Heart to Heart
第82話 「えいえんはあるの?」
――それは、あまりにも突然の事だった。
「まーくん、わたし、好きな人ができたんです」
「まーくん……あたしね、好きな人ができたの」
「誠さん……私、好きな人ができたんです。ですから、元の世界に帰ります」
「「「……さようなら」」」
突然の別れ――
何の前触れも無く、朝、起きると、三人が俺の目の前にいて、
そして、別れの言葉を告げた。
何故……とは、思わなかった。
それどころか、妙に冷静だった。
……そうなのだ。
これが、当然の結果なのだ。
ずっと、ずっと前から分かっていたこと。
さくら達みたいないい子が、俺みたいな最低な男を、
いつまでも好きでいてくれるわけがない。
三人の女の子を好きになって……、
その内の一人を選ぶことも出来なくて……、
結局、三人の優しさに甘えて、三人とも恋人にしてしまった男。
俺は、そんな最低な男だ。
そして、ついに、俺は三人に愛想を尽かされてしまったのだ。
いつか、この日がくると思っていた。
だから、俺はその時になってどうすれば良いか、ずっと考え続けていた。
そして、その答えを実行に移す時がやって来たのだ。
「……そうか、分かった。俺のことは気にするな。
三人とも……幸せにな」
――俺は泣いていた、
そして、後悔していた。
立ち去る三人を、俺は何も言わず、ただ見送った。
……笑って見送った。
それが、俺の答え。
ずっとずっと前から考えて、考え続けて出した答え。
三人が俺とお別れすることを望んだのなら、
俺は笑顔でそれを見送ろう、と。
そして、三人の幸せを心から祝福しよう、と。
だから、そうした。
立ち去る三人を、笑顔で見送った。
でも、三人の姿が見えなくなった途端、俺の目からは涙がこぼれた。
涙を堪えようと、上を向く。
拳を堅く堅く握り締める。
それでも、涙は止まらない。
後悔の念は、決して消えることは無い。
どうして、俺は身を引いてしまったのだろう。
どうして、強引にでも、三人を引き止めなかったのだろう。
分かっている。
全部、分かっている。
三人は、俺と別れることを選んだ。
なら、それがあいつらにとっての幸せなのだ。
俺と別れることが、三人にとっての幸せだと思ったから、
俺は身を引いたのだ。
三人に幸せになって欲しかったから、俺は黙って見送ったのだ。
あいつらの幸せの為に、俺はもう必要無い。
いや、むしろ邪魔だ。
そう悟り、俺はクルリと踵を返した。
……まだだ。
まだ、終わっていない。
まだ、俺には、三人の幸せの為に出来ることがある。
いや、やらなきゃいけないことがある。
――俺は消えなければならない。
そう……消えるのだ。
あいつらは優しいから、いつまでも、俺のことを覚えているだろう。
そして、いつまでも、自分を責め続けるだろう。
自分の幸せを求める為に、俺という存在を犠牲にしたという事実。
それは決して消えることは無い。
いつまでも、あいつらの心の中に残り、大きな傷となってしまう。
それは、あいつらの幸せの妨げとなってしまう。
だから、俺は消えなければいけない。
死ぬのではない。
それだけは、絶対にダメだ。
そんな事をしたら、あいつらを余計に傷付けてしまう。
――消えるんだ。
――消滅するんだ。
さくらも、あかねも、エリアも……、
親父も、母さんも、はるかさんも、あやめさんも……、
浩之も、あかりさんも、葵ちゃんも、マルチも……、
みんな、みんな……、
全ての人々が俺を忘れて……、
俺に関する全ての記憶を失って……、
そして、俺自身も消え去って……、
俺の存在そのものを消す。
この世に、俺が存在したという事さえも無かったことにする。
あたかも、最初から、この世に俺なんかが存在しなかったかのように……、
そうすれば、あいつらは自分の幸せを求めることが出来る。
『俺』という過去に縛られること無く……、
それが、俺のするべき事だ。
俺が最後に、あいつらの為に、やらなくちゃいけないことだ。
不可能なことだと思う。
それこそ、奇跡でも起きない限り、そんな事を実現するのは無理だ。
でも、俺はかつて誓った。
あいつらの幸せの為なら、奇跡だって起こしてみせる、と。
だから、俺は奇跡を起こす。
『自分自身の存在を消す』という奇跡を、起こしてみせる。
でも、どうしたら良いのか、俺には分からない。
その奇跡を起こす為に、何をすればいいのか、分からない。
だから、それを捜し求めるように、俺は街をさまよい歩く。
人ゴミの中を、フラフラと力無く歩き続ける。
すれ違う人とぶつかり、無様に倒れる。
不良に絡まれ、抵抗することも無く暴行を受ける。
そして、日も暮れて、歩き疲れ……、
いつしか、俺は家へと戻ってきていた。
崩れ落ちるように、俺はソファーに倒れ込んだ。
そして、天井を見上げ、自分の馬鹿さ加減に苦笑する。
……何やってんだ、俺は?
