うたわれるもの SS

 
幼皇クーヤ執政秘話

        
その4 「うけつがれるもの」







「う〜む……」

「あら? トウカさん、どうかいたしまして?」

「む? カルラ殿か……」

「そんなに難しい顔して、もしかして、何か悩み事でも?」

「悩みと言うか……少し気になる事がござって」

「気になる事、と言いますと?」

「実は……」

「――実は?」








「……サクヤ殿のことなのだ」








 それは、ある日の夜――

 ハクオロの御側付であるトウカが、
いつものように、禁裏で眠る自分の主の護衛をしていると……、

「――むっ!」

 禁裏の外の廊下に、怪しい気配を察知し……、
 眠気の為、少しボンヤリし始めていたトウカは、瞬時に覚醒した。

 そして、トウカは腰に帯びた刀の柄に、ゆっくりと手を添えると、
音を立てぬ静かな足取りで、禁裏に入って来ようとしている、その気配へと近付いていく。

 そして……、

「――曲者っ!!」

 相手の姿を確認もせず、問答無用で斬るのはどうかと思うが……、
 目にも止まらぬ速度で抜刀されたトウカの刀が、侵入者の頭に振り下ろされた。

 峰は返されてはいたが、並みの賊ならば、
己が斬られた事すら気付かぬままに倒れているであろう、見事な一閃……、

 その斬撃が、侵入者の脳天へと――



「――ひゃあっ!!!!」


 
パシィィィィッ!!



 ――叩き込まれる事は無かった。
 
 なんと、その侵入者は、振り下ろされたトウカの刀を両手で挟み……、
 いわゆる、真剣白刃取りで、受け止めていたのだ。

(この者……出来るっ!?)

 自分の抜刀を見事に受け止められた事に、驚愕の表情を浮かべるトウカ。

 だが、それも一瞬のこと……、
 すぐさま、平静を取り戻し、相手の腹を蹴って刀を取り戻そうと、トウカは足を振り上げる。

 と、それよりも早く……、



「な、なななな、何するんですかぁぁ〜〜……」

「――はい?」



 先程のまでの緊張感は何処へやら……、
 涙まじりの、何とも情けない声に、トウカは思わず力を抜いてしまう。

 そして、聞き覚えのあるその声を耳にし、
トウカは、改めて、目の前にいる侵入者の姿を観察し、目を見開いた。

「サ、サクヤ殿ではないですかっ!?」

「はう〜〜〜……」

 よほど怖かったのだろう……、
 刀を白刃取りした体勢のまま、サクヤは泣きながらトウカの言葉に何度も頷く。

 ――そう。
 なんと、侵入者の正体はサクヤだったのだ。

「ひどいですよ〜、いきなり、斬り掛かってくるなんて〜……、
もう少しで、冗談じゃ済まない事になるところでしたよ〜」

「そ、某としたことが、申し訳ないっ!」

 一歩間違えば、サクヤに大怪我をさせていた……、
 その自分の失態を悔やみ、トウカは慌てて刀を納めると、深々と頭を下げる。

「あっ、そんな……あたしが悪かったんですよ。
こんな夜中に、禁裏に忍び込んで来たりしたんですから……」

 床に頭を擦り付けんばかりに、深く深く土下座するトウカを見て、
さすがに、恐縮してしまったのだろう。

 サクヤは、パタパタと手を振ると、トウカに頭を上げるように促す。

 実際、サクヤの言う通り、トウカにそれほど落ち度は無い。

 どちらかというと、紛らわしい真似をしたサクヤに非が有るだろう。

 ハクオロの側室であるサクヤは、堂々と禁裏に入れる立場にあるのだ。
 だから、わざわざ人目につかない夜中に、忍びこんでくる必要など無いのである。 

 もちろん、相手の姿を確認もせずに斬り掛かったトウカにも問題はあるのだろうが……、

「そういえば、このような夜更けに、一体、何用で……?」

 サクヤの言葉を聞き、彼女がここにいる事を不思議に思ったのだろう。

 今更、遅いのかもしれないが、
トウカはハクオロが起きてしまわぬよう、小声でサクヤに訊ねる。

 すると……、

「――あうっ」(ポッ☆)

 サクヤの頬が、見る見るうちに赤く染まっていき、
まるで、顔中に染料でも塗ったかのように真っ赤になっていく。

 そして、何やら慌てた様子で、愛想笑いを浮かべると……、

「な、なな、何でも無いですよ! ただ、ちょっとハクオロさんに用事が……、
で、でも、こんな夜更けに来るなんて、どうかしてますよね?
また、明日、来ることにします! そ、それでは〜っ!」

