雫 SS

 
   香奈子のお願い







「ねえ、長瀬君。この書類、明日までに整理しなきゃいけないの。お願い手伝って」


「ねえ、長瀬君。お願い、このコピー用紙、職員室まで運んでくれない?」


「ねえ、長瀬君。今日、どうしても外せない用事があるの。お願い、掃除当番代わって」


「ねえ、長瀬君。ワープロ使える? 使えるなら、これ打ってもらえない? ね、お願い」








「…………ふぅ」

 僕は、ワープロのキーを叩く手を止めて、ひと息つくことにした。

「ねえ、祐クン、何してるの?」

 ちょうどタイミング良く、沙織ちゃんが僕を訪ねて来たからね。

「太田さんに頼まれてね、このプリントをワープロで打ち直してるんだ」

「ふ〜〜〜ん……」

 沙織ちゃんは、僕の肩越しにディスプレイを覗き込む。


 ――フワッ


 あ……。

 沙織ちゃんの長い髪が僕の頬にかかる。

 相変わらず、綺麗な髪だな……。
 いい香りがするし……。

 それに、背中に微妙に押し当てられた柔らかな感触が何とも……、

「ああっ!!」

「え!? な、何!?」

 いきなり沙織ちゃんが大声をあげたので、僕はビックリしてしまった。

 もしかして、Hな事を考えてたのがバレたかな?

「……『文化祭運営における注意事項』って、
これって生徒会の仕事じゃない!」

 なんだ、そんなことか……。
 良かった……バレてなくて……。

「うん。そうだよ」

「何で祐クンがこんな事しなきゃいけないの?」

「うん……そういえば、何でだろう?」

 確かに、言われてみればそうだ。
 僕、どうしてこんな事やってるんだろう?

「……香奈子ちゃんに頼まれたって言ってたよね?」

 沙織ちゃんに言われ、思い出す。

 そうだ……僕は太田さんに頼まれたんだった。
 そういえば、今までにも、何度かこういうことがあったなぁ。

「どうして断らなかったの?
まあ、祐クンが頼まれたらイヤとは言えない性格だっていうのは知ってるけど」

「そんなことないよ。嫌だったら、ハッキリ嫌って言うさ。
ただ、何でかな? 太田さんに頼まれると、どうしても嫌って言えないんだ」

「え……?」

 僕の何気ない言葉に、沙織ちゃんの顔が絶望に染まっていく。
 そして、ジワ〜っと涙を溢れさせる。

「ヒドイッ! 祐クンってば、あたしというものがありながら……」

「ち、ちょっと、何でそうなるの?!」

「だって、香奈子ちゃんに頼まれたらイヤとは言えないってことは、
祐クン、香奈子ちゃんのこと……」

「そ、そんなことないよ! 沙織ちゃんのお願いだったら、
僕は喜んで何だって聞いちゃうよ」

「じゃあ、キスして。今、ここで」

 ……ここで?
 いくら放課後だって言っても、まだ何人か生徒が教室にいるんだけど。

「そ、それはちょっと……」

「ほらっ! やっぱり!」

「あ、あのねぇ……」

 呆れる僕を余所に、沙織ちゃんは、思考をどんどん悪い方に進めていく。

「……そうだよね。あたしみたいなガサツな女の子よりも、
香奈子ちゃんみたいな子の方がいいよね……う……うぅっ……」

 ボロボロと涙を流す沙織ちゃん。

 ああっ! こんな可愛い沙織ちゃんを泣かせてしまうなんて……、
 
……僕って最低だっ!!

