Heart to Heart
第104話 「初恋が終わる時……」
高台の公園――
そこには、地元の人間しか知らない場所がある。
街の景観を見下ろす事ができ、フェンスやら植木やらで人目にも付き難い、
そんな恋人達には絶好のスポット。
そこで、俺は……、
夕日に赤く染まっていく街の景色を背にして……、
「誠君……」
「由綺姉……」
……由綺姉を、しっかりと抱きしめていた。
小声でお互いの名前を呼び、見詰め合う。
そして、由綺姉はそっと目を閉じると、爪先立ちになって、
ゆっくりと俺に顔を近付けてくる。
そんな由綺姉の顔を……、
小さくて、可愛くて、微かに濡れた唇を……、
俺はただ、呆然と眺めていることしかできなかった。
「由綺ちゃんと……キスしてくれないか?」
英二さんのその言葉は、
俺を驚愕させるには充分過ぎるのものだった。
一瞬、自分が何を言われたのか理解出来ず、キョトンとしていたが、
その言葉の意味を認識した俺は、すぐさま英二さんに訊ねていた。
「何で、俺が由綺姉とキスしなくちゃいけないんですか?!」
……と。
その俺の質問に対する英二さんの答えは、やけにあっさりとしたものだった。
「キミには、キスシーンの代役を務めてもらいたいんだよ」
英二さんが言うには、このドラマのシーンの中で、
主人公と由綺姉とのキスシーンがあるらしく、
その由綺姉とのキスの相手役を俺にやってほしい、ということらしい。
何故、イチイチそんな面倒な事をするのか?
本来なら、主人公役の男優が、キスの相手となるべき筈だ。
それなのに、何で、わざわざ俺なんかに……、
……って、ンな事は考えるまでもないか。
由綺姉が、それを嫌がったのだろう。
なんたって、由綺姉には冬弥兄さんが……、
っと、ちょっと待てよ。
そうだよ……冬弥兄さんがいるじゃねーか。
由綺姉には冬弥兄さんっていう立派な恋人がいるんたから、
俺なんかじゃなくたって、代役は冬弥兄さんに……、
あ……そういえば、さっき家で由綺姉が、
冬弥兄さんは別の仕事の方に回されたって言ってたっけ。
なるほど……、
だから、由綺姉の弟(のようなもの)である俺、ってわけか。
でも、それって、芸能界っていう世界では、ハッキリ言って我侭なんじゃねーか?
「……それは違うな、少年。
由綺ちゃんは、その件に関しては何も文句は言っていない」
俺がその事を指摘すると、英二さんはそう言って首を横に振った。
「……由綺ちゃんらしいよ。俺達に迷惑をかけたくないんだろう。
だから、彼女は我慢して、何も言わない。
キスシーンの代役に関する件は、俺達の勝手な気遣いだ」
そこまで言ってから、英二さんは苦笑すると、さらに言葉を続ける。
「もちろん、この判断には緒方プロダクション責任者としての、
打算的な考慮も含まれているがね」
「……どういう事です?」
「自分の事務所に所属するタレントの商品価値を下げるつもりは無いってことだよ」
「よく分からないんですけど……」
由綺姉の事を商品呼ばわりしたことに、多少、ムカつきを覚えつつ、
俺は英二さんに訊ね返す。
「そんな怖い顔するなよ。言葉のあやってやつなんだから。
それでだ、分かり易く説明すると……」
と、そう前置いて、英二さんは事情を話し始めた。
今回のドラマの主人公役である男優……まあ、名前はどうでもいい。
その男優だが、どうも色々と問題があるらしい。
その問題というのは、共演者の女性とやたらと噂になったりするのだ。
