「誠さんが……伴奏、ですか?」

「うにゅ〜……それって、ピアノ?」

「――は、流石に無理だから、
まず、何とかして、キーボードを調達しないとな」

「調達って……まーくん、楽器なんて弾けましたっけ?」

「弾けるわけないだろ」

「じゃあ、勿論、断ったんですよね?」








「――いや、引き受けた」

「「「えええぇぇぇっ!?」」」











第251話 「涙がほおを流れても」










「――伴奏、してくれないかな?」

「ああ、わかった」








 ――即答だった。

 そして、次の瞬間……、
 驚きのあまり、俺は、言葉を失った。

 歩の頼みの内容に……ではない。

 それを引き受けた自分に……、
 しかも、即答してしまった事に、驚いたのだ。

 言うまでもないが、俺は、楽器など扱えない。

 小学生の頃に、音楽の授業で、鍵盤ハーモニカや、
縦笛を習ってはいるが、そんなモノは、誰もが通る道である。

 つまり、俺と音楽との接点は、その程度でしかない、という事だ。

 ――そんな俺に、伴奏を頼む?

 失礼を承知で言うが……、

 正直なところ……、
 俺は、歩の正気を疑った。

 素人の俺に、伴奏させるなんて、
いくらなんでも、それは、無茶を通り越して、無謀じゃないか?

 だが、それ以上に、信じられないのが……、

 無謀と知りながら……、
 それを承諾してしまった、自分自身だ。

 ――何故?

 そんな事を訊かれても、自分でも分からない。

 ただ、当たり前のように……、
 俺の役目だ、と思ってしまったのだ。

 ――既知感?
 ――それとも使命感?

 とにかく、優季や歩が関わると、
よく、そんな訳の分からない感覚に見舞われる。

 もしかして、前世の因縁とか、
そ〜ゆ〜オカルト的な繋がりでもあったりするのか?

 今までは、深く考えないようにしてたけど……、

 ルミラ先生か、エビルさんにでも相談してみるべきだろうか?

 いや、前世云々って話なら、
先達である耕一さん達の方が良いのか?