 と、トウカに有無を言わせぬまま、一気にそうまくし立て、
サクヤは、足早に、その場を立ち去ってしまった。

「…………」

 そんなサクヤを、ただ呆然と見送るトウカ。

 そして、サクヤが立ち去っていた先を、しばらく眺めた後……
 彼女の不可解な行動を思い返し、訝しげに首を傾げつつ……、

「……一体、何だったというのだ?」

 ……トウカは、御側付の役目へと戻って行った。








「……とまあ、そういうわけなのだ」

「へえ〜……」

 トウカの話を聞き終え、カルラは空になった湯呑みを床に置く。

 そして、目の前に座るトウカの湯呑みもまた、自分のと同様に空になっているのに気付くと、
手元にあった急須を持ち、彼女の湯呑みに茶を注いだ。

「これはかたじけない」

「いえいえ、どういたしまして」

 丁寧に礼を述べるトウカに会釈を返しつつ、カルラは、自分の湯呑みにも茶を注ぐ。
 その動作は、とても剣奴とは思えない程に優雅だ。

 さすがは、『元』ギリヤギナ族の皇女、といったところか……、

 さて――
 ここは、皇宮で最も高い場所に位置するカルラの部屋――

 あれから、立ち話をするのも何なので、場所を移動することにし、
カルラの部屋で、茶を飲みつつ、トウカの話を聞くことになったのである。

 カルラとしては、お茶よりも酒の方が良かったのだろうが、
酒に弱いトウカが相手ではそうもいかず、今のところは我慢しているようだ。

 もっとも、いつ、面白半分で、
トウカに酒を飲ませ始めるか、分かったものではないが……、

 まあ、それはともかく……、

「確かに、トウカさんの仰る通り、気になりますわねぇ……」

「そうでござろう?」

 酒菜にする為に、蔵から持ち出してきたモロロの薄焼きを、一つ口に放り込みつつ、
腕を組んで思案し始めるカルラ。

 そんなカルラの反応に、トウカはウンウンと頷く。

 だが、トウカとカルラとでは、彼女達の言う『気になる事』に、若干の違いがあったようだ。

「サクヤさんは、そんな夜更けに、
どんなご用事で、あるじ様をお訪ねになったのかしら?」

 ――まあ、だいたい想像はつきますけど♪

 と、これは口には出さず、何やら悪戯っぽい笑みを浮かべるカルラ。

「そうではないっ! 確かに、それも気になるところだが、
某が言いたいのは、もっと別のことなのだ!」

「――と、言いますと?」

 やっぱり、お茶と酒菜は合いませんわねぇ、と、内心で呟きつつ、
カルラはトウカの言葉に首を傾げる。

 真面目に話を聞いているのか、いないのか……、

 そんなカルラに、トウカは、お茶を一口啜ると、
まるで苦虫を噛み潰したような、それでいて真剣な表情で話し始めた。

「あの時、某は本気だった……、
本気で、曲者を打ち据えるつもりで、刀を振るったのだ」

「そうでしょうねぇ……」

「その、某の本気の一撃を、サクヤ殿は素手で受け止めたのだ!
しかも、よりにもよって、白刃取りでっ!」

「……偶然ではありませんこと?」

「某の太刀は、偶然などで受け止められるものではない!」

 カルラの言葉に、持っていた湯呑みを、ドンッと床に置くトウカ。
 そんなトウカを窘めるように、カルラは、彼女の湯呑みに再びお茶を注ぐ。

「自惚れるのは、良くありませんことよ」

「そんなことは、百も承知っ!
では、訊くが、カルラ殿は、某の太刀を素手で受け止める自信はおありか?」

 トウカの唐突な質問に、目を閉じて、しばし黙考するカルラ。

 そして、答えが出たのだろう。
 自分の手を見つめながら、カルラは首を横に振る。

「さすがのわたくしでも、それは無理ですわね。
そんな問答無用な真似が出来るのは、ゲンジマル様くらい……っ!!」

 そこまで言って、トウカが何を言いたいのか気が付いたのだろう。
 カルラはハッとした表情を浮かべると、真剣な面持ちで、トウカを見つめる。

「まさか……いくらなんでも……」

「某とて、そう思った……」

 トウカの考えを否定するように、苦笑を浮かべるカルラ。
 それに同意しつつも、トウカは苦悶の表情で話を続ける。

「こういう言い方は、聖上のお心に反するのだが、サクヤ殿はシャクコポル族……、
例え、偶然だとしても、某の太刀を止められるとは思えぬ……、
しかし、伝説の生ける武人、ゲンジマル殿の孫となれば、話は別ではなかろうか?」

