Heart to Heart

    
 第83話 「闇の貴族」







「……ねえ、誠君」

「うわあっ!!」

 俺が通うゼミの実習室――

 そこで受験勉強をしていると、突然、後ろから耳元に息を吹きかけられ、
俺は思い切り大声を上げてしまった。

「あ……」

 途端、周囲から冷たい視線が俺に集中する。
 俺は慌てて両手で口を塞いだが、今更、意味は無い。

「あらあら、誠君ったら、ダメじゃない。
実習室ではし・ず・か・に……ね♪」

 と、そもそもの原因である彼女はしれっと言う。
 俺はそんな彼女をジト目で睨みつつ、後ろを振り向いた。

「生徒の勉強の邪魔するの止めてくださいよ……ルミラ先生」
















「……ってことは、お前、ルミラが講師やってるゼミに通ってたことがあるのか?」

 と、カフェオレのパックのストローから口を離した浩之が、
俺の話を聞き、ちょっと意外そうに言う。

 俺はそんな浩之の問いに、
コーヒー牛乳のパックにストローを突き刺しながら答えた。

「ああ……中学三年の三学期の間だけな」

 と、そう言って、俺は自販機の側の壁にもたれ、
ちゅーちゅーとジュースを吸う。

「随分と中途半端な期間だな? 何でまた…………ああ、そうか」

 言葉の途中で答えに思い至ったのだろう。
 浩之は納得顔で頷く。

「この学校に入学するためか?」

「そういうことだ。この学校、結構レベル高かったからな」

 浩之の言葉に頷き、俺はジュースのパックを握り潰すと、
それをゴミ箱に放り込んだ。

「でも、まさかあのルミラ先生が吸血鬼だったとはな。
エリアの一件であの人と再会した時は、お互いマジで驚いたぜ」

「俺に言わせりゃ、あのルミラがゼミの講師やってるって事の方がよっぽど驚きだ」

「……あの人がゼミの講師なんてやってるのはな、
ちゃんとそれなりの理由、つーか下心があるんだよ」

 と、そう言いつつ、俺は思い出す。

 ルミラ先生に勉強を教わっていたあの頃のことを……、

 そして、あの夜のことを……、
















「生徒の勉強の邪魔するの止めてくださいよ……ルミラ先生」

 ジトで睨む俺の視線を、ルミラ先生はサラリと受け流す。

「まあまあ、そう言わないの。で、どう? 勉強は捗ってる?」

 と、訊ねてきたルミラ先生に、
俺は無言で机の上の問題集へと視線を戻した。

 買ったばかりの真新しい英語の問題集は、遅々として進んでいない。
 ところどころ空欄が埋まってはいるが、その答えに自信は無い。

 ハッキリ言って、お手上げの状態だ。
 高校受験では特に重要視される英語がこれでは、先が思いやられるな。

「あらら〜、サッパリみたいねぇ」

 そんな俺の現状を見て、ルミラ先生は苦笑する。

「そういえば、誠君って英語が苦手だったっけ?」

「……はい」

 と、妙に楽しげに言うルミラ先生にちょっちムカつきつつ、俺は頷く。

「じゃあ、先生が教えてあげましょう。どれどれ……」

 身を乗り出して、俺の肩越しに問題集を覗き込むルミラ先生。

 さて、ここで思い出してほしい。

 今、ルミラ先生は俺のすぐ後ろにいる。
 で、ググッと身を乗り出してきたということは……、


 
むにゅっ♪


 
おおうっ!!


 背中に当たる柔らかな感触に、俺は思わず声を上げてしまいそうになる。

 そう……後ろから身を乗り出してきたということは、
ルミラ先生の豊満な胸が、俺の背中に押し付けられるというわけで……、

 ぬう……純情な(?)中学生には、この刺激は強すぎるぜ。

「えーっと……この問題はね……」

 そんな俺の、ある意味危険な状態に気付く事も無く、
ルミラ先生は問題の解説を始める。

 しかし、そんなものを聞いている余裕なんてあるわけが無い。
 俺の全神経は、背中に集中していた。

「……と、いうわけなのよ。分かった?」

「は、はあ……」

 ルミラ先生の言葉に、上の空で頷く俺。

「よしよし。それじゃあ、次の問題いってみましょう♪」


 
グイッ!


 
むにゅにゅ♪


 
ぬぅあっ!!


 甘美な感触倍増っ!(爆)

 何だか故意に胸を押し付けてきているような……、
 もしかして、わざとか?

 …………って、ンなわけねぇか。

 馬鹿げた妄想を振り払いつつ、俺は問題集に意識を集中する。
 と、その時……、





「…………
じゅる





 
……ん?


 ……何だ?
 今、ルミラ先生、ヨダレを……、

 何か、すっげー嫌な予感がするんだけど……、

「あの……ルミラ先生?」

「ん? なに?」

 不信げな視線を向ける俺に、
ルミラ先生はしれっとした顔で首を傾げる。

 ……気のせい、だったのかな?