 まあ、この感覚が何であれ……、
 さくら達には、余計な心配はさせたくないなぁ……、

「――まーくん?」

「ん〜、どうした?」

「どうした、って……、
由綺さんからのメールが、届いたみたいですよ?」

「ん? あ、ああ……」

 さくらに、パソコンのモニターを示され、俺は、我に返る。

 いかん、いかん……、
 考え事していて、気が付かなかった。

 俺は、慌てて、マウスを操作し、由綺姉からのメールを開く。

 経緯は、何であれ……、
 俺は、コンサートでの演奏を引き受けた。

 とはいえ、さっきも言った通り、
俺は、楽器なんて扱えないし、当然、持ち合わせてもいない。

 だから、まずは、楽器の調達から始めなければならないのだが……、

 よく考えたら、俺の身近には、
音楽に長けた者も、楽器を持っていそうな者もいない。

 唯一、音楽と関わりが深いのは……、
 歌手である由綺姉か、理奈さんだけ……、

 仕事で忙しい由綺姉達の手を煩わせるのは、
出来る限り、避けたかったのだが、背に腹は代えられない。

 と、いうわけで――

 申し訳ないと思いつつ、つい先程、
由綺姉の携帯電話に、メールを送ったのだが……、

「……意外と、早かったな」

 由綺姉の返事の早さに驚きながらも、俺は、メールを開く。

 やはり、仕事が忙しいのだろう。
 その内容は、由綺姉にしては、とても端的であった。

「……どうでした?」

「由綺姉は、持ってないけど……、
どうやら、話が、英二さんにまで、伝わったみたいだ」

 訊ねるエリアに、俺は、
苦虫を噛み潰したような表情で答える。

 ああ、しまった……、
 由綺姉に相談したのは、マズかったかも……、

 予想以上に、話が大きくなってしまった事に、俺は、頭を抱えた。

 どうやら、由綺姉は、楽器を調達する為に、
わざわざ、英二さんにまで、相談してくれたらしい。

 で、英二さん曰く――


 古いモノで良ければ、少年に進呈しよう。

 明日にでも、弥生さんに、
届けてもらうから、遠慮なく使ってくれたまえ。

 ああ、お礼なんて、気にする事はないよ。
 どうせ、もう、使わないモノだから、処分の手間が省けたくらいだ。

 それに、少年には、随分と、大きな借りがあるからね。

 まあ、そういうわけだから、
体に障らない程度に、頑張って、練習してくれたまえ。

 コンサートの成功を祈っているよ。



 ――だ、そうだ。

「大きな借り……?」

 一瞬、何の事か分からなかった。
 だが、あのドラマの代役の件だと思い至り、俺は、納得する。

 英二さん……、
 まだ、気にしてたのか?

 アレは、俺自身も、ちゃんと納得した上で引き受けたのに……、

「誠さん、ここは……」

「ああ、分かってる……、
ここは、英二さんの顔を立てなきゃな」

 エリアの言葉に頷きつつ、俺は、由綺姉に返信メールを送る。

 英二さんの連絡先は知らないので、
申し訳ないが、由綺姉に伝言をお願いする為だ。


 ――これで、チャラって事にしましょう。


 内容は、必要最低限で良い。
 英二さんなら、これだけで、理解してくれるはずだ。

「さて、と……これで、楽器の問題は解決したな」

 由綺姉からのメールによれば、
キーボードは、明日、弥生さんが届けて――



「……?」



 ――はて?
 何か、忘れているような?

 とても重大な“問題”を失念しているような気がする。

 何なのだろう……、
 物凄く、嫌な予感が湧き上がってくる。

「……ま、いいか」

 多分、コンサートを控えての緊張から来るモノだろう。

 演奏なんて、全く、経験が無いのだ。
 今から、不安を抱くのも、当然と言えば当然である。

「……送信、っと」

 由綺姉へのメールの送信を終え、
俺は、床頭台の上に置かれた冊子を手に取る。

 歩から貰った、コンサートで演奏する事になる曲の楽譜だ。

「あとは、俺の努力次第か……」

 パラパラと冊子のページをめくり、
楽譜を斜め読みしながら、俺は、深く溜息を吐く。

 コンサート、と言うくらいなので、
当然、演奏が一曲だけで終わるわけがない。

 最低でも、5〜6曲は、披露する事になるのだろう。

 とはいえ、素人以下の俺が、
短期間で、そこまでの技量を得るのは、不可能だ。

 だから、せめて、一曲だけでも……、
 なんとか、弾きこなせるようにならないと……、

「まーくん、楽譜って読めたっけ?」

「学校で教わったからな……、
言い換えれば、その程度の知識しかない」

 楽譜から目を離さぬまま、俺は、あかねの問いに頷く。

 どうやら、俺が聴いた事の無い曲は無いようだ。
 これなら、楽譜を追い駆けるだけで良い。

 まあ、知らない曲があったら、
ネットで調べて、音源を入手すれば済むのだが……、

「そんなに、難しい曲は無いみたいですね」

 不意に、耳元で、さくらの声がした。
 隣を見ると、さくらが、楽譜を覗き込んでいる。

「そういえば――」

 俺は、さくらの家の居間に、
アップライトピアノが置かれている事を思い出した。

 同時に、それを弾く、幼い彼女の姿が、記憶の端から蘇る。

「――さくらは、ピアノ、弾けるんだよな?」

「はい、人並みには……」

「あっ、私も弾けますよ。
時々、村の子供達に弾いてあげてます」

「ワタシも、嗜む程度には……」

 訊ねる俺に、さくらが頷き……、
 それに続くように、エリアとフランが手を挙げる。

「なるほど……」

 ピアノを弾ける人が、身近に、三人もいるのは、まさに僥倖だ。

 無闇に、自力で練習するよりも、
誰かに教えて貰った方が、断然、効率が良いからな。

 それに、最悪の場合――
 俺の代わりに、演奏してもらう事も――

「…………」


 
――ゴツンッ!


