Ｈｅａｒｔ ｔｏ Ｈｅａｒｔ 外伝
痕 編
番外編 その２ 「柏木 初音」
「ねえねえ、初音ちゃんって、耕一さんのこと好きなの？」
「えっ？！」
――夜
わたしのお部屋に来客用のお布団を敷いて、
その上に横になったあかねちゃんが、いきなりそう訊ねてきた。
「えっ？ えっ？ えっ？」
あんまりストレートだったものだから、
一瞬、あかねちゃんに何を言われたのか理解できず、わたしはうろたえてしまう。
そんなわたしに、あかねちゃんはもう一度言う。
「初音ちゃんは、耕一さんのこと、好きなの？」
「そ、それは……」
恥ずかしくて、わたしは口篭ってしまう。
もちろん大好きだけど、さすがにハッキリとは言えないよ。
いくら相手があかねちゃんでも、ね。
「……キライなの？」
「そんなことないよっ！」
あ……思わず力一杯否定しちゃった。
これじゃあ、もう「うん」って言ってるようなものだよぉ。
「ふみゅう〜……じゃあ、好き？」
そう言って、にっこにっこと笑うあかねちゃん。
ううっ……これって、耕一お兄ちゃんに訊かれた時と同じパターンだよ。
俯きながら、上目遣いでチラリと視線を向けると、
あかねちゃんは瞳をキラキラさせて、期待の眼差しでわたしを見つめていた。
はあ……もう誤魔化せないね。
素直に言うしかないんだね。
すっごく恥ずかしいのにぃ〜……、
「…………う、うん」
「『うん』じゃ、分からないよ〜♪」
うう〜……あかねちゃん、意地悪だよ。
分かってるクセに〜。
こうなったら、わたしだって反撃しちゃうんだからっ！
「そう言うあかねちゃんはどうなの？ 誠君のこと、好きなの？」
「うん♪ 大好き♪」
……即答なんだね。
羨ましいな……そうやってハッキリ言えるのって。
……って、良く考えたら、あかねちゃんは、もう誠君の恋人なんだから、
素直に言えるのは当たり前だったんだ。
それにしても、誠君って凄いよね。
さくらちゃんとあかねちゃん、二人も恋人がいるんだから。
ううん、二人だけじゃない。
『エリア』って人もいるらしいから、誠君の恋人は三人だね。
……でも、何でだろう？
普通、そういうのって良くないことなのに、
あかねちゃん達を見ていると、何故か納得できちゃうの。
すごく自然で……、
まるで、一緒にいることが当たり前みたいで……、
世の中の常識が、凄くちっぽけなものに思えてくる。
そんなもので、あかねちゃん達を引き離すことなんてできないって分かる。
そんなあかねちゃん達を見ているだけで、わたし達まであったかい気持ちになれるの。
……ホントに、あかねちゃん達は凄いよ。
ただ、一つだけ気になることがあるんだよね。
『エリア』って名前……すっごく聞き覚えあるの。
ガディム事件の時に会った、異世界の魔法使い。
あの人の名前も『エリア』だった。
……まさかね。
同一人物ってこと、無いよね？
「初音ちゃん、どうしたの？」
「あ、ううん。何でも無いよ」
いけないいけない。ボーッとしちゃったよ……って、瑠璃子さんの真似してる場合じゃないよーっ！
わたし、今、絶体絶命のピンチだったんだ。
「ほらほら♪ あたしはちゃんと言ったんだから、今度は初音ちゃんの番だよ」
と、あかねちゃんは体を起こして、我に返ったわたしに詰め寄ってくる。
その表情は、凄く楽しそう。
うう〜……もう、観念するしかないんだね。
「う、うん……わたし……好き。耕一お兄ちゃんが、大好き」
……言っちゃった。
ついに、言っちゃった。
ずっと、ずっと秘めていた気持ち。
今までにも、態度に出ちゃっていたかもしれないけど、
でも、言葉に出して、誰かに言ったことはなかった、わたしの想い。
それを、今、あかねちゃんに話しちゃった。
すごく、恥ずかしい。
