Heart to Heart

    
第108話 「メイドさんにご褒美を」







 ある日の土曜日の放課後――

 俺はコートの前を合わせながら、家路を急いでいた。

 うううっ……、
 この頃、寒くなってきやがったなぁ……、

 と、身体を縮こませながら、俺は歩く速度を速める。

 あっという間に紅葉の季節は過ぎ去ろうとしていた。
 俺の身体を叩き、体温を奪っていくこの冷たい風が、それを如実に物語っている。

 もうすぐ冬か……、

 と、俺はちょっと感慨に耽ってみる。

 そういえば、あの人、確かこの冬に北国に引っ越すって言ってたな。
 となると、もうそう簡単には会えなくなる。

 ……今度、久し振りに会いにかな。
 さくらとあかね、それとエリアも誘っていこう。

 あの人には、ちゃんとエリアの事も紹介しておきたい。
 ハッキリ言って、かなり非常識な事情だけど、あの人なら疑わずに信じてくれるだろう。

 と、そんな事を考えつつ、最後の曲がり角を曲がったところで……、

「――ん?」

 ……俺は、家の前に居る奇妙な人影を発見した。

 綺麗な金髪に良く似合う白いフリルの付いたカチューシャ――
 紺色の服の上に身につけた、これまたフリルのついた純白のエプロン――

 ……そう。
 その姿は、見紛うことなき……
メイド服っ!!

 そのメイド服姿の女の子が、竹ボウキを持って、俺の家の玄関先の掃除をしていた。
 しかも、それがさも当たり前の事の様に……、

「…………」

 そんな、ある意味、絶句ものの光景を目にして、
俺は思わず呆然と立ち尽くしてしまう。

 ……間違いないよな?
 俺の気のせいでもないよな?

 あそこにいるメイド服の女の子は……、

「……あ」

 ふいに、メイド服の女の子が掃除の手を休めた。

 俺の存在に気が付いたのだろう。
 竹ボウキを両手に持ったままの姿勢で、俺に視線を向ける。

 そして……、


「お帰りなさいませ、誠様」


 メイド服の女の子……フランは、
礼儀正しくペコリと頭を下げて、俺を出迎えたのであった。
















「……で、どういうつもりなんだ?」

 取り敢えず、外で立ち話するのは寒いので、
俺はフランを伴って、家の入ることにした。

 で、部屋着に着替え、リビングのソファーにお互い落ち着いたところで、
俺はそう話しを切り出す。

「と、言いますと?」

 俺の隣りにちょこんと腰掛けたフランが、俺の言葉に首を傾げた。

 どうでもいいが、普通、こういう時は俺の正面に座るもんじゃねーか?
 まあ、別に良いんだけどさ……、

 と、それこそどうでも良いような事を考えつつ、俺は軽く溜息をついた。
 フランの口調から、どうやら本気で言っている事がわかったからだ。

「だから、何でそんな恰好で、俺の家の玄関先の掃除なんかしてたんだよ?」

 俺がそう言うと、ようやく合点がいったようだ。
 フランはポンッと手を叩く。

「ワタシにもよく分からないのですが……ルミラ様にそうしろと言われたので」

「…………」

 フランの言葉を聞き、俺は頭を抱えた。

 やっぱり、ルミラ先生の差し金か……、
 ったく、あの人は何を考えてるんだ?

 ううううっ……、
 これで、また、ご近所様に妙な噂を提供してしまったな。

 あんな恰好で家の前を堂々と掃除なんかされたら、
どんな噂が立つのかは想像に難くない。

 ルミラ先生、恨みますよ……、

 一瞬、何やらロクでもない悪戯を思いついた様に微笑むルミラ先生の顔が、
俺の脳裏を横切っていく。

 ぬう……、
 しかし、このままでは、ルミラ先生の思惑通りになってしまうかもしれんな。

 あの人が一体何を考えて、フランにそんな指示を出したのかは分からんが、
このまま状況の流れに任せてたら、絶対に面倒なことになるに決まっている。

 何としてでも、あの人の策略を阻止しなければ……、

 と、俺は頭脳をフル回転させる。

 でも、フランにメイドの恰好させて俺の世話をさせることで、
ルミラ先生にどんなメリットがあるって言うんだ?

