Heart to Heart 外伝
        痕 編

   「楓ちゃん観察日記 パートT」







 この話は、俺達が夏休みの自由研究の為に隆山へ行き、
柏木家のお世話になっていた時の話だ。








 図書館での調べ物を終え、柏木邸に帰った俺は、
耕一さんと千鶴さんが何やら騒いでいるのを耳にした。

「楓、早く降りてきなさい!」

「なあ、楓ちゃん? 一体、何があったんだ?」

 家の奥の方から聞こえてきたその声に、
俺は首を傾げつつ、慌てて居間へ駆け込む。

「ただいま〜……耕一さん、何があったんだ?」

 挨拶もそこそこに、俺が訊ねると、
上を見上げていた耕一さんは、何やら疲れた表情で俺の方へ視線を向けた。

「あ、ああ、誠か……おかえり」

「ただいま……で、何があったんです?」

「いや……別に大した事じゃないんだ」

 再び同じ質問をする俺にそう答えると、耕一さんは再び視線を上に向ける。

「ほら! 誠君も帰って来たわよ!
いつまでもそんなはしたない真似をしていないで、早く降りてきなさい!」

 よく見れば、千鶴さんも耕一さんと同様に上を見上げていた。

 正確には天井……かな?
 そこに向かって、何やら叫んでいる。

 ……何があるって言うんだ?

 と、耕一さん達につられるように、俺も天井を見上げる。

 そこには……、
















 
天井にベッタリと貼り付いた
楓さんの姿があった。

















「…………」

 あまりと言えばあまりな光景に、俺は一瞬、何も見なかった事にして、
ダッシュでその場を立ち去りたい衝動にかられる。

 その衝動をなんとか堪え、
俺はその謎の生命体……楓さんに接触を試みた。

「あー、もしもし?」

「……?」

 俺の呼び掛けに、楓さんは反応した。

 うつ伏せの状態で天井に貼り付いたまま、首を捻って、俺を見下ろす。

 よし……第一次接触は成功だ。
 人類の歴史に新たな1ページが加わった記念すべき瞬間だな。

 ……って、何気に俺も失礼なこと言ってるよな。

 でも、こんな事を考えちまうのも無理ないと思うぞ。

 どんな原理で天井なんぞに貼り付いているのか知らないけど、
あんな事ができるのは
人間外な証拠だ。

 まあ、実際に『鬼』だし……、

 というわけで、第二次接触へと移ろう。

「楓さん……あんた、何やってるんだ?」

「……天井に貼り付いてます」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 楓さんの答えを聞き、眉間のシワを揉み解す俺。

 ったく、禅問答をやってんじゃねーんだから……、

 と、内心呟きつつ、懐から取り出したメモ帳に鉛筆を走らせる。

 え〜っと、とりあえず意思の疎通は可能。
 でも、知能レベルは幼稚園児並っと。

「耕一さん……これは一体どういう事なんだ?」

 楓さんに訊いても無意味だと悟った俺は、メモ帳をパタンと閉じつつ、
事の経緯の説明を耕一さんに頼む事にした。

「あー、あまり深く考える必要ないぞ……いつものことだから」


「いつものことなのか?!」


 平然と言う耕一さんに、俺は驚愕した。
 それと同時に、心底呆れた。

 ……この家ではこういう事が日常的に起こってるのか?
 何ともスリリングな環境だな。

「あの子、何かイヤな事とか、ショックな事があると、
いつもああやって天井に貼り付いてしまうんですよ。
ようするに、ただ子供みたいに拗ねてるだけなんですよ」

 と、そう言って、千鶴さんは溜息をつく。
 そして、俺の方を見て、困ったように苦笑する。

「まったく、柏木家の娘として、恥ずかしい限りです」

 ――恥ずかしいとか、そういう問題か?

