窓から入ってくる乾いた風を感じながら、うさぎのぬいぐるみを抱きしめる。

 空はどこまでも高くて、静かになった街に差し込む日差しはどこまでも暖かい。
西の彼方には霊峰と名高いカノン山脈の白い頂きも、雲と山脈の間に垣間見れる。

 こんなよく晴れた穏やかな日は、どうしても彼の事を思い出してしまう。

 数年前、天候にまでも祝福されたような日に旅立っていった、幼馴染。
 バカで、ヘンな性格で、無意味な事に一生懸命な男の子。
 けど格好良くて、誰かのために全力が出せる、誰よりも愛しい人。

「浩平……」

 旅立つ前、彼から贈られたプレゼントに顔をうずめる。カチリと音がして、
記録された、少し高めの音声が再生された。

『オッス! 俺バニ山バニ夫……』

「浩平、今、どんな声してるのかな?」

 昔の浩平の声を聞きながら、街に一度も寄り付かなくなった彼を想像してみる。
けれど、全然ダメだった。

 ……昔は想像できたんだ。けど、随分前に『カノン近衛騎士団』に入団したと、
休暇がてら報告に帰ってきた相沢君を見てから、できなくなっちゃった。

 だって、すごく格好よくなってたんだもん。昔の面影はあるけど……それでも、
別人みたいになっていたんだ。性格は全然変わってなくて、それは安心だったけど。

 だから浩平のあの傍迷惑な性格は絶対に直ってないって言い切れる。
でも、顔も想像できないのは、少し寂しかった。

「まだ、戻ってこないの?」

 繰り返し浩平の声を流すぬいぐるみを抱えて問い掛ける。

 ――まだみさおの手がかりを見つけていないからな

 答えは、分かってしまう。だって浩平の事だもん。子供の頃から、
ずっとずっと見てきた人だもん。

「今、どこを旅してるのかな?」

 浩平は大陸各地を、みさおちゃんの手がかりを求めて歩き回っている。おかげで、
こっちからは連絡が取れない。時々、旅の報告を手紙で送ってくれてはいるんだけど……。

「……心配だよ」

 彼と知り合ってから、口癖になってしまった言葉がため息に混じった。

 カリカリという音に、ドアを見る。きっとウチの子たちが「入れて」とねだっているんだろう。

「クロ、どうしたの?」

 ドアをあけると、白猫が一匹立っていた。つややかな毛並みの、我が家で一番の美人猫。
名前が『クロ』なのは……浩平が名づけたからなんだよね……。

「あれ、これは……」

 クロの足元に転がる、一枚の封筒。郵便だった。

「届けてくれたの? ありがとう」

「にぃ」

 喉をさすって誉めてあげると、クロは気持ちよさそうに目を細めた。

 クロは名付け親に似たのか、時々ネコらしくないことをする。今みたいに
手紙を持ってきてくれるのがその代表例だろう。

 ひとしきり喉を鳴らすと、なでられるのに飽きたのかクロはさっ、とどこかに行ってしまう。
いつもの事なので気にせず、私は封筒を表に返した。

「誰からだろう……!」

 宛名書きを見て、私は外へと駆け出す。

 差出人の書かれていない手紙。けれど、書かれた文字は私の知り合いの物。

 浩平の、文字だった。






Leaf Quest
〜えいえんの剣士〜

承前 『魔術都市からの手紙 〜嵐前〜』







「さあ、便箋は取り出した?」

 留美さんが居間に集まったわたしたちを見回して確認する。

 ここはみさき先輩の家。わたしたちはいつしか、浩平から時折送られてくる手紙が届いた時は、
ここに集まるようになっていた。

「うん、大丈夫だよ」
「いつでも開けます」
「今回はどんな事が書いてあるのかな? 楽しみだね、澪ちゃん」
「(こくこく)」
「だいじょーぶ」
「わたしもいいよ」

 浩平は、わたしたち――旅立ちの見送りをした人たち――全員に手紙を送ってくれる。でも、
その時一緒にいた男の子たちは、今回はいない。

 相沢君は手紙は家に届いても、カノン王国で宮仕えだから気軽に来れるわけじゃない。
住井君は今、他の町へ道具の仕入れに行っているから手紙が届いた事も知らないと思う。
中崎君や南森君は、魔物対策に傭兵として他の街に雇われて、そもそもここにいない。

 自然、今回は劇団の公演で街を離れている深山さんを除いた、女の子だけの集まりとなった。

「せーの、であけるわよ? せーのっ!」

 留美さんの掛け声で、いっせいにたたまれた便箋を開く。そこに掛かれた文字は……、

「……くっ、『ハズレ』……」

 くしゃり、と留美さんは手紙を握りつぶす。

「『三回回ってワンと鳴いた犬の尾はどっち向き?』……私もハズレです」

 茜さんも残念そうな顔をする。

「『正解を探せ』? 折原君、手抜き過ぎ〜」

 詩子さんは苦笑している。

「みゅ〜の似顔絵〜♪」

「『触ると心地よい文字』って……浩平くんったら、もう」

 繭は喜んで、首にマフラーのように巻きついている『みゅ〜』に便箋を見せ、
みさき先輩は楽しげに微笑んでいた。

 集まる理由はこれ。浩平は全員に手紙を送るけど、きちんと内容のある物は一通しかないんだよ。
それも『ハズレ』の内容は毎回違うし……。これが最初に届いた時なんか、
「筆まめなのか筆不精なのか……」ってみんなして呆れたよ。

 ちなみにわたしもハズレ。内容は『世の中には人に化けるネコがいるという。
お前のネコを拾う能力でとっつかまえてみないか?』だった。

 相変わらずの手紙にため息をつきつつ、丁寧にたたんで財布の中にしまう。

「〜♪ 〜♪」

 脇を見ると、澪ちゃんが便箋を掲げて満面の笑顔で踊っていた。

「アタリ、ですか? 澪」

 茜さんの問いに、澪ちゃんはこくこくと頷いて手紙を渡す。

 いつもは当たりを引いた人が読むのだけれど、澪ちゃんの場合は例外。先輩が当たりだった時は、
便箋十数枚をすべて点字が埋め尽くしていて、最初はびっくりしたっけ。

 しかも、『アタリ』の回数はみんなだいたい平等。浩平の事だから、きっとカウントしながら
『アタリ』を引く人をきめてるんだろうなぁ。

 私たちは茜さんを中心に、いつものように車座になった。

「じゃあ、読みますね……」



”ようっ! みんな元気か? オレはすこぶる元気だぞ。この前マジアンに行った時には、
つい『HONEY BEE』で食い倒れをしそうになったくらいだ。“



「わぁ、うらやましい……」

 先輩がはう、とため息をつく。マジアンのレストランHONEY BEEって言ったら、
すっごく有名だもん。



”それであまりに美味かったもんだから、そこの特製メープルシロップを木箱一つ分買った。
茜の家に手紙と一緒に送っておいたから、ホットケーキでも焼いてみんなに食わせてやってくれ。
きっとみさき先輩がぼたぼたよだれをこぼしてるだろうからな“



「ひ、ひどいよ〜、私よだれなんかこぼしてないよ〜」

 そう言いながらも、先輩は慌てて口元をぬぐう仕草をしていた。茜さんはクスリと笑う。

「家に置いてありますから、あとで作りましょう」

「ほっとけーきー♪」

「(うんっうんっ)」

 繭と澪ちゃんも手をとりあって喜んでる。微笑ましくて、わたしもニッコリしちゃった。

「くっ……またまともな物なの? 折原の奴、あたしに恨みでもあるわけ……?」

 一方、留美さんだけは苦虫を噛み潰したような顔でうなってる。わたしは恐る恐る尋ねた。

「留美さん、浩平……またヘンなの送ってきたの?」

「……全身ギブスよ」

「うわっ……それってひょっとして、全身に関節の動きに逆らうようにバネのついた?」

「そうよっ!」

 詩子さんの問いに、留美さんはダンッと床を踏みつけた。

「しかもね、それについてきたメモになんて書いてあったと思う!?
『真の漢を目指す七瀬になら、きっと似合うはずだ。これを着て全身の筋肉を鍛え、
ムッキムキのマッチョマンとなって、街の荒くれたちを平伏させてやれ』
よっ!!
 アイツはあたしをなんだと思ってんのよっ!! あたしは乙女だぁぁぁぁっ!!!」

「る、留美さん……もうそのくらいに……」

 わたしは怒り狂う留美さんをなんとか止めようとする。留美さんのバカ力でダンダンと
床を踏み鳴らすものだから、床がミシミシと悲鳴をあげちゃってる。以前、剣の訓練の最中に
道場の床を踏み抜いた事があるというから、気が気じゃない。

