To Heart SS

 
   キミの笑顔を……








 今日、俺の職場に新人が入った。

 名前は『HM‐12型 マルチ』……。

 かつて来栖川製のメイドロボの最新型だった子だ。
 今では軽自動車1台分払っても、充分におつりがくるだろう。
 多分、事務長が中古品を安く買ってきたに違いない。

 そう……その新人はメイドロボだったのだ。

 相手はメイドロボなのだから、新人というのは正しくはないのだろう。
 何故なら、彼女は俺の職場が購入した備品の一つなのだから。





 でも、俺にはとてもそう思うことはできない。
 俺にとって、『彼女』は特別な存在だったから……。





 俺の職場は老人保健施設だ。

 よく特別養護老人ホームと一緒に考えてしまう人がいるが、
実はかなり違いはある。

 特別養護老人ホームは、家族が介護困難になった高齢者、
主に重度の痴呆症患者や寝たきり老人がほぼ無期限で入所するところだ。
 だからと言うのも間違いではあるだろうが、老人ホームは一度入所してしまうと、
生きているうちに退所することはほとんどない。
 つまり、ホームを出る時は、その高齢者が亡くなった時だけとも言える。
 もちろん、そうでないケースもあるが、俺達のような介護に殉ずる者にとっては、
それが当然のような考えになっている。

 だが、老人保健施設は、これとは大きく異なる。
 まず、入所期間は基本的に六ヶ月間と決まっていて、
それを過ぎたら退所ということになる。
 その間、入所した高齢者は何をするのか?
 当然、リハビリである。

 通常、老人保健施設は高齢者を在宅できるようにする事を目標としている。
 その為、老人ホームには寝たきり老人が比較的多く集まるのに対し、
老人保健施設には、ADL……っと、こんな専門用語を使っても分からないよな。

 ADLっていうのは、日常生活動作のこと。
 つまり、自分でご飯を食べたり、自分でトイレに行ったり、
自分で服を着替えたりなど、普通、自分で出来るような動作のことだ。

 ……で、話を戻すと、老人保健施設には、事故や病気などでそのADL能力が低下し、
リハビリする事によって、それが回復する見込みのある人が多く集まる。
 もちろん、痴呆患者(ようするにボケ老人)が入所することもあるが……。

 簡単に言えば、病院と老人ホームの中間地点だと思ってもらえばいい。

 まあ、どちらも似たようなものだと言ってしまうばそれまでだ。
 何故なら、どちらの施設でも、入所した高齢者の家族の思惑は様々だから。
 極端な話、自分の身内が在宅で過ごせるようになるのを心から願っている家族もいれば、
介護を放棄する為に身内を施設に入所させる家族もいるからだ。

 とにかく、俺の職場はそういうところだ。

 そこに、彼女……マルチはやってきた。








 マルチは基本的に体が小さいから、力仕事はできない。
 だから、車椅子に乗る爺さんや婆さんを抱えてベッドに移動させたり、
トイレの便座に座らせたりといった介助をすることはできない。

 だから、もっぱら彼女の仕事は掃除やゴミ捨て、食事介助……、
そして、退屈している爺さん婆さん達の話し相手になることだった。

 マルチの外見が外見だけに、老人達はみんな、
まるで孫かひ孫と話しているようだ、と喜んでいる。

 実際、マルチが人間ではなくロボットだと理解している人は何人いるだろう。
 少し痴呆がある人だったら、マルチが人間じゃないと言っても
たぶん信じやしないだろう。

 ある時、そんな老人の一人が、俺に訊ねてきた。

「……マルチちゃん、何か悩み事でもあるのかねぇ?
あたしゃあの子の笑った顔を見たことが無いよ」

 当然だと、俺は思った。

 彼女はロボットなのだから、笑うわけがない。
 彼女はどこにでもいる普通のロボットなのだから……。








「……何故、あの方は私に親切にしてくれるのでしょう?」

 ある日、宿直で二人きりになった時、
彼女は俺にそう訊ねてきた。

「あの方って……山崎さんのことか?」

 山崎さんとは、例の『マルチの笑顔を見たことが無い』と
俺に言ってきたばあさんのことだ。

「はい……何故なのでしょう?
それに、あなたもです。
何故、わたしを助けてくれるのですか?」

 あれからというもの、山崎さんはマルチを笑わせようと
色々と努力していた。
 マルチにお菓子を上げたり、面白い話をしたりと……。
 でも、まったく効果はなく、マルチの表情は変わらない。