あいつらがいないってだけで、このザマかよ。
無気力で……、
だらしなくて……、
一人じゃ何もできない……、
ホント、この世に存在する価値も無い男だな、俺は。
俺はゆっくりと体を起こした。
そして、部屋から持ってきたアルバムを広げる。
――こんな時にアルバムを広げるなんて、女々しいよな。
と、そんな自分に心底呆れつつ、アルバムに目をはしらせる。
そこには、たくさんの思い出があった。
さくらと……、
あかねと……、
エリアと……、
共に過ごして来た日々の記録。
かけがえのない、俺達だけの時間。
あたたかで……、
ゆるやかで……、
本当に、幸せだった日々……、
永遠に続くと思っていた。
その日々は、永遠に続くと思っていた。
でも、それは叶わない。
この世に、永遠なんて存在しない。
いつかは壊れるのだ。
今の俺が、そうであるように……、
「……まーくん」
――その時だった。
俺の目の前に、さくらとあかねとエリアが現れたのは……、
「……お前ら」
何故、突然、三人が俺の前に姿を現したのか、俺には分からない。
でも、そんなことは……どうでも良い。
目の前にあるのだ。
手を伸ばせば届くのだ。
俺の、求めていたものが……、
「まーくん……」
「えいえんはあるよ」
「ここにありますよ」
三人が、俺をギュッと抱きしめる。
そして、俺もまた、三人を抱きしめた。
『えいえん』という名の世界を受け入れるように……、
そして……、
「ああ……そうだな」
――俺は消えた。
「……くんっ! まーくんっ!」
さくらの呼び声に、俺はハッと目を覚ます。
「……さくら?」
ぼやける視界いっぱいに、さくらの顔があった。
いや、さくらだけじゃない。
あかねもエリアも、俺を心配そんな顔で見つめている。
「……?」
……何だ?
どういうことだ?
混乱する頭の中を整理しつつ、俺は体を起こす。
俺の部屋――
俺のベッド――
カーテンの隙間から差し込む光――
俺は時計を見た。
何故か、視界がぼやけていて、よく見えない。
パジャマの袖で目を拭うと、袖は僅かに濡れていた。
もしかして……俺、泣いてたのか?
と、思いつつ、もう一度、ハッキリした視界で時計を見た。
時計の針は、午前7時半を少し回っている。
「……夢、だったのか?」
と、呟き、俺は頬に伝う涙を拭った。
そして、安堵のタメ息をつく。
冗談じゃねーぜ。
自分が消えちまう夢、なんてよ。
でも、妙にリアリティーのある夢だったな。
もしかしたら、いつか現実になるかもしれない内容だったから、かな?
「まーくん……どうしたの?」
心配そうな顔で、あかねは俺の顔を覗き込んでくる。
「別に、何でもねーよ」
「何でもなくないよっ! まーくん……泣いてたよぉ」
そう言うあかねも、今にも泣きそうな顔をしている。
見れば、さくらもエリアも、同様だ。
ったく、こいつらは……、
「大した事じゃねーよ。ただ、夢を見ただけだ」
「……哀しい夢、だったんですか?」
そう訊ねるエリアに、俺は黙って頷いた。
でも、夢の内容は話さない。
余計な心配をかけたくねーからな。
そんな俺の気持ちを分かってくれたのだろう。
エリアはそれ以上は何も訊かずにクルリと踵を返すと、部屋のドアを開ける。
「誠さん、もう朝ご飯できてますから、早く起きてくださいね」
そして、さくらとあかねを促し、部屋を出ていった。
「…………」
俺に背を向けて、部屋を出ていくさくら達。
その姿と夢の内容が重なり、俺は言い様の無い不安にかられる。
そして……、
「なあ……」
俺は三人を呼び止めていた。
「ん? な〜に、まーくん?」
俺の声に、三人は同時に振り返る。
「俺達、ずっと一緒にいられるよな? いつまでも、永遠に……」
と、不安げに訊ねる俺。
そんな俺に、三人は優しく微笑む。
ベッドに腰掛けたままの俺に、ゆっくりと歩み寄る。
そして……、
「まーくん……」
「えいえんはあるよ」
「ここにありますよ」
さくらと……、
あかねと……
エリアと……、
――三人の唇は、とてもあたたかかった。
<おわり>
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