 もう……そんな事だから傭兵さんたちに、おとぎ話になぞらえて『狂戦士バーサーカー』とか
影で呼ばれたりするんだよ。

「ああ、もうっ腹が立つぅぅぅぅっ!!!」

「とりあえず押さえてよ〜。ほら、澪ちゃんが怯えて隠れちゃってるし……」

「(ふるっふるっ)」

「あ、あのね澪ちゃん……そんなに押さないでくれると詩子さん嬉しいんだけどなぁ……」

「うがぁぁぁぁっ!!」

 涙目になって詩子さんの後ろに隠れている澪ちゃんを指しても、留美さんは元に戻らない。

 はぁ、完全に我を忘れちゃってるよ……。

「わあっ♪」

「うーん、すごい事になってるみたいだね」

 学生時代から続く『いつもの事』に繭は喜び、先輩は人事のように傍観者を決め込んでいる。
繭のマフラーになってるみゅーは一応警戒はしているみたいだけど、繭に危害が及ばない限り
動いてはくれないだろうし……。

 ……しょうがない、最終手段を使おう。

 暴れる留美さんを後ろから羽交い絞めにして、茜さんにアイコンタクト。

「……」

 茜さんは不本意そうな顔をしながら留美さんの前に立つ。

「お〜り〜は〜らぁ〜……もがっ……」

 大きく開いた口に手に持った物を突っ込むと、留美さんは白目を向いて倒れた。

 ふぅ、これで一安心だよ。わたしは留美さんを膝枕しながら茜さんに微笑む。

「いつもありがとう、茜さん」

「……とっても複雑です」

 茜さんは落ち込んだ顔で、手に持った謹製ワッフルを見る。

 ナカザキの甘党御用達のお店『山葉堂』の品物すらあっさりと越える
茜さんオリジナルワッフルの甘さは、並みの甘党にとってですら毒薬レベルに達してる。
甘党でもない留美さんではひとたまりも無い。これを平気で食べられるのは
茜さん本人とみさき先輩、それに……

「みゅう、みゅう♪」

 繭から降り、茜さんの膝を支えに立ち上がってねだっているみゅ〜くらいな物なんだよ。

 やっぱり、種族の違いなのかなぁ? ウチのクロなんて、勝手につまみ食いした時、
ひきつけ起こしてたし……。

「はぁぁぁぁ……やっと落ち着いたね〜」

 詩子さんは安心して脱力する。澪ちゃんも気を失っている留美さんを遠巻きにするように
自分の席に戻った。

「けど、留美ちゃんの気持ちも分からないわけじゃないよ」

 家が破壊の危機にさらされたとはとっても思えないほのぼのとした声で、
先輩がワッフルをかじりながら言う。

「そうよね〜。留美に送られるのだけはなぜか、ヘンな物とか、呪いの掛かった物ばっかりだし」

『武器ばっかりなの』

 詩子さんと澪ちゃんがそれに続いた。

 そう、確かに留美さんに浩平が送ってくるのは、旅の途中で手に入れたっていう
武器や防具がほとんど。しかも、その中の九割以上が古代の祭礼とか呪術に使われていたって言う
いわくつきの物ばかりで、呪われている事も多い。

 そんな中でまともな物と言ったら、古代の魔術儀式で使われたって言う真紅のリボンと、
小さいナイフが数本くらい。これだけは留美さんも気に入って、いつも身につけているんだ。

 けど、これってみんな、みさおちゃんの手がかりを探すための儀式に使って、
一度は浩平が身につけてるんだよね……はぁ、なんか妬けちゃうよ。わたしも浩平が一度袖を通した
古代の女神候補の巫女装束をもらったけど……添えられたメモには、からかいの一つもなく
「儀式で使った衣装だ、やる」としか書かれていなかったし。

「モーニングスターを送られて来たときも荒れてましたね」

 茜さんが、ワッフルを小さくちぎってみゅ〜にあげている。

「そりゃあね〜。『お前に一番似合いそうな武器だ』なんて注釈つけられてたら、
女の子だったら怒るわよ」

「その時なんて、戻ってきたら『竜殺し』のサビにしてやる、なんて息巻いてたよね」

「げっ! 留美でも持ち上げるのがやっとのあの大きな剣? ……あたし、
その時いなくてよかったわ」

 先輩の発言に、寒さに耐えるように、詩子さんは両肩を抱いた。

「けどさ、それを考えると、一番いい物をもらってるのはみさきさんじゃない?

視力の額冠アイズ・サークレット』とか、古代の魔法のアクセサリーを
いつくか送ってもらってるでしょ?」

「でも、雪ちゃんに調べてもらったら、サークレット以外悪霊が憑いてたり呪われてたよ?」

「あ、そっか……けど、残念よね。視力が戻るかも知れなかったのに」

「うん……ひょっとしたら、って思ったけど、やっぱり仕方ないよ」

 そう言って、先輩は少し寂しげに笑う。

 『視力の額冠アイズ・サークレット』は、浩平が送ってきた魔術具の中では、
一番まともな物だと思う。その名の通り、このサークレットは着けると視力が高まって
遠くの物もはっきりと見えるようになるアクセサリーなんだけど、
全盲の先輩には、結局、効果を発揮しなかった。

 わたしたちも期待していただけに落胆も大きかったけれど、それを一番悲しく思っているのは、
きっと先輩本人だろう。

 ふわりと広がった青いスカートのポケットから、先輩は薄桃色がかった黄金で作られた
額冠を取り出し胸元で抱きしめると、明るく言う。

「けどね、浩平君の気持ちが伝わってきたから、それだけで十分だよ。このサークレットは
私の宝物になったから」

 いろんな意味で、『気にしないで』という先輩の合図。失敗した、という表情だった詩子さんも、
それに合わせて話題を変えた。

「そういえばさ、澪ちゃんが前にもらったのって、なんだったっけ?」

 澪ちゃんはにっこり笑うと、脇のポシェットから一本の羽根ペンを取り出した。

「ああ、書いた文字が一時間で消えちゃうっていうヤツね。しかも、その間は絶対に
字が消えないって言う。
 ……ねえ、ちょっとそれ貸してくれないかなぁ?」

 いたずらっ子のような顔になった詩子さんの言葉に、澪ちゃんは小首をかしげた。詩子さんは
ニンマリと笑う。

「留美の顔にいたずら書き♪」

 びくぅっ、と澪ちゃんは飛び跳ねるように震えると、ペンを後ろ手にして茜さんの後ろに
隠れる。背中からそーっと出された顔は、いつ泣き出してもおかしくない状態だった。

「だいじょーぶだって。絶対に澪ちゃんがやったなんて言わないから。
あたしたちを怖がらせた罰だよ」

「(ぶんっぶんっぶんっぶんっ)」

 詩子さんの満面の笑顔での説得にも、澪ちゃんは首を振るばかりだった。

 わたし達は、お互いが浩平に贈られた物を知っている。顔についた落書きが
一時間で消えてしまったら、真っ先に疑われるのは自分だと思っているんだろう。
留美さんと澪ちゃんは普段はそれなりに仲が良いんだけど……こういう時だけは苦手になるみたい。

 茜さんが、落ち着かせるように澪ちゃんの頭をなでる。

「……詩子、澪が怖がってますからやめてください」

「大丈夫だってば。油性ペンで書いたって言えば、洗ってる内に一時間経つわよ。
だから茜も協力してよ〜」

「それだと、詩子さんが怒られるよ」

 わたしの声に、詩子さんはゆっくりと振り返った。よく見ると、笑顔の脇に汗が一筋。

「……やっぱり?」

「うん。この中でそんな浩平みたいな事するのって、詩子さんくらいだもん」

 それにクリスマスの時に前科あるし、と付け加える。詩子さんは頬を微妙に引きつらせて。

「ははは……繭ちゃんがやった事にすれば……」

「だめだもん。それはわたしが許さないんだよ。ね、繭?」

「ん?」

 首をかしげる繭は……ちょうどみゅ〜からペンを受け取っているところだった……。



 留美さんが目を覚ますまでの間わたしたちは、浩平からの(一部呪い付き)
プレゼントの話題で盛り上がる。

 わたしは、もらった数が一番少ない事を再確認して、少しだけ寂しくなった。

 ひとまず落ち着きを取り戻した留美さんを加え、わたしたちは再び茜さんの朗読に耳を傾けた。

 しばらくは前の手紙を送ってからの近況報告が続いていたのだけれど……その内容は、相変わらず
傍から見たらあまりにトチ狂った物ばかりだった。



 法円を書いた滝の下で逆立ちしながら『外郎売り』を絶叫するなんてまだマシな方で……。
 森の中で地面に埋まったまま数日間過ごし、全裸でその周辺をうろつきまわるとか……。
 女装して女言葉で官能小説を朗読しながら、パントマイムするとか……。
 自分の裸体に料理を盛って横たわり、動物達に食べさせるとか……。



 その全てが古文書や古代遺跡に残っていた儀式の再現だというけれど……とにかく、
素人のわたしが見ても、間違った前提に立っているとしか思えないような
魔術儀式の連続なんだよ。

 そしてそれが、時折街に伝わってくる、各地に出没する『変態』の噂が
真実であると教えてくれる。まぁ、名前も顔もまるで伝わってはこないのが幸いなんだけど……。

「……折原〜、お願いだからこれ以上ナカザキの恥を大陸に広めないで〜……」

 頭を抱えてうずくまった留美さんの叫びは、わたし達全員の気持ちだった。わたしも
聞くたびに襲ってくる激しい頭痛に耐える。

 幸いと言えば、今回は『儀式』に巻き込んだ人はいないことだ。随分前の話になるけれど、
浩平の『儀式』に巻き込まれて、一緒に裸踊りした旅人がいたんだって。名前は確か……
ナントカ『マコト』っていったっけ? それを知ったとき、思わず空を見上げて二柱の女神様に
お祈りをささげちゃったよ。

 そういえば、その時期と前後して、似たような名前の男の子が
宝具の担い手と決闘したって留美さんから聞いたけど……偶然だよね?