 というツッコミをグッと呑み込みつつ、俺は再び天井の楓さんに視線を戻した。

「なあ、楓さん……何があったんだ?
俺に出来る事があるなら協力するからさ。
何をそんなに拗ねているのか話してくれよ」

 俺は出来る限り優しい口調で楓さんに語り掛けた。

 こういう場合、不用意に歩み寄るのは危険だ。
 ヘタに刺激すると、相手を余計に警戒させてしまう。

 だから、まずはやんわりと声を掛けつつ、
徐々に相手のテリトリーに入っていくのだ。

「……無いの」

「…………は?」

 俺の言葉に、楓さんは反応を見せた。
 聞こえるか聞こえないかの微妙な小声で、ポツリと呟く。





「昨日、買って来て、冷蔵庫の中に入れておいたプリンが……無いの」





「…………」

「…………」

「…………」





「……1パックに五個も入ってたのに、全部無かったの」





「…………」

「…………」

「…………」





「……私のプリン、誰が食べたの?」





 悲しそうな、それでいて批難するような目で、楓さんは俺達を見下ろす。

 そんな楓さんの視線の中、俺達は顔を見合わせ、
大きく、それはもう大きく溜息をついた。

「楓……あなた、たかだかそれだけの事で……」(怒)

 あ……、
 千鶴さんのこめかみに血管が……、

 それを見た俺と耕一さんの背筋に戦慄が走る。

 ――まずいな。
 惨劇が起こる前にフォローしないと……、

「ま、まあまあ、千鶴さん……、
食い物の恨みは恐ろしいって言いますし……」

「誠……お前が言うと無茶苦茶説得力あるな」

「うんうん。俺、楓さんの気持ち、よく分かるな〜。
俺も楽しみに取っておいたデザートを横取りされたら、
絶対に怒り狂ってマシンガン乱射して……」

 と、そこまで言ったところで、俺はある事に思い至った。





 ……冷蔵庫?
 ……プリン?

 それって……もしかして……、





「……どうした、誠?」

 突然、黙り込んでしまった俺に、耕一さんか声を掛けてくる。
 その耕一さんに、俺は引きつった笑みを返した。

「は、ははは……ゴメン。
そのプリン食ったの……俺だ」

 ……すっかり忘れていた。

 図書館に行く前に、ちょっと小腹が空いたんだよな。
 で、何かないかと冷蔵庫を漁って、出てきたのが件の五つのプリン。

 それを見つけた俺は嬉々として、全部平らげて……、

 う〜む……、
 まさか、あれが楓さんのプリンだったとはな。
 悪い事をしてしまった。

 と、俺が内心で反省していると……、


 
ヒュオオオオオオーーーーー……


 一陣の冷たい風が、居間を吹き抜けた。

「……誠君」

「は、はいっ!!」

 突然、背後から冷淡な声で呼ばれ、俺は全身を強張らせた。
 恐る恐る後ろを振り向く。

 そして……、
















「誠君……あなたを、殺します」
















 俺は……鬼を見た。

 いつの間に天井から降り立ったのか、
俺のすぐ後ろには鬼と化した楓さんがいた。

 俺を睨みつける、冷たく鋭い眼差し――

 その迫力といったらもう……、
 絶対に猛獣も泣いて逃げ出すであろう程の恐ろしさだった。

 後に、耕一さんは、この時の事をこう語っている。


『あの時の楓ちゃんの迫力は千鶴さんに匹敵していたな。
さすがは姉妹、と言ったところか』



 ……と。

「誠君……覚悟はいい?」


 
シャキーンッ!!


 楓さんの右腕が鬼化し、五本の爪が鋭く伸びる。

 ――まずいっ!!
 マジで殺られるっ!!

「誠っ!! ここは俺と千鶴さんで持ち堪えるっ!!」

「あなたはその隙に逃げなさいっ!
そして、代わりのプリンを買って来てくださいっ!!
楓の怒りを静めるにはそれしかありませんっ!!」

 鬼の力を解放した耕一さんと千鶴さんが、
俺を守る様に楓さんの前に立ち塞がった。

 そして、素早く楓さんへ向けて牽制の構えを取る。

「さあ、誠っ!! サッサと行けっ!!」

「わ、わかったっ!!」

 耕一さんに促され、俺は居間に背を向けると、全力で玄関へと走る。

 その次の瞬間……、





 
ドカァァァーーーンッ!!


 
バキバキッ!!


「ぎゃあああーーーっ!!」





 ……耳に飛び込んでくる悲鳴と破壊音。

 それらを背に受けながら、俺に出来た事は、
最寄のコンビニに一刻も早く辿り着く事だけだった。
















 で、結局――

 合計三十個のプリンで、楓さんは落ち着きを取り戻し……、

 事の元凶である俺は、罰として、
柏木家に滞在する間、便所掃除をさせられる事になったのであった。
















 教訓――


 
――『食い物の恨みは恐ろしい』


 ……いや、マジで。(泣)








<おわり>
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