Heart to Heart

     
 第105話 「わんだふる?」







「浩之さ〜んっ!」

「――ん?」

 長いようで短かった夏休みが過ぎ去り――
 鬱陶しい実力テストも、まあまあの成績で終え――

 そろそろ、紅葉の季節に入り始めた、そんなある日―ー

 ぶらぶらと公園を散歩していると、
いきなり、俺の耳にその声が飛び込んできた。

「……誰だ?」

 ……『浩之』という聞き慣れた名前を叫ぶ声。
 ……そして、その声もまた、聞き覚えがある。

「この声は、確か……」

 と、声が聞こえてきた方に目を向けてみと……、
 そこには……、

「浩之さ〜んっ! 何処ですか〜っ!」

 キョロキョロと周りを見ながら歩き回る琴音ちゃんの姿があった。

 琴音ちゃん、何してるんだ?
 どうやら、浩之を探しているみたいだけど……、

「おーい! 琴音ちゃん、どうしたんだ〜?」

「あっ! 藤井さん」

 俺の呼び声に気付いた琴音ちゃんは、トタトタとこっちに駆け寄って来る
 そして、俺の前で立ち止まると……、

「あの、藤井さん……浩之さんを見ませんでしたか?」

 ……と、かなり慌てた様子で訊ねてきた。

「浩之か? いや、俺は見てないけど……」

「そうですか……」

 俺の言葉に、ガックリとうなだれる琴音ちゃん。

 …………はて?

 確か、琴音ちゃんって、浩之のこと『藤田さん』って呼んでた筈だよな?
 でも、今、琴音ちゃんは『浩之さん』って……、

 まさか、いつの間にかそんな関係に?!

 浩之……お前、あかりさんという者がありながら……、
 さらに、マルチとまで一緒に暮らしながら……、

 今度は、琴音ちゃんにまで手を……、

 浩之、三股はいかんぞ〜、三股は〜。
 ……って、俺は人のこと言えんか。

 とにかく、俺としては、浩之の恋人はあかりさん以外は認めたくねーぞ。
 マルチは……まあ、恋人ってわけじゃねーから、別格として……、

 別に、琴音ちゃんがダメってわけじゃない。
 ただ、やっぱり、浩之にはあかりさんが一番だって思うんだよな。

 浩之の優しさやあたたかさは、あかりさんの存在があったからだ。

 それは、琴音ちゃんだって分かっている筈なんだけど……、

 だからこそ、琴音ちゃんも、
浩之とあかりさんを祝福していると思っていたんだけど……、

 と、俺がそんな事を考えていると……、


「わんっ!!」


「うおっ!!」


 突然、足元で犬に吼えられ、俺は思わずその場から飛び退いた。

 ……仔犬?
 いや、名前は知らないけど、コイツは小型犬だな。

 不意打ちで驚かされたが、別に犬は嫌いじゃない。
 すぐに落ち着きを取り戻し、俺はその犬を観察する。

 首輪をしてるって事は、飼い犬か?
 一体、いつの間に俺の足元に寄ってきたんだか。

「お前、俺に気配を感じさせずに寄ってくるとはなかなか……」

 と、俺がその犬を抱き上げようとした、その時……、


「浩之さんっ!!」


「……はい?」

 琴音ちゃんの思わぬ発言に、俺は固まってしまう。

「もう、浩之さんったら、何処に行ってたんですか?」

 そんな俺に構わず、琴音ちゃんはヒョイッと犬を抱き上げる。
 それを硬直したまま、目で追う俺。

「ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃうんですから……めっ!」

「きゅぅん……」

 琴音ちゃんに額を突付いて叱られ、犬は元気の無い鳴き声を上げる。
 一応、反省はしているようだ。

 って、それはともかく……、

「あ、あのさ……琴音ちゃん」

 何とか硬直から立ち直った俺は、
琴音ちゃんの腕に抱かれた犬を指差し、恐る恐る訊ねる。

「浩之って……コイツのこと?」

「はい。そうですよ」


「なんてこったいっ!!」


 さも当然といった感じで頷く琴音ちゃんに、俺は大袈裟に頭を抱えた。

 ああ、浩之……、
 お前、いつの間に、こんなに可愛らしい……じゃなくて、
こんな姿になっちまったんだ?