 けど――



 それが、浩平の信念なんだよね。
 どんな言葉を投げかけられても――
 たとえ変態扱いされても――



 自分が決めた事だけは、なにがなんでもやり通すんだもん。
 それが大切な人のためだったら、それこそ命を賭けて……。



 はぁ……やっぱり、みさおちゃんがうらやましいよ。一応恋人のわたしよりも、
浩平の心の、もっと深い所に住んでるんだもん。

 みさおちゃん、本当にどこに行ったの? お兄ちゃん、こんなにも一生懸命にあなたの事を
探してるんだよ? はやく出ておいでよ……また、昔みたいに三人で……ううん、
今は留美さんたちがいるから、七人かな?で、一緒に遊ぼうよ。

 浩平の手紙を聞きながら、わたしは彼女の無事を女神様たちに祈っていた。



 手紙はもう半分ほど読み終わり、内容は一番最近の出来事に移っていた。



”オレは今、魔術都市タイプムーンでこの手紙を書いている。話したかどうか忘れたが、
旅に出たオレが一番最初に向かった街だ。“



 うん、覚えてるよ浩平。旅立つ前、『はじめての日』の、大切な最初の寝物語……
忘れられるはずが無いよ。

 その時の浩平のぬくもりを思い出し、わたしはちょっとだけ頬が熱くなった。



”最初に探索した場所だから、もう何もないと思っていたんだが……そうでもないらしい。
 この前、リーフ島に『絶対に外れない占いを行う魔術師がいる』という噂を聞いて
行ってきた。そこの来栖川芹香っていう魔術師が、その本人だったんだが……こいつは本物だ。
占いを頼んだら、俺が話してもいない旅立ってからの経過をズバスバと的中させたんだ。
 いままで占いでは当たったためしが無かったから、ダメ元のつもりだったんだが、
これでオレは彼女の言葉を信じる事にした。“



「聞いた事がある……リーフ島の魔術師に、絶対に占いをはずさない人がいるって」

 本当だったんだ、と詩子さんは目を見開く。



”彼女が示したのが、ここタイプムーン。タロットに現れた相がとんでもなく強いらしく、
今ここに行けば確実にみさおの手がかりが掴めると言われたんだ。
 だから、しばらくここでみさおの情報を探ってみる。いままで散々ハズレを掴んで来たが……
今回だけは自信ありだ。オレが街に戻れる日も近いかもしれん。“



「こーへー、帰ってくるの?」

 繭がきらきらした目でわたしの袖を引く。この子も浩平の事をすごく慕ってるから……
今すぐにも会いたいんだと思う。

 それはわたしも……わたしたちも同じだ。ここにいる全員が、浩平の事を想ってるから。

 わたしは繭を抱き寄せる。

「うん、少し時間が掛かるかも知れないけど……近いうちに戻ってくるんじゃないかな」

「帰ってきたら、みゅ〜と一緒にいっぱい遊ぶっ!」

「みゅうっみゅうっ!」

 繭はもう浩平が戻ってきたみたいに、ものすごく嬉しそうな笑顔でみゅ〜と見詰め合う。

「うーん、それじゃあ、帰ってきたら浩平君になにをおごってもらおうかな?」

『お寿司がいいの』

「お寿司か〜、やっぱり特上で決まりよね。こんなに長い間街に顔を出さなかった罪滅ぼしに」

「いいね、それ」

 先輩、詩子さん、澪ちゃんも、帰ってきた時のプラン作成に余念がないみたい。……浩平、
お財布大丈夫かな?

「……ふっふっふっ……ついにこの時が来たのね……。このあたしを散々コケにしてくれたお礼は、
たぁっぷりとしてあげるんだから……首を洗って待ってなさい」

 留美さんが顔を伏せ、澪ちゃんなら即座に泣き出しそうな笑顔で怖い事を言っている。
……浩平、留美さんの怒りのボルテージは最高潮だよ。せめて一言謝らないと
全身複雑骨折くらいじゃすまないよ、きっと……。

 さすがにこの時だけは、浩平に戻ってきて欲しくないと思ってしまった。



 ……けど……浩平が戻ってくるんだ……。そう想うだけできゅっ、と胸が痛む。

 浩平、今どんな姿をしてるのかな? 相沢君みたいに、すごく格好よくなっているのかな?
……わたしの知らない顔、してるのかな……?

 みんなに贈るプレゼント以外では、由起子さんの家に送ってくる、使用済みだけれど
捨てられなくなった魔術儀式用具だけが、浩平のぬくもりを持った物だった。

 浩平が旅に出てから少しの間、由起子さんから鍵を預けられているのを良い事に、
わたしは浩平の部屋に入り浸っていた。

 少しでも浩平のくれたぬくもりを離したくなくて……。

 少しでも浩平の残り香を感じていたくて……。

 けれど、日が経つにつれて、浩平の部屋からは浩平が居たという感触が抜けていった。

 住んでいないんだもん、考えればあたりまえの事。でもわたしには、それが浩平の存在が
わたしから消えていくみたいに感じられた。

 初めて浩平が使った道具を送ってきた時には、それをから少しでも浩平を感じようと、
抱きかかえて眠った。

 服や下着も、それが一度は浩平が身につけた物だと知って、それが洗ってすらない事に気付いても
素肌の上に直接着けて、自分抱きしめた事もあった。

 『溺れる者が空気を求める切実さ』って言う表現を読んだ事があるけれど、わたしにとって、
浩平はわたしを溺れさせる水であり、わたしを助けてくれる空気だった。

 今ではそう言う事はしないようになったけど、それでも時々、どうしようもなく寂しくなる。
そう言うときは決まって、あのぬいぐるみを胸に抱いて、浩平が戻ってきた時にしたい事を
いっぱい考えた。

 まず、思いっきり浩平を殴ってやるんだ。わたしに、こんな寂しい思いをさせた償いにね。

 それから一緒に町を歩いて、パタポ屋でクレープ買って、浩平にからかわれて……
前には出来なかった、恋人としてのデートをするんだもん。それから、
いっぱい、いっぱい愛してもらうんだよ。いままで会えなかった分、いっぺんに取り戻すために。

 ……でも……。

 多分、浩平に会ったら、頭空っぽになっちゃうと思う。どんなに求めても与えられなかった人が、
目の前にいる事が信じられなくて。間抜けな顔をしないようにするのが、きっと精一杯。
きっと、「なに間抜けな顔してるんだ?」って、からかわれちゃうよ……。



「あの……待ってください、まだ続きがあります」

 真剣な声音の茜さんに、わたしは意識を外に向ける。みんなも騒ぐのをやめて茜さんを注視した。

「続きって……なによ? いつもの折原の手紙なら、あとはあたしたちへの
からかいの文章で締めでしょ? あんまり聞く事もないと思うんだけど」

 留美さんの問いに、茜さんは首を振る。

「いいえ。これは浩平から留美へのお願いです」

「お願い? 折原から?」

 内容の想像がつかないのか、留美さんは形のいい眉根を寄せながらその便箋を受け取った。

 かく言うわたしも、浩平からのお願いなんて想像ができない。いままで、
そんな事は一度も無かったもん。……わたしにさえ。

 少しだけ胸にもやもやとした物を感じながら、手紙を読む留美さんの声に耳を傾ける。



”ここからは、七瀬への頼みだ。
 リーフ島から戻った後、マジアンで南森に聞いたんだが、活発に動き出した魔物の対策で、
ナカザキの傭兵は方々にレンタルされて、戦えるやつはほとんど残っていないそうだな?“



 それは本当。普段なら男達の騒ぎ声でうるさいくらいのこの都市は、
傭兵たちが各地に散ってしまったせいで、ほとんどゴーストタウンになってしまっている。

 いつも喧嘩の仲裁で駆け回っている留美さんなんか、傭兵達にぶつけていた日々のストレスを
周辺のモンスターに向けて解消している。おかげでこの街の周辺に、手ごわい魔物は
まるでいなくなってしまった。



”それに知っていると思うが、今大陸各地で子供の誘拐事件が多発している。オレも、
昨日遊んだガキが次の日にはいなくなってしまったなんて状況に何度か遭遇してる。
 だから、七瀬に頼む。これは七瀬にしか頼めない事なんだ。
 七瀬、街に帰ったら……“