 俺としては……まあ、フランの可愛い姿を見れて、非常に嬉しいけど……、

 そういえば、そもそもフランってメイド服なんて持ってたのか?

 ……ああ、そうか。
 昔、デュラル邸にいた時に着てたやつか。

 さすがは、由緒正しき吸血鬼。
 メイドもちゃんと形から入って……、

 ――ん?
 ちょっと待て……吸血鬼っ?!

「まさか……フランに奉公させた代償として、
俺の血を要求するつもりじゃねーだろうな?」

 俺が何となく呟いた推理を聞きつけ、すぐさまフランはそれを否定する。

「誠様、お言葉ですが、ルミラ様に限って、そのような姑息な……」

 と、そこまで言って、言葉を詰まらせるフラン。

 多分、ルミラ先生ならやりかねないと思ったのだろう。
 でも、立場上、それを正直に口にするのは憚れるってわけだ。

 そう考えると、何だかフランが可哀想になってきたな。
 あの濃いメンツと一緒に暮らしているわけだから、きっと気苦労も絶えないだろう。

 ルミラさんはいつも青少年の血を虎視眈々と狙ってるし……、
 アレイさんは某コンビニの店長の事で頭いっぱいだろうし……、
 メイフィアさんは暇があればパチンコ行ってるし……、
 イビルさんはすぐにカッとなって暴れるし……、
 エビルさんはバイトが忙しそうだし……、
 たまは……まあ、たまだし……、(笑)

 こうして考えると、一番常識的なのはフランなんじゅねーか?
 だとしたら、毎日のように苦労してるんだろうなぁ〜……、

 まあ、フランの場合、それを自分の存在意義というか、生き甲斐というか……、
 そういうふうに考えているんだろうけどな。

 でも、フランの苦労が分かっていながら、俺ってフランに何もしてやれねーんだよな。
 俺が出来る事って言ったら……、


 
なでなでなでなで……


「あ……」(ポッ☆)

 ……こうして頭を撫でで、一生懸命働いているフランを誉めてやれるだけ。

 だから、せめてこれくらいはしてやろう。
 フランが満足するまで、いっばいいっぱい撫でてやろう。


 
なでなでなでなで……

 
なでなでなでなで……


「フラン……お前も大変だな」

「……ま、誠様」(ポッ☆)


 
なでなでなでなで……

 
なでなでなでなで……


「ご苦労さん……これからも頑張ってな」

「はい……お心遣い感謝いたします」























 で、まあ、その後の事だが……、

 結局、今夜、フランは家に泊まっていくことになった。
 なんでも、最初から、ルミラ先生に、そうするように言われていたらしい。

 そういう事なら仕方が無いと、
俺はルミラ先生に血を要求されるのを覚悟で、フランが泊まる事に同意した。

 俺にとっては、ルミラ先生の思惑なんかは、もうどうても良くなっていたからな。
 何となくだけど、フランもそれを望んでい様に思えたし……、

 実際、俺の直感は、楽しそうに家事をするフランの姿を見た限りでは、
間違いではなかった。

 ……だが、

 俺はすぐにそれを後悔する羽目になった。

 ――何故なら、想像してみてほしい。


 
メイド服姿の美少女が、自分の家にいるんだぞっ!?
 
甲斐甲斐しくも、掃除なんかしちゃってくれてるんだぞっ!?
 
さらには、キッチンで晩メシまで作ってくれてるんだぞっ!?


 
これに萌えずして、
何に萌えると言うのだっ!!



 よく考えたら、俺ってメイドってのを初めて見たんだよな。
 おかげで、刺激が強い強い。

 何度、理性が跳びそうになった事か……、

 特に、一番ヤバかったのは、就寝時間になった時だな。
 なにせ、俺が部屋で寝ているところへ……、





「……夜のお勤めです」(ポッ☆)





 ……とか言って、メイド服のままベッドに潜り込んで来た時は、
本気でどうにかなっちまうところだった。

 何でも、夜はご主人様(俺のことか?)に御奉仕するのが、
正しいメイドのあり方だ、と教わったらしい。

 ったく、間違いなくルミラ先生とメイフィアさんだな。
 そんな嬉しい……じゃなくて、ふざけた知識をフランに教えたのは……、

 で、まあ、何とか崩壊寸前の理性を奮い立たせて、
何とか添い寝だけで思い止まったけど……、








「すー……すー……」


 
すりすり……


「…………」





「ううん……ご主人様……」


 
――ぎゅっ


「…………」








 
……眠れんっ!!








