いまだ平穏と呼べた日常は、
瓦礫の音を立てて、崩壊を始める。
ついに、破壊神ガディムを奉じる者たちの総攻撃が始まったのだ。
ゴブリン、コボルド、トロル、オーガー、ダークエルフと言った、
日の光に見放され、見限った者たちが手に手に武器を取り、
人間たちの巣――街へと欲望にぎらついた目を向け侵攻する。
また、現れたのはこの世に肉を持つもの達ばかりではなかった。
死後の安らぎから無理矢理現世へと引き戻され、怨嗟の声をあげる者たち。
その中には、かつて魔物たちと戦い、志半ばにして散っていった者たちも数多い。
本来なら、彼らは再び大地の上に立てた僥倖に喜び、
守るべき者たちを傷つけようとする者に容赦することはないだろう。
しかし、彼ら意思は押さえ込まれ、魔軍に向けられるべき怒りは、
生者への怨念へとゆがめられ、血の涙を流しながらも、その足を止められない。
その背後には黒き悪魔たち――
破壊神の眷族にして、漆を塗った闇夜の体を持つ異形の魔物、ラルヴァ。
彼らは、その深き闇の底に住まう住人たちを駆り出し、
地上に住まう魔物たちを先導し、冥府から呼び出した人間たちを操る。
黒い連合軍は、緑豊かな大地と蒼き天空を侵食して行く。
それはイナゴの大群が、農作物を、
木々を、家を、すべてを食らい尽くす様に似ていた。
――今、絶望の津波がアクアプラス大陸に迫っていた。
Leaf Quest
〜へっぽこ騎士団の冒険〜
『その瞳に映るもの』
「……逃げても、よかったんだよ?」
戦の準備に追われ喧騒に包まれるカノン城の中で、
エアー騎士団長『橘 敬介』は二人の少女たちに言う。
圧倒的な大軍……その戦力差にカノンの、いや人間側の敗北は決定したも同じだ。
ならば、この年端もいかない未熟な少女達を、
むざむざ魔物の牙などにかけさせたくはない。
特にそれが愛しい娘の友人なれば、多少強引にでも娘と共に逃がしたかった。
「そんなわけにはいかないよぉ」
けれど、ポテトを胸の前に抱きしめた佳乃が、
姉そっくりの不敵な笑みを浮かべる。
「……この街を守れるのは、私たちだけですから」
『星の砂』を握り、しっかりとした瞳を向ける美凪。
「君達……」
団長は目を閉じる。
スライムが一匹出ただけでも慌てふためいていた、
この落ちこぼれたちは、いつの間に、これほど成長したのだろう。
威風堂々とした彼女達の立ち姿は、まるで、伝説の戦乙女のように見える。
いや、彼女たちだけではない。
黒翼を駆り、偵察に出たもう一人の少女も。
雲霞のごとく押し寄せる魔物たちにただ恐れおののき、
震えるだけだった騎士たちの中で、空を飛べる事を理由に、
たった一人で飛竜に乗る黒騎士に立ち向かうと言った愛娘・観鈴。
落ちこぼれと呼ばれた三人の目には、絶望も失望も、そして諦めもない。
いまだ部屋の片隅で、大陸中の街や村めがけて、
魔物たちが行軍する様子を中継している魔法ビジョン。
その最大規模の部隊がカノンを目指していると放送された時、
大陸最強と謳われたエアー騎士団は恐慌に陥った。
大陸を北と中南部に分断するカノン山脈を越え、
大地を埋め尽くすほどの魔物たちが押し寄せてきたのだから、無理はないかも知れない。
しかし大の大人達が泣き喚き、無辜の民を守る事を誇りにすべき彼らが、
ただ自分だけは助かりたいと神に祈る姿の、なんと情けなかった事か。
敬介でさえ、あまりの恐ろしさに目がくらみ、
氷の塊を無理矢理飲み込まされる感覚を必死で押さえつけるのに精一杯だった。
だが、彼女達は一瞬の驚きこそあったにせよ、
即座に自分を取り戻して同僚たちを一喝した。
「祈る前に出来る事がまだあるのに、何もしないのか」と、
怒りと、希望に満ちた目で問う彼女達に呑まれ、騎士たちは一応の平静を取り戻し、
一人戦うという観鈴の言葉に奮起した。
それでも、己の役目を果たすため、
戦の支度を整える彼らの動きは、今ひとつ精彩に欠けていた。
皆、プレッシャーと恐怖に押しつぶされそうなのだ。
今も数分毎に、それに押し負けた者達の脱走の報告が届けられている。
念入りに武装の点検をする二人を見た。
お仕着せの騎士の鎧ではなく、それぞれが、
それぞれの戦い方にあった装備を身に付けて動きを確認している。
緊張はある。けれど、自然体なのだ。
飛び立つために翼を広げる鳥のように、
