To Heart SS

    二人の笑顔を……







 朝、目覚めると、俺の横にマルチの姿は無かった。

 おかしいな。昨夜は一緒に寝てたのに。

「…………」

 ついつい昨夜の事を思い出してしまい、頬が熱くなる。

「……おーい、マルチー」

 とりあえず、目を覚ますついでに火照った顔を何とかする為、
狭い家の中、マルチを探しつつ俺は洗面所へ向かう。

 と、その途中で、椅子に座るマルチの姿を見つけた。

 どうやら、充電中のようだ。
 マルチの瞳は閉じられ、手首から伸びたコードが、
テーブルの上のノートパソコンに繋がっている。

 俺は、マルチの首から伸びるコンセントに
足を引っ掛けないよう気をつけてマルチの傍に寄る。

 モニター画面に映る充電状況を示すメーターは52%を差している。

 ……もう少しかかるみたいだな。

 俺はマルチを起こさないように、静かにマルチの正面に腰掛けた。

「…………」

 黙って、ジッとマルチの寝顔を見つめる俺。

 何か、いい夢でも見ているのだろうか、
マルチの顔には笑みが浮かんでいる。
 そして、ときどき漏れる寝言には俺の名前が。

 ……俺の夢を見てるのか?

 何だか嬉しくなり、俺はマルチの頭を撫でる。

「マルチ……」

 幸せそうなマルチの寝顔を眺めつつ、俺は思う。

 あれから、もう一ヶ月か……。








 そして、俺は思い出す。








 俺とマルチが一緒に暮らすことのきっかけとなった
あの事件のことを……。








 あの出来事以来、俺とマルチは恋人同士となった。

 恋人同士といっても、特に俺達の関係に変化があるわけじゃない。

 メイドロボであるマルチのユーザーは、俺の職場である
この老人保健施設なのだ。
 だから、仕事中以外で、マルチに会うことはほとんどできない。

 それに、俺とマルチの関係を皆に知られるわけにはいかない。
 デートなんてもってのほかだ。

 でも、俺もマルチも不満は無かった。

 何故なら、お互いの気持ちが繋がっていることは確かなのだから。

 それに、当直で二人きりになった時なんかには、いっぱいイチャついてるしな。

 たけど、いつまでもこんな関係を続けていくわけにはいかない。

 だから、俺は今、頑張って貯金をしている。
 職場からマルチを譲り受けるために。

 そうすれば、俺はマルチのユーザーになることができるから。
 そうすれば、俺とマルチはずっと一緒にいられるのだから。

 これまでに蓄えていた貯金も足せば、すぐにでもマルチを引き取ることは出来る。
 しかし、こういうことはやはり本人の意見も聞かなくてはならない。

 だから、まずはマルチの意志を確かめてからだ。








 そして、そのことをマルチに相談しようと思っていた日に、
その事件は起こった……。








 俺は入所者の一人である木さんの教室へと向かっていた。

 そろそろ昼食なので、食堂まで来るように呼びに行くためだ。

「ふぅ……」

 軽くタメ息をつく俺。

 正直、木さんの相手をするのは、気が進まないのだ。。

 木さんは、この職場の入所者の問題爺さんの一人だ。
 どういうふうに問題があるのかと言うと、
対応する職員が男か女かで態度がコロッと変わるのだ。

 男性職員だと、話し掛けるだけでも怒鳴り返してくるし、時には暴力を振るってくる。
 逆に女性職員だと、機嫌は良いのだが、胸やお尻、隙あらば股間まで触ろうとするのだ。

 当然、俺達は注意をするのだが、耳が遠いものだからほとんど聞こえていないし、
また聞こえても機嫌を損ねて気性が荒くなるから始末が悪い。

 しかも、木さんは、痴呆が入っている割には知恵が回り、
俺達が施設の雇われ者で、立場上、入所者である木さんに対して頭が上がらず、
手荒なマネも出来ないのだということを、ハッキリと理解した上で、
そのような行動を取っているのだ。