顔から火が出ちゃいそうなくらい。
でも、何でだろう？
何だかスッキリした感じがする。
何て言うか……胸に痞えていたものが、スッと取れたみたい。
そんなわたしを見て、ウンウンと満足気に頷くあかねちゃん。
「初音ちゃん。好きって気持ちは我慢してため込んじゃダメだよ。
そんなことしたら、胸が苦しくなっちゃって、好きで好きでたまらなくなっちゃって、
好きな人の顔、まともに見れなくなっちゃうよ。そんなのイヤでしょ？
だから、どんな形でもいいから、発散しなきゃダメだよ」
と、そう言って、あかねちゃんはにっこりと微笑むと、
再びお布団の上にゴロンと横になる。
そっか……あかねちゃん、それをわたしに教える為に……、
「うん、そうだね。ありがとう、あかねちゃん」
「えへへ〜♪」
わたしがお礼を言うと、あかねちゃんは照れ笑いを浮かべる。
そして、それを隠すように枕に顔を埋めると……、
「ねえ、初音ちゃんは、耕一さんのこと好きなんだよね？
じゃあ、どうして『耕一お兄ちゃん』って呼んでるの？」
と、顔だけわたしに向けて訊ねてきた。
「そ、それは……もうずっと耕一お兄ちゃんって呼んでるから……」
「うにゅ……でも、それじゃあ、いつまで経っても、
初音ちゃんは耕一さんにとっては『妹』でしかないよ。
それ以上の関係にはなれないかもしれないよ」
「……え？ それって、どういうこと？」
わたしがそう訊ね返すと、あかねちゃんは何も言わずに、
コロンと寝返りを打って仰向けになった。
「……電気、消していい？」
「…………うん」
わたしが頷くと、あかねちゃんは明りを消す。
「…………」
「…………」
月明かりで薄暗い部屋の中、
しばらく、わたし達は無言で天井を見つめる。
空気が、何となく重い感じがする。
きっと、深刻なお話なんだ。
と、わたしは緊張の面持ちで、あかねちゃんの言葉を待つ。
「あのね……」
そして、ようやく、あかねちゃんが口を開いた。
「あたしね……小さい頃、まーくんの事、お兄ちゃんって呼んでたの」
「……そうなんだ？」
「うん……でね、ある時、まーくんに言われたの。『俺をお兄ちゃんって呼ぶな』って。
その時、あたし、まーくんに嫌われちゃったのかと思ったの。
だって、あたしはまーくんの事が大好きだったから、お兄ちゃんって呼んでたんだもん。
でもね、まーくんはあたしのこと嫌ってなんかいなかったの」
「……じゃあ、どうして、誠君はそんなこと言ったの？」
「あのね、まーくんは、あたしのこと妹って思いたくなかったんだって。
あたしに、お兄ちゃんって思われたくなかったんだって。
お互いをね、一人の男の子、一人の女の子として思いたかったから、
あたしにお兄ちゃんって呼んでほしくなかったんだって」
「そっか。誠君は、あかねちゃんが好きだから、
お兄ちゃんって呼ばれたくなかったんだ」
「うん。そうなの♪」
わたしの言葉に、あかねちゃんは嬉しそうに頷く。
そんなあかねちゃんを可愛いなって思いつつ、わたしは話の続きを促した。
「それで？」
「……………………うにゅ？」
たっぷり間を置いて、あかねちゃんは首を傾げる。
「……それだけ？」
「うん」
あっけからんと頷くあかねちゃん。
それを見て、わたしは思わず大きくタメ息をついていた。
「もうっ！ 雰囲気からすっごく真剣なお話かと思って身構えてたのに、
それってただの惚気話だよぉ！」
「うみゅ？ そうかなぁ？」
「そうだよ！」
もう、あかねちゃんってば……、
緊張して損しちゃったよ。
「……でもね、初音ちゃん。耕一さんは、どう思ってるのかな？」
「……え？」
「耕一さんは、初音ちゃんに『お兄ちゃん』って呼ばれて、どんな気持ちなのかな？」
「…………」