いわゆる、スキャンダルってやつだな。
で、そいつが、どうやら今回は由綺姉に目をつけたらしい。
「何で、そんな奴と共演するって分かってて、
こんな仕事、引き受けたりしたんですか?」
と、俺が訊ねると、英二さんはそれまでの飄々とした雰囲気から一転し、
真剣な面持ちで一言、こう言った。
「……売名行為だよ」
――つまり、こういう事である。
由綺姉と理奈さんにドラマ出演の依頼が来た時、
英二さんは、最初は断るべきだと思った。
あくまでも、二人は歌手……アイドルであり、女優ではない。
そして、アイドルにとって大切なのはファン達が彼女達に寄せるイメージだ。
ドラマ出演は、場合によってはそのイメージを崩してしまいかねない。
だが、芸能界という世界において、人付き合いというものは重要だ。
仕事の依頼を無下に断るわにはいかない。
断るにしても、相手を納得させられる、それなりの理由が必要だ。
というわけで、英二さんは、弥生さんにも協力してもらい、
そのドラマに関する情報を集めた。
共演者、ドラマの内容などなど、あらゆる情報を入念にチェックした。
その結果……、
英二さんは、由綺姉達のドラマ出演に問題は無いと判断し、
その仕事を受けることにした。
……そう。
英二さんが仕事を受けた時には、由綺姉にキスシーンの予定など無かったし、
共演者も例の男優でなかったのだ。
だが、いざ、撮影発表の場に行ってみると、
由綺姉の相手は例の男優ということになっていた。
しかも、台本の内容も書き直され、キスシーンの追加、
さらにはベッドシーンまで加えられていたという。
その時になって、ようやく、英二さんは気が付いた。
それが、例の男優側プロダクションの画策だということに。
つまり、ドラマ内でそういったシーンを撮影、放送し、
あとは適当な理由をつけてスキャンダルをでっち上げようってわけだ。
理奈さん程ではないにしても、由綺姉だって、
今や業界トップクラスの人気を持っている。
その由綺姉とのスキャンダルだ。
かなりの話題性があるだろうし、宣伝効果もバッチリだ。
それ気付いた英二さんは憤慨し、相手にクレームをつけた。
一度、仕事を引き受けた以上、事務所の信用に関わる為、
それをキャンセルするわけにはいかない。
だから、せめて台本の書き直しを要求し、
ベッドシーンだけはなんとか削除に成功した。
残すはキスシーンだが、これは夕日をバックにしたシルエットのみの演出なので、
撮影当日に冬弥兄さんを呼んで、代役を頼めば良い。
だが、その考えは甘かった。
相手の事務所に手を回され、
冬弥兄さんを別の番組の撮影チームに入れられてしまったのだ。
こうなると、もうどうしようもない。
残念だが、ここは由綺姉に涙を飲んでもらうしかない。
と、半ば諦めかけていたところに、俺という存在が現れた、というわけだ。
「なるほど……で、俺に代役を頼みたい、ってわけか」
英二さんの説明を聞き、だいたいの事情は理解する俺。
「まあ、そういうわけだな。それに、理由はまだある」
「キスシーンが、由綺姉に精神的な悪影響を与えるから、だろ?」
先んじて言った俺の言葉に、英二さんは、ほほうと感嘆の声をもらす。
「さすがだな、少年……その通りだ。
青年以外の男とキスしたりしたら、由綺ちゃんの事だ、
表では平気な顔しても、内心では深く傷付くことだろう」
そう言ってから、英二さんはフッと表情を歪める。
過去に何かあったのだろうか?