 一瞬でも、馬鹿な事を考えた自分の頭を、軽く殴る。

 これは、俺個人の問題だ。
 俺が、勝手に決めて、勝手に始めた事だ。

 ならば、俺自身が、最後まで責任を取らなければならない。

 だが、俺一人だけでは、
成し遂げる事が出来ないのも事実なわけで……、

「なあ、悪いんだけど――」

「――はい、特訓ですね」

 皆まで言う間も無く……、
 さくらは、俺の、情けない頼みに、快く応じてくれた。

「微力ではありますが……」

「私達も、お手伝いしますね」

 エリアとフランも、また、協力を申し出る。

 俺の我侭に、巻き込んでしまった。
 さくら達には、どんなに感謝してもし足りないな。

「ありがとう……」

 ――正直、断られると思っていた。

 多分、さくら達は、俺と優季達との関係を、あまり良く思っていない。
 不審に思っている、と言っても、過言ではないだろう。

 彼女達が、不信感を抱くのは、当然だ。

 何の脈絡も無く……、
 いきなり、親しくなっているのだから……、

 しかも、さくら達の、伺い知らぬ所で……、

 だが、どう説明すれば良い?
 俺自身、この不可思議な感情を理解出来ていないのだ。

 この、魂の奥底に割り込んでくるような……、
 抑え切れない喜びと、懐かしさを、どうやって伝えれば……、

「……まーくん?」

「どうしたの? 何か、遠く見てたよ?」

「ん? ああ……何でもない」

 どうやら、また、あの妙な感覚に捕らわれていたようだ。
 不安げな様子の、さくら達の声に、俺は、我に返る。

 ……我に……返る?

 寧ろ、この妙な感覚は、
我に『帰る』と言った方が良いのかもしれない。

 何故なのか、よく分からないが……、

 優季達の事を考えるだけで、
今、ここにいる“自分”が希薄になっていくような気がするのだ。

 これは、かなり、ヤバイ……のか?
 デュラル家に相談するのを、本気で検討した方が良いのかも?