「……留美?」

「……ああ、ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって……」

 文面をマジマジと凝視した留美さんを茜さんがいぶかしむ。留美さんはごしごしと目をこすって
便箋を見直すけれど、見間違いではなかったらしくとても意外そうな顔で息をついていた。

「なんて書いてあるの?」

「今読むから……」

 わたしの問いかけに、留美さんは少し呼吸を整えた。



”街に帰ったら土下座をしたっていい。一生下僕になると誓っても構わない。
澪と繭を守ってやってくれ。

 あいつらの容姿がたった数年で変わるとも思えんから、今でも十分子供に見える事だろう。
それなら確実に誘拐の対象になるだろうからな。

 二人はオレにとって、みさおと同じくらい大切な妹分なんだ。だから頼む、七瀬。
オレは、もう二度と、大切な妹を失いたくないんだ。“



「……下僕とは、またよく言ったね〜」

 詩子さんが感心と呆れを半分ずつ含んだ声で仰け反る。

「ほんと。浩平君そんなこと留美ちゃんに言っちゃっていいのかな? きっと重労働につかされて、
寿命が半分くらいに減っちゃうよ」

「いえ、傭兵たちの喧嘩の只中に投げ込まれてサンドバックにされるか、留美のストレスの
はけ口としてサンドバッグになってしまうと思います。いままでのからかいの代償として……」

「……あんたら、人をなんだと……」

 先輩と茜さんの勝手な言い分に、詩子さんは笑い転げて、七瀬さんはこめかみと握りこぶしに
四つ角を浮かべる。

「こーへー……えへへ♪」

「……」

 繭は『大切な人』といわれた事を純粋に喜んでいるみたい。澪ちゃんも喜んでいるけれど、
『子供』『妹』の言葉のせいか、頬を染めながらも表情は複雑だった。

 対して、わたしは暗澹としてくる。

 『大切な人』だなんて、わたしは一度も言われた事がない。浩平に心を伝えたときも、
浩平の腕に抱かれて、浩平の弾ける想いの熱い迸りをわたしの中に受け入れた時でさえ……。

 わたしの隣で、みゅ〜へ無邪気に笑いかける繭。

 幾分不服そうにしながらも、結局は喜んでる澪ちゃん。

 わたしにとっても妹みたいだった二人が、わたしよりも先に言われた……。

 むかむかと、胸の中になにかがこみ上げてくる。



 ――もし――
 ――もしこの二人がいなかったら――
 ――みさおちゃんみたいに居なくなったら――
 ――浩平は、わたしだけを大切に見てくれるんだろうか――




「……おねーちゃん?」

 不意に頭に感じたぬくもりと気遣わしげな声に、わたしはハッとなる。

「……繭……?」

 見上げると、繭が立ち上がって、小さな手でわたしの頭をなでていた。

「泣きそーだよ。大丈夫?」

 心配そうに見詰める繭の目は、どこまでもまっすぐで……。

「へ、平気だよ。ちょっと寂しい事考えちゃっただけだから」

 笑う。

 笑ってごまかす。

 そうしないと、自分の中の汚い物を繭に見透かされそうで怖かった。

「ん〜……」

 それでも動かし続ける繭の手を離させて、逆にその頭をなでてあげる。繭は気持ちよさそうに
目を細めてされるがままになった。

 はぁ……まったく何を考えてるんだよ、わたしは。繭や澪ちゃんは、わたしに取っても
大切な妹みたいなものだもん。あんな風に考えたらダメなんだよ。

 いけない事を考えてしまった事を謝罪するように、丁寧に繭のさらさらの髪を梳く。
くすぐったそうにする繭が可愛くて、何度もしてしまう。

 ふと感じた視線に振り返ると、先輩が艶の消えた黒瑪瑙ブラックオニキスの瞳で
こちらを見ていた。

「……なんですか、先輩?」

「瑞佳ちゃん……いま、何かした?」

 そんな風に聞き返してくる。

「いえ……ただ、繭の頭をなでてただけですけど……?」

「おかしいなぁ。今、瑞佳ちゃんの方から、なにかおかしな物を感じたんだよ。
気のせいかな?」

 んー、と納得いかないと言いたげに先輩は唸り声をあげる。

「気のせいじゃない? 瑞佳、繭の相手をしていただけよ」

 留美さんが詩子さんにコブラツイストをかけながら話に加わる。

「そうなのかなぁ〜」

「ギブ〜キブ〜」

 腕を組む先輩と、苦しげにうめく詩子さんだった。

「そうそう瑞佳、この続きはあんたが読みなさい。ここから瑞佳あてのメッセージだから」

 詩子さんを離さないまま、片手で差し出してきた便箋を受け取る。あいつももう少し
色気のある文がかけないのかしら、という言葉も耳に入らず、文面を追う。

 浩平の、決して上手とはいえない字……留美さんへのお願い部分だけ、乱れが大きくなっていた。
そこに込められた想いに、わたしの胸はまた少し痛む。



”最後に、瑞佳へ。“



 けれど、段落がかわったそこへはっきりと書かれたわたしの名前に、それは霧散した。
浩平から、今まで何十通も送られてきた手紙の中で、初めて宛てられたわたし個人への
メッセージだった。

 なにが書いてあるんだろうと、どきどきしながら読み進める。



”傭兵達が居なくなって街の中では安全になっただろうが、まだ外にはモンスターたちが居る。
それにお前は、誘拐の事を聞いたら繭から離れんだろう。
 だからお前は七瀬にひっついて行動しろ。繭も七瀬と一緒なら喜んでどこでもいくだろう。
それにナカザキ最強の『漢』たる七瀬なら、たとえ大人のドラゴン数十匹が束になってかかっても、
拳の一撃で黙らせてしまえる。いや、打ち倒したドラゴンたちを積み上げた頂上で拳を突き上げ、

「なめないでよ……七瀬なのよ、あたし」

 と啖呵すら切ってくれそうだ“



「……帰ってきたら、真っ先にあんたを黙らせてあげるわ」

 留美さんからものすごい殺気が漂ってる気がするけど……今は無視。わたしの目は食い入るように
浩平の字を追っていく。



”オレは多分、もうすぐ街に帰ることが出来る。ナカザキの事を思い出したら、無性に
パタポ屋のクレープが食いたくなってきた。帰ったら真っ先に食いに行くから、
その準備をしておいてくれ。店がつぶれていないのは知っているが、オレのお気に入りは
まだメニューに残ってるよな? 残ってなかったらお前に作らせるから、練習しておけ。
 それと、だ。……今まで、お前にだけ何も伝えなくて、済まなかった。

○○月△△日 折原浩平“



 手紙はそこで終わっていた。浩平らしいといえば浩平らしい、自分勝手であっさりとした
メッセージ。

「み、瑞佳?」

 戸惑ったような留美さんの声と重なって、便箋にぱたたっと水滴が落ちる。

「瑞佳……ちょっと、急に……」

「おねーちゃん……」

「みゅい……」

「(おろおろ)」

「え、え? 一体、なにかあったの?」

 突然泣き出したわたしに、みんなが慌てだす。

「そんなにショックだったの? そりゃ、さんざん待たされた上、
初めて恋人から宛てられたにしちゃ、色気もなにもない文章だけど……」

「ち……がうの……」

 口に手を当て、嗚咽をこらえながら留美さんに答える。

「うれし……くて。わたし……浩平に、こんなにも想われてる事が、分かって……」

 涙がとめどなく流れる。

 『済まなかった』

 この短い一言で、浩平の気持ちが分かっちゃったから。

 願掛けだったんだね、浩平……いままでの事、全部。

 わたしに優しい言葉を贈らない事も、この街に帰ってこないことも……一番大切なものを断って、
少しでも早くみさおちゃんを見つけ出す原動力にするためだったんだね。

 ひどいよ、浩平……。それなら一言言って欲しかった。そうすれば、手紙が来るたび、
みんなに嫉妬する事もなかったのに……不安になる事もなかったのに……。

 ほんと、いっつも唐突で、周りの事なんかこれっぽっちも考えてなくて、独り善がりで……。

 でも、浩平はそれが一番良いって思ったんだよね? 留美さんと広瀬さんの時みたいに。

 はふん……ため息がでちゃうんだよ。怒んなきゃいけないのに、分かっちゃったら怒れないもん。

 ……うん、分かったよ、浩平。殴るのだけは許してあげる。浩平がここに帰ってきたら、
デートしよう。浩平が旅に出た後色々と変わった所もあるから、教えてあげる。途中の商店街で
パタポ屋に寄って、クレープを食べながら街を回ろう。それから、浩平が旅している間の事、
いっぱい、いっぱいお話しよう。繭のおねだりのおかげで上手になったお菓子も食べてね。

 だから……だから、早くみさおちゃんを見つけて帰ってきてね。すぐにでも、
浩平の今の声、今の姿を見たいから……。

「……ふぇ〜ん」

 ああ、だめだ。全然涙が止まらない。後から後からわいてくるよぅ……。

 袖でごしごしと目元をぬぐっても止まってくれない涙に途方に暮れていると、
急に誰かに抱きしめられる。乾いた荒野の匂いと、柔肌の奥に隠れる引き締まった筋肉の感触で、
それが留美さんだと分かった。

「かなわないわねぇ、瑞佳には」

 どことなく、呆れが入ったような声。わたしの顔が留美さんの胸に埋まる。心臓の音が
わたしを慰撫するように鳴っているのが伝わってきた。

「今は思いっきり泣いちゃいなさいよ。泣いて泣いて、そんな酷い泣き顔が出来ないくらい
泣き尽くして、折原が帰って来た時にはとびっきりの笑顔しかできないくらいにしときなさい。
 旅に疲れて帰ってきた男を優しく笑って出迎えるのは……恋人、にしかなせない技なんだから」

 わしわしと荒っぽく頭をなでられ、押し付けられる。

 ありがとう、留美さん……。

 わたしはそのまま、留美さんの胸で声をあげて泣いた。涙がようやく止まったのは、
太陽が西の山脈の頂にかかった頃だった。



 ちなみに、さっきから一言もしゃべってない茜さんは、いつのまにか
正座したままノックアウトされていた。……留美さん、いったい何をしたの?