考えたことも無かった。
そんなこと、考えたことも無かった。
だって、今まで、それが当たり前だったから。
……どうなんだろう？
耕一お兄ちゃんは、どんな気持ちなんだろう？
わたしにお兄ちゃんって呼ばれていることを、どう思ってるんだろう？
「ねえ、初音ちゃん……今度、チャンスがあったら、『耕一さん』って呼んでみたら？
「……え？」
「あたしが言いたいのそれだけだよ。じゃあ、おやすみなさい、初音ちゃん」
「あ……う、うん……おやすみなさい」
そして、次の日の朝――
「初音ー！ 耕一起こして来てー！」
テーブルにお箸を並べるわたしに、
台所で朝ご飯を作っている梓お姉ちゃんの声が飛んできた。
「あかねちゃーん！ まーくんもお願いしまーす！」
と、同時に、梓お姉ちゃんを手伝っていたさくらちゃんの声も飛んでくる。
「はーい」
「うみゅ、りょうかーい！」
台所に向かって返事をして、
わたしとあかねちゃんは、一緒に耕一お兄ちゃんのお部屋に向かう。
誠君達が家に泊まることになって、部屋をどうしようってみんなで話し合った結果……、
誠君は耕一お兄ちゃんのお部屋……、
さくらちゃんは楓姉ちゃんのお部屋……、
あかねちゃんはわたしのお部屋……、
……で、寝る事になったの。
だから、耕一お兄ちゃんも誠君も同じお部屋なの。
「お兄ちゃーん、朝ご飯だよー」
「まーくん、おっはよー♪」
障子を開けて、お部屋に入るわたし達。
「ぐーぐー……」
「すーすー……」
……やっぱり、まだ寝てる。
それも、凄く気持ち良さそうに。
耕一お兄ちゃんの寝顔……可愛い♪
……って、見惚れてる場合じゃないよね。
早く起こさないと。
「まーくん！ まーくん！ 朝だよーっ！」
誠君の体を乱暴に揺するあかねちゃん。
でも、誠君は一向に目覚める気配は無し。
きっと、昨夜は遅くまで起きてたんだね。
「うみゅ〜、しょうがないなー」
憮然とした顔で、でも、何処か楽しそうに、
あかねちゃんは口を尖らせる。
「こうなったら、最後の手段だよ！」
そう言って、悪戯っぽく微笑むと、あかねちゃんはゆっくりと誠君に顔を近付けていく。
えっ！？ えっ！？ えっ！？
も、もしかして、おはようのキス？！
あ、あかねちゃん、そういうことはお部屋でした方が……って、ここお部屋だっけ。
ああっ！ そうじゃなくて、わたしの目の前でそんなこと……、
と、狼狽するわたしに構わず、あかねちゃんの顔はどんどん近付いていく。
も、もうダメッ！
恥ずかしくて、見ていられないよぉ！
慌てて両手で目を覆うわたし。
でも、指の間からしっかり見ちゃったりして……、
「まーくん……」
もう二人の顔は息がかかりそうなくらいに接近している。
でも、あかねちゃんの唇が寄せられたのは、
誠君の頬でもおでこでも唇でもなくて…………耳？
「まーくん、早く起きないと、朝ご飯なくなっちゃうよ♪」
――むくっ
「う〜……朝メシ……食べる」
あかねちゃんの言葉にビクッと反応して、寝惚け顔のまま体を起こす誠君。
あ、あはは……何て言うか、さすが誠君だね。
「ほらほら、お顔洗いに行くよ！」
誠君を引っ張り起こすあかねちゃん。
「う〜……腹減った」
「はいはい。お顔洗って、目が覚めてからだよ」
そして、そのまま、まだ寝惚けている誠君の手を引いて、お部屋を出ていく。
と、何を思ったのか、途中であかねちゃんだけ戻ってきた。
そして、わたしに一言耳打つ。
「初音ちゃん……頑張ってね♪」
「えっ？」
「じゃあ、先に行ってるね」
と、そう言い残して、わたしが訊ね返す前に、あかねちゃんは出て行ってしまった。
「え、えーっと……」
耕一お兄ちゃんのお部屋に取り残されたわたし。
そして、目の前には、いまだに眠っている耕一お兄ちゃん。