 確かに、ヨダレを啜る音を聞いたような気がしたのだが、
ルミラ先生にそんな様子は無い。

「いえ……何でもないです」

「そう? だったら、はい、次の問題」

「……わかりました」

 多分、気のせいだったのだろう、と、自分を納得させ、
俺はルミラ先生に促されるまま問題集に目を落とす。


 
グイグイ……


 
むにゅむにゅむにゅ♪


 背中に当たられる理性を狂わす感触。
 そして、耳元に微かにかかるルミラ先生の吐息。

 俺は目の前の問題集に集中しようと、
必死に理性を奮い立たせる。

 しかし、そこは男の悲しい性。
 どうしても、徐々に徐々にと、意識は別の方向へと……、

「誠君。はい、次の問題解いてみて」

「は、はい……」

 そんな精神衛生上、非常によろしくない状況下で、
ゼミでの勉強時間は過ぎていったのだった。








 そして、帰り道――

 街頭に照らされた薄暗い夜道を、俺は歩いていた。
 何故か、ルミラ先生と一緒に……、

 ルミラ先生曰く……、

『遅くまで勉強教えてあげたんだから、途中まで送っていきなさい』

 ……なのだそうだ。

 それがあんたの仕事だろうが、とも思ったが、
ルミラ先生みたいな美人が夜道を歩くのは危ないよなぁ、と考え直し、
俺はルミラ先生を送っていくことにした。

 幸い、偶然にも家の方向は同じらしく、途中までで良いと言ってくれたので、
これで送っていかなかったら男じゃないってもんだ。

 と、いうわけで、今、俺はルミラ先生と
二人並んで夜道を歩いているわけである。

「それで、志望校には合格する自信はあるの?」

「自信があるなら、今頃、ゼミになんて通ってませんよ」

「それもそうね」

 と、何気ない会話を交わしつつ、俺達は家路を急ぐ。
 そして、俺の家の前に到着した。

 ポケットから家の鍵を取り出し、俺は玄関を開けると、
ルミラ先生に向き直る。

「それじゃあ、ルミラ先生、おやすみなさい」

「あら? 誠君って独り暮しなの?」

「はい……ホントは違うけど、まあ、似たようなもんです」

「そうなの…………
それは好都合だわ

「はい? 何か言いました?」

「ううん。何でも無いわ。
ところで、先生ね、まだ時間あるから、もう少し勉強見てあげましょうか?」

「……え?」

 突然のルミラ先生の申し出に戸惑う俺。

「もしかして、俺の家で、ですか?」

「そうよ。今の誠君の成績だと、合格はまだまだ確実とは言えないし。
だから、今夜はみっちりと仕込んであげるわ」

 そう言って、俺にスタスタと歩み寄るルミラ先生。
 そして……、

「そ・れ・に〜……♪」

 と、今までは何の邪気も感じさせなかったルミラ先生の笑みが、
妖艶なものへと変貌したかと思うと、いきなり、俺にしなだれかかってきた。

 そして、俺の耳元で……、

「もしも、誠君が望むなら、
それ以外のことも教えてあげるわよ♪」

 と、悪戯っぽく囁く。

 ……はい?
 それ以外のことって……、
















『さあ、体の力を抜いて。先生が優しく教えてあげるから……』

『あ、ああ……ルミラ先生……』
















「うおおおおおおおおっ!!」


 
ガンガンガンガンッ!!


 妄想を打ち消すように、俺は壁に何度も頭を打ち付ける。

 ああっ!! 俺は何て背徳的な事をっ!!
 俺にはさくらとあかねがいるんだぞっ!!


「煩悩退散っ! 煩悩退散っ!
煩悩退散っ!
 煩悩退散っ!」


 
ガンガンガンガンッ!!


 なおも、激しく頭を打ち付ける俺。
 そんな俺を、ルミラ先生が止めに入る。

「はいはい。それぐらいにしとかないと死んじゃうわよ。
さあ、早くお家に入って。先生が介抱してあ・げ・る♪」


「結構ですっ!!」


 
バタンッ!!


 にじり寄ってきたルミラ先生から逃げるように、
俺は勢い良くドアを閉める。

 そして、すぐさま鍵を閉めた。


 
ドンドンドンドンッ!!


「あ〜ん、誠ー〜んっ! 開けて〜っ!
大丈夫よ〜、痛いのは最初だけだから〜っ!」

 ドアを叩く音と、ルミラ先生の声に耳を塞ぎ、家中の鍵をかけまくると、
俺は部屋へと戻り、布団を頭から被った。

「怖ひよ〜、怖ひよ〜、怖ひよ〜……」

 そして、興奮と恐怖との狭間の中、俺は眠れぬ夜を過ごしたのだった。
















「……どうした、誠? 顔色が悪いぞ、大丈夫か?」

 あの時の恐怖が蘇ってきたのだろう。
 顔が青くなってきているのを、浩之に指摘された。

「あ、ああ……大丈夫だ」

 俺は無意識に自分の首筋を手で押さえる。

 ……そうなんだよなぁ。
 ルミラ先生って、実は吸血鬼だったんだよなぁ。

 今、思い出してみると、あの時のルミラ先生の視線は、
俺の首筋を見ていたような気がする。

 ってことは……、

「俺……危なかったんだな」

「あ? 何がだ?」

「いや……何でも無い」








 ルミラ先生……、
 今でも、健全な青少年を毒牙にかけてるのかなぁ?








<おわり>
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