Heart to Heart 外伝
痕 編
番外編 その4 「柏木 楓」
夜――
お夕飯の時間になり、私達は居間に集まりました。
今時の家庭では珍しいことなのかもしれませんけど、
我が柏木家では、食事は皆で一緒に食べるのが常識です。
ましてや、今はお客様である誠君達がいますし、
そして、何よりも耕一さんが帰ってきているわけですから、
こうして全員が集まるのは当然です。
「楓、初音、皿並べといて」
「……はい」
「うん、わかった」
梓姉さんの言葉に頷き、私と初音は飯台にお皿を並べる。
「ねえ、楓お姉ちゃん?」
人数分のお皿を並べながら、今日の晩御飯は何だろう、と考えているところへ、
突然、初音が話し掛けてきました。
私は手を止めて、初音の方を見る。
「……何?」
「あのね……梓お姉ちゃん、何だかすごく機嫌が悪いみたいなんだけど、
楓お姉ちゃん、何か知ってる?」
「……ううん、知らない」
初音の言葉に、私は首を横に振る。
確かに、初音の言う通り、今日の梓姉さん、機嫌が悪いみたいです。
それに、何となく疲れているようにも見えます。
一体、何があったのでしょう?
もしかして、耕一さんと喧嘩でもしたのでしょうか?
もしそうなら好都合です。
その隙に、私が耕一さんのハートをがっちりゲットしちゃいます♪
……って、そうではなくて、
ここはやはり家族として何とか仲直りしてもらわないといけませんね。
と、私がそんな事を考えていると……、
「おい、誠。お前、今日は一日中家にいたんだろ?
何があったか知らないか?」
私達の隣りでスポーツ新聞を読んでいた耕一さんが話に加わってきました。
そして、その耕一さんの隣りでテレビを見ていた誠君に訊ねます。
「今日さ、耕一さん達が買い物行ってる間に、かおりって人が来たんだ。
で、梓さん、部屋に連れ込まれたんだよ」
「「「……なるほど」」」
誠君の言葉に、納得する私達。
そうですか……あの人が来た後では、機嫌が悪くもなりますね。
疲れが見えるのも頷けます。
「それで、梓は無事だったのか?」
「……まさに間一髪だった。
俺が羊羹とお茶を部屋に持って行ったら……」
「いや、みなまで言わなくていい。
とにかく、そのどさくさで何とか帰す事には成功したんだろ?」
「ああ……」
と、耕一さんと誠君がよく分からない話を交わしていると、
台所から梓姉さんとさくらちゃんとあかねちゃんが戻ってきました。
梓姉さん達の手には、大きなお鍋とご飯が入ったお櫃。
そのお鍋からは、あの独特のスパイスの香りが漂ってきます。
この香り……もしかして、今夜は……、
「今日の晩メシはカレーだよ」
「――っ!!」
「――っ!!!」
そう言って、梓姉さんがお鍋を飯台の上に置いた瞬間、
私と誠君の間に戦慄がはしりました。
私達はババッと後ろに跳び、お互いに距離を置いて対峙する。
「楓さん、ついに、決着をつける時が来たな」
「……そうですね」
ググッとスプーンを握り締めて睨み合う私と誠君。
そんな私達を見て、他の皆は唖然としています。
「しかし、まさかこうして直接対決をする事になるとは思ってもみなかったぜ」
「…………」
誠君の言葉に、私は無言で頷く。
その通りですね。
まったく、偶然というものは、時に怖いものです。
実は、私と誠君は、直接の面識は無かったものの、
お互いの存在は出会う以前から知っていました。
その理由は、とある有名カレー専門店にあります。
その店は全国にチェーンを連ねていて、
当然、ここ隆山にも進出していました。
それで、その店では大食いに成功したお客の写真を張り出すという企画を催しており、
私もそれに参加していたんです。
私は一ヶ月に一度の割合でその店へと出向き、記録を更新していました。
成績は、この地域では常にトップ。
私は二位以下を大きく引き離し、独走していました
私だって女の子ですから、大食いで写真が張り出されるのは
恥ずかしかったんですけど、それ以上にちょっと誇らしくも思っていました。
……そんな時でした。
その店に、全国の大食い達成者の記録が公開されるようになったのは。
私は、それを見て愕然としました。
何故なら、私よりも高い記録を出していた人が三人もいたのですから。
その三人の名前は……、
『スフィー=リム=アトワリア=クリエール』――
『川名 みさき』――
そして、『藤井 誠』――
その日から、私達四人の対決が始まりました。
最初は1500グラムだったのが、次は2000グラム……、
そして、2300グラム……、
2500……
2700……
3000……
3500……
3700……
4000……
・
・
・
私達四人で、記録は次々と塗り替えられていきました。
今ではもう、川名 みさきさんという方の
4300グラムという記録にまで達しています。
もはや、この企画は、
私達四人の為だけにあるようなものになってしまっているのです。
とにもかくにも……、
今、私の目の前には、好敵手の一人である誠君がいるのです。
そして、今日の夕飯の献立は……カレーライス。
こうなってしまっては……もはや対決は避けられませんっ!
