Heart to Heart
      To Heart編

   番外編 その12 「雛山 理緒」







「藤田くーーーーーーんっ!」

 ある土曜日の放課後――

 いつもの自販機で買ったカフェオレをちゅーちゅーやりながら廊下を歩いていると、
唐突に、俺のところに理緒ちゃんが駆け寄ってきた。

「どうしたんだ、理緒ちゃん? そんなに血相変えて」

「あのね、藤田君っ! お願いがあるのっ!

 そう言って、理緒ちゃんはボケットから一枚のチラシを取り出すと、
ちょっと恥ずかしそうに俯いて、それを俺に手渡す。

「これ……見て」

 理緒ちゃんからチラシを受け取り、俺はその内容に目を走らせる。

 これって、この間、駅前に開店したばかりのラーメン屋の広告じゃねーか。
 この広告がどうかしたのか?

 と、首を傾げつつ、俺はさらに内容を読み進める。

 え〜っと……なになに……、


『早食い大食いチャレンジッ!!
30分以内に超大盛りラーメン完食したら、
なんと賞金一万円!!』



「…………」

 それを見た瞬間、沈黙する俺。

「あ、あはは……」(汗)

 そんな俺に、乾いた笑みを浮かべる理緒ちゃん。

 な、なるほど……そういうことか。
 ようするに、俺にこの企画に挑戦して欲しいってわけだな。

「なあ、理緒ちゃん? 何か事情でもあるのか?」

 理緒ちゃんって、そうそう人に頼ったりはしない子だ。
 どんな時だって、頑張って自分の力で何とかしようとする子だ。

 その理緒ちゃんが、こうして頼ってくるってことは、
こりゃ、そうとう切羽詰まった事情があるに違いない。

 そう思い、俺は訊ねてみたわけだが、
どうやら案の定だったみたいだ。

「うん……あのね、明後日、お母さんの誕生日なの。
だから、何か送ってあげたいんだけど……」

「……先立つものが無いってわけか」

 俺の言葉に、理緒ちゃんはコクンと頷く。

 なるほどな……そういうことなら、何としてでも協力してやりたいけど……、
 ただなぁ、一つだけ問題があるんだよなぁ……、

「う〜ん……でも、ちょっと難しいなぁ」

「そ、そうだよね……藤田君、忙しいもんね。
こんなこと頼んだら、迷惑だよね」

「いや、そうじゃなくてさ……これを30分で完食する自信はねーよ」

 と、俺は広告に描かれた例の超大盛りラーメンのイラストを指差した。
 ご丁寧に、通常のラーメンとの比較図まである。
 どう見ても、通常の五倍はありそうな、ほとんど冗談みたいなシロモノだ。

 そりゃまあ、確かに、葵ちゃんの同好会に入ってトレーニングするようになってから、
それまで前以上に食べるようにはなったけど、さすがにこれは無理だ。

「う〜ん……」

 ……さて、どうしたもんかな?

