Heart to Heart 外伝
        痕 編

  番外編 その1 「柏木 耕一」







「……みんな、元気にしてるかなぁ」

 ジリジリと刺すように照りつける真夏の太陽を見上げながら、
俺はあの騒がしくもあたたかい家族のことを思い出す。

「ははっ、みんな、俺がいきなり帰ったらビックリするだろうな」

 と、みんなの驚く顔を思い浮かべて苦笑しつつ、
俺は飲んでいた缶ジュースをゴミ箱に放ると、駅の改札口へと向かった。

「さて……まずは切符を、っと」

 販売機で切符を買おうと、ポケットに手を突っ込む。
 しかし、そこにあるべき手応えが無かった。

「…………あれ?」

 俺は反対側のポケットも探ってみる。
 だが、やっぱり……無い。

「おいおい……」

 俺は慌ててバッグを地面に降ろし、
着替えやら何やらが入っている中を掻きあさる。

 …………無い。
 財布が……無い。

 最悪の事態に、頭からサーッと血の気が引いていく。

 まさか、家に忘れてきたか?
 いや、確かにズボンのポケットに入れたぞ。
 だいたい、さっき飲んでいた缶ジュースが何よりの証拠だ。

 だとしたら……何処かに落としたか?
 落としたとすれば、缶ジュースを買った自販機から駅の改札口までの間に違いない。

 幸い、距離はそれほど長くない。
 すぐに見つかるはずだ。

 俺は、それこそ目を皿のようにして地面を見据えながら来た道を戻った。
 しかし……、

「…………無い」

 さっき缶ジュースを買った自販機の前で、呆然と佇む俺。

 やはりと言うか、何と言うか……財布は見つからなかった。
 交番に行ってみようとも思ったが、多分、届けられてはいないだろう。
 何と言っても、ここは都会だ。
 持っていかれてるに決まってる。

 どうする?
 財布が……金が無いと、隆山に行けないぞ。
 いや、それどころか、あの財布には、今月の俺の生活費が……、

 と、これからの事を思って途方に暮れていると……、

「あーっ!! いたいたっ! あの人だよっ!」

「おっ! 見つけたか! でかした!」

「すいませーん! そこのひとーっ!」

 こちらに駆けて来る男の子一人に女の子二人。

 高校生くらいだろうか?
 女の子の一人は、妙に背が低いけど。

「はぁはぁ……やっと追いついたぜ」

 俺の前にやって来ると、男の子は膝に両手をつき、乱れた呼吸を整える。
 そして、手に持っていた物を俺に差し出した。

 それを見て、俺は目を見開く。

「そ、それはっ! 俺の財布っ!!」

 紛れも無い。
 それは俺の財布だった。

 この子達は、わざわざそれを届けに来てくれたのか!

