Heart to Heart
第92話 「翼を持つ者」
次の日――
学校から帰って来られた誠様と一緒に、
ワタシは駅前のバス停へとやって来ました。
往人さんをお見送りする為です。
「……世話になったな」
往人さんが手に持った茶封筒をヒラヒラさせながら、誠様にお礼を言いました。
「すみません。そんな端金しか渡せなくて……、
何せ、俺にも生活があるもんですから」
と、誠様は往人さんに軽く頭を下げます。
端金なんてとんでもないです。
ご両親からの仕送りだけで生活なさっている誠様にとって、
あの茶封筒の中身は、かなりの負担になるはずです。
それなのに、誠様は何の躊躇もすることなく、
往人さんにポンッと手渡されて……、
本当に、お人好しな方です。
まあ、それが誠様の良いところなのですが……、
「あの程度の仕事で金が貰えたんだ。何も文句は無い。
お前達には……感謝してる」
と、そっぽを向きながら言う往人さん。
……もしかして、照れているのでしょうか?
「それで……次は何処にいくつもりなんです?」
「そうだな……」
誠様に訊ねられ、次の目的地を考える往人さん。
そして、ゆっくりと空を見上げます。
「…………」
雲一つ無い夏の空をジッと見つめる往人さん。
いえ……違います。
往人さんの瞳は、もっと遠く……、
その空よりも遥か向こうに向けられているような、そんな気がします。
「……そうだな。海が見える街にでも行ってみるか」
「なるほど。この季節、海の近くだったら客には困らないもんな」
と、往人さんの言葉に、誠様は納得したように頷きます。
でも、本当にそれが理由なのでしょうか?
確かに、誠様がおっしゃったのも一理ありますが、
今の往人さんの言葉を聞くと、まるで何かに導かれたような……そんな気さえします。
と、誠様達の会話を聞き、
ワタシがそんな事を考えていると……、
「うわぁぁぁーーーんっ!!」
突然、何処からか、誰かの泣き声が聞こえてきました。
「…………?」
その声がした方へ目を向けると、
少し離れたところに、転んで泣いている一人の幼い女の子がいました。
彼女の持っていたウサギさんのぬいぐるみが、
ワタシ達の足元の近くにまで転がってきています。
どうやら、かなり盛大に転んでしまわれたようですね。
「大変です」
ワタシは女の子を助け起こそうと、慌てて駆け寄ろうとしました。
ですが……、
「ちょっと待った」
……と、誠様に手で制されてしまいました。
「誠様……?」
「いいから、ちょっと見てろ」
訝しがるワタシに、誠様はそう言うと、スッと往人さんの背に隠れました。
そして、往人さんは無言で足元にあるウサギさんのぬいぐるみを拾い上げると、
それに手をかざし、念を込始めます。
「よし……行け」
往人さんは、念を込めたぬいぐるみを地面に置き、
法術を用いて、ぬいぐるみを歩かせました。
トコトコと、女の子に歩み寄るウサギさんのぬいぐるみ。
そして、まだ泣いている女の子の頭をペシペシと叩き……、
「コラコラ、嬢ちゃん。そんなことで泣いとったらアカンがな」
……と、女の子に声を掛けました。
この声は……誠様?
見れば、往人さんの背に隠れた誠様は、指で鼻を摘んで声色を変えています。
……なるほど。
そういうことですか。
誠様達の行動の意図を察したワタシは、女の子を見守ることにしました。
「ほれ、サッサと泣き止まんかい」
誠様……いえ、ウサギさんが女の子を優しく慰めます。
関西弁なのがちょっと気になりますけど……、
「???」
突然、自分のぬいぐるみが動き、喋り出したので驚いたのでしょう。
女の子はキョトンとした顔で、ウサギさんを見つめています。
「何やっとんのや。はよ立たんかい。
自分で立つこともできんような弱い奴は、ワイは好かんで」
「…………ひっく」
ウサギさんに励まされ、女の子はグッと唇を噛み締め、泣くのを堪えます。
そして、手で涙を拭うと、ゆっくりと自分の力で立ち上がりました。
その姿を見上げ、ウサギさんはポンポンと手を叩きます。
「よっしゃ! よう頑張ったな! 偉いで!