 繭を華穂さんの所に送り届け、帰路につく。すっかり長くなったわたしの影が
人通りの少なくなった寂しい道いっぱいに伸びている。

 喧騒の無くなった今の街では、まるで自分がたった一人しかいないような孤独がある。
けれど、わたしの心はスキップしたくなるほどに弾んでいた。

「浩平、帰って来るんだ……えへへ……」

 顔がほころぶ。浩平が戻ってくるのはまだ可能性の段階でしかないけれど、わたしの中では
決定事項になっていた。

 とりあえず……浩平の部屋を片付け直さないとだめかな? 二日に一度は掃除に行っているけど、
浩平が送ってきた荷物でほとんど物置になっちゃってるから、もう一度整理して……。

 お菓子の材料も用意しないといけないんだよ。戻ってきた事とみさおちゃんを見つけた前祝に、
ケーキがいいかな? それなら茜さんに手伝ってもらった方が良い物が出来るけど、
これだけはわたしだけで作りたいな。クッキーは留美さんが用意してくれるって言ってたし、
『おかえりパーティー』は楽しい物になりそうだよ。

 そうそう、自分の身支度も忘れられないね。服は下手に凝ると「馬子にも衣装」って
言われそうだから、送ってもらった巫女服にして……。髪もお手入れし直しだね。

 あ、せっかくだから『牛乳風呂』やってみようかな? あれお肌がつるつるになるって言うし、
繭も一緒に入ったら喜びそう。でもお金がかかるし……住井君が帰ってきたら、
いいバイト紹介してもらおうっと。

 コロンはどうしようかな。浩平がいる時はなにもつけてなかったけど……。
うん、やっぱり使おう。浩平がいない間に、わたしもそれなりに大人になった事教えてあげなきゃ。

 それから――

――ナガモリミズカ

 不意に背後からかけられた異質な声に、わたしは凍りつく。

 バスの重低音が生み出す体を震わす振動とは、まったく別な物が背筋を伝わっていく。
わたしは壊れた自動人形のように、ゆっくりと顔を後ろに向けた。



 そこにいたのは、悪魔。

 漆黒の体。昆虫のようにつややかな皮膚は、チェロの弓のようにピンと張られた筋肉を
無駄なく覆っている。鉤爪のついた蝙蝠の翼は大きく広げられ、今にも飛び立ちそうだ。
人間で言えば眉の付け根に当たるところからは、角なのか触角なのかよく分からない器官が
長く伸びて、この街独特の砂を含んだ風に揺れていた。



「……あ……あぁ……」

 振り向かなければよかったと、声が後悔に震える。

 向き合った途端に感じられる、圧倒的な存在感。ただ立ち尽くしているだけの悪魔に、
魂が消えそうになるほど気圧される。

ヨウヤク、ミツケタゾ……

 黒い悪魔は口元を奇妙にゆがめる。ただそれだけで、わたしは意識を飛ばしそうになった。

 アレはただの悪魔じゃない……絶対的な死の導き手だ……。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ……!

 わたしの中で本能が激しく警鐘を鳴らしている。けれど、体は意志に反してずりずりと
少しずつしか後退しない。どうしようもないほどの恐怖に、口の中が粘っこく乾いていく。

ワガアルジ、がでぃむサマフッカツノタメ、ソノチカラヲツカワセテモラウ……

 悪魔が何かを言っているけど、わたしの耳には入らない。必死になって足に力を入れる。

 お願い動いてっ! 浩平と『遅刻寸前ランニング』で鍛えた脚力を生かすのは、
今しかないんだよっ!! 

 今逃げなきゃ……逃げなきゃ浩平に会えなくなっちゃうっ! だから、動いてぇっ!!!

 でも、必死の思いにも体は凍りついたように動かない。今動いているのは、
歯の根が合わなくなった顎と、しきりに流れる涙から少しでも視界を守ろうとするまぶただけだ。

サァ……ソノカラダヲアケワタセ……

 涙に煙る視界の中で、漆黒の魔物は徐々に輪郭をボケさせ、その体が真っ黒な霧へと変わる。

 ……わたしは、この時ほどみさき先輩がうらやましいと思ったことは無い。目が見えなければ、
こんなさらなる恐怖を感じる事は無かっただろう。

 その霧が……その黒き水滴の一粒一粒が、わたしに向かって殺到してくる光景なんて……。

「……い……や……」

 震える喉から、ようやくそれだけの声が絞り出せた。

 黒い霧はわたしを押し包み、服の上から、そして皮膚からわたしの中へと進入してくる。
全身の毛穴から流れ出た汗が逆流する感覚……体の全てを無数の真っ黒い手が撫で回し、
砂糖漬けのような甘い毒に犯される感触に怖気がはしる。

 誰か助けて……留美さん……繭……浩平……!

 もう、まともに声も出せない口を必死に動かして助けを求めた。しかし、黒い霧は
そんなわたしの行為をあざ笑うかのように、夕暮れに染まる空を少しずつ消していき……、






 気が付いたとき、わたしは漆黒の海の中に浮かんでいた。

 まわりは墨汁の中に入ってしまったかのような黒。光も見当たらないけれど、
自分の体の様子だけは、そこから光が出ているかのようにはっきりと見えた。

「……ここは、どこなの?」

「ここはあなたの心の中……」

 返ってこない物と思い込んでいた独り言の返事に、びっくりしてその方向を見る。そこには
4〜5歳くらいの、白い夏物のワンピースを来た女の子がたたずんでいた。わたしは、
酷く見覚えのあるその子の顔立ちに息を飲む。

 わたしの反応に気を良くしたのか、女の子は歳相応にあどけなく微笑んだ。

「わたしは『みずか』。はじめまして……かな? わたしを忘れ去った大人のわたし」

 その言葉に、わたしは混乱する。昔の自分に会うなんて、到底考えられないから……。

「……え……あの……どうして?」

「わたしはあなた……あなたが忘れた事を教えに来たの」

 わたしの言葉を聞いているのかいないのか……小さなわたしは、まるで歌劇オペラの役者が
きめられたシナリオに沿って歌い、踊るようにして言葉を重ねる。

「ねぇ……みさおちゃんがどこにいるか、知りたくない?」

 みずかの姿が不意に消えたかと思ったら、目の前に急に現れ、無邪気な顔でわたしを覗き込む。

「……!」

「拒否権はないよ♪ だって、これは絶対に忘れちゃいけないことだから」

 あなたはそれを知ってるの……? 答えようとした途端彼女は姿を消して、
少し離れた場所に現れる。

 その手が何も無いところを撫ぜたと思ったら、真っ暗闇の世界のその部分にだけ、
ぼんやりと明かりが灯った。

 その明かりの中に映し出されたのは……

「みさおちゃん……それに、浩平?」

 そこには、昔の――みさおちゃんがいなくなる前の二人が、公園のベンチに腰掛けて遊んでいた。

 ううん……二人は遊んでいるというより、お互いがお互いの存在を
絶対に離さないとでも言うようにしっかりと抱き合って座っていた。

 あ、これって確か……。

「そう、浩平のお父さんが死んじゃってすぐの頃だね」

 彼女が、わたしの答えを先取りする。

 そう……浩平のお父さんが死んだ時、浩平の家庭は崩壊した。看病疲れで極度に精神に負担が
掛かっていた二人の母親は、旦那さんの死後、二人を捨てるように家を出て行った。