 ハッキリ言って、かなり腹が立つ。

 いくら仕事とはいえ、そんなタチの悪い人を相手になどしたくない。
 若い女性職員などは、特にだ。

 しかし、だからと言って、放っておくわけにはいかない。

 だから、俺は今、木さんの居室に向かっている。

「……ヒロユキさん」

「ん? 何だ、マルチ」

「……私が、行きましょうか?」

 どうやら、俺の憂鬱な気分を察したようだ。

「いいよ。俺が行く。例え相手が誰であれ、俺以外の奴に
マルチの体を触らせてたまるかよ」

「ヒ、ヒロユキさん(ポッ☆)」

 俺の言葉に頬を赤く染めるマルチ。

 ……ちっ、ついつい恥ずかしいセリフを言っちまったぜ。

「ご、ご安心ください。わ、私の全ては……あなたの、ものですから(ポポッ☆)」

「…………」

「…………」

 な、なんちゅうこっ恥ずかしいことを……。
 へへ……でも、嬉しいな。

「なあ、マルチ……」

「はい」

「仕事終ったらさ……ちょっと時間空けておいてくれ」

「……はい。よろしいですけど、何か?」

「お前に、話したいことがあるんだ」

「話したいこと、ですか?」

「ああ……大事な話だ。そ、その……俺達の将来について、な」

 そこまで言って、俺は照れ臭くなり、頬をポリポリと掻く。

「は、はい……わかりました」

 俺の態度に、どんな話なのかだいたい予想がついたのだろう。
 マルチは恥ずかしそうに、そして、嬉しそうに頷く。

 よっしゃ! それじゃあ、話もまとまったことだし、
ちゃっちゃと仕事を済ませますかっ!

「高木さーん。そろそろお昼の時間ですよー」

 俺は木さんの居室に入り、ベッドに横になっている木さんに
少し大きめの声で呼びかける。
 しかし、耳が遠いので、反応はない。

 ……やれやれ。

 俺は仕方なく、木さんの耳元で大声で言う。

「木さん! お昼ご飯の時間ですよ!」

「うるさいっ! 人の部屋に勝手に入ってくるなっ!」

 木さんは突然起き上がり、俺に拳を振るってきた。

「おわっ!」

 俺は咄嗟にそれをバシッと手で払いのける。

「なにすんだっ! わしを殴っていいと思っとるんかっ!」

 ……殴ってねーだろ。
 そもそも、それは、こっちのセリフだってーの。

 と、俺は内心呟きながら、木さんを宥めようと話しかける。

「あのですね、僕はただあなたを呼びに来ただけですよ」

「木様、落ち着いてください」

 マルチも一緒になって落ち着かせようとするが、
耳が遠いため、こっちの言う事は聞こえていない。

「なにぃ?! 召使いのクセに口答えするんかっ!」

 俺達は召使いじゃねーって。
 ついでに、お手伝いでも奴隷でもないぞ。

「サッサと出ていけっ!」

 木さんの剣幕はさらに激しくなっていき、
ついにはベッドの上に立ち上がって暴れ出す。

 そんなことしたら、血圧上がるぞ。
 ってゆーか、何でこんな元気な人が施設なんかにいるんだ?

「このっ!!」

 興奮した木さんは、転落防止用の鉄製のベッド柵を引き抜き、振り上げる。

 おいおい……またかよ。

 こういうことは、今までに何度もあった。
 だから、いい加減慣れている。

「おっと」

 俺は頭目掛けて振り下ろされたベッド柵を、軽く後ろに跳んで避ける。

 こうなってしまったら、もう手はつけられない。
 早々に立ち去るのが一番だ。

「行こう、マルチ」

「は、はい」

 俺はマルチを促し、木さんに背を向ける。

 確かに、俺達は介護者だが、
怪我をする危険を侵してまで世話をする義理は無い。

 伝えるべきことは伝えたのだ。。
 しばらく放っておけば、落ち着くだろう。
 今までだって、そうだったからな。





 ……しかし、今回は、俺の考えが甘かった。

 俺が油断したせいで、あんなことになるなんて……。





「ヒロユキさんっ! 後ろっ!!」

「えっ?」

 マルチの声に、俺は後ろを振り返る。

「っ!!」

 そこには、物凄い形相でベッド柵を振り上げた木さんの姿があった。
 今にも、ベッド柵は俺の頭に振り下ろされようとしている。

「うわぁあああああああっ!!」

 もう避けるのも間に合わない。
 手で防ぐのも無理だ。

 俺は観念し、目を閉じた。





 ……鈍い音がした。





 しかし、痛みは無い。





 不思議に思い、俺は目を開ける。















「……マルチ?」















 俺の目の前にマルチが倒れていた。

 俺ではなくマルチを殴り倒してしまったことに驚き、
木さんはベッド柵を振り下ろした恰好のまま呆然としている。

 ……何が起こったんだ?

 一瞬、頭の中が混乱した。

 しかし、すぐに理解することが出来た。

 マルチは、俺を庇ったのだ。

 俺を庇って、代わりに殴られたのだ。

「マルチィーーーーッ!!」

 倒れたマルチを、俺は慌てて抱き上げる。

「マルチ! マルチ!」

 体を揺すって呼びかける。

 カッと大きく見開かれた瞳……。
 力無く、ダラリとたれた手足……。
 バチバチと漏電する体……。

 ……う、嘘だよな?
 大丈夫だよな?
 また、いつもみたいにショックでブレーカーが落ちただけだよな?

