Heart to Heart

   
  第70話 「……気付けよ」







 
カタカタカタカタ……


 
カタカタカタカタ……


 ――夜。

 パソコンのキーを叩く音だけが、静寂に包まれた部屋に響き渡る。

「……よし」

 俺はキーを叩く手を止めて、最後にエンターキーを押す。


 
ブーッ! ブーッ!


「……ちっ!」

 耳障りな音とともに映し出されるエラー画面に、俺は舌打ちした。

 この音を、この画面を見るのは、もう何度目になるだろう。

 エリアがこの世界に来たその日から、
毎日のように復旧作業は続けている。

 でも、未だに完了の二文字は見えてこない。

「……くそっ!」

 俺は乱暴に椅子の背もたれに体を預けた。
 そして、ダラリと両腕をたれ、天井を見上げる。

 ……少し、焦ってるな。

 と、内心呟く。

 自分でも、分かっている。
 遅々として進まない作業に焦りを感じていることを。

 サークレットの魔力の調達の件については、目処がついた。
 『五月雨堂』に置いておけば、あとはサークレットが自然に魔力を吸収してくれる。

 あとは、召喚プログラムだけ。

 だが、そのプログラムは未だに完成していない。

 魔力が溜まるのは時間の問題だ。
 だから、俺の召喚プログラムさえ完成すれば、
エリアはすぐにでも元の世界に帰ることが出来るのだ。

 それなのに……、

「くそっ! 何でこう無能なんだ、俺はっ!」

 と、俺が自分自身に悪態をついた、その時……、


 
コンコン……


「……ん?」

 唐突に、ドアがノックされた。

 ……エリアか。
 どうしたんだ? こんな時間に。

「誠さん……入ってもいいですか?」

「ああ……」

 俺が返事をすると、お盆を持ったエリアが部屋に入って来た。
 お盆の上には、コーヒーの香りが漂うマグカップとサンドイッチがのっている。

「誠さん、お夜食、持ってきました」

「ああ、サンキュ……悪いな」

「いいんですよ。私の為に、ご迷惑をおかけしているのですから、
このくらいはさせてください。でも、あまり無理はしないでくださいね」

 と、エリアはお盆を机の脇に置く。
 その時、俺はエリアの髪がしっとりと濡れていることに気が付いた。

「……シャワー、浴びたのか?」

「え? あ、はい……ちょっと汗をかいてしまったものですから」

 何故か、恥ずかしそうに手をもじもじとさせるエリア。
 頬がほんのりと赤くなっているのは、多分、湯上りのせいだろう。

「と、ところで、どのくらい進んでるんです?」

 と、エリアは身を乗り出してモニターを覗き込んできた。


 
ふわっ……


「……あ」

 その時、一瞬、エリアの髪の匂いが俺の鼻腔をくすぐる。

 シャンプーの匂いだった。

 でも、初めてエリアと出会った時に感じた、
あの自然の香りは全く損なわれていない。

「……っ!」

 思わず顔を寄せてしまいそうになっている自分に気付き、
俺は慌てて自制した。

「……誠さん、どのくらい進んでいるんですか?」

 何も言わない俺に、エリアはもう一度訊ねてきた。

「あ、ああ……実は、サッパリなんだ」

 気を紛らわす為に、俺は作業を再開する。

「そうなんですか?」

 と、エリアは俺の邪魔にならないよう、乗り出していた体を引き、
そのままベッドに腰掛ける。

「……ああ」

 生返事をしつつ、作業を続ける俺。

「…………」

「…………」

 しばらく、沈黙が流れる。


 
カタカタカタカタ……


 耳に聞こえるのは、俺がキーを叩く音だけ。

「…………」

「…………」

 視線を感じる。
 エリアが、俺を見つめているのが分かる。

 後ろにいるから、どんな表情をしているのか分からないが、
多分、その眼差しは俺を批難しているのかもしれない。


『誠さん、プログラムはいつになったら出来るのですか?』


 その視線が、そう言っているような気がしてならなかった。


 
カタカタカタカタ……


 その視線を振り払うかのように、作業に没頭する俺。
 そして、再びエンターキーを押す。


 
ブーッ! ブーッ!


 またもエラー音。
 それと同時に……、

「……はぁ」

 と、エリアのタメ息が聞こえた。

 うう……思いっ切り呆れられている。
 まあ、こう何度も失敗してたら、頼りないと思われても仕方ねーよな。

「…………」

「…………」


 
カタカタカタカタ……


 エリアの視線、そして時折聞こえるタメ息に、
自分の情けなさを痛感させられる。

 それでも、俺はめげずに作業を続ける。

「……エリア、お前がこっちの世界に来ちまったのは、
この召喚プログラムのバグが原因なんだ」

 沈黙に堪えられなくなってしまったのか、
俺は何故か、そんな事を話し始めていた。

「バグってのは、言ってみればプログラム上の予測不可能な事故みたいなもんだ。
そして、お前を元の世界に帰す為には、もう一度、その事故を起こさなければならない。
でも、その予測不可能なバグを再現するってのは……」

 と、そこまで言って、俺は口を噤んだ。

 何、言い訳してんだ、俺は。
 ……最低だな。

「わりぃ、エリア……今、言ったことは忘れてくれ」

 と、俺は後ろを振り返る。
 だが、エリアはボーッと俺を見つめたまま、何も言わない。
 何と言うか、心ここにあらず、という感じだ。

 ……あれ?
 失敗続きの俺に呆れてたんじゃないのか?

 落胆の眼差しを向けられている事を予測していた俺は、
ちょっち拍子抜けしてしまった。

「おーい、エリア〜?」

「あ、はい……何ですか?」

 もう一度呼び掛けると、ようやくエリアは我に返る。
 何か、さっきよりも顔が赤くなっているような……気のせいか?

「何ですかって……聞いてなかったのか?」

「……はい?」

 と、キョトンとした顔のエリア。

 エリアって、時々こんなふうにボーッとしていることがあるよな。
 ……一体、何を考えているんだろう?

「まあ、聞いてなかったならいいや。独り言だから気にしないでくれ」

「……そうですか?」

「ああ……それより、湯冷めするといけねぇから、早く寝ろよ。
夏と言っても、夜はまだ冷えるからな」

「はい……それでは、おやすみなさい、誠さん」

 そう言って、エリアは部屋を出ていった。

「さてと……」

 エリアを見送り、俺はサンドイッチを頬張りながら、パソコンに向き直る。

 いつまでも、エリアを待たせるわけにはいかない。
 それに、こう何度も失敗してたらカッコがつかないぜ。
 汚名返上する為にも、出来るだけ早く、プログラムを完成させないとな。

「よっしゃっ!」

 気合いとともに、両頬をパンッと叩き、俺は作業を再開したのだった。








 それにしても、さっきのエリアの視線は、何だったんだろうなぁ?








<おわり>
<戻る>