 そして、俺もまた、よくマルチの手伝いをしていた。

 集めたゴミが重すぎて引きずっている時とか、
どうしてもマルチ一人ではムリそうな仕事をしている時は、
すすんでマルチの手助けをしていた。

「山崎さんは、お前の笑顔を見てみたいと言っていた。
お前がロボットなんだってことを理解していないんだよ。
だから、お前を一人の人間の女の子として思っている。
そんなお前がいつも無表情でいるものだから、
山崎さんは心配しているんだよ」

「……山崎様が……私のことを?」

「ああ……そうだ」

「では……あなたは?」

 そう言って、彼女は感情の無い瞳で俺を見つめる。

 俺も、お前を一人の女の子として見ているから……。

 なんて恥ずかしいこと、言えるわけがない。

「……そろそろ時間だ。みんなのオムツを交換しにいこう。
みんなを起こさないように静かにな」

 ……だから、俺は仕事の話をして、誤魔化した。

「……はい」

 俺の言葉に彼女は頷く。

 手分けしてオムツ交換を始めようとした時、彼女はポツリと言った。

「……私……よく分かりませんが、頑張ってみます。
山崎様に笑顔を見せられるように、努力してみます」

 ……この子なら、もしかしたら出来るかもしれない。

 その時、俺はそう思った。





 午前六時を回った。

 そろそろ、皆を起こし始めなきゃいけない。
 本当は、起床時間は七時なのだが、このくらいの時間から始めないと
朝食に間に合わないのだ。

 で、俺とマルチが別々にみんなの着替えを手伝って回っている時……、

「山崎様! 山崎様! 返事をしてください!」

 と、マルチの声が聞こえてきた。
 珍しく口調が荒い。

 どうしたんだ……まさかっ!?

 俺は急いで山崎さんの居室に向かった。

「山崎様!! 山崎様っ!!

 そこには、車椅子に座る山崎さんの体を揺するマルチの姿があった。

 山崎さんの体が妙にグッタリとしているのを見た俺は、
すぐさま駆け寄り、状態を調べる。

 ……顔が真っ青だ。
 唇も紫色になっている。
 呼吸は……していない。
 脈は……無い。
 ……心臓も動いていない。

「マルチ……看護婦さんを呼んで来い。
俺は救急車を呼ぶ」

「……え?」

「早くしろっ!!」

「は、はいっ!」





 それから数分後、救急車が到着した。

 そして、今、閉め切った山崎さんの居室の中で、
看護婦さんと救急隊員が処置を行っている。

 覚醒させる為の処置じゃない。
 ターミナルケア……死後処置だ。
 死後硬直が始まる前に、体内の排泄物を全て出し、
綺麗な服に着替えさせたり……といったものだ。

 死因は『ショック死』だった。

 山崎さんは、車椅子を使っているものの、
大抵のことは自分で出来る人だった。
 だが、元々心臓の弱い人だった。
 自力でベッドから車椅子へ移動しようとし、勢い良く車椅子に腰掛けた為、
そのショックで心臓が停止してしまったのだ。

 死後処置が行われている居室の堅く閉じられた扉を、
俺とマルチはただただ眺めていた。

 俺は介護士だ。看護士ではない。
 だから、死後処置に手を出すことはできない。
 だいたい、やり方をよく知らない。

 だから、俺は、俺のできる仕事をするしかない。

「……マルチ……俺達は俺達の仕事を続けよう」

 俺がそう言って、マルチを見た時、俺は自分の目を疑った。

「……山崎様……山崎様ぁ……」

 マルチは泣いていた。

 信じられない。
 彼女は普通のロボットなのに。

 もしかして、彼女にも感情はあるのだろうか?

 そんな思いが、俺の頭に浮かぶ。

 しかし、今は、そんな事を考えている場合じゃない。

「……マルチ……泣くのを止めるんだ」

 冷たいかもしれない。
 でも、俺はマルチにそう言った。

「そんなっ! あなたは悲しくないのですか?
人一人が目の前で亡くなったのに、悲しくないのですか?」

「……泣いてるヒマは無い。
泣いてたって、どうにもならない。
それに、俺達には、まだやるべき仕事が残っている」

「……冷たいのですね。
あなたは同じ命を持つ人間ですのに。
命を持たない私でさえ、こんなにも悲しいのに……」

「……悲しくない、なんて事はない。
でも、こんな仕事をしていると感覚がマヒしちまうんだ。
何度も人の死を見る羽目になるからさ」

「でも…………っ!!」

 マルチが何かを言おうとしていたが、
俺はそれを遮るようにマルチを抱きしめた。

「それにな、俺が泣かない理由はもう一つある」

 俺はマルチを抱きしめながら、耳元で言った。

「……マルチ……泣いてちゃダメだ。お前が泣いてたら、
皆が不安に思う。老人は、常に死と隣り合わせで生きているんだ。
そんな人が、誰かの死を知った時、次は自分なんじゃないだろうかと恐怖する。
俺達は介護者として、そんな恐怖をみんなに与えちゃいけない。
だから、今、誰かが死んだのだと言う事をみんなに知られちゃいけない。
マルチ……だから、お前は泣いちゃダメだ」

