの中で、最大のピンチを迎えていた。

「……紙が無い」

 すっかり軽くなってカラカラと回っているトイレットペーパーを見て、俺は呆然と呟いた。

 ――そう。
 俺が迎えてしまった最大のピンチとは……、








 
……紙が無いってことなのだっ!!








 俺は常に快食快便をモットーとしている。

 そういうわけで、今日も腹一杯、さくら達が作ってくれたメシを食べ、
体に蓄積している老廃物を処理する為に、トイレへと入った。

 そして、おもむろにズボンとパンツを膝まで下げて、
便座に腰を落とし、躊躇すること無く、一気に目的を果たす。

 一種の快感ともいえる瞬間――

 その何とも言えぬ解放感に、しばらく浸る俺。

 そして、自分から排出された物をチラリと見て、自分の健康状態に満足した後、
俺は尻を拭く為に、いつもトイレットペーバーが備え付けられている場所に手を伸ばす。

 そこで、いつもなら紙が引き出されてくるのだが、
この時、俺の手に伝わってきたのは、予想外に軽い手応えでしかなかったのだ。

「……どうする?」

 自分の手の中にある、あまりに短い紙とトイペの芯……、
 それらを交互に見比べながら、俺は呻いた。

 さて……、
 どうやってこの状況を打破するべきか……、

 と、俺は真剣に考えつつ、今、自分の手にある物を見つめる。

 これだけで、何とか頑張ってみるか?
 いやいや……いくらなんでも、たったこれだけじゃ無理だ。

 だったら、トイペの芯を破り開いて、それで……、
 ……って、こんな固い紙で尻が拭けるわけないってのっ!

「――ちっ、俺としたことが、とんだ大ポカだな」

 紙とトイペの芯をゴミ箱に放り込みつつ、俺は軽く舌打ちし、
トイペがあるかどうか確認しなかった自分の迂闊さを呪った。

 しかし、文句を言ったところで状況が変わるわけがない。
 とにかく、何か行動を起こさねーとな。

「う〜む……」

 というわけで、今、自分が出来ることを考えてみる。
 そして、俺の脳裏に浮かぶ三つの選択肢……、
















 
1.誰かを呼んで、トイレットペーパーを持って来てもらう。
 
2.物置まで自分で行って、トイレットペーパーを持って来る。
 
3.……手で拭く。
















 
……取り敢えず、『3』は問答無用で却下。


 ハッキリ言って、それは最終手段だ。
 ってゆーか、それは人間として、文明人として、間違った行為だろう。

 となれば、残るは『1』か『2』だな。

 やはり、こういう状況に陥った場合、予備のトイペを入手するっていうのが、
一番妥当かつベターな選択だろう。

 ……ただ、問題は、どうやって予備のトイペを手に入れるか、だ。

 『1』と『2』……、
 どちらの方法を取ったとしても、トイペは確実に入手できるだろう。

 しかし、『1』の場合、その『誰か』ってのは、
当然、今、リビングにいるさくら達ということになる。

 出来れば、それは避けたいな。
 トイペが無いからって恋人に持って来てもらうなんて、かなり恥ずかしいし……、

 そういうわけで、残るは『2』だけど……、
 この方法は、かなり危険な賭けになる。

 トイレから予備のトイペがある物置まではほんの数歩の距離だ。
 運が良ければ、誰にも知られること無く、無事にトイペを入手できる。

 だが、もし万が一、その僅かな距離を移動しているところを、
さくら達に発見されようものなら……、

 ズボンとパンツを膝まで下ろして……、
 拭いてもいないケツを丸出しにしてトイペを求めるその姿……、

 ……そんな醜態晒しちまったら、百年の恋も冷めちまうぜ。
 それに、恥ずかしくて、しばらくお互いに顔は合わせられなくなるだろう。

 たかが予備のトイペの為に、そんなリクスの高い賭けをするつもりは無い。

 というわけで、残るは『1』だけとなったわけだが……、

「やれやれ……」

 結局、自分に残された道は一つしかなかったという事を思い知り、
俺は大きくタメ息をつく。

 そして……、

「まあ、この際、多少の恥には目を瞑るしかないか」

 ……と、覚悟を決めて、さくら達を呼ぶことにした。

 さて、となれば、誰を呼ぶかな?

 まず、さくらとエリアはダメだ。
 あの二人にこんな事を頼んだりしたら、何だかんだで意識しちまうだろうからな。

 フランだったら、特に気にしないだろうけど、最近、随分と親しくなったとはいえ、
一応、お客さんなわけだから、こんな事は頼めない。

 ……となれば、あとは消去法だ。
 さくらもエリアもフランもダメとなれば、残るはあかねしかいない。

 幸い、あかねはああいう性格だからな。
 俺がこんな事を頼んでも、そんなに意識はしないだろう。

 というわけで……、

「お〜い! あかね〜! ちょっと来てくれ〜!」

 俺はトイレのドアを少しだけ開けると、
リビングにいるあかねに大声で呼び掛けた。

「うにゅ? まーくん、な〜に〜?」

 と、俺の声を耳にしたあかねは、トタトタと廊下を駆けて来る。

 よしよし……、
 これであかねにトイペを持って来てくれるように頼めば、無事、ピンチ脱出だ。

「あかね……こっちこっち」

 ホッとひと安心した俺は、ドアの隙間から手だけを出して、あかねを手招きする。
 そして、あかねがこっちに来るのを確認すると、姿を見られないようにドアを閉じた。

「まーくん? どうしたの?」

 気配で、あかねがドアの向こうで立ち止まったのがわかる。
 そして、あかねはドア越しに俺に訊ねてきた。

「あかね……悪いけど、トイレットペーパーを持ってきてくれ」

「無かったの?」

「ああ……そういうわけだから、頼む」

「うん! じゃあ、ちょっと待っててね」

 俺の言葉に、あかねは返事をし、再び廊下をトタトタと駆けて行く。

 そして……、
















「ねぇねぇ、さくらちゃ〜ん!
トイレットペーパーって
何処にあったっけ〜?」

















 あかね……、
 何かもう、全部台無しだよ……、(泣)








<おわり>
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