頑張ってって……つまり、アレのことだよね。
……ど、どうしよう？ 何だか緊張してきちゃった。
え、えっと、とりあえず、耕一お兄ちゃんを起こして……、
「お兄ちゃん、耕一お兄ちゃん……」
わたしは耕一お兄ちゃんの体を揺する。
でも、緊張しているせいか、いつもよりちょっと消極的。
「う、うん……？」
それでも、耕一お兄ちゃんは起きてくれた。
むっくりと体を起こして、大きく欠伸をする。
「ふあ〜〜〜〜……おはよう、初音ちゃん」
そして、眠そうな顔で、にっこり微笑む。
……よしっ！
言うなら、今だよっ！
わたしは意を決した。
両手を胸の前でギュッと握って、耕一お兄ちゃんを見る。
いくよ……せーのっ！
「おはよう……耕一、さん」
「…………え？」
わたしの言葉に、耕一お兄ちゃんはキョトンとしている。
そして、ジーッとわたしを見つめる。
耕一お兄ちゃんに見つめられ、わたしは恥ずかしくて俯いてしまう。
……言っちゃった。
……言っちゃった。
『耕一さん』って言っちゃった。
どうしよう。
どうしょう。
もしかしたら、怒られちゃうかも……、
何だか急に不安になってきて、わたしは両手で胸を押さえる。
「……初音ちゃん」
なでなでなでなで……
「あ……」
不安で不安でたまらなくて、肩を震わせていたわたしの頭を、
耕一お兄ちゃんは優しく撫でてくれた。
「初音ちゃん……そんなに無理することないよ。
いつか、自然に呼べるようになるよ」
「耕一……お兄ちゃん……」
その言葉に、わたしの胸にあった不安は一気に消し飛んでしまった。
そして、その代りに、安心と喜びで満たされていく。
やっぱり、耕一お兄ちゃんは凄いよ。
わたしが考えてたこと、全部分かっちゃうんだもん。
「だから、無理しないで、今まで通り『お兄ちゃん』でいいよ……今はまだ、ね」
「うん……耕一お兄ちゃん」
わたしは頷き、微笑んだ。
まだ、ちょっと恥ずかしかったけど、頑張って微笑んだ。
「よしっ！ もういつもの初音ちゃんだな。
では、とっとと起きて朝メシといきますか？」
わたしのことを気遣ってくれているのだろう。
ちょっとおどけた調子で、お兄ちゃんは立ち上がる。
「うん。じゃあ、お布団はわたしが片付けておくから、
耕一お兄ちゃんは先に言ってお顔洗ってきて」
「いや、いいよ。片付けは俺が……」
「いいから。お兄ちゃんは先に行ってて」
「お、おいおい……」
抵抗するお兄ちゃんの背中を押して、
わたしは強引にお兄ちゃんをお部屋から出す。
それで、ようやく諦めたみたい。
お兄ちゃんは抵抗を止めて苦笑する。
「やれやれ……じゃあ、お願いするよ」
そう言って、耕一お兄ちゃんは洗面所の方へと歩いていく。
それを見送って、耕一お兄ちゃんが廊下の先を曲がったことを確認すると、
わたしはそーっと障子を閉める。
そして……、
「えへへへへへ♪」
ぽふっと、さっきまでお兄ちゃんが寝ていたお布団に横になった。
えへへ♪
耕一お兄ちゃんを起こしにくる時は、これが楽しみなんだよね。
もちろん、お兄ちゃんの寝顔を見るのも楽しみなんだけど。
「お兄ちゃんの匂いがするよ〜♪」
お兄ちゃんの枕を抱きしめて、お布団の上をゴロゴロと転がるわたし。
と、その時……、
「そういえば……」
わたしはふと、さっき耕一お兄ちゃんが言っていたことを思い出した。
お兄ちゃん、さっき『今はまだ』って言ってたような……、
……うん。間違い無い。
確かに、そう言ってたよ。
と、いうことは……、
ねえ、耕一お兄ちゃん……、
それって、誤解してもいいのかな？
＜おわり＞
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