Heart to Heart
第90話 「二人の行き倒れ」
「ぐ……ううっ……」
ずりずり……
「うぐ……ぬおお……」
ずりずり……
一学期の終業式を数日後に控えたある日の夕方――
我が家のすぐ近くの道路の真ん中で、
俺はグッタリと倒れていた。
いや、正確には這い進んでいた。
何故、俺がこんな天下の往来でそんな事をしているのかと言うと……、
「……腹減った」
……というわけだ。
学校を出たあたりから、すでに空腹でフラフラだったのだが、
ここまで来て、ついに力尽きてしまったわけである。
「うぅ……はあはあ……」
ずりずり……
残りカスのような体力を振り絞り、
俺はゆっくりと、ゆっくりと、目指す場所へと這い進む。
目指す我が家はもう目の前だ。
あそこに行けば、食い物がある。
しかし……、
ミ〜ンミ〜ンミ〜ンミ〜ン……
ジリジリジリジリ……
やかましいセミの鳴き声と、ジリジリと照らす真夏の太陽の日差しが、
俺の体力を容赦なく奪っていく。
うう……ちくしょう。
家は目の前だってのに、こんなトコで行き倒れになっちまったらいい笑いモノだ。
なんとしても、我が家まで辿りつかなくては……、
しかし、もう目と鼻の先にあるはずの我が家が、
今の俺には遥か遠くに感じる。
ぬううっ! 負けんっ! 負けんぞ、俺はっ!!
ご飯が、ご飯が俺を待ってるんだぁぁぁぁーーーーっ!!
俺は我が家に向かって必死に手を伸ばす。
と、その時……、
「あ? 何だ、ありゃ?」
俺は家の前で倒れている一人の男の姿を見た。
どうやら、行き倒れらしい。
完全に気を失っているのか、ピクリとも動かない。
この平和なご時世に行き倒れか?
こりゃまた随分と珍しいな。
……って、今の俺に人の事は言えんか。
今の俺は、あの行き倒れの兄ちゃんと同じになりつつあるんだからな。
くそっ!! こうなったら、絶対に気を失うわけにはいかんぞ。
あの男も助けてやらないと。
と、俺は全身に力を入れる。
だが……、
ぐぅぅぅぅぅ〜〜〜〜……
思いっ切り腹の虫が鳴り、ヘナヘナと力が抜けていく。
……やばい。
マジでやばい。
もう限界だ。
意識が朦朧としてきた。
力が……入らない。
「くっ……」
――ガクッ!
震える手を、我が家に向かって伸ばし、ついに、俺は力尽きた。
徐々に、徐々に、意識が遠退いていく。
そして、薄れゆく意識の中……、
「誠様っ! しっかりしてくださいっ!!」
……聞き覚えのある声を、耳にしたような気がした。
「いや〜、マジで助かったよ」
ブッ倒れてから十数分後――
俺は我が家のキッチンのテーブルにつき、
インスタントラーメンをすすっていた。
「ホントに驚きました。誰かが倒れているの見つけて、
慌てて駆け寄ってみたら、誠様だったのですから」
と、ちょっと怒った表情で俺の隣に座っているのは、
なんとフランソワーズである。
……そう。
ラーメンを作ってくれたのは彼女なのだ。
どうやら、あの時、意識を失う寸前に聞いた声は、
フランソワーズだったらしい。
彼女が言うには、偶然、俺の家の前を通り掛かった時に、
道の真ん中で倒れている俺を発見して、慌てて家の中へと運んだのだそうだ。
そして、「腹減った〜」という俺の呻き声を聞き、
俺が空腹で倒れたのだと推測したフランソワーズは、
キッチンの戸棚から食料を探し出し、ラーメンを作り始めた。
で、その匂いに誘われて、俺は目を覚まし、
今、こうしてメシに在り付いている、ってわけだ。
「誠様……」
「ん?」
スープを飲み干し、どんぶりを置いた俺を、
フランソワーズが真剣な眼差しで見つめてくる。
「誠様……あまり心配させないでください。
誠様にもしもの事があったら……ワタシ……」
そう言う彼女の表情は、とても哀しんでいるように見えた。
何せ自動人形なものだから、その表情は乏しく、読み取り難い。
まあ、俺は芹香さんやセリオと親しいから、そういうのには馴れてるけどな。
