Heart to Heart 外伝
        痕 編

    「千鶴さんの野望 パートT」







 この話は、夏休みの自由研究の為に、
誠達が隆山の柏木家に来ていた時の話だ。








「ごめんくださ〜い」

「……ん〜?」

 ある日の午後――

 自分の部屋で昼寝をしていた俺は、
玄関の方から聞こえてきた声で目を覚ました。

「ふぁ〜あ……」

 大きく伸びをし、眠い目を擦りながら、俺は体を起こす。

「ごめんくださ〜い」

 また、玄関から声が聞こえてきた。

 ――客か?
 それにしては、何処かで聞いたことがあるような……?

 と、そんな事を考えつつ、
俺はゆっくりと立ち上がると、玄関と向かった。

「ごめんくださ〜いっ! 柏木さ〜んっ! ご在宅でしょうか〜?」

 一向に家の者が出てこないので痺れを切らしたか、
玄関からの声が少し大きくなる。

「はいはい。今、行きますよって」

 気持ち良く眠っていたところを強引に起こされた俺は、
ちょっと、いや、かなり不機嫌な口調で呟く。

 しかし、俺以外に誰もいないのか?
 確か、俺が昼寝に入る前は、居間に誠がいたはずだが……、

 もしかして、誠も出掛けたのか?
 いや、例の課題の編集作業をしてたから、それはないだろう。

 ということは、誠の奴は今もこの家にいるわけでだ。

 ったく、だったら、客の対応くらいしてくれても良いだろうに、
誠も気が利かなかい奴だ。

 ……って、そういえば、良く考えたら、誠も一応客だったな。
 もうすっかり馴染んじまって、コロッと忘れてたぜ。

「ごめんくださーいっ! ごめんくださーいっ!」

「おっと……」

 いつまで経っても誰も出てないので、さすがにイライラしてきたようだ。
 玄関から聞こえてくる声に、若干の苛立ちが混ざり始めている。

 それに気付き、我に返った俺は、慌てて玄関へと走る。

「はいはい。すみません、遅くなりまして」

 玄関に着くなり、俺は取り敢えず客に頭を下げた。

 そして、一言謝罪した後、顔を上げ、その時になって、
ようやく相手が運送屋だという事に気付く。

「毎度どうもっ! ペンギン便ですっ!」

 と、お決まりのセリフを言いつつ、制服である帽子を目深に被ったまま、
運送屋の男は俺にペコリと頭を下げた。

「……?」

 その男の態度に、俺はちょっと首を傾げる。

 俺も郵便やら宅配やらのバイトの経験がるから分かることなのだが、
普通、こういう時は帽子を取ってから頭を下げるモンだ。

 だが、この男はそれをしなかった。

 う〜む……職員の教育がなってないな〜。
 もしかして、まだ新人なのか? それともバイトか?

 確かに、良く見ると、まだ歳はかなり若そうだ。
 だいたい、高校生くらいだろうか?

 ってことは、やっぱりバイトか……、

 と、俺がそんなどうでも良い事を考えているうちに、
運送屋の男は表からひと抱え程の大きさの荷物を持って来た。

 そして、俺の目の前に置くと、胸ポケットから紙を一枚取り出す。

「すみません。柏木 耕一さんにお届け物なのですが、ご在宅でしょうか?」

「あ、柏木 耕一は俺だけど」

「そうですか? じゃあ、ここに
名前と印鑑をお願いできますか?」

「……? はいはい、ちょっと待っててください」

 ……名前と印鑑?
 普通、こういうのって印鑑かサインだけで良いはずだよな?

 と、少し疑問に思いつつ、俺は自分の部屋へと急いだ。

 一応、印鑑とか保険証の類は持って来てるんだよ。
 こっちに来ると、いつ病院の世話になるか分かったモンじゃねーかな。

 特に、千鶴さん関係で……な。

 ほら、手料理とか食わされた日には入院だって有り得るし、
最悪、親父のところに行くことになるかもしれないし……、

 まあ、備え有れば憂い無しってやつだ。

「え〜っと、印鑑印鑑……っと、あったあった」

 俺は荷物の中から印鑑を取り出すと、すぐさま玄関に戻る。

「お待たせ」

「いえいえ。じゃあ、お手数ですが、ここにお願いします」

 戻って来た俺に、運送屋の男はさっきの紙とボールペンを差し出た。
 俺はそれを受け取り、まずは名前を記入する。

「かしわ……ぎ……こ〜う〜い〜ち……と」

 名前を記入する欄に丁寧に自分の名前を書き、
続いて、その隣りに印鑑を……って、ちょっと待ったっ!!

 特に深く考えずに印鑑を押そうとした俺は、
ギリギリのところで、ある重大なことに気が付いた。

 今、俺が手にしている物は、受け取りの証明書じゃない。
 この紙は……、








 
――婚姻届だっ!!