「楓さん、食欲魔人の名にかけて……俺は勝つっ!!」
「……望むところです」
ビシッと指を付きつけてきた誠君の眼光を、
私は正面から受け止めた。
バチバチバチバチッ!!
私と誠君の視線がぶつかり合い、スパークする。
ああ……今から、この場は戦場と化すのですね。
この緊張感……、
この高揚感……、
私の体に流れる鬼の血が、熱くなっていくのが分かる。
――私、これから始まる闘いに胸を躍られている?
こんな感覚は初めてです。
何だか、ワクワクしてきました。
見れば、誠君も何やら不敵な、そして楽しそうな笑みを浮かべています。
どうやら、誠君も私と同じ思いのようですね。
「…………」
「…………」
私と誠君は、お互い睨み合ったまま、それぞれの席に腰を下ろしました。
「……初音、サポートお願い」
「う、うん……」
雰囲気に呑まれた初音は、私の言葉に反射的に頷き、
ご飯とカレーの盛り付け役をする為、隣りに座る。
「さくら、頼む」
「はい……」
どうやら、誠君のサポートはさくらちゃんが担当するようですね。
「はい、楓お姉ちゃん」
「まーくん、どうぞ」
二人の手によって一杯目のカレーが盛られ、私達の前に置かれる。
「…………」
「…………」
スプーンを握り締め、対峙する私と誠君。
……後は、合図を待つのみ。
と、異様な緊張感に包まれた中、あかねちゃんがスックと立ち上がり、
私達の間に立ちました。
「……制限時間は20分。
その間に、より多くのカレーを食べた方が勝ちだよ」
あかねちゃんのその言葉に、あたしは内心ほくそ笑みました。
短時間制限勝負となれば、大食いよりも早食いの色が濃くなる。
となれば、私が有利ですね。
私、どちらかというと早食いの方が得意ですから。
「じゃあ……いくよ」
あかねちゃんが、おもむろに片手を上げました。
それを合図に、私達はスプーンを構える。
「それでは、ガン○ム……じゃなくて、
大食い早食いファイトッ!
レディー……GOッ!!」
「――っ!!」
「――っ!!」
号令と共に、あかねちゃんの腕が振り下ろされました。
それと同時に……、
がつがつがつがつっ!!
猛然と、カレーを掻き込み始める誠君。
それとは対照的に……、
パクパクパクパクッ!!
私は静かにスプーンを口に運ぶ。
しかし、その手の動きは、おそらく常人には目で捕らえる事もできない筈です。
そのスピードは、まさに超神速。
グルメ・デ・フォ○グラにだって負けません。
それにしても……、
がつがつがつがつっ!!
誠君……予想以上に早いです。
私と違って、手の動きはそんなに早くはないのですが、
そこはやっぱり男の子、ひと口が大きいので、食べる速度は私とあまり差はありません。
さすがは、私のライバルの一人です。
こうでなくては面白くありません。
がつがつがつがつっ!!
パクパクパクパクッ!!
ほぼ互角のスピードでカレーを平らげていく私と誠君。
私の予想としては、この勝負は僅差で決着がつくと思っていました。
しかし……、
「ぅぐっ!?」
お互い一杯目の半分を瞬く間に食べ終えたところで、
アクシデントが起こりました。
突然、誠君が大きく呻き声を上げたかと思うと、
それまで休む事無く順調に動いていた手がピタリと止まったのです。
そして、見る見るうちに、誠君の顔色が真っ赤になっていく。
と、その次の瞬間……、
「あんぎゃぁぁぁーーーっ!!」
ゴォォォォーーーーーッ!!
