Heart to Heart 外伝
         Kanon編

   「水瀬 名雪 〜猫、ねこ、ネコ〜」







「ねこー、ねこー、ねこー」

「だあ〜っ! 名雪〜っ!!
お前は猫に近付くな、って、何回言えば分かるんだぁぁぁぁっ!!」

「だって、ゆういち〜……、
猫さんだお〜……猫さんがいるんだお〜」

「お前は、自分が猫アレルギーっていう体質を忘れたのかっ!?」

「そんなの、全然、大丈夫だお〜」(グスグズ)

「アレルギー症状全開で言われても説得力無いわっ!!」

「ねこー、ねこー、ねこー、ね〜〜〜〜こ〜〜〜〜」

「うっがぁぁぁぁーーーーっ!!
いい加減に、諦めんかぁぁぁぁーーーーっ!!」








 ある日のこと――

 秋子さんに夕飯の買い出しを頼まれた俺は、
名雪と一緒に、いつもの商店街へとやって来ていた。

 ただの買い物なのだから、別に名雪と一緒に来る必要など無いのだが、
本人がどうしてもついて行く、と言ったのだから仕方が無い。

 まあ、特に断わる理由も無かったし……、
 名雪がいれば、それはそれで助かるからな。

 なにせ、俺はまだ、こちらの街に来て僅か数ヶ月の、いわば余所者である。
 だから、例え行き慣れた商店街でも、俺にとっては未知の領域があったりするのだ。

 そういうわけで、正直なところ、名雪の申し出は、非常に有り難かったわけで……、

 多分、名雪も、そのへんのところを考えて同行してくれたのだろう。
 普段はボケボケマイペースでも、名雪は、そういう事には悟いのである。

 そういうわけで、名雪同伴のもと、何事も無く、買い物を終え……、
 あとは真っ直ぐ帰宅するだけ、となったのだが……、

 ……そこで、予期せぬ事態が起こった。


 
にゃ〜〜〜……


 ――そう。
 今の鳴き声を聞けば、もうおわかりだろう。

 スーパーの袋を持ち、帰路についていた俺と名雪の前に、一匹の猫が現れたのだ。

 トコトコと、脇道から出て来たその猫は、
俺達の方を見ると、にゃ〜っと甘えた声を上げる。

 その次の瞬間……、



「あっ! 猫さんっ!」

「ま、待てっ! 名雪っ!!」



 ……名雪の行動は素早かった。

 俺が制止するよりも早く、猫に向かって一直線にダッシュする名雪。

 いきなり、名雪が走り寄って来たのでビックリしたのか……、
 それとも、本能的に危機感を覚えたのか……、

 まあ、おそらく、その両方なのだろうが……、
 とにかく、その猫は、クルリと名雪に背を向けて、一目散に逃げ出す。

 しかし、そこは陸上部部長の面目躍如、と言ったところか……、
 名雪は、あっという間に猫に追いつき、ギュッとその猫を抱きしめた。

 普通、猫の走力に人間が敵うとは思えんのだが……、

 まあ、名雪だしな……、
 猫が関わってくると、非常識なパワーを発揮するのも頷ける。

 実際、俺の知り合いにも、何人かそういうのがいるし……、
 あの二人の場合は、『愛の力』だったけどな……、

 っと、それはともかく……、

「ねこー、ねこー、ねこー」

「こらっ! 名雪っ! 今すぐ、その猫を放せっ!」

「いやだお〜」(グスグス)

 早速、猫アレルギーを発症させ、泣きながら猫を抱き締める名雪。

 そんな名雪の腕の中で、猫が苦しそうにもがいているのに気付いた俺は、
名雪から猫を引き離そうと、慌てて駆け寄る。

 いつもなら、名雪が猫に触れる前に捕まえるのだが、
今日は、荷物を持っていた所為で、間に合わなかったのだ。

「名雪、いい加減にしろ! 猫が苦しがってるだろうがっ!!」

「だお〜、だお〜」

 俺の説得に、名雪は耳を貸そうとせず、
だおだおモードのまま、猫を抱く腕に、さらに力を込めた。

 多分、名雪からすれば、それは精一杯可愛がってるつもりなのだろうが、
ハッキリ言って、あんなに強く抱き締めたら、猫にとってはいい迷惑でしかないだろう。

 猫ってのは、生来、自分勝手な生き物である。

 かまって欲しい時は寄ってくるし……、
 そうで無い時は、こちらから寄って行っても、逃げて行くだけ……、

 ようするに、猫の本当の可愛がり方とは、基本的に猫の好きなようにさせてやることなのだ。
 で、かまって欲しくて寄って来た時だけ、徹底的にかまってやれば良いのである。

 今の名雪のように、一方的にこちらからの愛情をぶつけるのは、かえって逆効果でしかないのだ。

 そのくらいのことは、名雪だって分かっていると思うのだが……、

 まあ、猫アレルギー持ちで、触りたくても触れない、という体質から来る反動を、
どうしても抑え切れないのだろう。

 で、その為に、名雪はぴろを初め、ご近所に住む猫達に危険視され……、
 名雪の周りには、猫の姿が少なくなり、余計にその反動が大きくなって……、

 まさに、悪循環ってやつだな……、

 ――なに?
 どうして、そんなに猫の扱いについて詳しいのか、って?