「さっき駅の近くで落としたのを見かけたんですよ。
で、渡そうと思ったら、走ってどっか行っちまって……」

「うおおおおーーーーっ!! キミ達は命の恩人だぁぁぁぁーーーーーっ!!」

 男の子の言葉を最後まで聞かず、
俺は彼に感謝の抱擁をしたのだった。
















「へえ〜、じゃあ、三人とも隆山に行くところだったのか。そりゃまた奇遇だなぁ」

 隆山温泉行きの電車の中――

 俺はさっきの三人と同じ座席に座り、雑談なんぞを交わしていた。

 で、お互い名前だけの簡単な自己紹介をした後、聞いてビックリ。
 どうやら、彼らの目的地も隆山らしい。

「そう言う耕一さんも、隆山へ?」

「ああ、親戚の家……まあ、実家みたいなモンなんだけど、
ちょうど大学も休みに入ったし、みんなの顔を見に、ってところかな」

「へえ〜……」

「で、誠君達は?」

「『誠』でいいですよ。男の人に君付けで呼ばれるのって、どうも好きになれないんですよ。
まあ、無理にとは言いませんけど」

 と、誠君は苦笑する。

 うん、なかなか気さくな奴だな……好感が持てる。
 そういえば、例のガディム事件の時にも、こんな奴と知り合ったっけ。

「じゃあ、誠って呼ばせてもらうよ。
で、誠達は隆山には何しに行くんだ? やっぱり、旅行か?」

「まあ、それもあるんですけど、実は夏休みの宿題に『自由研究』ってのがあるんですよ」

「それで、隆山に『鬼の伝承』があるって事を両親から聞きまして……」

「それを調べに行くんだよ」

 誠の言葉をさくらちゃんとあかねちゃんが続ける。

「そ、そうか……『鬼』について、ね」

 誠達の言葉に、俺は自分の顔が引きつるのが分かった。
 それを誤魔化すように、慌てて缶ジュースを煽る。

 ……まさか、その『鬼』が目の前にいるって知ったら、驚くだろうな。

 でも、あったばかりの奴にそれを教える必要はないし、
そもそもそんなつもりも毛頭ない。

 ポロが出ないうちに、サッサと話題を変えた方がいいみたいだな。

「なるほどねぇ……ところで、あかねちゃんはどっちの妹なんだ?」

 俺がそう訊ねると、誠とさくらちゃんは顔を見合わせ、プッと吹き出す。
 逆に、あかねちゃんは頬を膨らませてご機嫌斜めだ。

「うふふふ♪ 耕一さん、あかねちゃんは、わたし達と同い年なんですよ」

「な、なにぃっ!?」

 この子が……高校生?!
 とてもじゃないが、そうは見えないぞ。
 せいぜい小学校の高学年、どんなに贔屓目で見ても中学一年だ。

 う〜む……初音ちゃん以上にランドセルが似合いそうな高校生がいるとはな。
 世の中ってのは、奥が深いな。(謎)

「うにゅぅ〜〜〜……あたし、妹なんかじゃないもん!
まーくんの恋人なんだもん!」

「へ? 恋人? じゃあ、さくらちゃんは?」

「もちろん、わたしも恋人です♪」

「…………」

 えーっと……つまり、何かな?
 二人とも、誠の恋人なわけ?
 ようするに、両手に花状態?

「……おい、誠」

「はははは……そういうことなんです。
ちなみに、実は、もう一人いたりするんですけどね」

 と、目で訊ねる俺に照れ笑いを浮かべ、苦笑する誠。
 そんな誠に、楽しそうに寄り添うさくらちゃんとあかねちゃん。

 むう……彼女達だけでもかなりの美少女なのに、
さらにもう一人いるだってっ?!

 ……なんて羨ましい。

「は、ははは……で、誠達は何処に泊まる予定なんだ? やっぱり鶴来屋か?」

 これ以上、らぶらぶモードを見せ付けられるのはたまらないと、
俺は再び話題を変えることにした。

「さすがにそこまで予算は無いですよ」

「じゃあ、どうするんだ?」

「別に旅館は鶴来屋だけじゃないでしょ?
だから、最初は適当に安い旅館を探すつもりだったんですよ」

「そしたら、あたし達の友達が知り合いの家を紹介してくれたの。
だから、そこに泊めてもらうんだよ」

「なるほど、それなら宿泊費が浮くな」

「はい……ところで、俺からも訊いていいですか?」

「何だ?」

「耕一さんって、隆山の事は詳しいんですか?
だったら、名所とか鬼の伝承にまつわる場所とか色々と教えて欲しいんですけど」

「ああ、構わないよ。と言っても、地元の人ほど詳しくないぞ」

 と、そう前振って、俺は誠達に隆山の観光名所を教えてやった。
 俺の言葉に頷きながら、誠達はメモを取る。

 そんな事をしている内に、電車は隆山へと到着しつつあった。
















 しばらくして、電車は隆山温泉駅へと到着し、俺と誠達は別れた。

 本当は、財布を拾ってくれたお礼に誠達を案内しようかと提案したのだが、
まず世話になる家の住所を交番で訊ねて、そこに荷物を置いて落ち着きたいと言われれば、
俺としては引き下がるしかない。