 同時に二人の肉親を失った二人は、それからはずっと、異常なほど寄り添うようになった。

 みさおちゃんは、両親を無くした悲しみにつぶされないように、そして大好きな兄まで
自分を置いていかないように……。

 浩平は、そんなみさおちゃんを寂しがらせないように、悲しませないように……そして
自分が折れてしまわないように……。

 二人は何をするにも、どこに行くにも常に一緒だった。事情を知ってるわたしや、
他のみんなが嫉妬を感じるくらい……。



 ……あれ? 今の感じはなに? なんだか、おなかの奥の方から
なにかがわき上がってくるような……。

 嫉妬? 悲しみ? 哀れみ? 同情? ……全部違う。もっとこう……
純粋な『力』みたいな物が、わたしの中で生まれていくような……。

 そう思った瞬間、わたしに震えが走った。

 自分の肩を抱く。

 これ以上考えてはいけない……考えてはいけない。わたしの中で何かが、警告をあげている。

 目の前の映像を消さなくては……そう思っても、体は思うように動かない。

「思い出してきた?」

 小さいみずかが、わたしの様子を楽しんでいるかのように笑う。

「うらやましかったよね、みさおちゃんのこと。大好きな浩平を、ずぅーっと、ずぅーっと
独り占めしてるんだもん」

「や、やめて……」

 わたしは自分を抱きしめたまま、首をふる。無邪気な声に自己嫌悪が引き出され、言葉が詰まる。

 同時に、自分自身を否定したくなるような衝動が沸き起こる。

 開けてはいけない禁断パンドラの箱を開けようとしているような恐怖……。

 これ以上聞いてはいけない……そればかりが頭の中を駆け回った。

 けれど、わたしの背後に密着するように浮いた彼女は、ささやくように続ける。

「わたしも浩平の隣にいたい、もっと浩平とお話したい……浩平と一緒のときは、
いっつもそればっかり考えてたよね……」

「……おね……がい……やめ……て……」

 昔のわたしに暴露された、わたしの汚い部分が、言葉の剣になってわたしに突き刺さっていく。
すでにわたしの声には涙が混じり始めていた。

「それから、いつか思うようになったんだ……みさおちゃんがいなければ、
わたしは浩平の隣にいられる……浩平と思う存分お話ができる……って」

 それは忘れていた事。心の奥底に封じて、その事さえ忘れて、決して開こうとしなかった
幼い頃の醜い自分。

「……ああ……あああ……」

 より深まった嫌悪感に、わたしは耳を押さえ、体ごと首を振る。

 聞きたくない、聞きたくないよぅ……それは、本当に思ってしまった事だから、
いくら嫉妬したからって、絶対に、絶対に考えたらいけない事だったから……。

「ふふふ……汚い女の子だよね……。ボロボロに傷ついて、お互いのぬくもりでしか
その傷は癒せないっていうのを知ってて、そんな事を平気で考えてるんだもん」

「ちがう……ちがうよぉ……」

 嘲笑を必死になって否定する。……けれど、否定しきれない……。
一度でも本当に考えしまった事だから……。自分には、嘘なんてつけないよ……。

「でもよかったよね〜。浩平はそんな醜い女の子でも恋人にしてくれたんだからさ。
目が節穴の浩平に感謝しないとね?」

 彼女は、一転してからかうような明るい声をだす。

 まるで浩平がただのバカだと言いたげに嘲る口調……。わたしは頭へ一気に血が駆け上った!

 わたしの事はいくらでもののしればいい。けど……けど浩平をそんな風に言うのだけは
絶対に許せないもんっ!

 わたしは涙でぬれた瞳で彼女をにらみつける。

 目があった瞬間、彼女は天真爛漫な笑顔を浮かべた。










「……こんな、大切な妹を消した張本人を、後生大事に恋人にしてるんだから」










 瞬間、脳裏に映像が爆発する。




 いつものように寄り添っている二人を見ているわたし……

 いけない事だと分かっていながら、嫉妬を押さえられないわたし……

 不意に感じる、自分の中から沸きあがる『なにか』……

 押さえきれず、苦しくなった『それ』が、みさおちゃんに向かう……

 浩平の悲鳴。次第に透き通っていくみさおちゃんを必死に抱きしめる……

 けれど、みさおちゃんはどんどん姿を薄くして、最後には……




 わたしは、その場に崩れ落ちた。

「……わ……わた……わたし……」

 信じられない思いが、わたしの中を駆け回る。

 それは、忘れていた事実。当時は気付きもしなかった現実。

 みさおちゃんがいなくなったのは……大切な妹分を消してしまったのは……

「やっと思い出したんだね、この大罪人♪」

 彼女は、わたしの前で微笑んでいた。その顔はあまりにあどけなくて……。

「……ぇて……」

「ん?」

「教えてっ! どうやったら、どうやったらみさおちゃんを戻せるの!?」

 わたしは、目の前のわたしに縋り付く。

 わたしが……わたしがみさおちゃんを消し去ってしまったのなら、
元に戻す方法だってあるはず。わたしはそれを聞きだそうとした。

「むりだよ」

 にべもない返事。彼女はわたしの手の中から消えると、わたしの少し上、
飛び跳ねても手が届かない所に現れる。

 その位置から見下ろす彼女は、この黒い世界ではぼんやりと光る姿とあいまって、
天使と見紛うばかり。これで背中に翼があれば、誰もが彼女を天使と称えるだろう……。

「あなたがみさおちゃんを送ったのは『えいえんの世界』……それは一方通行の扉。
いくらあなたでも、彼女を連れ戻す事はできないよ」

 彼女は神の教えをたれる神父のように、神妙な面持ちで言う。

「そんな……」

「それにね……そこはなにもない世界……お水も、食べ物も……そんなところに人が何年も、
生きていられると思う?」

 鈍器で殴られたような衝撃が頭を揺さぶる。

 絶望という名の氷水が、血液に代わって全身を駆け巡る。

 わたしの罪はみさおちゃんを消してしまっただけじゃなかった……本当の意味で、
『消して』しまったんだ……。

「ああ……みさおちゃん……ごめんなさい……わたし、わたしぃ……」

「謝るのはみさおちゃんにだけ?」

 降ってきた言葉に、はっと涙に濡れた顔をあげる。断罪の天使はにっこりと微笑んだ。

「今もみさおちゃんがこの世界のどこかにいると信じて走り回ってる、
あなたの大切な誰かさんの事はいいのかな?」

「……こう、へい……」



 視界が暗くなっていく。



 映るのは、あの日の情景。

 消え去ったみさおちゃんを探し、半狂乱で街を走り回る小さな子供の姿。

 毎日毎日朝から晩まで街を駆け回って、会う人会う人全員に妹の存在を聞いて回る。

 邪魔にされても気にしない。うっとうしいと殴られ、蹴られ、血を流しても走る事をやめない。

 そして、どこまでも落ち込んだ姿……世界の全てを否定して、自分の中にこもりきってしまった
悲しい子供……。

 今も、みさおちゃんの生存を信じ、手がかりを求めて駆けずり回っているだろう、
いとおしい人の背中……。




 そんな浩平に、わたしの事が知れたらどう思われるだろう。

 考えるまでも無かった。

 みさおちゃんのために、あんなに一生懸命になっている浩平が、許してくれるはずがない。

 決して許さない。

 許されない。

 ……自分自身が、許せない……。

「……ごめん、なさい……浩平……ごめんなさい……みさおちゃん……ごめんなさい……」

 わたしは力なくうなだれ、ぶつぶつと謝罪の言葉を呟く。

 みさおちゃんの、あるはずだった人生も……

 浩平の努力の意味も、その先にあるはずだった希望も……

 二人の間に唯一残った家族の絆も……

 全部、奪ってしまったわたしだから。

 許されさるはずもない。けれど、全ての道を絶たれ、贖罪の機会さえ手に入れることも
かなわなかったわたしに出来る事は、それくらいの物だった。

「うふふ……もうすっかり閉じこもっちゃったね……」

 もう、彼女の声も聞こえない。彼女の笑顔が、いびつに歪んでいた事も知らない。熱かったはずの
わたしの頬を流れる涙の感覚もすでにない。

 わたしはただ、体を貫く堪えようの無い罪悪感に、壊れた機械のように
延々と同じ事を繰り返すだけだった。




 みさおちゃん……ごめんなさい……

 こうへい……ごめんなさい……

 みさおちゃん……ごめんなさい……

 こうへい……ごめんなさい……

 みさおちゃん……ごめんなさい……

 こうへい……ごめんなさい……

 みさおちゃん……ごめんなさい……

 こうへい……ごめんなさい……

 二人とも……ごめんなさい……

 ごめんなさい……

 ごめんなさい……

 ごめんなさい……

 ごめんなさい……

 ごめんなさい……

 ごめんなさい……

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・







「……くくっ、これでいい……おかげでこの体を支配しやすくなった」

 傭兵都市ナカザキのとある通り。その真中で一人の少女が笑みを見せていた。

 しかし、彼女の事をよく知る人間が見たら、彼女が男言葉を話しているのを
不思議に感じた事だろう。

 彼女の名前は『長森瑞佳』。けれど、今の彼女の本当の名前は『ラルヴァ』と言った。

「『人は過去の傷跡をつく事で脆くなる』か……さすがはギース……人間なだけあって
人間の弱点についてよくご存知だ」

 彼女は皮肉げに口元をゆがめる。

 いや、皮肉だ。自らの意志で魔王復活を計画し、自分達を顎で使っていると信じ込むように
思考を変更された人間どれい達への。

「しかしこれで、我がこやつの精神をわざわざ押さえつけておく必要もなくなったわけだ……」

 『瑞佳』は心底愉快そうに笑った。

 ラルヴァは人間に憑り付き、その全てを自由に操る能力を持っている。が、死霊などとは違い
死体には憑りつけないという制限があった。

 そのため、ラルヴァは憑りついた後、相手の意志を捻じ伏せなければならない。

 けれど人間の精神は本質的に驚くほど頑強で、生身で戦えば数秒と経たぬうちに肉塊へと
変貌させられる弱者であっても、その精神を押さえ込むのにほぼ全力を傾けなくてはならなかった。