体にみなぎる力を開放する最高、のタイミングを計っているかのようだ。
いったい、彼女たちをここまで成長させたのは何なのだろう。
彼女達の瞳は、何を映しているのだろう。
どうしたら、ここまで堂々としていられるのだろう。
彼女達を複雑な思いで見つめていた敬介は、ふと尋ねてみた。
「怖くはないのか?」
「怖いに決まってるじゃないですか」
答えは、意外な方向から返って来た。
「――姫様っ!?」
急に現れた主君に、慌てて三人は臣下の礼をとる。
「あ、そのままでいいですよ」
たった一人の黒髪の護衛を引き連れた姫――佐祐理は手を振って楽にさせた。
突然の王女の来訪だったが、
詰め所にいる他の騎士たちは気づいていない。
心ここにあらずとばかりに黙々と手を動かしている。
騎士たちの不敬に、敬介は眉をひそめて顔を上げた。
……怒声は発せられなかった。
「姫、そのお姿は……」
敬介は呆気にとられて佐祐理に尋ねる。
佐祐理は普段の、白を基調とした清純なドレス姿ではなかった。
スカートの丈は短く、色使いも原色を中心とし、
頭のリボンまで含めて、装飾華美の派手な物だ。その手には、
先端にハートをかたどり中に星型の飾りを入れた、短い杖を握っている。
「わぁ、魔法少女さんだぁ!」
佳乃が目をぱちくりとさせる。
美凪も少しだけ目を見張っていた。
佐祐理は少し照れくさそうにはにかんだ。
「あははー、これから戦いになるんです。
象徴となる人は、できるだけ目立った方が良いので、
魔術師の装束を改造して作っていただきました」
「……姫様も戦うおつもりなのですか!?」
「魔法少女・マジカルさゆりんと呼んでくださいねー」と、
おどける佐祐理に、敬介は驚きに声を上げる。
その大きさに全ての者が手を止め、彼らを注視した。
普段はしとやかで可憐な王女である佐祐理だが、同時に佐祐理は優れた魔法使いでもある。
彼女がドレスを脱いだ意味を計れないほど、団長たる敬介は愚かではない。
けれど、彼は職務に忠実であり、
騎士の矜持から彼女の行動を否定せざるを得なかった。
「おやめください!
魔物の軍勢など、我らエアー騎士団の力を持ってすれば――」
「――勝てる、と言い切れるの?」
佐祐理の隣で控えていた舞が鋭い視線を向ける。
「相手は大軍。脱走者も出ているエアー騎士団だけでは、まず勝てない」
「ぐ……」
「……恥ずかしい話、近衛騎士団からも脱走者が出ている。
残った人員を王都の防衛にまわしても、勝つのは難しい」
「だから、佐祐理も戦うんです」
トーンがわずかに低くなった舞を励ますように、佐祐理は明るく微笑を浮かべて言う。
「佐祐理の魔法の力があれば、それだけみなさんが助かる確率もあがりますからね〜」
「しかし……」
「あなたは怖くないんですか?」
まだ何か言い募ろうとする敬介に、佐祐理は一転して真剣な目で問い掛ける。
「さきほど、お二人に尋ねていましたね。
では、逆に佐祐理から聞きます。あなたは怖くないんですか?」
敬介は気圧されたようにわずかに体を引くが、
それは非礼に当たるとすぐに居住まいを正す。
「怖くない……と言えば嘘になります」
「では、どうして他のみなさんのように逃げてしまわないんですか?」
「姫様……?」
少なくとも戦いに臨む騎士に聞くべき質問ではない。
自分の耳を疑うように佐祐理を見る。
佐祐理は唇をきゅっ、と結んだまじめな表情だ。
――それが騎士としての務め。
脳裏に浮かんだ、ありきたりな答えを打ち消す。
佐祐理が、そんなお題目を聞いているのではないと気づいたからだ。
「命に代えても守りたいものがあるからです」
騎士団長は一つ息を吸うと、
自分の胸に拳をあて、不敬を承知で若き主君の目を見据えた。
「私はこの国で生まれ、この国で育ち、愛しい人や娘もいれば多くの友人達もいます。
私は、彼らを守りたくて剣を取りました。
戦えば、私は死ぬでしょう。けれど、彼らを逃がす時間は稼げます。
それで死ねるのなら本望と言うものです。
今、逃げるという事は、これまでの自分を否定するのみならず、
未来永劫、私が私である資格を失います。それが、なにより怖い。
だからこそ、私は逃げないのです」
静まり返った騎士の詰め所に、敬介の声が染み入るように消えていく。
佐祐理はその答えに、華のような微笑を浮かべた。