 僕は慌ててポケットからハンカチを取り出すと、
沙織ちゃんの涙をそっと拭いてあげた。

「あ……」

「そんなことないよ。沙織ちゃんはとっても女の子らしくて可愛いと思うよ。
僕は、そんな沙織ちゃんが大好きだよ。だから、もう泣かないで、ね?」

「ホ、ホントに? 祐クン……」

「当たり前だよ。だから泣かないで。沙織ちゃんは元気で明るい方が可愛いよ」

「祐ク〜〜〜ン☆」

 沙織ちゃんが僕の胸に甘えかかってくる。

「よしよし」

 そんな沙織ちゃんがたまらなく愛しくて、僕は頭を撫でてあげる。

 周りの視線が痛いけど、今はそんなことはどうでもいいことだ。
 なんなら、後で電波を使って、記憶を消せばいいわけだし。

「……祐クン」

 沙織ちゃんが上目遣いで僕を見つめる。

「……沙織ちゃん」

 見詰め合う二人。

 沙織ちゃんが、そっと瞳を閉じる。

 ……ここは、彼女のお願いを叶えてかげるべきだよね。

 僕は沙織ちゃんの頬に手を添えると、ゆっくりと顔を近付けていき……、


「お楽しみ中のところ申し訳無いが……」


「「うわあっ!!」」


 いきなり話し掛けられ、僕達は慌てて飛び退いた。

「な、ななな、何の用です? 月島さん」

「ど、どどど、どうしたんですか? 月島さん」

 月島さん……いつの間に僕達の後ろに来たんだろう?

「すまないね。邪魔してしまったみたいで……ちょっといいかな?」

「え? まあ、いいですけど……」

「はい……
チェッ、もうちょっとだったのに

「沙織ちゃん? 何か言った?」

「う、ううん。何でもない☆」

「ならいいけど……それで、月島さん、どんな用件なんです?」

 僕が訊ねると、月島さんは僕の机の上にあるワープロを指差した。

「見たところ、それは生徒会の仕事のようだけど、
もしかして、太田さんに頼まれたんじゃないかい?」

「そうそう! よく分かりましたね!
月島さんからも香奈子ちゃんに言ってよ。自分の仕事は自分でやるようにって」

 そう言って、沙織ちゃんはぷうっと頬を膨らませる。

「長瀬君が文句を言うならともかく、どうして新城さんが怒るんだい?」

「だって、そんな事してたら、
あたしと祐クンが会える時間が少なくなっちゃうじゃない!」

「…………」

「…………」

 ……沙織ちゃん。
 今のセリフ、凄く嬉しいけど……ちょっと恥ずかしいよ。

「……ま、まあ、それはともかく、長瀬君、太田さんの件で
不思議に思っていることがあるんじゃないかい?」

「……と、言いますと?」

「彼女に頼まれると、何故か断ることができない」

「っ!!」

「そして、引き受けた後、何故、引き受けてしまったのだろうと疑問に思ってしまう」

「……どうして、そのことを?」

 月島さんの言う通りだった。
 最近、僕はよく太田さんにものを頼まれる。
 そして、何故か断ることができないのだ。

「……やっぱり」

 僕の反応を見て、月島さんは納得顔で頷いている。

「月島さん、何か知ってるんですか?」

「……うん。実はね、それは彼女の持っている能力が関係しているんだ」

「太田さんの能力って……まさか、太田さんも電波をっ?!」

「いや、そうじゃない。僕も最初はそう思ったのだが、
もし彼女が電波を使っているのなら、
僕や瑠璃子、それに君だって気付くはずだ。
しかし、彼女からは全く電波が発せられた様子は無い。
だとしたら、それは別の能力と考えられる。
そして、考えた末、僕はある結論に達した!
彼女の持つ能力とは……っ!」