 まあ、何だ……、
 前に住んでた街では、俺の周りは猫で溢れてたからな。

 捨て猫拾いまくって、八匹飼ってる奴とか……、
 昼寝してるだけで、猫が勝手に寄ってくる奴とか……、

 ……そういえば、時々、猫そのものになっちまう奴もいたっけ?

 う〜む……、
 こんな事を名雪が知ったら、無茶苦茶羨ましがるだろうな〜……、

 閑話休題――

「……ったく、どうすりゃ良いんだか」

 と、散々の呼び掛けにも応じようとせず、その場にしゃがみ込んで
猫に頬擦りを続ける名雪を前に、俺は途方に暮れる。

 見れば、名雪の腕の中にいる猫は、既に抵抗を止め、グッタリとしていた。

 まだ、かろうじて息はあるようだが、
このままでは、あの猫が圧死するのも時間の問題だ。

「やれやれ……」

 仕方ない……、
 あまり、こういう直接的な方法は好まんのだが……、

 そろそろヤバイことになりつつある猫を、さすがに見捨てるわけにもいかず、
俺は、溜息をつきながら、最終手段の敢行を決意した。

 これも、尊い命を救う為……、
 許せ、名雪……、

 と、心の中で名雪に詫びつつ、俺は拳を高々と振り上げる。

 そして……、


 
――ぽかっ!


「あうっ!!」


 ……軽く名雪の脳天を殴りつけた。

 かなり手加減をしたつもりだが、それでも、そこそこ痛かったらしく、
思わず両手で、殴られた箇所を押さえる名雪。

 となれば、当然、それまで名雪に抱き締められていた猫は解放されるわけで……、


 
ふにゃ〜〜〜っ!