さすがはワイの持ち主! 強い子や!」
「……うんっ!」
ウサギさんに誉められ、女の子の顔に笑顔が戻りました。
「何処も痛いトコ無いか? もし怪我しとるんやったら、
後でちゃんとお母はんに見てもらわなアカンで」
と、気遣うウサギさんを、女の子はヒョイと抱き上げます。
「うん。大丈夫だよ。アタシ、強い子だもん」
「そうか? ほな、行こか」
「うんっ!」
ウサギさんの言葉に元気良く頷き、女の子は走っていきます。
その姿が見えなくなるまで、見送るワタシ達。
……これで、あの女の子は、少しだけ成長することができましたね。
と、内心呟くワタシ。
転んだ女の子を助け起こすのは簡単です。
ですが、そうやって甘やかしては、その子の為になりません。
だから、誠様と往人さんは、彼女のぬいぐるみを使って励ます事で、
あの女の子に、自分で泣き止んで、自分で立ち上がることを教えたんです。
それにしても、あれだけのお芝居を、
何の打ち合わせも無くするなんて……誠様も往人さんも凄いですね。
「……ったく、面倒なことをやらせるな」
と、ワタシが感心する中、走っていく女の子の姿が見えなくなったところで、
往人さんは大きくタメ息をつきました。
「何言ってんだか……自分からやったクセに。
俺は往人さんに合わせただけだせ」
「…………ふんっ」
誠様に言われ、また照れ隠しにそっぽを向く往人さん。
……どうやら、ワタシは往人さんの事を誤解していたみたいですね。
往人さんは、目つきが悪くて、ぶっきらぼうで、、図々しくて、
愛想なんてカケラも無い人ですが、とても良い心をお持ちのようです。
エビルさんなら、一目で見抜いたのでしょうが、
数百年も生きていて、それを見抜けないとは、ワタシもまだまだですね。
「さて……そろそろ、お別れの時間みたいだな」
と、そう言う往人さんの視線の先には、こちらに向かってくるバスが一台。
どうやら、あのバスに乗るつもりのようです。
プロロロロロ〜〜〜っ!
プシュゥゥゥゥーーーーッ!
往人さんの前でバスは止まり、乗車口が開きました。
そして、往人さんはステップに足を乗せます。
「……往人さん」
パスに乗ろうとする往人さんを、ワタシは呼び止めました。
「何だ?」
ワタシに呼ばれ、往人さんは面倒臭そうに首だけこちらに向けます。
そんな往人さんに、ワタシは頭を下げました。
「申し訳ありません。ワタシは貴方のことを誤解していました。
貴方のことを信用していませんでした。今までの無礼の数々をお許しください」
「なんだ……何かと思えば、そんなことか」
と、ワタシの謝罪に苦笑する往人さん。
「気にするな。それが普通の反応だ。
行き倒れの旅芸人なんて、怪しさ大爆発だからな」
「ですが……」
「……それに、お前が俺を必要以上に警戒していたのは、誠の身を案じたからだろ?
それが自分の役目だと思っているなら、その判断は正しかったんだ」
「……はい。お心遣い、ありがとうございます」
ワタシは、もう一度、往人さんに頭を下げました。
今度は謝罪ではなく、感謝の気持ちを込めて……、
「そんなに大袈裟にされると、こっちが困るぞ」
往人さんは苦笑し、今度は誠様の方を向きました。
「じゃあな、誠……フランソワーズと仲良くしろよ」
「は? 何でそうなるんだ?」
「そんなことは自分で考えろ……じゃあ、縁があったらまた会おう」
と、往人さんが言ったと同時に……、
プシュゥゥゥゥゥーーーーッ!