 と、俺は腕を組んで頭を捻る。

 5000円くらいなら、ちょっとつらいけど、貸してあげられなくもない。
 でも、そういうのは、理緒ちゃんは絶対嫌がるだろうからなぁ……、

「こんな時、柏木さんがいてくれたら良かったのにね」

「柏木って……ああ、隆山の楓ちゃんのことか。
確かに、楓ちゃんなら、このくらいはペロリと……」

 と、そこまで言った時、俺はある男の顔を思い出した。

 ……いるじゃん。
 すぐ側に、楓ちゃん並の胃袋を持った奴が……、

「なあ、理緒ちゃん……」

「何、藤田君?」

「……もしかしたら、何とかなるかもしれねぇぞ」
















「ま、毎度……ありがとうございました……」

 俺と理緒ちゃん、そして誠の三人は、
ホクホク顔でラーメン屋から出た。

「〜♪ 〜♪」

「…………」

「…………」

 いや、正確にはホクホク顔なのは誠だけだな。
 俺と理緒ちゃんの表情は、思いっ切り引きつってるからなぁ。





 あの後、俺と理緒ちゃんは一年の教室に向かった。
 楓ちゃん並の胃袋を持つ男……食欲魔人こと藤井 誠に例の件を頼む為だ。

 もう帰っちまったんじゃないかと不安だったのだが、
運良く、誠は掃除当番で一人居残っていた。

 で、俺達は誠に事情を話し、協力を要請したのだが、
どうやら、誠もちょうど今日、例のラーメン屋に行くつもりだったらしく、
俺達の頼みに心良く頷いてくれた。

 とまあ、そういうわけで、俺達は三人一緒にその店へと向かい、
現在に至るわけである。





「いや〜、食った食った♪ 味はまあまあだし、量もそこそこだし、
それで賞金まで貰えるんだから、言う事ねぇよなぁ♪」

 と、賞金の入った茶封筒を片手に店を出た誠は、
口に爪楊枝を咥えたまま満足気に腹をポンポンと叩く。

「そ、そこそこって……」

「どういう胃袋してんだ、お前は……」

 そんな誠を見て、呆れ果てる俺と理緒ちゃん。

 ったく、底無し胃袋だってのは知ってたけど、
まさかここまで非常識だとは思わなかったぜ。

 誠が例の超大盛りラーメンを完食できるってことは確信してたから、
それについては、俺は別に驚いていない。

 だけど、誠の奴、同時にラーメン以外にも、
ギョーザとキムチと麻婆豆腐とチャーハンまでペロリと平らげやがった。
 しかも、その全てを制限時間内に、だ。

 誠いわく……、

『同じものばっかり食べてたら途中で飽きちまって、全部は食べられないだろが』

 ……だそうだ。

 どうやら、誠なりの大食い攻略法らしいけど、
それ以前に、誠の場合は根本的な何かが普通と違うと思うぞ、俺は。

「んじゃ、そういうことで……理緒さん、これ」

 側にあったゴミ箱に向かって、ベッと爪楊枝を吐き捨て、
誠は賞金の入った封筒を理緒ちゃんに渡す。

「うん、ありがとう、藤井君。
ごめんね……ホントは、この賞金、藤井君のものになる筈だったのに」

 誠から封筒を受け取った理緒ちゃんは、そう言ってペコリと頭を下げる。

 確かに、理緒ちゃんの言う通りだ。

 この手の企画は、一度挑戦に成功すると、再び挑戦する権利は失われる。
 だから、この賞金を理緒ちゃんに渡してしまえば、誠はもう賞金を手にする事はできない。

 つまり、今回の件では、誠一人が損をしていることになる。
 しかも、ラーメンとは別に注文したギョーザなどの代金もあるから尚更だ。

 でも、誠は……、

「いいっていいって。俺は賞金なんかどうでもいいんだよ。
ただ、メシが食えればそれでいいんだからさ」

 ……こういう奴なんだよな。
 まったく、お人好しな奴だぜ。

「じゃあ、ありがたく受けとっておくね。
このお礼は、いつかちゃんとするから」

「お礼なんて別にいいんだけどな」

「まあ、そう言うなよ、誠。
それで理緒ちゃんの気が晴れるんだからよ」

 と、俺は横から二人の会話に割って入る。
 このままだといつまで経っても話が進みそうにないからな。

「……それもそうだな。
じゃあ、何か困った事があったら相談させてもらうよ」

「うん。そうしてくれると嬉しいな。ありがとう、藤井君」

 そう言って、理緒ちゃんはもう一度誠に頭を下げる。
 そして、賞金が入った封筒をホケットにしまった。

「それにしても、お前の胃袋は一体どうなってるんだ?」

 と、ラーメン屋を出て、駅前を歩きながら、
俺はさっきの誠の食べっぷりを思い出す。

「そうだよねぇ。店のおじさん、言葉を失ってたよ」

 俺の言葉に同意する理緒ちゃん。
 そんな俺達の意見に、誠は眉をしかめる。

「まあ、確かに、普通よりちょっと多いかもしんないけど……そんなに驚くことはねぇだろ?
俺並に食う奴なんて、世の中には結構いるぞ」

 お前並の奴がそこらにゴロゴロしててたまるかっ!
 俺が知ってるだけでも、お前に対抗できそうなのは、
隆山の楓ちゃんくらいだぞっ!

 ……って、ちょっと待てよ。
 そういえば、さっき店の親父が妙なこと言ってたな。

「そういえば、店のおじさんが言ってたけど、
あのラーメンを完食したの、藤井君で二人目だって」

 と、俺が考えていたことと同じ事を理緒ちゃんが口にする。

「……なに?」

 それを聞いた瞬間、誠の足がピタリと止まる。
 そして、何故か、むちゃんくちゃマジな目で俺達の方を向く。

「……俺以外にも、あれをクリアした奴がいるのか?」

「あ、ああ……そうらしい。俺達と同じくらいの女の子だったってよ。
見た目はの雰囲気はお嬢様なのに大食いだったから、かなりビビッたって言ってたぞ」

 その目つきの異様な迫力にちょっと圧されつつ、俺は頷く。
 すると……、

「見た目がお嬢様で……大食い……?」

 と、何やらブツブツと呟き始めた。
 そして……、

「ふっふっふっふっ……そうか、あの人はあそこにも現れたのか……」

 ……誠は不気味に笑い始める。
 その様子は、かなり怖い。

 どうやら、誠の様子からすると、その人物に心当たりがあるみたいだな。
 大食いは大食いを知るってやつか?

「ふっふっふっふっふっふっ……」

 そして、誠はクルリと踵を返すと、
ゆっくりと、ゆっくりと、来た道を戻り始める。

「お、おいっ! 誠っ! どこ行くんだっ!?」

「……第二ラウンドだ」

 と、呼び止めた俺に一言だけそう言うと、
誠は後ろ手に手を振りながら、さっきのラーメン屋へとスタスタと歩いていく。

「…………」

「…………」

 まるで、決闘の場へ向かい荒野の彼方に消えていくガンマンのような誠の後ろ姿を、
俺と理緒ちゃんは、その場に立ち尽くし、ただただ呆然と見送る。

 ……何故だ?

 何故、こんなシュチュエーションで、
あいつの背中が、あんなにもカッコ良く見えるんだ?

「……第二ラウンドって、まさか、今からもう一度あのラーメン食べるつもりなのかな?」

「そのつもりみたいだな」

「い、いくらなんでも無謀なんじゃ……」

「いや……でも、あいつなら、可能かもしれないな」

「……そうだね」

 と、引きつった笑みを浮かべつつ、
俺と理緒ちゃんは、誠の背中を見詰め続ける。
















 ――そして、一言だけポツリと呟いた。
















「「……バケモノ」」








<おわり>
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