 だが、こうして自閉状態になってしまえば、いかに強固な精神力を持った者でも
容易くその体を支配する事が出来る。

 人間を乗っ取りその力を使わせるなどという、戯れにも似た作戦を実行させられる者にとって、
これは多大なメリットだった。

 軽く手足を動かし、同調を見る。違和感の無い事を確認しながらも、つい愚痴がもれる。

「……『タカムラ』とやらが目をつけただけあって、黒騎士たちはそれなりに優秀だが、
聖剣の担い手を誕生させてしまい、せっかく見つけた『堕天使の盾』すらも失うなどと、
詰めが甘すぎる。おかげで我もこのような策に駆り出されるハメになった……」

 その策とは『人質』。人間が危機に陥った同属を見捨てられない事を逆手に取ったものだが、
自らを人間の絶対上位者と考えるラルヴァにとって、それは無意味な策だ。

 凡百の人間達が寄り集まったところで、脅威にはならない。

 いくらか前にその人間に殺された同胞もいたが、よほどの奇手にでもかかったのだろう。
そうでなければたかが人間如きに、ラルヴァが負けるわけが無い。

 なのに、人間の中にこそこそと隠れ潜み、あまつさえ人質にするという
弱者の真似事をするなどとは、彼のプライドをいたく刺激した。

聖剣ブランニューハート神剣フィルスソード、そして奇跡剣カノンブレード……。
 我らを傷つけられる武器が増えたからと言って……所詮、臆病な人間の考える事か」

 不快げに舌打ちする。と、ラルヴァはふと気付いたように目元を細めた。

「うふふ……いけない。この体に入っている時は、しっかりと演技しないとね」

 ラルヴァは……いや、瑞佳は『いつも通り』に微笑む。体を操り、
対象の記憶すらも見る事の出来るラルヴァにとって、その程度の演技は楽な物だった。

「それにしても……空間魔術を求めてやってきたら、思わぬ拾い物をしたもんだよ」

 瑞佳は踵を返して、元来た道を戻る。

「椎名繭……伝説のドラゴンマスター。ほったらかしにしたら、絶対にガディム様に
累を及ぼす存在になるんだよ。けど、調教しだいで絶大な戦力になることも確かだし……」

 瑞佳は、完璧に計算され尽くした『彼女らしい』笑顔を見せる。

「きめた。上月澪ちゃんと一緒にさらっちゃおう。
 かたっぽは生贄、かたっぽは優秀なわたし達の手駒……たかが人間、
ガディム様のお役に立てるなら本望というものだよ」

 しかし、その口から吐かれた言葉は悪魔そのものであった。

 その体の本当の持ち主が帰路についた時と変わらぬ笑みを浮かべたまま、足を動かしつづける。

 通りを横切り、角を曲がり、住宅街へと進んだ。

 目指すは一軒の家。ごみくずにも満たない矮小な人間達の中で、
ガディムへの捧げ物へとなる事を許された、選ばれし希少な存在の住む場所。

 感謝して欲しい物だ、とノックをしながら彼女は思う。ただ駆逐されるだけの害虫が、
栄光ある我らが主の贄となれるのだ。『聖杯』に込められたガディム様のお力に比べれば
微々たる物だが、腹を空かされたあのお方のオードブルにはちょうど良いだろう。

 かちゃり、と内鍵がはずされ、扉が開かれる。

 笑顔を覗かせた少女に向けて、彼女は満面の笑みを返して囁いた。










えいえんはあるよ……ここにあるよ……











<おわり>
<戻る>


後書き

 という事で、『第三章 えいえんの剣士』のプロローグ部分を書いてみました。
浩平への瑞佳の想い、彼女が忘れていた罪悪……そして浩平のみさおへの思い。
少しは表現出来ていますでしょうか? そのために、瑞佳が少し変態チックに
なってしまいましたが(汗)


 今回、原作との違いはお互いへの呼びかけです。拙作の浩平が旅立つまでの仮シナリオでは
七瀬・みさき・雪見・祐一を除いてみんな幼馴染という扱いになっていますので、
お互いを苗字で呼び合うのは他人行儀すぎると思い、名前で呼び合うようにしました。

 ただ、それでも悩むのが瑞佳→他者と繭→他者の呼びかけ。原作では瑞佳は
稲城佐織へは『佐織』と呼び捨てにしてるんですよね。だからこちらもそれにあわせて
呼び捨てにしようかと思ったのですが、どうにも違和感を感じて『さん付け』にしました。

 繭は原作中に浩平以外への呼びかけが無いので想像です。多分、子供らしく瑞佳以外には
名前呼び捨てで通してるんじゃないでしょうか?(笑) そして、ほどよいおもちゃである
七瀬には『ななせ』と苗字呼び捨てと。きっと、浩平の呼び方を真似ているんでしょう。



 あと、芹香の占いは絶対外れないと作中で出しましたが、これはあくまで噂のレベル。
正確な的中率が九割だったとしても、噂になって尾ひれがついた物と思ってください。
占いの能力でいけば、芹香と裏葉がどっこいどっこいと言う所じゃないでしょうか?

 個人的には裏葉の能力の方が高そうだと思ってますが……。



 そうそう。忘れちゃいけないのは『みゅ〜』の存在。原作と違い、あの子は生きてます。
しかも、ゴールドドラゴンの幼生です。けど姿はフェレットです(爆)

 『漫遊紀』最終話でミストラルたちが話していた『黄金竜の子とドラゴンマスター』とは
彼らのことです。

 みゅ〜がドラゴンであり、繭が竜仙人ドラゴンマスターである事は、
ONEのヒロインズと浩平は全員知っています。原作のみゅ〜の死亡イベントを
みんなで看護イベントへと変更したので、その時に関わったメンツですね。もしかしたら、
祐一と住井あたりも知っているかも知れません。

 繭がドラゴンマスターであることが知れるとあとあと危険になるため、みんなで隠しています。
けど、繭が泣いたり寂しがったりすると、近くを散歩しているドラゴンが
心配して慰めにやってくるんですよね。おかげでナガサキ名物発生と(笑)。



 さて、浩平が手に入れて送っているアイテムですが、『古代女神候補の巫女服』などといった
伝説級・宝具級のアイテムは全て偽物です。そうでなければ浩平が身につけたりなど
出来ようはずがありません。もし手に入れたとしても、きっと儀式に使って
壊してしまっているでしょう。



 それと、今回出てきた『視力の額冠』。もし使われるという奇特な方用に設定だけ……。

 ピンクゴールド(金と銅の合金)を地金に、視力強化の魔術を施したエメラルドを
中央につけた額冠。グエンディーナ属領の眼鏡職人が、『眼鏡より見栄えのする眼鏡を』と
開発したが、材料費がかさむために貴族や富裕な商人以外には売れなかった。
装飾品としての価値を高めるための細工にかかる費用、そして一部の『愛好家』の意見も、
その原因となる。

 通常のサークレットとは違い円環状ではなく、額を覆うだけの大きさしかない板状の額冠。
着けると額に吸着するので、落ちる事は無い。

 眼鏡を発展させた魔導具であるため、近視・遠視・乱視の補正から色盲・弱視の補助、
さらには簡易望遠鏡のような効果まで持っているが、盲目の者には効果が無い。


 そういえば、設定がないのを良い事にラルヴァの憑依描写をやっちゃいましたけど、
問題ありますか?