しかし、フランソワーズには相当心配させちまったみたいだ。
以前のエリアの事といい、今回の事といい、
またフランソワーズには借りを作っちまったなぁ。
「悪かった……心配掛けてゴメンな」
俺は素直に謝り、助けてくれたお礼というわけじゃないが、
彼女の頭を撫でてやることにした。
コイツって、マルチ同様、頭撫でてやると喜ぶんだよな。
なでなでなでなで……
「あ……(ポッ☆)」
予想通り、フランソワーズは頭を撫でられて、
嬉しそうに頬を赤らめる。
……今はこの程度のことしかしてやれないけど、
いつかちゃんとした形で礼をしないとな。
と、密かに心に誓いつつ、俺はそろそろ本題に入ることにした。
「さてっと、腹も落ち着いたところで……」
そう前置きして、俺は正面に座ってラーメンを食べている男に目を向けた。
「……ん?」
その男も、ちょうど食べ終えたようだ。
俺の言葉に反応して、俺を見返してくる。
年齢は、だいたい二十歳くらいだろうか。
かなり目つきの悪い男だ。
しかも、この真夏の暑い中、黒の長袖シャツを着ている。
大きな荷袋を持っていたから、どうやら旅行者か何かみたいだけど……、
「あんた……何で俺の家の前で倒れてたんだ?」
……そう。
その目つきの悪い男は、俺の家の前で行き倒れていた例の男である。
玄関先で倒れていたので、
フランソワーズが俺と一緒に家に運び込んだのだ。
で、俺と同様、空腹状態だったらしく、、
とりあえず一緒にラーメンを食べていたわけだ。。
「……知っての通りだ」
と、そう言って、男はカラになったラーメンどんぶりを指差す。
「いや……そういう意味じゃなくて……」
男の的外れな答えに、俺は頭を掻く。
うーむ、質問の仕方に問題があったか。
じゃあ……、
「あんたは何者なんだ? どうやら、旅行者……ってわけでもなさそうだけど」
と、俺が質問を変えると、男はちょっと考えてから口を開く。
「俺は……旅芸人だ」
「「……は?」」
男の答えに、俺とフランソワーズは揃って間の抜けた声を上げる。
……何だって?
今、旅芸人って言ったのか?
旅芸人って言うと、アレだろ?
『家なき子 レミ』みたいに、道端で楽器奏でたり、歌唄ったり、
道連れの動物に芸をさせて、見物人から小銭を稼ぐってやつの事だろ?
今時の日本に、そんな奴がまだいたのかよ?
ってゆーか、この目つきが悪くて愛想のカケラも無い男が、
そんな事やってるなんて、とてもじゃないが信じられねーぞ。
「……疑ってるみたいだな?」
疑惑に満ちた俺達の眼差しを見て、男はやれやれと肩を竦めると、
ズボンのポケットから小さな人形を取り出した。
「メシを食わせてくれた礼だ。特別に俺の芸をタダで見せてやる」
そう言って、男はその人形を無造作にテーブルの上に置く。
「まあ、可愛いお人形さん」
「……お人形さんって言うな」
と、フランソワーズの言葉にツッコミを入れつつ、
男は人形に手をかざした。
そして、男は目を閉じて、何やら念じ始める。
……可愛いねぇ。
俺にはただのボロい人形にしか見えないけどなぁ。
と、そんな事を思いつつ、男の行為を見守る俺。
そして……、
「さあ、楽しい人形劇の始まりだ」
男がそう言うと同時に、ヒョコッと人形が立ち上がった。
男は、人形に一切手を触れていない。
それなのに、ただ念じただけで、人形が動き出したのだ。
「ほほう……」
「まあ……」
感心する俺とフランソワーズの反応に気を良くしたのだろう。
男は得意げに微笑むと、人形を歩かせ、テーブルの上を一周させる。
そして、人形が男の正面に来たところで、
再び人形はこてんと倒れ、動かなくなった。
「どうだ? 凄いだろう」
「…………」
「…………」
人形をポケットにつまいつつ、胸を張る男。
そんな男を、俺とフランソワーズは呆然と見つめる。
…………おい。
ちょっと待て。
もしかして……あれだけか?