 原因は何だ?
 やっぱり、芹香さんの黒魔術か?
 どうせまた、変な薬を飲まされたんだろう?

 ったく、前から忠告しておいたじゃねーか。
 いくら相手が芹香さんだからって、妙な薬は程々にしとけって……、

「……事情は分かった。知り合いにそういう事に詳しい人がいるから、
その人に頼んで元に戻してもらおう」

 溜め息混じりにそう言って、俺は琴音ちゃんから『浩之』を奪い取ると、
そのまま真っ直ぐに五月雨堂へと向かう。

 多分、スフィーさん達なら、何とかできるはずだ。
 こういうのはエリアじゃ無理だろうからな。

 スフィーさん達でダメなら、ルミラ先生だ。
 血を要求してくるかもしれんが、まあ、仕方ない……、

「あ、あの……藤井さん」

「あ? 何だ?」

「あの……何か誤解してるみたいですけど、その子は普通の犬ですよ」

 琴音ちゃんのその言葉に、俺はピタッと立ち止まる。

「普通の犬って……だって、さっき、コイツのこと『浩之さん』って……」

 と、俺が訊ねると、琴音ちゃんはちょっと恥ずかしそうに俯く。

「で、ですから……『浩之さん』っていうのは、その子の名前で……、
その子は、わたしが飼っている犬なんです」(ポッ☆)

「……はい?」

 一瞬、琴音ちゃんの言っている事が理解できず、首を傾げる俺。

 えーっと……ちょっと整理してみるぞ。

 つまり、この犬は琴音ちゃんが飼っていて……、
 で、この犬の名前が『浩之さん』で……、

 …………おおうっ!!

「な、なるほど……そういう事か」

「は、はい……そういう事なんです」(ポッ☆)

 ようやく納得した俺の言葉に、琴音ちゃんは頬を赤くして頷く。

 ったく、紛らわしい名前つけやがって……、

 まあ、浩之を想うがあまりってやつか?
 琴音ちゃんらしいと言えばらしいが……、

 と、琴音ちゃんに『浩之さん』を返しながら、内心呆れる俺。

 それにしても、俺って奴は……、
 普通は、まず犬に浩之の名前をつけたって考えるのが当たり前じゃねーか。

 それなのに、真っ先に、浩之が犬になっちまったなんて、
非常識な想像をしてしまうなんて……、

 ううっ……、
 周りの人間が変な奴ばっかりだから、俺まで染まって来ちまってるよ。

 って、そんなこと言ったら、みんなに……、


『変な奴の筆頭が言えた義理かっ!』


 ……って、一斉にツッコまれるんだろうなぁ。

「藤井さん……どうしたんですか?」

「いや、何でも無い……」

 落ち込んでいる俺の顔を、
琴音ちゃんは『浩之さん』と一緒に覗き込んでくる。

 俺は適当に誤魔化す為、話題を変えることにした。

「それにしても……琴音ちゃんって、犬なんか飼ってたんだな」

「はい。動物は大好きなんです……そうですよね?」

「わんっ!」

 同意を求める琴音ちゃんに返事をするかのように、
『浩之さん』は尻尾をパタパタと振りつつ、一声吼える。

 何か……まるで会話してるみたいだな。
 まあ、実際はそんなこと無いんだろうけど……、

 あ、でも……琴音ちゃんには超能力があるから、
あながち犬の言ってる事が分かるのかもしれねーな。

 ……ちょっち確かめてみるか?

「あのさ……琴音ちゃんって、動物の言葉とか分かったりするのか?」

 そんな俺の質問に、
琴音ちゃんは『浩之さん』を撫でながら答えてくれた。

「言葉が分かると言うよりは、気持ちが伝わってくるって程度です。
嬉しいとか、悲しいとか……動物は素直ですから」

「そいつは凄いなっ! じゃあ、もしかして人間も……」

 と、ここまで言って、俺はしまったと思った。

 何を言ってんだ、俺はっ!