何か、つらい記憶を思い出すかのように、空を見上げ、目を閉じる。
そして、しばらく黙っていたかと思うと、
不意に小さく首を横に振り、話を再開した。
「……その心の傷は、今後の仕事にも、プライベートな面でも、
悪い影響を与えるだろう。それだけは、何としても避けなけばならい。
いつもいつも、いいタイミングで青年が癒してあげられるとは限らないからな」
そう言ってから、英二さんは、真剣な眼差しを俺に向けてきた。
その目は、プロダクションの責任者としての目ではなく、
由綺姉の、友人の一人としての、優しい眼差しだ。
あの緒方 英二が、そんな目で、俺に懇願してきた。
「少年……俺達は、キミに強制はしない。キミにも恋人がいるそうだからね。
たから、当然、キミの気持ちも尊重する。だが……」
「誠君……私からもお願い。
こういう言い方は卑怯かもしれないけど、由綺の事を大切に思っているなら……」
と、理奈さんも、そう言って俺の袖を掴む。
「由綺姉は、このことは……」
「知っている。由綺ちゃんには、弥生さんに話してもらった」
「それで、由綺姉は何て?」
「……少年、キミに任せるそうだ」
「そうですか……」
英二さんの言葉を聞き、俺は迷った。
本当なら、断るべきであろう。
さっき英二さんが話してくれたスキャンダル云々については、もちろん分かる。
でも、芸能人である以上、それも仕事の内と言ってしまえば、それまでだ。
それに、それ以前の問題で、
俺にはさくら達という立派過ぎるくらい立派な恋人がいるのだ。
いくら、相手が由綺姉とはいえ、キスなんて……、
……いや、違う。
相手が由綺姉だから、尚更、マズイんだ。
何故なら、俺は……、
「少年……何も、今すぐ答えを出す必要は無い。
夕暮れ時まではまだ時間はあるから、
それまでは、理奈の付き人でもしながら、ゆっくりと考えてくれ」
と、俺の肩を叩く英二さん。
だが、俺は、英二さんのその言葉に、ゆっくりと頭を横に振った。
そして……、
「いえ……英二さん、もう答えは出ました」
そう言って、俺は覚悟を決めた。
由綺姉の為とか……、
スキャンダルの事とか……、
昔、由綺姉に抱いていた自分の気持ちを思い出した時、
俺の中で、そんな事は、もうどうでも良くなっていた。
ただ単に、納得できなかった。
由綺姉が……、
大好きな由綺姉が、冬弥兄さん以外の男とキスをする。
それが、納得できなかっただけだ。
だから、俺は……、
「英二さん……俺、やります」
「……ゴメンね、誠君」
「何で、由綺姉が謝るんだよ?」
全ての撮影が終わり、スタッフ達が撤収準備する中、
星が瞬く夜空の下で、俺と由綺姉はベンチに座って、缶コーヒーを飲んでいた。
お互い、しばらくは無言でコーヒーを飲んでいた。
だが、由綺姉が、唐突に口を開いた。
それが、今の謝罪の言葉だった。
「由綺姉が、謝る理由なんて無いだろ?」
由綺姉の顔を見ず、手にある空き缶をジッと見詰めたまま、素っ気無く言う俺。
「でも、私……誠君の気持ち知ってて、つらい事、頼んじゃったもの」
その由綺姉の言葉に、俺はハッとなった。
由綺姉は、俺の気持ちを知っていた。
幼い頃、俺が胸の内に秘めていた想いを……、
「私、我侭だよね……本当なら、私が我慢すればいいだけだったのに、
それなのに、皆に迷惑掛けて、誠君を傷付けて……」
俺が無言でいるのを、由綺姉は肯定と取ったのだろう。
声を震わせながら、由綺姉は自分を責める。
俺はスックと立ち上がると、
そんな由綺姉に背を向けたまま、淡々と言葉を発した。
「そうだな……確かに我侭だ。
でも、由綺姉はいつも人に気を遣ってるんだから、
少しくらいの我侭ならしても良いと、俺は思う」
俺は、無意識の内に、拳を力一杯握り締めていた。
そして、何かを堪えるように、夜空を見上げる。
「…………」
俺は、由綺姉と初めて出会った時のことを思い出していた。
俺の恋人だ、と、冬弥兄さんに紹介され、
由綺姉を見た瞬間、俺の胸は一気に高鳴った。
一目惚れってやつだった。
そして、それが、俺の初恋だった。
得てして、子供ってのは、年上の異性に憧れ、淡い恋心を抱いたりするもんだ。
どうやら、俺もその御多分に漏れなかったらしい。
と、言っても、由綺姉にはすでに冬弥兄さんがいたわけだから、
その初恋は一瞬で破れちまったんだけどな。
だから、俺の初恋は終わっているんだ。
俺の初恋は終わっている……はずなんだ。
「それに……由綺姉の言う通り、俺は由綺姉が好きだった。
でも、それは俺がまだガキだった頃の話だ。
ただ、単に、子供が年上の女性に憧れていただけなんだ」
そう言葉を紡ぎながら、
俺は、自分の視界がぼやけているのに気付いていた。
俺は必死で自分に言い聞かせる。
……そうなんだ。
ただの、憧れだったんだ。
それは、間違い無いことなんだ。
なのに、何で……、
こんなにも……、
……涙が溢れてくるんだろう?