「――あっ!?」

 俺が作ってやった一瞬の隙を逃す事無く、猫は素早く名雪から離れる。

 そして、感謝の意を込めたのだろうか……、
 俺に向かって一声鳴いてから、スタコラと逃げて行った。

 それに気付いた名雪は、慌てて猫を追い駆けようと立ち上がる。

 だが、今度こそは、俺はそれを許さなかった。
 名雪の首根っこを引っ掴んで、その場に踏み止まらせる。

「う〜っ! ゆういち〜、離して〜っ!」

「……だから、もういい加減にしろっての」

 まるで、さっきまで名雪に抱き締められていた猫のように、
名雪はジタバタともがいて、俺から逃れようとする。

 だが、どんなに足が速くても、やはり名雪は女の子だ。
 男の俺に、力で敵うわけも無く……、

「う〜……猫さん、行っちゃったよ」

 猫の姿が路地に消えていくのを見送ったところで、ようやく、名雪は大人しくなる。

 ふう〜……、
 これでひと安心だな……、

 と、名雪が諦めたのを確認し、安堵の溜息をつく俺。
 だが、そんな俺を、名雪はう〜っと唸りながら睨み付けてきた。

 もっとも、名雪の睨みなど、全然怖くはないのだが……、

「酷いよ、祐一……」

「――酷くない」

「極悪だよ……」

「――極悪じゃない」

 そもそも、悪いのは全部お前だろうが、と、ジト目で睨み返す俺。
 すると、名雪は拗ねたようにプイッとそっぽを向き……、

「今夜の祐一の晩御飯は、全部、紅生姜っ!
ご飯もおかずもお味噌汁も、ぜ〜んぶ紅生姜っ!」

 ……台所を押さえている者のみが持つ特権を持ち出してきた。

「すみません……俺が悪かったです」

 名雪の、ある意味お約束とも言える強権発動に、泣く泣く屈服する俺。

 さすがに、紅生姜尽くしは勘弁してもらいたい。
 普通なら、冗談だと思うのだろうが、名雪の場合はマジでやるらな。

 それに、ここで折れないと、名雪はさらに不機嫌になり、結局、それを宥める為に、
いつものように『イチゴサンデー』を奢らされる派目になってしまうのである。

 百花屋のイチゴサンデーの値段は、一杯880円……、
 両親からの仕送りのみを頼りとする、一介の高校生には痛すぎる金額だ。

 そういった事情から、特権濫用する名雪を前にしては、俺に勝ち目は無いわけで……、

 うぐぐぐ……、
 やはり、水と食料を押さえている者が一番強い、ということか……、

 居候とは、かくも情けないものよのぉ……、

 冗談混じりにそんなを考え、自分の不幸っぷりに内心で涙を流しつつ、
降参の意を示そうと、俺は両手を上げる。

 と、その時……、



「あははー♪ 舞、あんなところに祐一さんがいますよ〜」

「……はちみつくまさん」



「舞……? それに、佐祐理さんも……」

 いつの間に現れたのか、聞き覚えが有りすぎる声がした方を向くと、
そこには、舞と佐祐理さんがいた。

 あははー、と、屈託無い笑顔を浮かべ、こちらに歩み寄ってくる佐祐理さんと、
その後ろを、スタスタと無駄の無い足取りで付いて来る舞。

 二人の両手には買い物袋がぶら下がっているところを見ると、
どうやら、舞と佐祐理さんも、俺達と同様に買い物帰りの途中らしい。

「祐一さん、名雪さん、こんにちわです」

「あ、ああ……」

 いきなり現れた二人にちょっと戸惑いつつも、
丁寧にお辞儀をする佐祐理さんに、軽く会釈を返す俺。

 そんな俺の挨拶の仕方が気に入らなかったのか、
名雪は、妙にお姉さんぶった口調で、それを咎めてくる。

「祐一、挨拶する時は『こんにちわ』だよ」

「はいはい……分かったよ。
こんにちわ、佐祐理さん……それに、舞」

 確かに、名雪の言う通り、ちょっとぶっきらぼう過ぎたかもな……、
 いくら親しい仲とはいえ、二人とも俺よりも年上なわけだし……、

 と、内心で反省しつつ、俺は二人に頭を下げる。

 だが、佐祐理さんは、そんな事など、全然気にしていない様子で、
相変わらずの優しい笑みを浮かべたまま、話を進めてきた。

「祐一さんも、名雪さんも……、
こんなところで、何をなさってるんです?」

 そう言って、佐祐理さんは周囲に視線を巡らせる。

 言われてみれば、今、俺達は商店街にいるのだった。
 当然、人通りも、それなりにあったりする。

 俺も名雪も、その道のド真ん中で言い争いをしていたのだから、
佐祐理さんが疑問に思うのも無理は無いだろう。

「な、何って……見ての通りだよ」

「だ、だお〜」

 今になって、自分達が、かなり目立っていた事に気付き、気恥ずかしさを覚える俺と名雪。
 そして、それを誤魔化すように、持っていた買い物袋を二人に見せた。

「……買い物?」

「ああ……夕飯の材料が足りなかったらしくてな。
それで、秋子さんに頼まれたんだよ」

「はえ〜、そうでしたか〜……、
秋子さんは、もう、お夕飯の準備は、進められていたんですね〜……」

 俺達が持つ買い物袋を一瞥し、訊ねてくる舞に、俺は頷きながら事情を説明する。

 すると、それを聞いた佐祐理さんは……、
 そして、舞も、佐祐理さんにつられるように、残念そうに表情を曇らせ……、

「こうして祐一さんにお会いできたわけですし、お家にご招待して、
ご飯を食べた後、朝まで三人で一緒に遊ぼうと思ってたんですけど……」

「……はちみつくまさん」

 ……と、嬉しいことを言ってくれた。

 しかし、水瀬家では、秋子さんの手によって、既に俺の分の晩メシが用意されているはずだ。

 秋子さんなら、気にする必要など無い、と言ってくれるだろうが、
だからと言って、それを無駄にすることなど、俺に出来るわけもなく……、

「そうだったのか……申し訳無い」

 せっかくの舞と佐祐理さんのお誘いだったが、俺は断腸の思いで、丁重に断わらせて頂く。
 そして、二人の気持ちを台無しにしてしまった事に、もう一度、頭を下げた。

「いえいえ〜、お気になさらずに〜。これは、佐祐理か勝手に思っていただけなんですから。
仕方ないので、今夜は、舞と二人だけで遊ぶことにしますね〜」

 
そう言いつつ、頭を下げる俺に、パタパタと両手を振って恐縮する佐祐理さん。
 そして、未だに残念そうにしている舞を促すと……、

「それでは、祐一さん、名雪さん、おやすみなさいです。
秋子さんや、あゆさんや、真琴さんにも、よろしくお伝えくださいね」

 ……そう言い残して、ちょっと名残惜しそうに、俺達に背を向けた。

「ああ……今日の埋め合わせは、
いつか何らかの形で、必ずするからさ」

「あははー、楽しみにしてますね〜。
その時には、今後こそ、三人で一緒に遊びましょう〜♪」

「……おやすみ、祐一」

「おう……おやすみ、舞」

 仲良く手を繋いで、自分達がアパートへと帰って行く二人。
 そんな彼女達の姿を微笑ましく思いつつ、俺は軽く手を振って、二人を見送る。

 それにしても……、
 本当に、佐祐理さん達には悪い事をしちゃったな……、

 次の機会があったら、その時は、絶対にご馳走させて頂くことにしよう、と、
二人を見送りながら、固く心に誓い、俺は振り続けていた手を下ろす。

 そして、俺達もそろそろ帰ろうか、と、名雪に向き直り……、



「ねこー、ねこー、ねこー」

「…………」(汗)