 まあ、親切の押し売りは逆に迷惑だろうし、
それに、三人のお邪魔をするのも野暮ってモンだしな。

 と、いうわけで、一路、柏木邸へと向かう俺。

「ごめんくださーい」

 そして、懐かしの柏木邸に到着した俺は、玄関に入ると、
わざと声色を変えて、家の奥に呼び掛けた。

 すると……、

「はーい」

 と、可愛らしい声とともに、パタパタとスリッパの音を立てて、
玄関に向かって駆けて来る足音。

 この声は……初音ちゃんだな。

「はい、いらっしゃ……って、お、お兄ちゃんっ!?」

「やあ、初音ちゃん、久しぶりだね」

 案の定、俺の姿を見て、心底驚く初音ちゃん。
 そんな初音ちゃんに、俺はしれっとした顔で挨拶する。

「ど、どうして、耕一お兄ちゃんが……え? え?」

 どうやら、予想外の来客にかなり混乱しているようだ。
 「え? え?」を繰り返しながら、オロオロとしている。

「はいはい、落ち着いて」


 
なでなでなでなで……


「あ……」(ポッ☆)

 そんな初音ちゃんの頭を、俺はやさしく撫でてやる。

 それでようやく落ち着いたようだ。
 初音ちゃんは、持っていたハタキを胸の前でギュッと握って、ゆっくりと深呼吸をする。

「どう? 落ち着いた?」

「う、うん……でも、お兄ちゃん、急にどうしたの?
帰って来てくれるなら、連絡してくれれば良かったのに」

 と、初音ちゃんはちょっとだけ批難するように俺を見る。

「ははは、ゴメンゴメン。ちょっと驚かそうと思ったんだよ」

「もう……お兄ちゃんったら」

 悪戯が成功して笑う俺に、初音ちゃんはぷうっと頬を膨らませて拗ねる。
 そんな表情も、とても可愛い。

 うんうん。わざわざ黙って帰って来た甲斐があるってもんだ。

「でも、お兄ちゃんが帰って来てくれて嬉しいよ。
さ、早く上がって上がって」

 と、俺の手を引っ張る初音ちゃん。
 だが、途中で、何かを思い出したようなような表情になると、俺の手を離した。

「あ、その前にすることがあるよね」

「すること?」

 首を傾げる俺に構わず、初音ちゃんはニッコリと微笑む。
 そして……、

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

「うん……ただいま」
















「他のみんなは?」

 居間に上がり、初音ちゃんが淹れてくれた冷たい麦茶を啜りながら、
俺は正面に座る初音ちゃんに訊ねた。

「千鶴お姉ちゃんはお仕事。梓お姉ちゃんは部活。
楓お姉ちゃんはお友達とお買い物だよ」

「何だ、じゃあ、当分は帰って来ないな」

 と、俺はちょっとがっかりしつつ、壁に掛けられた時計に目を向けた。

 今はちょうど午後1時――
 多分、みんなが帰ってくるのは夕方くらいだろう。
 千鶴さんの場合、夕飯まで帰ってこないかもしれない。
 何と言っても、世間が夏休み中だからな。鶴来屋は掻き入れ時ってやつだ。
 となれば、会長の千鶴さんも、相当忙しいに違いない。