「だから、由綺姉が謝ることなんか無いんだ。自分を責める必要なんか無いんだ。
俺は、由綺姉とキスしたことなんか、別に何とも思っていない。
だって、由綺姉は、俺の・・・…姉さんなんだから」
「誠君……」
ギュッ――
俺がそう言うのと一緒に、由綺姉が俺の背中に抱きついてきた。
まるで、いつも冬弥兄さんにしているように……、
冬弥兄さんに甘えているように……、
……でも、違う。
甘えているのは……俺だ。
これが、俺と冬弥兄さんとの決定的な違いだな。
結局、俺には由綺姉を慰めることはできないんだ。
由綺姉に、甘えてもらう事はできないんだ。
何故なら、抱き合っても、キスをしても、
やっぱり、俺達は姉と弟のようなものでしかないのだから……、
「由綺姉……俺、由綺姉に言わなきゃいけない事があるんだ」
「うん……」
「俺さ……由綺姉が好きだった。
多分、さくらやあかねよりも……大好きだった」
それは、俺の告白だった。
幼かった頃の俺から由綺姉への告白。
三年の時を経て、俺はようやく、由綺姉に自分の気持ちを伝えることができた。
「誠君……ありがとう。誠君の気持ち、私、凄く嬉しい。
でも、でもね……私が一番好きなのは、冬弥君だから……」
そこで言葉を切り、由綺姉は俺から離れると、俺の真正面に立った。
そして、俺の顔を真っ直ぐに見上げ……、
「だから……ごめんなさい」
……と、由綺姉は頭を下げた。
「うん……ありがとう、由綺姉」
俺は指で涙を拭い、由綺姉に向かって微笑んだ。
もう、涙は流れてこない。
何だか、胸につっかえていた何かが取れた様に、気持ちが晴れ晴れとしていた。
そして、俺は悟った。
これで、ようやく、俺の初恋は終わったのだ、と……、
「……私、冬弥君に謝らないとね」
それから、何となく二人で夜の公園を散歩していると、
突然、由綺姉がそんな事を言い出した。
「何を?」
「誠君とキスしちゃったってこと」
と、冗談混じりに言って、由綺姉はちろっと舌を出す。
そんな由綺姉の子供のような仕草に苦笑しつつ、俺も頷く。
「そうだな。俺もちゃんと謝らないとな。さくらやあかね、それに、エリアにも」
「誠君は、フランちゃんにも謝らないとダメだよ」
「あ? 何でここでフランが出てくるんだよ?」
「それは、自分で考えなさい♪」
「そうやって、またお姉さんぶるし……」
「だって、私は誠君のお姉さんだもの……ね?」
「ああ、そうだな」
と、すっかり元の調子に戻り、微笑み合う俺と由綺姉。
そうだ……これでいいんだ。
俺にとって、由綺姉は大事な姉で……、
由綺姉にとって、俺は可愛い弟で……、
俺と由綺姉は、仲の良い姉弟のようなもの……、
それが、俺達の一番良い姿なんだ。
「じゃあ、由綺姉……俺、そろそろ帰るよ」
俺はそう言って、腕時計を見た。
もう、午後7時30分を回っている。
エリアが心配しているだろうから、そろそろ帰らなければいけない。
それに、晩メシも食べないとな。
由綺姉達も誘いたいところだけど、まだ、仕事があるみたいだし、
残念だが、またの機会ということにしよう。
「あ、なら、途中まで送っていくよ。
と言っても、公園の入り口くらいまでが限界だと思うけど」
と言ってから、苦笑する由綺姉。
そうか……もしかしたら、あの野次馬ども、まだたむろしてるかもしれねーからな。
ってゆーか、間違いなく、まだいると思うぞ。
と、俺がそんな事を考えつつ、
公園の出口へ足を向けようとした、その時……、
「由綺ーーーーーっ! 誠くーーーーーんっ!」
少し離れた所から、理奈さんが俺達を呼びながら駆け寄ってくるのが見えた。
「もう、何処行ってたのよ? 二人とも、探したわよ?