「……では、私はどうしたら良いのですか?」

「……笑えばいい。
お前が微笑んでいれば、みんなが不安を感じることはない。
それどころか、みんなに安心を与えることができる」

「わたしはロボットです。笑うことなどできません」

「じゃあ、何でお前は泣いてるんだ?
ロボットは泣くことだってできない筈だろ?
でも、お前は泣いている。
泣くことができたなら、笑う事だってできるはずだ」

 そう。泣くことができるってことは、感情が、『心』があるからだ。
 だったら、笑う事だって出来るはずだ。

「それに、昨夜言ったじゃないか。
山崎さんの為に、笑えるように努力するって。
もう、山崎さんはいないけど、
それなら、今度はみんなの為に、努力してみてくれよ」

「……でも、どうしたら良いのか、わかりません」

「信じるんだ。そして、自分の気持ちを表に出せばいい。
……頼む、笑って見せてくれ。
俺にも、お前の笑顔を……大好きなお前の笑顔を見せてくれ」

「っ!! 今、なんと……?」

「お前が好きだって言ったんだ。
俺は、お前が好きだって言ったんだ」

 俺の突然の告白に、マルチの瞳が見開かれる。

「……何故でしょう? 私は今、あなたの言葉に喜びを感じています」

「それはな、嬉しいってことだよ」

「……これが、嬉しい?」

「そうだ。その気持ちを表に出してみな。
その気持ちを素直に表現してみな」

「この気持ちを……素直に……」

 その時、俺は見た。

 ほんの少しだけど、でもハッキリと彼女が微笑んだのを。

「マルチ……お前、今、笑ってるよ」

「ほ、本当ですか? 私には、よく分かりません」

「ああ、本当だよ……とっても可愛いよ」

「そ、そんな……(ポッ☆)」

 マルチは頬を赤らめる。

 ははっ……今度は恥ずかしがってるよ。

「さあ、マルチ! 仕事に戻ろう!
そして、みんなにその笑顔を見せてやりな!」

「はい!」

 笑顔のマルチは、力強く頷いた。








 それからというもの、マルチは変わった。

 マルチはよく、笑うようになった。
 また、よく泣くようにもなった。

 本当に表情が豊かになった。

 でも、変わったのはそれだけじゃない。
 俺と彼女の間でだけ、ちょっとした変化があった。

「おはようございます、ヒロユキさん」

「おう。おはよう、マルチ」

 それは、俺のことを名前で呼ぶようになったこと。
 他の職員や、入所者のことは苗字で、しかも『様付け』で呼ぶのに、
俺だけ名前で、その上『さん付け』呼ぶのだ。

 どうやら、彼女は俺に好意を抱いてくれているらしい。
 俺を名前で呼ぶのがその現れだし、
俺の前でだと、より多くの、より微妙な表情見せてくれる。
 例えば、照れたりとか、はにかんだりとか、時には怒こる事もあったな。

 俺はそんな彼女がたまらなく可愛いと思うし、
たまらなく愛しいと思う。

 へへ……なんだか、嬉しいような、恥ずかしいような、
そんな感じだぜ。

「どうしたのですか? ヒロユキさん」

 ボーッとしていた俺の顔を、マルチが覗き込んでくる。

「な、なんでもねーよ」

 そう言ってそっぽを向く俺に、マルチは悪戯っぽい笑みを見せる。

「もしかして、私のことを考えてたのですか?」

 ……こいつ、言うようになったじゃねーか。

「ああ、そうだよ」

 俺は開き直って、マルチの頭を撫でた。

「……あ(ポッ☆)」

 俺に頭を撫でられ、うっとりとした表情になるマルチ。










 そんなマルチを見ていて、俺は思い出す。

 去年亡くなった、俺と同じ名前の祖父のことを。

 そして、祖父と同じ墓で眠りにつくことを自ら選んだ、
彼女の姉、HMX‐12型……『マルチ』のことを……。















 今度、彼女をばあちゃんの家に連れていこうかな。

 そして、俺の恋人だって紹介しよう。

 そしたら、絶対こう言うだろうな。

『血は争えないね、ヒロユキちゃん』

 ……ってさ。















 なぁ、そうだよな……あかりばあちゃん。








<おわり>
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