「つまり、トウカさんは、こう言いたいのでして?
『もしや、サクヤさんはゲンジマル様の武人としての素質を受け継いでいる』と……」

「……その通りでごさる」

 トウカの言葉を引き継ぐように、話の核心を突くカルラ。
 その言葉に、トウカは重々しく頷く。

「俄かには信じ難いお話ですわねぇ……」

「だが、サクヤ殿が某の太刀を受け止めたのは事実っ!」

「寝惚けていたのではありませんこと?」

「某の言葉が信用できないというのかっ!?」

「そうは言っていませんわ……」

 ムキになって大声を上げるトウカに、やれやれと肩を竦めるカルラ。

 そして、このままでは埒があかないと思ったのか……、
 彼女は湯呑みを持ったまま、おもむろに立ち上がると……、

「それでは、一度、試してみましようか?」

 そう言って、窓際まで行くと、そこから眼下を見下ろした。

 カルラの部屋は、皇宮において最も高い場所に位置している。
 だから、ここからならば、ちょっと見下ろすだけで、皇宮を一望できるのだ。

 そんな場所から、カルラが見下ろすその先には……、



「絶好のお洗濯日和ですねぇ、クーヤ様♪

「うむ、気持ちの良い天気だ」



 楽しげに、洗濯物を干しているサクヤと、
それを慣れない手付きで手伝っているクーヤの姿があった。

「一体、何をするつもりなのだ?」

 何やら意味ありげに窓際に立つカルラに歩み寄りつつ、トウカが訪ねる。
 すると、カルラは彼女に軽く微笑むと……、

「――こうするのですわ♪」

 そう言って、持っていた湯呑みを、サクヤに向かって投げつけた。

 もちろん、直撃させるような危険な真似はしない。
 カルラが狙ったのは、サクヤのすぐ側に干されている洗濯物だ。

 このままでは、お茶が入ったままの湯呑みが命中し、洗濯物にシミが出来てしまう。
 それを防ぐ為には、 サクヤが湯呑みを受け止めるしかない。

 そして、彼女に武人としての素質があるのなら、そのくらいは容易いはず……、

「――むっ」

 そんなカルラの意図を察し、投げられた湯呑みの行方を凝視するトウカ。
 それにつられるように、カルラもまた、ちょっと期待を込めた眼差しで、サクヤを見守る。

 だが、事態は、彼女達の予想を、遥かに越えていた。

 なんと……、



「なにげない〜かい〜わ〜も〜〜♪
わたしに〜は、いみ〜が〜あ〜る〜の〜♪」


 
――パシッ!!



 鼻歌を唄いながら、片手で洗濯物のをシワを伸ばしていたサクヤは、
飛んできた湯呑みを一瞥もせぬまま、空いた片手で後ろ手に掴み取ってしまったのだ。

 さらに、それだけに留まらず……、
 受け止めた湯呑みを、手首の力だけで、カルラに投げ返してきた。

 それも、物凄い勢いで……、

「――あら?」

 サクヤに投げ返さた湯呑みを、カルラは、軽い口調とは裏腹にギリギリでよける。

 だが、カルラの後ろにいたトウカは、あまりに突然の事に対処できなかったようだ。

 カルラの横を素通りした湯呑みは、
まるで吸い込まれるように、トウカの顔面へと……、



 
――ごすっ!!


「あうっ!!」



 トウカの顔面に命中し、派手に砕け散る湯呑み……、
 その砕け方からも、サクヤによって投げ返された湯呑みの威力の程が知れる。

 そんなものをモロに食らって無事に済むわけがなく……、
 トウカは、湯呑みの破片が刺さった頭からダクダクと血を流しながら、バタリと倒れてしまった。

「…………」(汗)

 額に大きな汗を浮かべ、倒れたトウカと、眼下のサクヤを見比べるカルラ。
 そして……、

「トウカさんの予想……あながち、間違いではなかったようですわね」

 そう呟き、トウカを肩に担ぎ上げると、
怪我を看てもらう為に、エルルゥのもとへと向かう。

 その道すがら……、



「……これが、あるじ様が仰る『辺境の女』というものですのね」



 と、未知の力の存在に恐怖を覚えつつ……、
 カルラは、今後は、少しつまみ食いは控えようと、固く心に誓ったのだった。
















 さて、その頃――

 見事に、トウカを撃沈したサクヤは、というと――



「……さすがは、ゲンジマルの孫よの」

「はい? 何がですか?」

「余にはよく見えなかったが……、
おぬし、今、洗濯物に飛んできた何かを、見事に掴み取ったであろう?」

「えぇっ? 何を仰るんですか、クーヤ様……、
あたしに、そんなおじいちゃんみたいな真似が出来るわけないじゃないですか」

「そうか? う〜む……余の気のせいだったかな?」

「きっと、そうですよ……あっ、もしかして、お疲れになられました?
それでしたら、あとはあたしに任せて、クーヤ様はお休みになられてください」

「そんなことは無いぞ。むしろ楽しいくらいだ。
ところで、サクヤ? これは、もしかして、ハクオロの下帯ではないのか?」

「えっ!? キャッ! ク、クーヤ様ったら……、
そんなものを、そんなにマジマジと見つめちゃダメですよ〜っ!!」

「ほほう……では、おぬしが、さっき懐にしまっていた帯は誰の者なのだ?」

「こ、これは、ちょっと綻んでいたので、後で繕っておこうと……」

「まあ、そういうことにしておこうかのう」

「あうぅぅぅぅ〜〜〜……」(泣)








 どうやら……、
 当の本人は、自分の素質に全く気が付いていないようだ……、








<おわり>
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