 必死で自分に言い聞かせながら、マルチに呼びかける。

 しかし、一向に目覚める気配は無い。

 まさか……、

 まさか……、

 まさか……、


















































「貴様ぁああああああああああああ
あああああああああああああああ
ああああああああああああっ!!」















































「…………藤田君、とんでもないことをしてくれたな」

「……申し訳ありません」

 事務長から叱責を受け、俺は頭を下げる。

「まったく、謝って済む問題じゃないぞ。
介護者が入所者を殴るだなんて、な」

 事務長の言葉に、俺は何も言い返すことはできない。

 そう……俺は木さんを殴った。
 怒りに身を任せ、何度も何度も殴った。
 騒ぎを聞きつけ、駆けつけた同僚に止められなければ、
俺は木さんを殴り殺していただろう。

 幸い、命に別状は無かなった。
 かなり派手に鼻血を流していたが、骨は折れていない。
 ただ、奥歯が2、3本抜けただけだった。

 だが、介護者である俺が木さんを殴ったのは事実だ。
 それがいかなる理由であれ、許されることではない。

「……キミには、ウチを辞めてもらう」

「……はい。そのつもりです」

「まあ、キミの気持ちも分からんでもないし、キミは良く働いてくれていたからな。
自主的な退職と同じ扱いにしてあげよう。ようするに、退職金は出す、ということだ」

「……はい。ありがとうございます」

 事務長の処分に、俺は素直に従う。
 そうしなければ、木さんの家族や、この施設の他の利用者が納得しないからだ。
 それに『入所者を殴る職員』がいては、この施設の信用に関わる。
 だから、事務長の処分は正しいと言える。

 もし、木さんに殴られたのがマルチではなく別の職員だったなら、
事務長も俺を弁護することはできただろう。

 しかし、殴られたのは、メイドロボであるマルチだ。
 俺以外の人間にとって、マルチはロボットでしかない。

 つまり、木さんは『職員』を殴ったのではなく、『物』を殴っただけなのだ。
 だから、俺の暴力行為を正当化する材料にはならない。

 俺がクビになるのは、当然のことなのだ。

 まあ、仮にクビを免れたとしても、俺は責任をとって辞めるつもりだったから、
今更そんなことはどうでも良いのだが。

 ただ、それ以上に、俺には気になることがある。

「……一つ、聞いてもいいですか?」

「…………マルチのことか?」

「はい。マルチは修理していただけるんですか?」

「……正直なところ、難しいな」

「なっ!? どうして?!」

「知ってのとおり、マルチはもうかなり古い型だ。
それに、元々、中古で買ったものだからな。
修理に出すよりも、新しいのを買ったほうが安く上がるんだよ」

 ……事務長の言う通りだった。

 メイドロボの修理は結構な金額がかかる。
 もちろん、新しいのに買い替えるよりは安いが、中古で買ったマルチの場合、
ヘタしたら元手よりも修理費の方が高くつく可能性がある。

 最近は、どこの介護施設も経営難だ。
 それは、この施設も変わらない。
 余計な出費は抑えたいのだろう。

「……じゃあ、マルチは?」

「残念だか、処分することになる」

 事務長は冷たく言い放つ。

「……でしたら、俺がマルチを引き取ります」

 そう言って、俺は隣の椅子に座らせていたマルチの体を見た。

 そうさ……職場が直してくれないのなら、俺が直してやればいい。
 マルチの為なら、金なんか惜しくない。
 それに、マルチを引き取る為に貯めていた貯金があるんだ。
 すぐに直してやれる。

「退職金はいりません。その代わり、マルチを俺に下さい」

 もう一度言って、俺は事務長に視線を戻した。

「……分かった。好きにしなさい」

「はい。今までありがとうございました」

 俺は立ち上がり、事務長に頭を下げると、
マルチの体を抱きかかえ、職場を後にした。

「……まさか、こんな形でお前を引き取ることになるとはな。
待ってろよ。すぐに直してやるからな……」








 そして、一ヶ月が経ち……、

 今、マルチは俺の目の前にいる。
 俺だけのマルチとなって……。








「……マルチ……マルチ……」

 マルチの充電が完了したようなので、俺はマルチに呼びかける。

「……ん」

 俺の呼びかけに、マルチはゆっくりと目を開ける。

「おはよう、マルチ」

「おはようございます、ヒロユキさん」

 ――ちゅっ☆

 マルチは起きた途端、不意打ち気味にキスをしてきた。

「……マルチ」

 正直、かなり驚いた。
 マルチからこんなことをしてくるのは初めてだったから。

 ったく、いつの間にこんなことが出来るようになるまで成長してたんだ?