「おい……これは一体どういうことだ?」

 と、婚姻届をヒラヒラと振りながら、俺は運送屋の男を睨みつけた。
 すると、男は、何処かホッとした口調で……、

「良かった……気付いてくれたか」

 ……と、呟くと、やれやれと肩を竦めた。
 そして、目深に被って顔を隠していた帽子をパッと脱ぎ捨てる。

 帽子を取り、顔を露にした運送屋の男――

 その正体は……、

「……誠……お前だったのか」

 ――そう。
 その男の正体は、柏木家の客人の一人である藤井 誠だった。

 ……どうりで、何処かで聞いたことのある声だと思ったわけだ。

「誠……お前、何でこんな手の込んだことしてまでこんなモンを……?」

 と、訊ねる俺に、誠は申し訳なさそうに謝罪した。

「ごめん、耕一さん……俺だって、反対したんだよ。
でも、
あの人には絶対に逆らえないんだ」


「…………」(大汗)


 誠のその言葉だけで、俺は全てを理解した。

 ……そうか。
 ……そういうことか。

 全ての原因は
千鶴さんかっ!!

 確かに、こんな事を考えそうな人は、あの人しかしないからな。
 大方、誠を脅迫……説得して、今回の計画を企てたのだろう。

「すまないな、誠。千鶴さんが迷惑を掛けたみたいで……」

「いや……いいです。厄介事には慣れてますから」

「ところで、その制服はどっから持ってきたんだ?」

 と、言いつつ、俺は誠が着ている制服の胸のあたりに付いている名札を指差す。

 そこには、大きな文字で『風見 鈴鹿』と書かれていた。
 この事から、この制服のにはちゃんとした持ち主がいることが分かる。

「……ついて来れば分かるよ」

 訊ねる俺にそう言うと、誠はクルリと踵を返す。
 そして、俺について来るよう促した。

 俺は婚姻届を取り敢えずポケットに突っ込むと、
慌ててサンダルを履き、誠の後を追う。

「何処に行くんだ?」

「……倉庫だ」

「…………」(汗)

 誠の言葉に、俺の顔が引きつった。

 そ、倉庫って……、
 千鶴さん……まさか……、

 『倉庫』という単語から、俺の脳裏に最悪の想像が浮かぶ。

 そして、庭の一角に有る倉庫に到着した俺が見たものは、
まさに、その想像通りのものだった。
















「むーっ! むっーっ! むーっ!」


「うふふふふふ……ごめんなさいね♪
誠君がアレを手に入れて来てくれるまでの辛抱ですから、
もうしばらく、大人しくしていてくださいね♪」

















「…………」(大汗)


 なんかもう、何も見なかった事にして、
即行で東京に帰りたくなってきたが、そうもいくまい。

 取り敢えず、状況を説明しよう。

 誠に連れられて、庭に有る倉庫へとやって来た俺は、
意を決して、勢い良く倉庫の戸を開けた。

 そして、そこで俺が見たものは……、

 縄でグルグル巻きにされ、猿轡を噛まされたボーイッシュな女性と、
その女性に出刃包丁を突き付けながらニコニコと微笑んでいる千鶴さんの姿だった。

「ち、千鶴さん……何をやってるんですか?」

「――っ!? こ、耕一さんっ!?」

 振るえる声で俺が声を掛ける俺。

 そこでようやく、千鶴さんは俺の存在に気付き、
俺の姿を見た瞬間、ピキッと固まった。

「むーっ! むーっ! むむーっ!」

 固まってしまった千鶴さんの隙を突き、
縄で縛られた女性は、助けを求め、イモムシの様に俺達の方に這い寄って来る。

 どうやら、この女性が、運送屋の制服の持ち主である鈴鹿さんのようだ。

「すみません。千鶴さんのせいで怖い目に遭わせてしまって」

 と、謝罪しつつ、逃げて来た鈴鹿さんを縛る縄を、誠が素早く解く。
 そして、自分が来ている制服の上だけを彼女に羽織らせた。

「……千鶴さん?」

「は、はい……」

 鈴鹿さんの解放は誠に任せ、
取り敢えず、俺は千鶴さんに向き直った。

 俺にジト目で睨まれ、千鶴さんは身をいっそう固くする。
 そんな千鶴さんに、俺は冷たい口調で詰め寄った。

「どういう事か、じっくりと説明してくれますか?」

「う、うう……」(汗)

「さあ、千鶴さん……」

「うううう……」(大汗)

「さあさあさあ……」








「ち、ちーちゃん大失敗……てへっ♪」








「てへっ♪ じゃなぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁーーーーいっ!!」

















 その後――

 警察に通報しようとした鈴鹿さんを皆で必死で説得し、
一応、事無きを得たのだが……、

 千鶴さん……、
 あなたのしていた事は、立派な犯罪ですよ。








「耕一さん……気をつけた方がいいですよ。
千鶴さん、手段を選ばなくなってきてますから」

「ああ……分かってる」(泣)








<おわり>
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