「ちゃんと連絡してくれてれば、みんな早めに帰って来たのに」

「それもそうだね……で、初音ちゃんは留守番がてら掃除してたの?」

 俺は初音ちゃんの脇に置かれているハタキを見る。
 さっき俺を出迎えた時にも持っていたから、多分、掃除をしていたのだろうと思ったのだ。

「うん、そうだよ。あのね、お兄ちゃんの部屋を…………ああっ!!」

 いきなり大きな声を上げる初音ちゃん。

「ど、どうしたの、初音ちゃん?」

「……お兄ちゃん、どうしよう?」

「何が?」

「あのね、実はね……」

 と、そう言って、初音ちゃんは事情を話し始めた。

 初音ちゃんが言うには、なんでも、数日前にあの浩之から電話があったらしい。
 で、その内容は……、


『今度、俺の知り合いがそっちに行くから、面倒見てやってくれねーか?』


 というものだった。

 他でもない浩之の頼みだ。
 柏木家一同が断るわけも無く、全員一致で賛成した。

 それで、その客には俺の部屋に泊まってもらおうという事になり、
初音ちゃんはその準備をしていた。
 で、タイミング悪く、俺が帰ってきちまったわけだ。

 こうなると、客に泊まってもらう部屋が無い。
 それで、初音ちゃんは困ってしまったわけだ。

「お兄ちゃん、どうしよう? お客さんが来るの、今日なんだよ」

「だったら、鶴来屋の方に泊まってもらえば……って、ダメだよな。
いくら千鶴さんが会長だからって、公私混同は良くないな」

 そんな事したら、社内での千鶴さんの評判が悪くなっちまうぜ。
 ただでさえ、年若い会長って事で、色々と問題があるってのに。

「じゃあ、どうするの?」

「仕方ない。お客さんには予定通り俺の部屋を使ってもらおう」

「お兄ちゃんはどうするの? まさか、東京に戻るなんて言わないでよ。
わたし、そんなのヤダよ。せっかく、帰って来てくれたのに……」

 と、不安がる初音ちゃんの頭に、俺はそっと手をのせる。

「ははは、大丈夫。そんなこと言わないよ。俺だって、来て早々に帰りたくはないからね。
俺は居間か仏間で寝ればいいさ」

「ダ、ダメだよ! お兄ちゃんに、そんな事させられないよ!」

「いいって。元はと言えば、俺がちゃんと連絡しなかったのが悪いんだし」

「でも、ダメッ! 絶対ダメッ!」

 俺の言葉に、大きくかぶりを振る初音ちゃん。

 やれやれ……こういう事には、意外と頑固なんだよなぁ。
 まあ、俺を想って言ってくれているんだから嬉しい限りなんだけど。

 と、そこで、俺はちょっとした悪戯を思いつく。

 ……ちょっと、からかってみるか?

「じゃあ……初音ちゃんの部屋に泊めてくれる?」

「…………え?」

 俺の言葉に、初音ちゃんはキョトンとした表情になる。

「だから、俺の寝る部屋が無いんなら、初音ちゃんの部屋に泊めてくれる?」

「…………」(ポポッ☆)

 と、俺がもう一度言うと、初音ちゃんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 そして……、

「……………………うん、いいよ」

 と、小さく頷いた。


「っ!!」


 今度は俺が焦る番であった。
 初音ちゃんの思わぬ答えに、俺は絶句してしまう。

 今、初音ちゃん……いいって言ったんだよな?
 と、いうことは……、

 俺の脳裏に、様々な妄想が……って、何考えてるんだっ!!

「え……えっと……あの……」

「は、ははは……」

 二人の間に流れる、何とも言えぬ気まずい雰囲気。

 ……どうする。
 何とかして、この雰囲気を打開しなくては。

 と、俺が頭を捻らせていると……、

「ごめんくださーい」

 まさに天の助けとも言うべき声が、玄関から聞こえてきた。

「あ、例のお客さんかな?」

 これ幸いにと、俺は立ち上がる。

「お兄ちゃん、わたしが出るよ」

「いや、俺が出るから、初音ちゃんは掃除の続きしてて」

 俺はそう言うと、初音ちゃんの返事も待たずに、そそくさと玄関へと向かった。

「ごめんくださーいっ!」

 俺達がグスグズしていたせいであろう。
 待ちくたびれた客は、もう一度、さっきより大きな声で呼びかけてくる。

 はて? それにしても、何処かで聞いたような声だな?
 ……うーん、思い出せん。

「はいはい。今いきますよ」

 何故か妙に聞き覚えのある声に首を傾げつつ、俺は来客を出迎えた。

「いらっしゃ……って、ああっ!!」

 玄関に立つその姿を見て、俺は声を上げて驚いていた。
 同様に、来客も俺の姿を見て驚いている。

 そうか……どうりで聞き覚えのある声なわけだ。
 何たって、ついさっき別れたばっかりだからな。

 ……そう。
 玄関に立っていたのは……、

「こ、耕一さんっ!? どうしてここに?!」

「お前こそ、何でここにいるんだ、誠っ!?」








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