 マルチの心が少しずつ人間に近付いていくことが嬉しくて、
俺はマルチの頭をそっと撫でた。

 なでなで……

 なでなで……

 なでなで……

「……ヒ、ヒロユキさん(ポッ☆)」

 俺になでなでされて、マルチは頬を赤くする。

 その表情は、照れているような、嬉しがっているような……。
 そんな、幸せそうな微笑み。

 この微笑みは、俺だけのものになった。
 この微笑みと、いつまでも一緒にいられるようになった。








 ……大切なものと引き換えに。








 俺はマルチを連れて、浩之じいちゃんの墓へとやって来た。

 昨日、修理が完了したマルチが家に帰ってきた時から、
マルチと一緒にここに来ることを決めていた。

 目の前に、じいちゃんの墓がある。

 ここにじいちゃんは眠っている。

 そして、俺の姉ちゃんでもあり、マルチの姉でもあるHMX‐12 マルチも……。

 俺は墓の前で膝を付き、手を合わせる。
 マルチもそれに習って、手を合わせる。

 俺は、今、ここで、マルチに話すつもりだ。

 マルチを救う為に、俺が何をしたのかを……。








 一ヶ月前……。
 マルチを修理に出したあの日……。








「HM‐12ですか? 難しいですねぇ」

「なんでだよ!? 金ならいくらでも出すから!」

「金額の問題じゃないんですよ」

「……どういうことだ?」

「あなたも分かってるでしょうけど、HM‐12はもうかなり古い型です。
メイドロボも随分とモデルチェンジしてますから、予備の部品が無いんですよ」

「メーカーから取り寄せればいいだろう?」

「ダメですね。メーカーもすでにHMタイプのパーツを生産していません」

「なっ?! じゃあ、どうしたらいいんだっ!?」

「申し訳ありませんが……部品が無ければどうにもなりませんよ」

「そんな……」








 俺は絶望した。

 もう、マルチは直らない。
 もう、マルチの笑顔を見ることはできない。

 目の前が、真っ暗になった気分だった。








 その時、店員の呟きが俺の耳に届いた。








「……部品さえあれば、簡単に直せるんですけどねぇ」








 ……部品?
 ……代わりの、部品?
 ……『マルチ』の、代わりの部品?








 …………ある。








 …………あるぞ。















 ……そして、俺は悪魔に魂を売った。















「じいちゃん、マルチ姉ちゃんっ! 許してくれっ! 俺は、俺は……」

 マルチに全てを話し終えた俺は、
両手をつき、額を地面に擦りつけるように、
じいちゃんとマルチ姉ちゃんの墓に向かって土下座した。

「……許してくれっ! 許してくれっ!」

 俺は何度も何度も地面に頭を叩きつけた。

 額から出血しても、俺は止めずに土下座を続ける。

 こんなことで、俺のやったことが許されるわけがない。
 それでも、俺には、こうすることでしか、二人に謝罪することができない。

「……ヒロユキさん」

 マルチが俺の頭を抱きしめる。
 俺の頬に、マルチの胸が押しつけられる。

「ヒロユキさん……あなたは何も悪くありません。
悪いのは、全て私です。あなたは、私を救う為に……」

 俺を抱くマルチの腕に力が込もる。

「それでも、あなたが罪を感じるのならば、その罪を、私にも背負わせてください」

 涙が、雫となって地面を濡らした。

 嬉しかった。
 マルチの気持ちが嬉しかった。

「マルチ……マルチ……」

 俺は泣いた。

 マルチの胸の中で、声を上げて泣いた。

 そんな俺の頭を、マルチはずっと優しく撫で続けてくれた。

「ヒロユキさん……」

 マルチの優しい声に、俺は顔を上げた。

 そこには、あたたかい笑顔があった。
 そこには、優しい笑顔があった。
 そこには、俺の求めていた笑顔があった。



 俺は、人として最低なことをした。
 この罪を、俺は永遠に背負って生きていかなければならない。

 でも、後悔はしていない。

 全ては、マルチのために……。
 全ては、この笑顔のために……。



「マルチ……」

 俺はマルチに微笑んだ。

 それは、少しぎこちなかったかもしれないが、
俺の思いの全てを込めて……。

「ヒロユキさん……」

 マルチが俺に微笑んだ。

 それは、本当に可愛らしく、
マルチの思いが伝わってきて……。

 そうだ。
 笑顔でいよう。
 どんな時も、笑顔でいよう。

 そうすれば、越えていける。
 マルチと一緒なら、越えていける。

 どんなに辛くても……、
 どんなに悲しくても……、
 どんなに寂しくても……、

 二人で一緒に微笑んでいられれば、越えていける。

 だから、大切にしていこう。
 二人の笑顔を……。








「ヒロユキさん……」

「マルチ……」

「これからもずっと……」

「いつまでもずっと……」








「微笑みをあなたと……」








<おわり>
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