いきなり、誠君の口から火が吹き出ました。
いえ、比喩表現ではなくて……本当に、です。
本当に、誠君が火を吹いたのです。
まるで怪獣のように……、
「かぁぁぁぁーーーーっ
らぁぁぁぁぁーーーーーっ
いぃぃぃぃーーーーーーっ
ぞぉぉぉぉーーーーっ!!」
某味皇様の如く絶叫を上げつつ、誠君は激しい炎を吐き続ける。
……敵全体に100ダメージくらいは与えられそうですね。
となれば……、
「……エリアさん、フバー○の魔法は使えませんか?」
「そんな冗談言ってる場合じゃないよぉーーーーーっ!」
「このままじゃ、まーくんが大変なことになってしまいますっ!」
「お水っ!! 早くお水をっ!!」
と、場を落ち着かせようとした私の軽いジョークも通用せず、
さくらちゃんとあかねちゃんとエリアさんは、慌てて台所へと走っていきました。
「うおおおおおーーーっ!!」
ゴォォォォォーーーッ!!
相変わらず、勢い良く火を吹き続ける誠君。
でも、何かに燃え移って、炎が広がることは決して無い、というのが不思議です。
さすがはギャグキャラ。
そんなコミカルな姿が良く似合います。
「と、どうしようどうしよう?!」
そんな誠君の状態に、初音だけがどうして良いか分からずオロオロしていましたが、
私を含めたそれ以外のメンバーは、皆、妙に落ち着いて、その光景を眺めていました。
「……一体、何があったんでしょう?」
「怪しいのは、このカレーだな」
耕一さんは、そう言って目の前のカレーを見つめ……、
「「っ!!」」
そして、次の瞬間、あることに思い至った私と耕一さんは、
同時に千鶴姉さんに目を向けました。
「こ、今回はわたしじゃないですよっ!
わたし、今日は一度だって台所には足を踏み入れていませんもの」
私達の視線の意味を悟ったのでしょう。
千鶴姉さんは、パタパタと手を振って慌てて否定する。
……確かに、言われてみればそうです。
千鶴姉さんは、仕事から帰ってきてからはずっと居間にいました。
それは、私も耕一さんも、ちゃんと確認しています。
本人の言う通り、千鶴姉さんは台所には入っていません。
それに、もし仮に千鶴姉さんの仕業だったとしたら、
この程度で済むわけがありませんからね。
「……楓……今、何を考えていたの?」
キラーンッ☆
「……な、何でもない」
千鶴姉さんの鋭い眼光に、私はちょっとたじろぐ。
……さすがは千鶴姉さん。
こういう時だけは妙に勘が鋭いです。
「しかし、犯人が千鶴さんじゃないとすると、一体、何が原因なんだ?」
未だに怪獣モードの誠君を眺めつつ、耕一さんは頭を捻る。
と、その時……、
「……実は、犯人あたし」
おもむろに梓姉さんが手を上げた。
「あ、梓お姉ちゃんなの?!」
信じられないといった顔で驚愕する初音。
それは私達も同様です。
まさか、梓姉さんがこんな行動に出るなんて……、
「梓……あなた、どうしてこんなことを?」
千鶴姉さんが、咎める口調で梓姉さんに訊ねる。
すると、梓姉さんは憮然とした顔で……、
「だってさ、誠の奴、羊羹なんかにつられて、あたしを見捨てたんだ。
これはその仕返しだよ……はっ、この程度じゃ生ぬるいくらいだね」
……と、鼻で笑いました。
どうやら、かおりさんの件のこと、かなり根に持ってたみたいですね。
よっぽど危険な状態だったのでしょう。
「梓……お前、誠のカレーに一体何入れたんだ?
あんな状態になるなんて尋常じゃないぞ」
「えーっと……タバスコ2瓶くらいかな?」
「……お前、ヘタしたら死ぬぞ、それは」
「大丈夫だよ」
「根拠は?」
「誠だから」
「……なるほど」
自信満々に言う梓姉さんの説明に、
何故か妙に納得してしまう私達。
……どうやら、この勝負は次の機会に持ち越しということになりそうですね。
と、内心、呟きつつ、私はカレーを食べ続ける。
そんな中、誠君は一人で……、
「こんな辛いカレーは
人類の敵だぁぁぁーーっ!!」
……と、元気良く火を吐き続けるのでした。
誠君……それ、キャラ違います。
<おわり>
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