まったくもう、撮影が終わった途端、二人でどっか行っちゃうんだから」
そして、軽く息を切らせつつ、俺達の前に立ち止まると、拗ねた様に唇を尖らせる。
「あはは……ゴメンね、理奈ちゃん」
と、屈託無く笑う由綺姉を見て、理奈さんの表彰が安堵のものになる。
「どうやら、気持ちの整理はついたみたいね?」
「ああ、おかげさまで、ね」
「あら? 何のことかしら?」
そっぽを向いてすっとぼける理奈さん。
さっき、理奈さんは俺達を探していた、とか言ってたけど、
本当は俺達の事を考えて、二人きりにしてくれていたのだ。
理奈さんも、弥生さんも、英二さんも、皆、本当にいい人達ばかりだな。
これなら、安心だ。
芸能界って、色々と良くない噂も聞くけど、
この人達なら、由綺姉を、俺の大事な姉さんを守ってくれるだろう。
「誠君? もう帰っちゃうの?
どうせなら、みんなと一緒に夕食でも……」
「それはまたの機会にさせてもらうよ。
家で俺の帰りを待っててくれてる奴もいるしさ」
「そうなの? 残念だわ。じゃあ、途中まで送ってってあげる」
そう言って、理奈さんも俺の隣りを歩き始める。
うひゃ〜……考えてみたら凄い絵だよな。
俺の両隣をトップアイドル二人が歩いてるんだから。
まあ、俺にとっちゃどうでもいい事だけど、
二人ファン達がこの光景を見たら、血の涙流して羨ましがるだろうな。
「ところで、誠君?」
「はい? 何です、理奈さん」
公園の出口と、そこに未だにたむろしている野次馬達の姿が
遠くに見えてきたところで、いきなり、理奈さんが話を振って来た。
「由綺のこと由綺姉って呼ぶなら、私のことも理奈姉って呼んでくれない?」
「な、何でまた、そんなことを……?」
「だって、私の兄さんってあんな性格でしょ?
だから、誠君みたいなイジメ甲斐のある弟が欲しいな〜って、いつも思ってたのよね〜♪」
「……嫌です」(キッパリ)
「そういうこと言う子には、付き人のお礼あげないわよ」
「すみません。謝りますからお礼ください……理奈姉」
「よろしい♪ それじゃあ、今からあげるから、ちょっと目つむりなさい」
「あ? こうか?」
理奈さんに言われるまま、俺は立ち止まり、目を閉じる。
そして、理奈さんの手が、俺の頬に添えられたかと思うと……、
「じゃあ、これが付き人やってくれたお礼よ♪」
――ちゅっ☆
「んなっ!?」
「あ、じゃあ、私も♪」
――ちゅっ☆
「うわわっ?!」
いきなり、両頬に感じた柔らかな感触に、俺は思わず飛び退いてしまった。
そして、自分の頬を、指先でそっと触れる。
た、確かに、間違いなく……触れたぞ。
由綺姉と理奈さんの……く、唇がっ!?
「な、ななな、何すんだ、二人してっ!?」
不覚にも、顔を真っ赤にして焦ってしまう俺。
そんな俺の姿を見て、由綺姉と理奈さんはクスクスと笑う。
「あー♪ 誠君ったら、照れてる〜♪」
「かわい〜♪」
「だああああああーーーーーっ!!
あんたらはぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!」
「「きゃー♪」」
怒鳴り声を上げる俺から、由綺姉と理奈さんが逃げ帰っていく。
一瞬、マジで追い駆けていって、
頭をペシッとやってやろうかとも思ったが、止めておいた。
ま、たった一日の付き人のお礼にしては、かなり破格な報酬だったしな。
「それじゃ、これから大変だろうけど、頑張ってね〜♪」
「誠君、またね〜♪」
と、そう言い残して、由綺姉と理奈さんは走り去っていく。
……大変?
どういう事だ?
理奈さんの言葉の意味が分からず、
軽く手を振って由綺姉達を見送りつつ、俺は首を傾げる。
……。
…………。
………………。
……って、しまった。
ここからだと、あの野次馬達にバッチリ見えてるじゃねーかっ!?