「それは佐祐理たちもおんなじなんですよ」
佐祐理は胸に当てられたままの敬介の拳をそっと手に取る。
「姫様……」
「こんなになるまで、剣を振るってきたのですね……」
戸惑って引こうとするのを視線だけで止めて、
そのごつごつとした武人の手をいとおしむように包み込む。
佐祐理は静かに、目を閉じて想いを込めるように、訥々と言葉をつむいでいく。
「戦うことは怖いです。いつ死ぬかも分からない……、
いいえ、佐祐理の目の前で誰かが死んでしまうかも知れません。
佐祐理の知っている人が突然いなくなる……それが、とても怖いです。
けれど、佐祐理にも、絶対に譲れないものがあります。
それを守るためにも、佐祐理は戦わなくてはいけないんです。
佐祐理には、本当に傲慢かも知れないけれど……みんなを助けられる力があるんです。
なのにそれを使うことも許されず、大切な人たちが苦しんで、
悩んで、血を流していくのを、もう黙って見ていたくはありません」
最後はきっぱりと言い切る佐祐理に、
二人の少女が力強く頷き、舞は少しだけ目を伏せた。
『魔物』との戦いの時、祐一と舞は彼女を傷つけたくないからとのけ者にした。
それが逆に守りたかった彼女の心を、ひどく傷つけてしまった。
佐祐理の言葉が、その時の事を指していると分かったのだ。
「みなさんも……」
敬介の手を離し、いつのまにか半円を描くように集まっていた正騎士達を、
佐祐理は凛とした、王女の顔で順繰りに見渡し、一人一人に語りかけて行く。
「誰のために戦うのか、何のために戦うのかを忘れないでください。
そして、絶対に生き残ってください。みなさんが傷ついただけでも悲しむ人はいます。
けれど生きていればその悲しみは必ず癒せます。
本当に誰かを守りたいのなら、絶対に生きて、
大切な人の前に元気な姿をみせてあげてください。
カノン王国王女、倉田佐祐理は、
ここに、皆さんから預けられた剣をお返しします。
その剣は、みなさんの本当に守りたい人に奉げて下さい。
今から、佐祐理はどこにでもいるちょっと頭の悪い普通の女の子です。
でも、佐祐理は、大好きな人たちのために精一杯戦います。
いつも大切な人たちと笑っていたいから……、
そんな世界を取り戻すために、どうかみなさん、力を貸してください」
深々と頭を下げる佐祐理の姿に、
集まった騎士たちはいっせいに最敬礼をとる。
真摯な、心の底から生み出された佐祐理の態度に、涙を流す者すらいた。
敬介もその一人だ。
彼は佐祐理の足元にひざまづき、涙を隠すようにうつむいていた。
戦いを前にして『自分自身のために戦い、そして生き残れ』などという王族はいない。
『国のために戦い、そして死ね』と、
命令するのが国を預かるものとして取るべき態度なのだ。
しかし……、
自分はなんと主に恵まれたのだろう、感激が彼の心を満たす。
何をもってしても、我が姫の願いをかなえてあげたいと思う。
敬介は涙をぬぐうと、厳しい表情を作って立ち上がった。
「さぁ、お前達っ! 戦の準備はまだできていないっ!
時間がないんだっ! 早く取り掛かれっ!!」
「はいっ!」
騎士たちはいっせいに踵の鳴らして直立不動となると、
きびきびとした動きで武装を整えていく。
その顔は興奮に充ち、輝いていた。
低迷していた士気が、佐祐理の言葉で一挙に高まっていた。
――これが、我らの王女殿下なのだ。
敬介は晴れがましい気持ちで、そう世界に叫びたかった。
尊敬の念をこめて佐祐理を振り向く。
「……進呈。とっても感動したで賞」
「あははー、ありがとうございますー」
それまでのシリアスな雰囲気などどこへやら、
美凪が取り出した茶封筒を佐祐理は少女の笑顔で受け取っていた。
佳乃は無邪気な笑顔でポテトと一緒に向ける。
「姫様。姫様の大切な人って、やっぱり祐一くん?」
「あー、やっぱりバレちゃいます?」
「うん♪ すっごくよく分かる」
「あははー。でも、それだけじゃないんですよー」
恥ずかしそうに頬を染めて、それでも楽しそうに言う佐祐理。
「佐祐理の大切な人たちは、舞に香里さんに栞さんに名雪さんに、
真琴さんに美汐さんにあゆさん、それに、佳乃さんに観鈴さんに美凪さん……」
「……私たちも、ですか?」
指折り数える佐祐理に、美凪は、
騎士である自分達の名前が出たことに驚いたのか、小首をかしげる。