ハッキリ言って、拍子抜けである。
あの程度の事なら、俺達はほとんど日常的に見ているからだ。
確かに、手も触れずに人形を動かすなんて、凄い事だとは思う。
この手の芸は、観客の中にサクラを紛れ込ませて、
透明な細い糸か何かでそいつに操らせるっていうケースが多いから、
おそらく、この男の芸にはタネも仕掛けも無いのだろう。
多分、生まれ持った特殊能力……超能力みたいなものだと思う。
でも……、
俺の脳裏に、数人の知り合いの顔が浮かんだ。
琴音ちゃんに、芹香さんに、スフィーさんに、リアンさんに、なつみさんに、
あとはエリアにだって、あの程度……いや、あれ以上の事だって軽々と出来る筈だ。
だから、この男の芸は、俺達にとっては面白くも何とも無い。
……何か、自分がいかに非常識な環境で生活しているのかを、
思いっ切り実感させられた気分だな。
「あのさ……」
「何だ?」
「あんたの芸って、それだけなのか?」
「……それがどうかしたのか?」
「ハッキリ言わせてもらうけど、その程度の芸では、
ここいら近辺では金は稼げねーぞ」
「どうしてだ?」
「どうしてって……」
訊ねる男に何と答えて良いものか、言葉に詰まる俺。
一瞬、琴音ちゃんあたりにでも会わせてやろうか、とも思ったが、
男の得意満面な表情を見て、やっぱり止めた。
……自信喪失しちまったら、かわいそうだもんなぁ。
「と、とにかく、その芸で金を稼ぐつもりなら、この街は止めた方がいい。
駅前にさ、あんたの商売敵が結構いるんだよ」
と、俺は適当な理由をでっち上げる。
「そ、そうなのか……」
男はそれで納得したようだ。
もしかしたら、自分の芸のウケの悪さは自覚しているのかもしれない。
「しかしだな、この街で金を稼がんことには、他の街に行くこともできんぞ」
「バス代くらいなら……」
「施しは受けん」
俺が金を出すよりも早く、男はキッパリと言い切った。
うむ……なかなか男らしい態度だ。
好感が持てるぞ。
「だったら、今日はもう遅いし、家に泊まっていけばいいよ。
で、風呂掃除と便所掃除をやってもらいましょうかね」
「何で、俺がそんな事をせにゃならん?」
「食費と宿泊費とバス代、それが報酬だよ。
それなら、施しにはならないと思うけど……どうする?」
俺の提案に、男はちょっと考える。
だが、すぐに答えは出たようだ。
「……わかった。その仕事、引き受けよう」
そう言って、男は立ち上がる。
どうやら、早速、仕事を始めるつもりらしい。
「あっ、ちょっと待った」
「ん? 何だ?」
スタスタとキッチンを後にしようとする男を呼び止めると、
男は面倒臭そうに振り返る。
「まだ名前を言ってなかっただろ?
俺は藤井 誠。で、こっちは友達のフランソワーズだ」
「以後、お見知りおきを」
俺が紹介すると、フランソワーズはペコリと頭を下げる。
「で、あんたは?」
「俺か? 俺は……」
男はそう言って、ちょっと間を置くと、俺達に名前を告げた。
「俺の名前は……『国崎 往人』だ」
<おわり>
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