 頼むよ、フラン……、

 俺を信用してくれるのは非常に嬉しい。
 俺だって、その信用に答える為には、努力を惜しむつもりは無い。

 でも、頼むから……、

 身体をすり寄せないでくれ。
 ギュッて抱きつくのは止めてくれ。
 足を絡めるのも勘弁してくれ。

 そして、何より……、


 
寝言で俺をご主人様って呼ぶなぁーっ!!


 お前の口からその禁断の単語が出る度に、
俺の薄っぺらい理性が揺さぶられるんだよ。

 うぐぐぐぐ……、
 このままでは、精神衛生上、非常によろしくないぞ。

 ……断言できる。
 いつまでもこの状況が続いたら、間違い無く、俺は暴走するぞ。

 ちょっと前の俺だったら、この程度で取り乱したりはしなかっただろうけど、
最近、浩之チックになりつつある俺では、いつまで理性を保てることやら……、

 でも、いつの間に、俺ってこんなふうになっちまったんだろう?

 ……もしかして、欲求不満なのかな?

 ああ……、
 早く、早く眠ってしまいたい。

 そうすれば、この生き地獄から解放される。
 蛇の生殺し状態から逃れることができる。

 しかし……、

「……んっ……ご主人様ぁ……」

「…………」

 俺の胸に顔を埋めるフランのぬくもりと柔らかさに、
とんどん目は冴え、意識は覚醒してしまう。

 いっそのこと、こっそりと逃げ出すか?
 何もこの部屋じゃなくたって、寝る場所なんか何処にだってあるし……、

「……すー……すー……」

「…………」

 ……でも、まあ、いいか。

 フランのこんなに可愛い寝顔が見ていられるなら、
寝不足になる価値もあるってもんだ。

 それに、幸い、明日は日曜日だしな。

 ……もしかして、ルミラ先生は、こうなる事を見越していたのかもしれないな。
 だとしたら、俺はまんまとルミラ先生の策略にはまっちまったってわけだ。

 なんとなくだけど……、
 本当になんとなくだけど、俺はルミラ先生の考えがわかったよう気がした。

 多分、ルミラ先生はフランの為に……、

 まったく、イチイチ回りくどい方法を取ったもんだな。
 まあ、フランの性格を考えれば仕方ないことなのかもしれねーけど……、

 もし俺の理性が跳んじまって、
取り返しのつかない事になったらどうするつもりだったんだ?

「う、うん……誠様……」

「おっと……」

 寝苦しかったのか、ゴソゴソと身体を揺するフラン。
 俺はそんなフランの頭を、赤ん坊をあやすように撫でてやった。

 すると、再びフランは静かに寝息を立て始める。

 まあ、いいや。
 あれこれ考えるのは、もう止めよう。

 今は、フランが少しでも安らいでいられるように……、

 ……ぞれだけを考えていよう。

「おやすみ、フラン……良い夢を……」

 フランの耳元でそう呟いて、俺はそっとフランの前髪を掻き上げた。

 そして、あらわになったフランの額に……、
















 そして、次の日――
















「ルミラ様、ただいま戻りました」

「おかえり、フラン……って、あらあら、すっかりご機嫌なようね?」

「は? そ、そうですか?」

「ええ、そりゃあもう♪ 誠君の家で良い事でもあった?」

「…………はい」(ポッ☆)

「そう……良かったわね」

「あの、ルミラ様……一つ、お訊ねしてよろしいでしょうか?」

「な〜に? まあ、何が訊きたいのか、だいたい予想はつくけど」

「……ルミラ様、どうして、ワタシにあのような指示をなされたのですか?」

「…………ご褒美よ……それと、お礼かしらね」

「ご褒美? お礼?」

「そうよ。あなたにはいつも世話掛けてるからね。
だから、そのお礼を兼ねたご褒美♪」

「……ルミラ様」

「昨日は楽しかった? 誠君にいっぱい甘えてきた?」

「…………はい。
ルミラ様、ありがとうございました」








<おわり>
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