 こーゆー事に、詳しそうなのは……、
 ルミラ先生か、メイフィアさんか、エビルさんか……、

「なあ、フラン……?」

「はい、何か、御用でしょうか?」

「いや、その、なんだ……、
先生の家に、ピアノなんてあったっけ?」

「……以前、住んでいた屋敷にならありました」

「あ〜、なるほど……、
それで、家事の合間とかに、暇潰しに?」

「……はい、三十年程、研鑽を積ませて頂きました」

「うわっ、ケタが違うし……」

 フランに、伝言を頼もうとしたが、咄嗟に思い止まった。

 そんな事をすれば、変に詮索されるだろうし、
何より、これ以上、彼女達に、余計な手間は掛けさせたくない。

 後で、俺が、直接、電話すれば済むわけだし……、

 取り敢えず、考えを悟られないよう、
フランには、適当な話題を振って、誤魔化す事にする。

 尤も、敏いフランのことだから、勘付かれてるかもしれないけど……、

「じゃあ、後は、楽器が届くのを待つばかり、か……」

「ただ待つだけじゃ、時間が勿体無いです。
今の内に、せめて、暗譜だけでもしておきましょう」

「――あんぷ、って?」

「楽譜を暗記するんです。
覚えているかどうかで、大分、違いますよ」

「うへぇ……」

 エリアの提案に、俺は、脱力し、テーブルに突っ伏す。

 退院後、学校の授業に置いていかれないよう、
勉強もしてるってのに、さらに、楽譜まで覚えなきゃダメなのかよ。

 ……とはいえ、泣き事を言って良い立場では無い。

 皆、俺の、無茶な我侭に、
わざわざ、付き合ってくれているのだ。

 どんな事でも、面倒臭がらず、真面目に取り組まなければ……、

「――よしっ」

 頬を叩いて、気を取り直し、俺は、楽譜の暗記に挑む。

 頭の中で、曲の流れを、
イメージしながら、音符の羅列を追っていく。

 だが、そんな俺の行為は、
経験者からすると、無駄でしかないようで……、

「暗譜は、楽器を使いながらの方が良いですよ」

「今は、とにかく、原曲を、
飽きるくらい、何度も聴きましょう」

「全部、ネットで検索しておいたよ」

「お、おう……ありがとう」

 さくら達の指示に従い、俺は、イヤホンを耳に装着する。

 俺が、無駄な努力をしている間に、あかねが、
某動画サイトで、曲を検索し、URLをブックマークをしてくれていた。

 取り敢えず、今は、コレを聴き、
後日、レンタル店などで、CDを手に入れるとしよう。

「本格的な特訓は、やっぱり、楽器が届いてから、か……」

「そうなりますね……、
弥生さんが来てくれるの待ちましょう」

「ああ、弥生さんが――」



 
――ゾクッ!



「…………」(汗)

 ……な、何だろう?
 今、背筋に悪寒が奔ったぞ?

 それと同時に、また、沸々と、嫌な予感が湧き上がってくる。

「ん〜……?」

「まーくん、どうしたの?」

 喉の奥に、何か詰まったような……、

 で、もう少しで“それ”が出てきそうな、
何とも煮え切らない感覚に、俺は、頭を捻らせる。

「何か……致命的な事を忘れている気がする」

「うにゅ〜……」

 俺の様子を見て、あかねが、
何やら、凄く同情的な視線を向けてきた。

 ……いや、あかねだけじゃない。

 さくらも、エリアも、フランも……、
 全員が、顔を見合わせ、一様に同じ表情になる。

「もしかして、気付いてないんですか?」

「ワタシは、てっきり、誠様は、
すでに、覚悟を決めていたと思っていたのですが……」

「……何の事だ?」

 訊ねる俺に、さくら達は、再び、顔を見合わせる。

「由綺お姉さんに相談した、という事は、
当然、この件は、理奈さんの耳にも入っている筈です」

「まあ、そうだろうな……」

「……
“あの”理奈さんが、黙ってると思う?」

「思わない……」

 このやり取りだけで、この場にいる全員の、
理奈さんに対する『信頼度』は、ハンパ無い事がうかがえる。

 そして、多分……、
 いや、確信を持って断言できる。

 英二さんは、この展開を想定済みだ。
 その上で、俺に、キーボードを譲ってくれたのだ。

「理奈さんが関与して……、
弥生さんが“持って”来てくれるんですよ?」

「…………」(大汗)

 さくらの言葉に、俺は、先日、
由綺姉達が、お見舞いに来てくれた時の会話を思い出す。





「――あ、そうだ、誠君♪
今度、私達のステージ衣装も着て見せてくれない?」


「答えは聞いてないけど♪」

「確定事項かよっ!?」

     ・
     ・
     ・






「……勘弁してよ」(泣)

 おお、神よ……、
 俺の人生に、こんなフラグ回収はいりません。

「今からでも、伴奏の件、断ってこようかな?」

「もう、手遅れかと……」

 一体、いつの間に用意されたのか……、

 淡々と言うフランの手には、
コンサートの開催を知らせるポスターがある。

 それには、優季と歩の名前の下に、
しっかりと、俺の名前が、伴奏者として明記されていた。

「そ、それは……?」

「病院中の掲示板に貼られています」

 ――うん、退路は断たれたようだ。

 畜生、歩の奴……、
 なかなか、仕事が早いじゃね〜か。(泣笑)

「あ、はっはっはっ……」(壊)

 乾いた笑い声を上げながら、俺は、
妙に重く感じる手を動かし、パソコンのキーを叩く。

 内容は、必要最低限で良い。
 英二さんなら、これだけで、理解してくれるはずだ。








 ――前言撤回。

 恨みますよ、英二さん。(泣)








<おわり>
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