 琴音ちゃんが、今まで自分の能力でどれだけ傷付いてきたか……、
 それを分かっていながら、こんな事を言っちまうなんて……、

 ……クソッ!
 こういう気遣いの足りないところが、俺と浩之の違いだな。

「……少しくらいなら、読もうと思えば、読めます。
例えば、今、藤井さんが自分を責めている事も……」

 そう言って、琴音ちゃんは優しい眼差しで俺を見詰める。

「……ゴメン」

「いいんですよ。わたし、今はとっても幸せですから。
藤田さんや神岸さんや葵ちゃん、それにみなさんがいますから。
もちろん、藤井さん達もですよ」

「わんわんっ!!」

「うふふ♪ そうですね。浩之さんも一緒ですよね♪」

「わんっ!」

 と、笑顔で仲良く『浩之さん』と語り合う琴音ちゃん。

 そんな琴音ちゃんを見て、
俺は、やっぱり浩之は凄いな、と、改めて思った。

 もし、俺と浩之の立場が逆だったら、どうなっていただろう?

 俺に、琴音ちゃんの心を、救う事がてぎただろうか?

 いや、琴音ちゃんだけじゃない。
 葵ちゃんやマルチ、それに芹香さんや綾香さん……、

 俺は、浩之みたいに、みんなの力になることができただろうか?

 多分……いや、絶対に無理だろうな。
 浩之だからこそ、みんなの力になることができたんだ。

 俺なんかには、とても……、

「……そんなことないと思いますよ」

「――え?」

 琴音ちゃんが何か呟き、その声に俺は我に返った。

 ……今、何て言ったんだ?
 よく聞こえなかったが……、

「琴音ちゃん……今、何て……?」

「何でもありません。ただ、藤井さんは藤井さん、ということですよ」

「はあ?」

「それじゃあ、わたし、そろそろ帰りますね」

「あ、ああ……浩之さんも、またな」

「わんっ!!」

「うふふ♪ 浩之さんったら元気一杯ですね♪
お家に帰ったら、また二人で一緒に遊びましょうね♪」

「きゅぅん♪」

「それでは、藤井さん、失礼します」

「ああ……また明日」

 何度も振り返りながら、手を振って去っていく琴音ちゃん。
 それを見送りながら、俺はふと考える。

 それにしても、『浩之さん』か……、

 飼い犬に好きな人の名前つけるなんて……、
 そうすることで、届かない自分の想いを紛らわしてるのかな?

 そう考えると、何だか琴音ちゃんが不憫に思えて……、

 ……ん?
 ちょっと待てよ?

 っことは、去り際に言ってた『一緒に遊ぶ』っていうのは……、

 もしかして……、
















「わんわん! きゅぅん」


 
ぺろぺろぺろ……


「あん♪ ひ、浩之さん……そんな、おいたしちゃダメェ♪」
















 
がすっ!!


「ぐふっ!!」


 いつものように、そこらに頭を打ちつけて煩悩を振り払うよりも早く、
俺の顔面に拳大の石が直撃した。

「い、一体、誰がこんなモンを……」

 と、俺が周りを見回すと……、


「藤井さん……」


 
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 いつの間にか、帰った筈の琴音ちゃんが、そこに立っていた。

 凄い目つきで俺を睨んでいる。
 しかも、何か、背後に燃え盛る黒い炎が……、


「藤井さん……わたし、そんなはしたない真似しません」


 
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 ゆっくりと、ゆっくりと……、
 琴音ちゃんが、俺に歩み寄って来る。

 そういえば……琴音ちゃんって、
ある程度は心が読めるって言ってたっけ……、

 ってことは……、
 ……言い訳はできない、か。


「……覚悟はいいですか?」


 
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 周囲の石が浮き上がり、まるでファン〇ルの如く、
琴音ちゃんの周囲を飛び回る。

 その光景を、まるで他人事の様に呆然と眺めながら、俺は覚悟を決めた。


「……お手柔らかにお願いします」(大泣)


 そして……、

 琴音ちゃんはクスッと微笑むと、小さくポツリと一言だけ呟く。
























「……滅殺」
























 まあ、自業自得なんだけどさ……、

 ……お願い。
 誰か助けて。(泣)








<おわり>
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