 ……またしても、猫センサーを発動させている名雪を見て、思わず頭を抱えた。

「何度も言うが、いい加減にしろよ、お前は……」

 まったく……、
 途中から、やけに静かになったと思ったら、こういう事だったか……、

 と、眉間に寄ったシワを指で揉み解しつつ、
俺は、名雪のセンサーを反応させているであろう猫の姿を探す。

 これで、また、名雪が発見した猫を抱き締めでもしたら、さっきの二の舞いだからである。
 しかし……、

「……何処にも猫なんていないじゃねーか?」

 周囲を見回した俺は、猫の姿など皆無だ、という事に気付き、首を傾げる。

 何故だ……?
 名雪の猫センサーの精度は折り紙付きの筈である。

 しかし、近くに猫の気配など無い。
 にも関わらず、名雪のセンサーは間違いなく反応しているのは、どういう事だ?

 ……もしかして、誤作動か?

 いや、さっきまでは、ちゃんと機能していたのだから、それは有り得ないし……、
 一発、軽く殴りはしたが、それで狂うとも思えな――

「――ん?」

 名雪のセンサーの誤作動の理由が分からず、俺は頭を捻る。
 そして、相変わらず猫に反応している名雪を観察して、ふと、ある事に気が付いた。

「……もしかして、あの二人に反応してるのか?」

 そう呟き、俺は、舞達が去って行った方に目を向ける。

 ――そう。
 名雪の視線は、ずっと、立ち去る二人の背中に向けられていたのだ。

「…………」

 もう一度、俺は確認するように、名雪の視線の先をゆっくりと追う。

 ……間違い無い。
 名雪の視線は、ピッタリと、佐祐理さん達を見ている。



「ねこー、ねこー」



 でも、どうして、舞と佐祐理さんに、猫センサーが反応しているんだ?

 反応する相手が、あの河合とかだったら、まだ納得も出来るが……、

 ってゆーか、名雪のセンサーって、
猫だけじゃなくて、猫っぽい奴にも反応するのか?



「ねこー、ねこー、ねこー」



 まあ、仮に、そうだとしても、二人とも、別に猫っぽいってわけでもないし……、

 そうだな……、
 舞はやっぱりウサギで、佐祐理さんはクマかな?

 もちろん、強暴な本物の熊じゃなくて、ぬいぐるみみたいな可愛い方のクマだぞ。

 ちなみに、あゆはイヌで、真琴はそのままキツネで、栞はパンダ……、
 香里はヒョウで、天野はタヌキで、北川はネズミ、ってところか?

 なんだ、こうして考えると、現状の俺の周りには猫っぽい奴っていないな。
 敢えて言うなら、名雪本人くらいだ。

 でも、自分にセンサーが反応するなんて馬鹿なことがあるわけないし、
そうだとしたら、四六時中、反応しっぱなしって事になるぞ。



「ねこー、ねこー、ねこー、ねこー」



 う〜む……、
 じゃあ、何故、名雪は舞達に反応を示しているのだろう?

 それとも、それ事態が、単なる俺の思い過ごし――



「ねこー、ねこー、ねこー、ねこー、ネコー
















 ――それか。(爆)
















「…………」(大汗)

 名雪の口から出たその単語を聞き、ある可能性に気が付いた俺は、
思わず、その考えに納得してしまう。

 そして、それと同時に、以前、舞と佐祐理さんを前にして、
ついつい抱いてしまった妄想が、俺の脳裏に甦る。

 つまり、名雪の『ネコ』センサーは、佐祐理さんと舞に反応していたのではなく、
舞にだけ反応を示していた、というわけで……、

 ……そういえば、『今夜は二人だけで遊ぶ』って言ってたもんな。

 なんとなくだけど……、
 どんな『遊び』をするつもりなのか、想像できたような気がする……、

 まあ、全部、俺の勝手な想像(妄想)でしかないのだが……、
 何故か、妙に信憑性を感じて……、

 ……って、ちょっと待てよ?

 そういえば、佐祐理さんって、去り際に、
何かとんでもないことを言い残していかなかったか?

 確か、『今度こそは、三人で一緒に遊ぼう』って……、

 それって、つまり……、
 俺と、舞と、佐祐理さんの三人で……、


 ……。

 …………。

 ………………。
















 ――ぐはっ!!(核爆)








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協力 くのうなおき 聖悠紀 たっきい