「「…………能力とは?」」


「『ロマンサー』だっ!」


「「ろまんさぁ?」」

「そう! 言葉の中に『WOP(ワード・オブ・パワー)』を組み込むことにより、
言ったことを実現化させる能力なんだ」

 そんな力がこの世にあるのかな?
 にわかには信じ難い話だ。
 でも、僕達の電波だって似たようなモンだし……、
 もしかしたら、本当なのかも。

「じゃあ、彼女の『WOP』って……」

「……
『お願い』だよ。思い出してみてくれ、彼女から頼み事をされた時、
必ずこの言葉を言っていたんじゃないかい?」

 ……確かに、言われてみればそうだ。
 彼女は、まるで口癖の様に『お願い』と言っていた。

「じゃあ、仮にその能力が本当だったとして、
彼女はいつそんな能力に目覚めたんです?」

 そう訊ねると、月島さんは少し言いにくそうに答えた。

「……おそらく、例の事件の時だね」

「例の事件? ああ、あの夜のことですか?」

「まるで他人事の様に言いますねぇ……
首謀者のクセに

「う゛っ!」

 沙織ちゃんの一言に、月島さんは顔を引きつらせる。

 沙織ちゃん、あの夜の件以来、月島さんにはキツイよなぁ。
 ……まあ、無理もないか。

 沙織ちゃんのツッコミにダメージを受けつつも、
月島さんはめげずに話を続ける。

「……で、あの時、僕は電波を使って彼女の肉体のリミッターを外したんだけど、
その時に、ロマンサーの能力も覚醒してしまったのだと思われる」

「じゃあ、結局、原因は月島さんなんじゃないですか。
まったく、はた迷惑な人ですねぇ」

「……あう゛」

 沙織ちゃんの一言に、再びダメージを受ける月島さん。

 沙織ちゃん……容赦ないなぁ。

「……太田さん、まだ自分の能力には気付いてないんですよね?」

「うん。だから、彼女が気付く前に、僕達の電波で封印する必要があるんだ。
このことは、もう瑠璃子には話してある。長瀬君も彼女を見かけた時は頼むよ」

「はい。わかりま……」

 と、僕が月島さんの言葉に頷こうとした、その時……、

「ふーん。なるほどねぇ……そういうことだったんだ」

 いつの間にか、僕達のすぐ傍に大田さんが立っていた。

 まずい! 今の話を聞かれたか!

「最近、どうもヘンだと思ったのよねぇ。私が『お願い』って言うと、
みんな言う事きいてくれるんだもの。
なるほどねぇ、まさか私にそんな力があるなんて思わなかったわ」

 と、ニンマリと笑う太田さん。

「ま、待つんだ、太田さん! 特殊能力を私利私欲の為に濫用するのは良くないぞ!」


「「「あんたが言うなっ!!」」」


「うぐぅ……」

 僕達のツッコミに月島さんは何も言えなくなってしまう。

 ……人のこと言えないもんなぁ、この人は。

「さて、使い方も分かったことだし、
早速、有効に使わせてもらおうかしら♪ ……月島さん!」

「は、はい……」

「私の恋人になってください……『お願い』♪」

 月島さんに向かって、能力を発動させる太田さん。

 なるほど……そういう使い方をするか。

「返事は?」

「もちろん、OKに決まってるじゃないか」

「嬉しい♪ じゃあ、『お願い』……愛してるって言って」

「愛してるよ、香奈子」

 あーあ、まだ教室には生徒が残ってるのに、こんなところで堂々と……。
 月島さん、もう既成事実はできてしまいましたよ。

「さあ、月島さん……生徒会室で愛を語り合いましょう♪」

「うん。そうしようか」

 そして、二人は仲睦まじく、教室を後にした。

「…………」

「…………」

 そんな二人を、呆然と見送る僕と沙織ちゃん。

「ねえ、祐クン……あの二人、どうしようか?」

「別にいいんじゃないかな。特に害も無さそうだし。
あの二人にとっては、あれが幸せな姿なんだと思うよ」

「うん。そうだね」

「ふふふふ……」

「ンフフフ……」

 二人顔を見合わせ、何となく可笑しくて微笑み合う。

「あっ、そうだ……ねえ、祐クン」

「なんだい?」

「実はね、あたしもロマンサーの能力を持ってるんだよ」

「え?」

「だから、今からその力を使うね♪」

 沙織ちゃんは、そう言うと僕の耳にそっと囁いた。

「祐クン……屋上行って、さっきの続きしよ……お願い☆」

「……うん。いいよ」

 もちろん、僕は沙織ちゃんのお願いに心良く頷いたのだった。








<おわり>
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