Heart to Heart
第97話 「親子喧嘩」
ある日の夕方頃――
ちょいとさくらに用事かあった為、俺は園村宅を訪れていた。
だが……、
「あらあらあら。さくらさんでしたら、今はお留守ですよ」
……という、出迎えたはるかさんの言葉に、
いきなり目的を見失ってしまった。
で、さくらが留守ならば出直そうと思い、
俺は踵を返したのだが……、
「多分、もうすぐ帰って来ると思いますから、上がっていってください♪」
「はあ、そうですか。でも、大した用事じゃないですし……」
「まあまあ、遠慮なさらずに、お茶でも飲んでいってください♪
ちょうど美味しい栗羊羹があるんですよ♪」
「お邪魔させていただきます」
……とまあ、はるかさんがどうしてもと言うので、
俺はお茶をご馳走になりつつ、さくらの帰りを待つことにしたのだった。
一応、言っとくが、決して栗羊羹の誘惑に負けたわけじゃないぞ。
……………………絶対に違うんだい。
てわけで、で、今、こうして、リビングでソファーに腰を落ち着け、
栗羊羹を美味しく頂いているわけなのだが……、
「もぐもぐもぐもぐ……」
「〜♪」
じぃ〜〜〜〜〜……
「ぱくぱくぱくぱく……」
「〜♪」
じぃ〜〜〜〜〜……
……はるかさん、その視線が妙に気になるんスけど。(汗)
さっきから、俺の正面に座ったはるかさんは、
栗羊羹を食べる俺を、ジィ〜ッと見つめてきているのだ。
いつものに様にニコニコと笑顔を絶やさず、
自分の羊羹には手も付けようとしないで、ひたすら、俺を見つめてくる。
しかも、時々、目が合ったりなんかすると、
何故か「……ぽっ☆」とか言って、頬を赤らめたりするし……、
ううっ……何か、凄くヤバイ予感がしてきたぞ。
あの微笑みは、絶対に何かろくでもない事を企んでるって顔だ。
むう……食い物に釣られたりしないで、サッサと立ち去るべきだったか……、
と、俺がちょっと後悔し始めた、その時……、
「あの、誠さん……」
「……はい?」
「実は、お願いがあるんですけど……」
「何です?」
「……はるかと不倫してください♪」
「――っ!!!」
いきなりとんでもないことを言われ、
俺は驚きのあまり絶句してしまった。
「うぐっ!! ゲホッゲホッ!」
その拍子に、栗羊羹を妙な飲み込み方をしてしまった様だ。
胸のあたりをドンドンと叩き、咳きをする。
「あらあら、すみません。冗談のつもりだったんですけど、
まさか、そんなに驚くなんて思いませんでした」
慌てた様子で、はるかさんは俺の側に寄ると、
俺の背中をさすってくれる。
冗談って…………ンなの、驚くに決まってるじゃねーか。
はるかさんって天然だけど、冗談ってあまり言わないから、
一瞬、マジで言ってるのかと思っちまったぜ。
……ったく、勘弁してくれよ。
と、咳きをしながら、内心毒つく俺。
「はい。お茶をどうぞ」
「あ、すんません」
咳きが落ち着いてきたところで、はるかさんが湯呑みを渡してくれた。
それを受け取り、俺はお茶を飲み干す……って、
「あっちぃぃぃーーーっ!!」
しまった……このお茶、淹れたてだって事を忘れてた。
それを一気に飲んじまうなんて……、
ぬうう……口の中がヒリヒリするぞ。
こりゃ、絶対、どこか火傷してるな。
俺は特にヒリヒリするところを舌で舐めて確認してみる。
うん……そんな酷くはないな。
「はひ〜、はひ〜」
火傷の程度は酷くなくても、熱かったことには変わりはない。
俺は少しでも口の中を冷やそうと、口を大きく開けて何度も息を吐いた。
「あらあらあら、大丈夫ですか?」
そんな俺の様子に責任を感じたのだろう。
はるかさんが、心配そうに俺の口の中を覗き込んでくる。
「ちょっと見せてください」
「……はひ」
「何処です?」
「……この辺」
はるかさんに言われるまま、俺は口を開けて、火傷でヒリヒリする辺りを指差した。
ちょうど、上顎の歯茎の裏あたりだ。
「あらあらあら」
さらに俺に近寄って、俺が指差した部分を凝視するはるかさん。
そして、俺の火傷の具合を確認すると……、
「これは……治療の必要がありますねぇ♪」
と、一言のたもうた。
それと同時に……、
にぱぁ〜〜〜♪
……はるかさんが妖しく微笑みを浮かべる。
…………はっ!?
し、しまったっ!!
完全に油断したっ!!
この距離は、はるかさんのテリトリーだっ!!
――そうかっ!!
はるかさんのあの冗談も、その後の一連の行動も、
全部これを狙ってのことだったのかっ!!
ちくしょうっ!
完全にハメられたっ!!
ここんとこ、俺の警戒心が強くなっている事から、
あの手この手を使ってくる様になってたけど、まさか、こんな方法でくるとはっ!!