それはつまり、さっきの『ほっぺにちゅっ☆』を、
思い切り目撃されていた、ということになる。
ってことは……、
「ふ〜じ〜い〜っ!!
き〜さ〜まぁぁぁーーっ!!」
「由綺ちゃんとだけではなく
理奈ちゃんとまでぇーっ!!」
「あ、あ、あまつさえ、
ほ、頬にキスをぉーっ!!」
……ヤバイ!
こいつは、ヤバ過ぎるっ!
あいつら、完全に殺気立ってやがるぞ!
こいつはもう、リンチ確定だっ!!
「だああああああっ!! ちくしょうっ!
由綺姉はともかく、理奈さんは、こうなる事がわかってて、
あんな事しやがったんだなっ!!」
と、吐き捨てるように叫びつつ、俺は迫り来る野次馬達を迎撃する為、
慌ててマシンガンを取り出そうと懐に手を入れる。
しかし……間に合わないっ!!
「藤井ぃぃぃーーーっ!!
天誅ぅぅぅぅーーーっ!!」
真っ先に、谷島が俺に飛び掛かってくるっ!
そして、その拳が俺の顔面を捉えようとした、その時っ!!
「ウィルドバーンッ!!」
どぱぱぱーーーんっ!!
『んにょぇぇぇぇーーーっ!!』
突然、巻き起こった突風が、谷島と野次馬達をフッ飛ばした。
さらに、三つの人影が飛び出てきたかと思うと……、
ドカバキグシャッ!!
……フライパンとクマさんバットと竹ボウキが閃き、
残った奴らを次々と打ち倒していく。
そして、無残にも倒れ伏した野次馬達の中、
立っているのは、四つの人影だけとなった。
その人影の正体とは……、
「まーくん、危なかったですね♪」
「みんなやっつけたから、もう安心だよ♪」
「帰りが遅いから、心配していたんですよ♪」
「誠様、ご無事で何よりです♪」
さくらとあかねとエリア、そして、フランの四人だった。
……何故だろう?
四人とも、何か不自然過ぎるくらいにニコニコしてるけど……、
「何で、お前らがここに?」
何となく嫌な予感を覚えつつ、俺はさくら達に訊ねる。
すると、まずさくらが、ニコニコと笑ったまま、俺の右腕をガシッと掴んだ。
「クラスメートの……名前は何でしたっけ?
とにかく、その人から、まーくんが浮気してるっていう情報が流れてきたんです」
……谷島の野郎か。
あの野郎が、さくら達に連絡したってわけか。
と、俺が内心舌打ちしていると、今度はあかねが俺の左腕を掴む。
「それでね……まさかとは思ったけど、一応、確認しにきたの」
さくらとあかねに腕を掴まれ、俺は身動きができなくなる。
その時になって、ようやく俺は気が付いた。
四人とも、顔は笑っているが、口調は全然笑っていない。
って、事は……まさか……まさか……、
「誠さん……」
「先程のお姿……しっかりと拝見させて頂きました」
例によってニコニコ顔のエリアと、無表情のフランが俺の襟首を掴む。
うわぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!
や、やっぱり見られてたぁぁぁぁぁーーーーーっ!!
「ま、待てっ!! 誤解だっ!!
取り敢えず、落ち着いて俺の話を聞けっ!!」
そう叫びつつ、俺は必死でもがくが、当然の如く、逃げられるわけがない。
「はい♪ もちろん……」
「お家に帰ってから……」
「ゆ〜っくりと、お話を聞かせて頂きます♪」
「誠様……自業自得です」
「おいっ!! だから、待てっ! とにかく待てっ!!
落ち着いて話し合おうっ! 誤解だっ!! 誤解なんだっ!!」
ずりずりずりずり……
ジタバタと暴れ、抗議する俺。
しかし、さくら達は聞く耳を持たず、俺の身体を引き摺っていく。
そして、それから数分後……、
「俺は無実だぁぁぁぁぁっ!!」
……夏の夜空に、俺の断末魔の絶叫が響き渡ったのだった。
<おわり>
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