「はいっ! 大切なお友達です!」
臆面もなく言い切る佐祐理に、二人はそろって口元をほころばせた。
「光栄です、姫様……」
「うん! 姫様を王族のお友達一号さんに任命するよ〜」
「はいっ、任命されましたっ」
おどけて胸に手を当てる佐祐理。
三人は顔を見合わせると、笑いがはじける。
佳乃は、ん?と視線を佐祐理からずらした。
そこには無表情な舞がいる。
普段から表情の変化の少ない近衛騎士だが、
祐一なら、今はどこかさびしそうだ、と見当がつけられただろう。
佳乃は滅多に話した事のない彼女に、当たり前のように、にっこりと微笑みかける。
「もちろん、舞さんも近衛騎士団のお友達一号さんに任命するよ」
「私も……?」
小さく口を開けて舞は瞬く。
佳乃はこくこくと首を動かす。
「だって、友達の友達は友達だから、ね?」
「ぴこっ♪」
佳乃に答えてポテトも同意するように片手を持ち上げる。
舞は微妙に頬の緊張を解いた。
「……佳乃も、美凪も友達」
「では、進呈……お友達になったで賞」
佐祐理と舞、それぞれに一封を差し出す美凪。
舞ほどとは言わないが、表情の変化の少な目な彼女も、うれしそうだ。
「あははー、佐祐理はこれで二枚目です」
「……ありがとう」
二人もそれぞれにうれしそうな顔で受け取る。
祝儀袋を懐にしまうと、佐祐理は言った。
「あのですね、この戦いが終わったら、
お城の祝賀会とは別に、みんなでパーティするつもりなんです。
二人もご一緒にどうですか?」
「お姉ちゃんも一緒に行っていいかな?」
「母と妹を、連れてきてもよろしいですか?」
少女騎士たちは世間話の気軽さで尋ねる。
佐祐理は笑顔で頷いた。
「もちろんです。お友達の大切な人たちなら、佐祐理にとっても大切な人ですよー」
「佐祐理の料理、美味しい……」
舞は淡々と言いながら、
その時の光景を思い浮かべたのか小さく喉を鳴らした。
「うん、いっぱい作るね」
佐祐理は微笑ましげに舞を見つめる。
その言葉に佳乃は目を丸くした。
「わぁっ、姫様お料理もできるんだ」
「……手ずから、ですか」
「佐祐理、たこさんウインナー大盛り。
それにカレーと肉まんとたい焼きとホットケーキとアイスも」
「あははー、舞は食いしん坊さんだねー」
「……みんなの分」
「分かってる。腕によりをかけちゃうよ」
「微力ながら、お手伝いします。ハンバーグならお任せください」
和気藹々と会話をする少女達を見て、敬介は微笑みながらため息をついた。
忘れていたつもりはなかった。
けれど見てはいなかったらしい。
どんなに強く成長したように見えても、
敬愛する主君であっても、彼女達は自分の娘と同じ少女なのだ。
そんな彼女達に、本来なら励ますべき自分達大人が、逆に励まされてしまった。
「……それも当然か」
圧倒的多数の敵におびえ、絶望した大人たち。
戦う意味を忘れ、仲間すら信じられなくなっていた。
彼女達は決して忘れなかった。
愛する者を信じるがゆえに、その勝利を確信するがゆえに。
だから、どこまでも強くなれる。
戦いの帰趨は、彼女達の中では決まっていたのだ。
「きゃあっ、きゃあっ」
舞の照れ隠しの手刀に、じゃれるように佐祐理は身を縮ませる。
この笑顔の前には、どんな心配も無意味なのだろう。
ならば僕も信じよう。
自分の予想を遥かに越えて大空に飛び立ったいとし子を……、
どこまでも先を見つめる彼女達を……、
敬介は瞑目する。
神よ――
この真の勇気の持ち主達に、ありったけのご加護をお与えください。
彼女達の笑顔が、決して悲しみに曇らぬように……、
彼女達に……、
光ある未来を……、
「よぉしっ! かのりんもパーティのお料理手伝うよぉ!!」
どうやら……、
光輝く彼女達の未来の空には、
ちょっとだけ、暗雲がかかっているらしかった。
<おわり>
<コメント>
誠 「…………」(−−;
往人 「……どうした、誠?」(−−?
誠 「あのさ、大戦後の祝勝会で、
佳乃ちゃんの料理も出たんですよね?」(^_^?
往人 「あ、ああ……」(−−;
誠 「あれだけの闘いの後だし……、
当然、皆、凄く弱ってましたよね?」(^_^;
往人 「…………」(−−;
騎士一同 『ぐぇぇぇ〜……』(@〜@)
誠 「――トドメ?」(−−?
往人 「言うな……」(T_T)