……だが、それに気付いた時にはもう遅い。
「えいっ♪」
あっという間に、俺の頭がはるかさんの両腕に抱えられた。
普段のノンビリとした動作からは、とても想像できない程の素早さだ。
俺は逃げる暇さえも与えられなかった。
「うふふふ♪ さあ、治療しましょうねぇ♪」
と、物凄く楽しそうな笑みを浮かべつつ、
はるかさんがゆっくりと迫ってくる。
軽く突き出されたはるかさんの唇。
その艶かしくも、可愛くて小さな唇が、真っ直ぐに俺に向かってくる。
「は、はるかさん……お願いですから、勘弁して……」
俺は何とか抵抗を試みようとするが、
しっかりと頭を抱えられてしまっているので、首を動かすこともできない。
ああ……許せ。
さくら、あかね、エリア……不甲斐ない俺を許してくれ。
……俺はまた、人妻の餌食になってしまうみたいだ。
と、観念した俺は、心の中でさくら達に詫び、ギュッと目を閉じた。
互いの鼻の先が擦れ合う――
はるかさんの吐息が、俺の唇をくすぐる――
そして、唇が重なり合おうとした、その時……、
ひゅんひゅんひゅんひゅんっ!!
突然、何処からか『何か』が飛来した。
その『何か』は真っ直ぐに俺達に向かってくる。
――かわせるタイミングじゃないっ!
と、俺が思った次の瞬間……、
「えいっ!」
キィィィーーーンッ!!
瞬時にして、はるかさんの手に銀色に輝く刃が出現し、
飛来した『何か』を弾き返した。
ひゅんひゅんひゅんひゅん……ぱしっ!
乾いた音とともに、弾き返された『何か』は、
それを投げた人物の手にスッポリと収まる。
その人物とは……さくらだ。
い、いつの間に帰って来てたんだ?
ま、まあいいか……とにかく、助かったわけだし……、
……って、良くねぇっ!!
この状況は、さらにマズイぞっ!!
「お母さん……また、まーくんにキスしようとしてましたね?」
と、静かに愛用のフライパンを構えるさくら。
「あらあらあら。もう帰ってきちゃたんですか?」
それに対して、右手に握られた出刃包丁を煌かせるはるかさん。
二人とも、顔は笑ってるけど……むちゃくちゃ怖い。
特にさくらなんか、背後に炎の幻覚が見えるくらいだ。
……逃げたい。
とにかく、一秒でも早く、ここから立ち去りたい。
でも、足が竦んで動けねぇよ〜〜〜っ!(泣)
「お母さん、どうして、いつもいつもまーくんにキスしようとするんですか?」
「あらあらあら。ただのスキンシップじゃないですかぁ♪」
「だからって、何もディ、ディープキスじゃなくても……」
「ダメなんですか?」
「ダメですっ! わたし達だって、そんなにしてもらった事ないんですよっ!」
「あらあらあら。だったら、良いじゃないですか。
誠さんがキスが上手になったら、さくらさんも嬉しいでしょ?」
「そういうのは、わたし達の役目ですっ!!」
バチバチバチッ!!
「む〜〜〜〜っ!」
「あらあらあらあら……」
さくらとはるかさんの視線がぶつかり合い、火花を散らす。
まさに、一瞬即発って雰囲気だ。
でも、はるかさんの方がまだまだ余裕タップリだな。
まあ、その辺はさすがは母親というか、年の功というか……、
しかし、この状況……どう治めりゃいいんだ?
「あ、あのさ……二人とも落ち着いて……」
「「まーくん(誠さん)は、黙っていてくださいっ!」」
「…………はい。すみません」
俺は何とか二人の気を静める為、おずおずと声を掛けたが、
親子スピーカーで怒鳴られて、すごすごと引き下がってしまう。
ううっ……情けないぞ、俺。(泣)
……しかし、マジでどうしよう?
このままじゃ、本当に喧嘩になっちまうぞ。
出来る事なら、なるべく穏便に済ませたいところだけど、
ヘタに口を出したら、俺にまで被害及びそうだし……、
と、睨み合う二人を前に、俺が困り果てていると……、
ガチャッ――
「ただいま〜」
「きゃ〜♪ あなた〜♪
おかえりなさ〜い(はぁと)」
唐突に、玄関からはるかさんの旦那さんの声が聞こえたと思うと、
はるかさんは甘えた声を上げながら、玄関へと走っていった。
「…………」
「…………」
はるかさんのあまりの変わり身の早さに、
俺とさくらは顔を見合わせる。
そして、何となく、二人して玄関の方へ耳を済ませる。
「はい、あなた♪ おかえりなさいの…………ちゅっ☆」
「あん♪ ダメですよ、こんなところで……(ポッ☆)」
「もう、ホントにえっちなんですから♪ 続きは今夜、ベッドのう・え・で♪」
「え? そんな、我慢できないなんて……ああん♪ もう、ばかぁ♪」
「…………」
「…………」
……どうやら、向こうでは凄い事になってるみたいだ。(爆)
おいおいおい……ハートマークがこっちに飛んできてるぜ。
突然、展開されたラブラブ空間に、
さくらは完全に毒気が抜かれてしまったようだ。
まあ、さっきの一瞬即発な状況は打開されたからいいけど……、
「やん♪ もお、そんなとこ……うぅん♪」
「あ、くぅん……もっと優しく……♪」
「あ、ああん……あなたぁ〜♪」
…………エスカレートしてるし。(爆)
あのらぶらぶ夫婦に玄関が塞がれている以上、当分は帰れそうにねぇな。
「なあ、さくら……」
「はい。何ですか?」
「今夜は……メシ、ご馳走になっていっていいか?」
「……はい。そうしてください」
と、短く言葉を交わした後、俺とさくらは、
夫婦の営みに耳を傾けつつ、深く深くタメ息をついたのであった。
俺達も、将来は『ああいう風』になっちまうのかなぁ?
……なっちまうんだろうなぁ、きっと。
<おわり>
<戻る>