 この後におまけがあります。シリアスの余韻に浸りたい方、
そしてキャライメージを壊されたくない方は読まないほうがよろしいかも知れません……、

天城風雅


LQ パロディ劇場
『魔術都市からの手紙』編


『デキてる二人?』



 ……しょうがない、最終手段を使おう。

 暴れる留美さんを後ろから羽交い絞めにして、茜さんにアイコンタクト。

「……」

 茜さんは頬を染め、瞳を微妙に潤ませて留美さんの前に立つ。

「お〜り〜は〜らぁ〜……うむっ……」

 自分の唇を留美さんに押し当てて黙らせる。目を見開いてぴたりと動きが止まったのを
見計らって、茜さんは両手で留美さんの顔を抱えこむようにして舌を差し入れた。

 ちゅくっちゅくっと唾液が絡まる音が、静かになった居間に響き渡る。

「ふぁ……っ」

 しばらくして唇が離なれると、留美さんは茜さんの胸に抱かれるように崩れ落ちた。
うっとりと頬を上気させ、とろんとした目であかねさんに擦り寄る姿は、
女のわたしの目から見ても凶悪なまでに可愛かった。

 ふぅ、けどこれで一安心だよ。わたしは留美さんの喉をなでている茜さんに微笑む。

「いつもありがとう、茜さん」

「……こういうことなら、いつでも……」

 茜さんはとっても嬉しそうだ。わたしもとっても嬉しい。

「うう……茜ぇ〜、あたしとの一夜はウソだったの〜?」

 詩子さんがハンカチをかみ締めて、目の幅の涙を流して茜さんに訴えている。

「そうだよ。茜ちゃんの恋人は私なんだよ」

 先輩もぐぐっ、と拳を握って主張する。

「(ぶんぶんぶんっ)」

 茜さんの背中にしがみついて、澪ちゃんはいやいやと首を振っている。

「むぅ〜……」
「みゅ〜……」

 繭とみゅ〜も、左右の大きな三つ編みにしがみついて唇を尖らせる。

「ふふふ……分かってますよ、みんな順番です……」

 茜さんは静かに微笑むと、慣れた手つきでみんなを引き寄せる。

「ぁあん、あかねぇ……」
「あかね……そこぉ……」
「いぃ……いいよぉ……あかねちゃぁん……」
「きゃうんっ……あかねぇ〜」
「みゅうっ、みゅうっ、みゅうぅぅぅ〜っ!」
「(ひくん、きゅぅん、ぴくぴく)」


 そして、かもし出されるピンク色な空気……。わたしはそれを見ながら、
晴れやかな気持ちでお茶をすすった。

 よかった、浩平がいなくなって落ち込んでいたみんなも、今ではすっかり元気で仲良しさんだね。



 うふふ……負け犬は負け犬同士、傷をなめあってるのがお似合いだよもん♪




『こんな最終手段』(1)



 ……しょうがない、最終手段を使おう。

 暴れる留美さんを後ろから羽交い絞めにして、茜さんにアイコンタクト。

「……」

 茜さんは不本意そうな顔をしながら留美さんの前に立つ。

「お〜り〜は〜らぁ〜……もがっ……」

 大きく開いた口に手に持った物を突っ込むと、留美さんは白目を向いて倒れた。

 ふぅ、これで一安心だよ。わたしは留美さんを膝枕しながら茜さんに微笑む。

「……ねぇ、わたし、笑えてるかな?」

「……ええ……笑えてますよ」

 茜さんは、全てを悟ったような、達観した様子を見せている。

「瑞佳……それ、激しく洒落になってないわ……」

 膝の上から、つぶれたカエルのようなうめき声が聞こえた。

「しょうがないよ、わたし原作でもLQでも、ある意味黒幕なんだし」

 そう言うと、声の主は黙り込んだ。



 ……ねぇ、留美さん。寝言でそんなこと言うから、最強の漢なんて呼ばれるんだよ?




『こんな最終手段』(2)



 ……しょうがない、最終手段を使おう。

 暴れる留美さんを後ろから羽交い絞めにして、耳元に口を寄せる。





えいえんはあるよ……ここにあるよ……





激しく洒落になってませんっ!






『繭の意趣返し』



「こーへー、帰ってくるの?」

 繭がきらきらした目でわたしの袖を引く。この子も浩平の事をすごく慕ってるから……
今すぐにも会いたいんだと思う。

 それはわたしも……わたしたちも同じだ。ここにいる全員が、浩平の事を想ってるから。

 わたしは繭を抱き寄せる。

「うん、少し時間が掛かるかも知れないけど……近いうちに戻ってくるんじゃないかな」

「帰ってきたら、みゅ〜と一緒にいっぱい遊ぶっ!」

「みゅうっみゅうっ!」

 繭はもう浩平が戻ってきたみたいに、ものすごく嬉しそうな笑顔でみゅ〜と見詰め合う。

「え? みゅ〜はそんなことしたいの?」

 みゅ〜の鳴き声を聞いて、問い返す繭。繭はみゅ〜たちドラゴンの言葉が分かるんだもんね。

「それも楽しいけど……えへへ、みゅ〜のお友達いっぱい呼んで、ばれーぼーるしよ♪
もっちろん、こーへーがボールで」

 ………………

 みゅ〜のお友達って、みんな成竜だよね? それでボールが浩平って言う事は……。

 ドラゴンの鼻面に突き上げられ、天高く舞う浩平。それを無数のドラゴンたちが、
もみくちゃにするように浩平を上に下に叩いていく。

 サーブ、レシーブ、トス……そして、竜族の強力な尻尾の一振りでアタックッ!

 浩平は悲鳴を上げる間もなく地面に叩き付けられて、大きなクレーターを作るんだよ……。

「あ、あのね、繭……そんな事したら、いくら浩平でも死んじゃうよ?」

 わたしはおそるおそる、笑顔でみゅ〜と話を続ける繭に話し掛ける。繭はにぱっと笑って
こう答えた。

「だって、ずぅーっと帰ってこなくて、さびしかった。だから、おしおきっ♪」

 ……繭……わたし、天真爛漫なその笑顔がものすごく怖いよぉ……。



 ……ねぇ、浩平……この子、『えいえん』に飛ばしちゃっていいかなぁ?(泣)




『待っていた者』



 ……けど……浩平が戻ってくるんだ……。そう想うだけでズキッ、と頭が痛む。

 浩平、もうすっかり変態になっちゃって……ナカザキどころか、全世界の恥じだよ。



 はぁ……わたし、こんな人待っていて良かったのかなぁ?




『何をしている?(汗)』



 ……けど……浩平が戻ってくるんだ……。そう想うだけできゅっ、とおしりがすぼまる。

 ずっと待ってる事が寂しくて……浩平が残してくれた物を色々試しているうちに、
興味本位からついついおしりで色々としちゃったんだよね。

 だって……気持ちよかったんだもん。

 だからね、浩平……帰ってきたら、そっちもちゃんと可愛がってね?
わたしの体は、全部全部、浩平を受け入れられるようになってるから……。

 ああっ……考えたら、我慢できなくなってきちゃったよぉ。ん……浩平ぇ……。



 ……ええっと、なんの話だっけ?




『甘い物はお任せ?』



サァ……ソノカラダヲアケワタセ……

 涙に煙る視界の中で、漆黒の魔物は徐々に輪郭をボケさせ、その体が真っ黒な霧へと変わる。

 ……わたしは、この時ほどみさき先輩がうらやましいと思ったことは無い。目が見えなければ、
こんな その霧が……その黒き水滴の一粒一粒が、わたしに向かって殺到してくる光景なんて……。

「……い……や……」

 震える喉から、ようやくそれだけの声が絞り出せた。

 黒い霧はわたしを押し包み、服の上から、そして皮膚からわたしの中へと進入してくる。
全身の毛穴から流れ出た汗が逆流する感覚……体の全てを無数の真っ黒い手が撫で回し、
砂糖漬けのような甘い毒に犯される感触に怖気がはしる。

 誰か助けて……留美さん……繭……浩平……!

 もう、まともに声も出せない口を必死に動かして助けを求めた。しかし、黒い霧は
そんなわたしの行為をあざ笑うかのように、夕暮れに染まる空を少しずつ消していき……

ナ、ナンダト!?

 黒い悪魔の、切羽詰まった叫びが上がる。同時に、黒く埋め尽くされていた視界が晴れて行き、
そこに飛び込んできたものは……

「……美味しいです」

 黒い霧を一心不乱に吸い込んでいる茜さんだった。

クウッ! ヤメロ、オンナッ! ワレヲスウナ、クウナッ!! イエ、オネガイデスッ!!
モウタベナイデェッ!!


 どんどん涙声になり、わたしから離れて逃げ出そうとした黒い霧は、
世にも切なげな悲鳴をあげて、欠片も残さずに茜さんに食べ尽くされてしまった。

 わたしはその場にへたり込んだまま、満足げにハンカチで口元を拭っている茜さんを見上げた。

「……ずるいです」

 ハンカチをしまいながら、茜さんは拗ねたようにわたしを見る。

「ずるいです……こんな美味しい物を、独り占めするなんて」

「ほへ?」

 思わず気の抜けた返事をしてしまう。

 ずるいって……その霧、悪魔だったんだよ? わたし、その霧に殺されかけたんだよ?

 じっと見詰めるわたしの視線をどう取ったのか、茜さんはうっとりと頬を染めた。

「とっても甘くて……美味でした」

「あ……あは……あははははは……」

 もう、笑うしかない。

 確かにあの黒い霧は、命の危険が分かっていながらも飲みつづけたくなる
『甘い』毒だったけど……それを本当に飲んじゃう? ねぇ?

「では、またこのような事があったら、呼んで下さい」

 茜さんはマイペースに会釈をすると、てくてくとその場を立ち去った。……この方向は商店街。
きっと山葉堂に向かったんだと思う。

 茜さん……あんなに食べて、まだ入るの?

 わたしはどこかズレた感想を抱いて、その背中を見送った……。



 ……茜さん、最強?




パロディ編 後書き

 ……久々に書いたせいか、キレが悪いなぁ。

 テーマは『黒いよ! 瑞佳ちゃん』と『ハーレムクイーン茜』だけど。(笑)