ゆっくりとバスのドアが閉じ、往人さんを乗せたバスは走り出します。
プロロロロロロロ〜〜〜〜〜〜……
「…………」
「…………」
走り去るバスを、何となく感慨深く見送る誠様とワタシ。
「……ちょっとだけ、往人さんが羨ましいな」
そして、バスを見送った後、不意に誠様がそう呟きました。
「何が、ですか?」
「あの人は……翼を持ってる。
何者にも束縛されない『自由』っていう名の翼を、な」
そう言って、バスが走り去った先を、
誠様は憧れの込もった眼差しで見つめます。
「誠様は……今の生活は、ご不満ですか?」
「そんなことはねぇよ……ただ、一人旅ってのも悪くないかな、ってな」
「そうですか……」
「でもまあ……俺には、そんなことは無理だけどな。
俺には帰る場所があるし、守るべきものもあるからな」
と、軽く肩を竦める誠様。
でも、その瞳は、まだバスが走っていった方に向けられています。
そんな誠様を見て、ワタシはちょっと考える。
もし、今、ここで、誠様が旅に出ると仰ったら、
ワタシはどうするのでしょう?
多分、ワタシは、誠様について行ってしまうでしょう。
理由はわかりませんが、確信できます。
でも、そんな事は絶対にありえませんよね。
何故なら、誠様本人も言っている通りです。
誠様には、帰る場所があります。
誠様には、守るべきものがあります。
それは、さくら様とあかね様と、そして、エリア様……、
……何故でしょう?
ワタシ、今、さくら様達を、とても羨ましく思っています。
そして、ワタシもその中に加わりたいと……、
「おい、フラン……そろそろ行くぞ」
「はい?」
物思いに耽っていたワタシは、誠様の呼び声を聞き、我に返りました?
「ほら、フラン……早く行くぞ」
と、そう言って、誠様はスタスタと歩き出します。
……えっ? えっ?
誠様……行くって、何処へです?
も、もしかして、本当に旅に……って、そんなわけないですよね。
「は、はい、そうですね。そろそろ帰りましょう。
すぐに晩御飯の支度をさせていただきます」
「はあ? 何言ってんだ、お前は?
往人さんを見送ったら、フランを家に送っていくって、俺ン家を出る時に言っただろが」
「そ、そうでしたね」
そうですそうです。
ワタシの帰る家は、誠様の家ではなくデュラル家ではないですか。
ワタシとしたことが、勘違いとはいえ、
誠様の家に帰って、さらにはご飯の支度をするだなんて、何て図々しいことを……、
「ほら……何、ボーッとしてんだ? 行くぞ、フラン」
「あ、はい。ただいま…………って、フラン?」
今、何て言いました?
そういえば、誠様、さっきからワタシのことを『フラン』と呼んでますよね?
と、ワタシが首を傾げていると……、
「ああ……いちいちフランソワーズって呼ぶの煩わしいだろ?
だから略して呼ぼうかなって思ったんだけど……もし嫌なら止めるぞ」
「い、いえ……フランで構いません。これからも、そうお呼びください」
誠様にそう言いつつ、ワタシは自分の心臓にあたる器官が、
激しく脈打つのを感じていました。
――フラン。
――フラン。
――フラン。
フランソワーズだから……フラン。
何だか、とても親しみの込もった呼び方です。
誠様にそう呼ばれると、とても良い気持ちがします。
少しだけ誠様に近付けたような……そんな気持ちです。
「じゃあ、お言葉に甘えて、これからはフランって呼ばせてもらうぞ」
と、優しく微笑む誠様のお言葉に……、
「はい♪ 是非、そうしてください♪」
……ワタシは大きく頷いたのでした。
――フラン。
ああ……何て素敵な呼び名なのでしょう♪
<おわり>
<戻る>